2005年09月

2005年09月30日

ぶらんこ原体験   【エッセイ】

 どういうわけか子どものころ、ぶらんこが好きだった。ぼうっとして揺られているのが性にあうのだろうか。知らない街の公園の片隅にぶらんこをみつけると、胸が躍った。
 おとなになってからも、読書や音楽を聴きながらではなく、なにもしないでぼうっとする時間をもたないと自己を再生できない。そんな時間は、ぶらんこに乗っているときの心象風景と同じだ。そのせいで、ただでさえ短い睡眠時間がさらに短くなる、という生活を永年つづけている。

 小学1年生のころの情景である。
 放課後、わたしは校庭の片隅にあるぶらんこの横木に座り、ゆらゆらと揺れていた。いつものように頭を空っぽにして愉しんでいた。鎖を両手で握りしめながら、ふいにある誘惑にとらわれた。鎖の一番下に大きめの輪があり、そこを接点として横木と結びついている。その輪の部分を両手でもったら、わたしのからだはどうなるのだろう……。即座にぶらんこから転落し、尻餅をつくであろうということは、子どもごころにも想像できた。しかしそれを実行したいという誘惑に、わたしは勝てなかった。 思いついてから10秒後に、ごく自然にわたしは実行に移した。
 一瞬、眼を閉じていた。気がつくと、わたしは想像どおり地面に尻餅をついていた。そのときわたしが眼にしたのは、振動により無人のまま往復運動をはじめた横木が自分に向かってきているという現実だった。無防備のままわたしは横木で右のこめかみを軽く打った。小さな痛みが走った。

 そうなんだ。大きな輪を両手でもつと、こめかみを打つのだ。不様な恰好とひきかえに、なにか豊かなものを手に入れたような気分になっていた。
 よくよく考えてみたら、おとなになっても同じことを性懲りもなく繰りかえしているではないか。死ぬまでつづけるのだろうか。不様さのなかでなにかを掴むという愚行を。それをわたしは、「転んでもタダでは起きない」といいたくない。「マイナスをプラスに転化させる」という芸術的行為でもない。不可抗力な衝動なのである。なんの役にもたたない豊かさが、そこにはある。

 このぶらんこのエピソードについてあるひとに語ったあと、わたしはいった。
「それがわたしの原型です」
 しばらくして彼は、不愉快そうな顔でいった。
「さっき、黙っててくれないかなと思ったんです。自己の原型という、そんな大切な話をして、どうしてぼくに考えさせる時間を与えてくれないんです!」
 それからさっと顔を元にもどして、わたしの眼を見据えながら彼は斬りこんできた。
「サーヴィス精神じゃないんですかぁ……」

 わたしは言葉を失っていた。けれども不快感はなかった。むしろこの地点まで他者であるわたしを理解しようとする彼に、感動すらおぼえていた。沈黙をたもっていてもわたしの顔を彼に晒している以上、透視力のある彼の眼によって、わたしのリアクションはほぼ正確にキャッチされているという安心感がともなっていた。
 その話のまえに彼は「対話ですから」と念押しするようにいい、〈対話〉の意味するところを強調していた。対話とはどういうものなのか、わたしは彼によって教えられたような気がする。
 後日、彼は京都の街をぶらついていたとき、たまたま「味戸ケイコ展」をみつけて入り、ぶらんこに乗った少女の画をみた。そのときわたしのぶらんこ原体験を想いだし、奇妙な感覚に襲われた、と手紙に書いてきた。

 では、ネット世界で〈対話〉は成立するのだろうか。
 それは現実世界の〈対話〉とどうちがうのか。
 ネット世界では黙ったまま存在することはできない。言葉を発することが存在を意味する。ネット上で無言のうちになにかを掴むためには、半端ではない想像力が求められるのだろう。現実世界の住人ではないから清潔な関係がもてるかというと、意外となまなましい。人間の本質が露呈するのである。

 いま、わたしが〈対話〉が成立していると認識している数少ないひとたちとの関係を、これからも育てていけたらうれしい。もしかしたら幻想ではないのかという恐怖に怯えつつ、彼らの影響でわたしの現実世界が変わっているという事実は、わたしを圧倒するのである。


[追記 2005/10/1]
コメント欄で、小向さんがボードレールの散文詩「ANY WHERE OUT OF THE WORLD」(いずこなりとこの世の外へ)に触れておられますので、補足します。

■『ボードレール全詩集供戞憤ど良雄訳・ちくま文庫)より引用 ― p.462
 英語の題はボードレールが一八六五年に訳したトマス・フッド(英国の詩人、一七九九―一八四五)の詩から取られたもので、一語に綴るべき、ANY WHERE が二語になっているのは誤記もしくは誤植である。


miko3355 at 14:34|この記事のURLTrackBack(0)小品 

2005年09月20日

狂言回しとして存在意義のある小泉首相

謙遜ではなく、文字どおり政治に疎いわたしだが、以前から、TVに登場する政治評論家のなかで唯一風格を感じていたのが、森田実氏だった。何者なのだろうと思っていたのだが、最近、森田氏のサイトがあるのを知った。
小泉首相のメディア戦略について、メディアや幾つものblogが分析しているのをみききし、わたしは釈然としない気分になった。ところが下記を読み、溜飲がさがったのである。

2005.9.17(その1)
2005年森田実政治日誌[345]
早くも始まった“小泉個人崇拝”の大宣伝――小泉首相を神格化する愚劣な行為はやめなさい

(註・左側の「森田実の時代を斬る」というコンテンツから入ってください)
というのを読んでいたら、つぎのような記述があった。

「小泉人気さえ高めれば、小泉内閣が日本人にとってどんなひどい政治を行っても日本人は受け入れる」という考え方がブッシュ政権の対日戦略担当者にはある――という話を、日米関係にタッチしている知人から聞いたことがある。
「小泉人気を煽るために、ウォール街を通じて、多額の広告費を日本の広告独占企業に供給し、日本のマスコミを支配した」という話も聞いた。
 何人かの日米関係者に聞いてみると、誰もあからさまには口にしないが、上記のことは「日米関係者の間では常識になっている」ようだった。そのうちの一人はさらにこう付け加えた。
「ブッシュ政権の日本担当者は、日本人はバカだと考えている。マスコミ(とくにテレビ)を煽て上げ、広告費を出せば、なんでもする。日本のテレビは放送法に違反する行為を平然と行う。小泉政権の支持さえあればどんなことでもできると考えている。マスコミが小泉人気を高め、小泉を偉大な政治的大天才と思い込ませれば、小泉がどんなにひどい政治を行っても日本人は小泉についていく。日本人をアメリカのために働かせるためには、マスコミを使って小泉人気を高めればよいと、アメリカ側は考えている。日本のマスコミは日本国民の利益など考えていない。危険ですね。ほかにもあります。アメリカ側の日本における宣伝誌の一つが『ニューズウィーク日本版』。これは注意してみておいたほうがいいですよ」


そうすると、小泉は″狂言回し″ということになる。
「脱欧入亜」の時代にアメリカ追随というのは、時代に逆行しているし、「日本人をアメリカのために働かせるためには、マスコミを使って小泉人気を高めればよいと、アメリカ側は考えている」のだとしたら、単純に考えて、国益とは真逆な小泉政権を国民は支持したということになる。

また上記サイトで、森田氏は、朝日新聞および朝日新聞発行の雑誌の内容のひどさに憤り、《朝日新聞の記者や編集者を「知識人」と見るのはやめたほうがいいと思う》と述べている。そしてこう訴える。

報道関係の諸君。「ジャーナリストにとって、政治権力の手先になるほど恥ずべき堕落はない」――これが、戦後日本のジャーナリストの誓いだったことを思い起こしてほしい

2005.9.17(その2)
2005年森田実政治日誌[346]
「憂国の声」特集(40)

(註・左側の「森田実の時代を斬る」というコンテンツから入ってください)

上記には9/16に寄せられた意見が紹介されている。いずれもすぐれた内容である。
とりわけ強く共感できたのは、つぎの3点。
(森田氏のサイトの読者にはブロガーが多いらしい。紹介してほしいものだ)

【3】MYさんの意見「風が吹かなかった新潟より」
【6】MMさんの意見「50年来の朝日購読をやめました」
【12】Kさんからのメール「することがなくなったの歌をつくりました」


さて、「国立大学独立行政法人化の諸問題」というサイトがある。
自衛隊のイラク派兵についてセンスのよいアプローチをしていたので、そのころから注目していた。そこに、 黒田清「批判ができない新聞」が紹介されている。

黒田清(1931〜2000)についてはこちら

上記によると、黒田氏は亡くなる数日前に、うわごとで「福倖酒(ふっこうしゅ)が飲みたい」といい、霊前に供えられたという。
福倖酒とは、阪神大震災で多大な被害を受けた神戸・長田が震災からの復興を願い、製造した地酒。

わたしは、(嫌味のない)みるからにシャープなひとも好きだが、黒田清のようなひとにも魅了されるので、すい臓がんのために69歳で逝ったと知ったときはショックだった。手術後にみせた姿を含め、どこか不死身のような風貌だった。
そのひとの死が、なにかの終焉を告げるケースがある。黒田清もそのような存在だったと思える。





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2005年09月15日

粛正

天木直人氏の存在を知ったのは、「噂の眞相」(いまは休刊)誌上だった。
ほどなく『さらば外務省!』(講談社)を読み、力強い筆力と内容にこころを揺さぶられた。
その後、田原総一郎のTV番組「サンデープロジェクト」に天木氏が出演したのを観て驚愕した。「ひとのいいオジサン」にみえ、筆力から受けるイメージとはほど遠い。そのときの彼の発言は記憶に残っていない。
その後、天木氏のサイトを閲覧し、メルマガを読むようになった。文章はいつも迫力があったし、内容についても同意できるものばかりだった。それにもかかわらず、しだいに虚しさをおぼえるようになった時点で、天木氏の出馬を望んでいる自分に気づいた。

今回、天木氏が小泉首相と同じ神奈川11区から立候補されたのを知ったとき、熟慮の末だということはわかるが、不可思議だった。
平和への勝手連」の【2005/08/29 出馬の意味】によると、

天木さんの会見には新聞がほぼ全社、テレビもNHK,TBS、神奈川 テレビなどが来ていて、横須賀市庁舎4階の狭い記者会見室は満杯で、 質問も活発でした。当然、みなさんがおっしゃっている「主張が正しいのは分かるが、民主党の票を奪うだけで、無意味な挑戦ではないか」と か「ドンキホーテでは」という質問も出ましたが、天木さんは自分が神奈川11区で出ることでメディアと国民の関心を引きつけ、選挙の争点 を郵政ではなくイラクからの自衛隊撤退に絞り、日本がアメリカ追従の戦争への道を選ぶのか、それとも平和の道へ立ち戻るのかの選択を有権者に問いたい、と答えました。そしてその主張は各紙に取り上げられました。風が起こり始めた、と私は捉えています

とある。
結局のところ、メディアは天木氏を黙殺したように思われる。
かつて天木氏をTV番組に出演させた田原総一郎も、同様だったと。では、なんのために小泉純一郎と刺しちがえる覚悟で(小泉氏はまったく疵を負っていない)外務省を辞した天木氏を出演させたのか?
視える刺客に国民は発情したようだが、視えない刺客のほうが怖ろしい。

神奈川11区の確定得票。

小泉純一郎(自 前) 197,037
斉藤  勁 (民 新)  50,551
瀬戸 和弘 (共 新)  11,377
天木 直人 (無 新)  7,475
羽柴 秀吉 (無 新)  2,874

一方、9/14にTBSラジオ「ストリーム」出演中の勝谷誠彦氏が「勝谷誠彦の××な日々。」おいて、管理人から以下のようなメールがきたが、無視していると語っている最中に削除されたことがわかった。削除された時間は判明しないが、当日の朝は削除されていなかったという。まことに臨場感があった。いつも過激なことを書いているが、そんなことははじめてだという。

2005/9/13の日記より引用。

勝谷誠彦 様
アカウント:31174

『さるさる日記』をご利用いただき、有り難うございます。
『さるさる日記』の管理人です。

勝谷誠彦様の日記には、当サイトの利用規約の禁止行為に
触れる内容が書かれております。

■ 規約
http://www.diary.ne.jp/rule.html

・特定の個人や団体、国や人種などを中傷する表現があった場合。

「2005/09/12 (月) まだこれは終わりの始まりの第一段階に過ぎないのだ。」

本来、このような内容の日記は、連絡無く削除いたしますが、
今回は「警告」とさせて頂きます。

9/13の17:00に再度確認させていただき、対応が
されていない場合は即刻削除させていただきます。

今後も、規約に反する内容が確認された場合は
事前の連絡なく、削除させて頂きますのでご了承ください。


「粛正」されるのは自民党議員や有名人だけではない、ということを思い知らされた。そしてその自民党を圧勝させたのは、われわれ国民なのである。

削除されるまえの2005/9/12の日記はこちら

ちなみに勝谷氏を最初に知ったのはラジオ番組での発言だった。録音して聴きつづけたが、共感できる部分が多いので注目していた。ところがイラク戦争において、勝谷氏が一貫して武装勢力を日記にテロリストと書いたり、TVやラジオでそう発言するのにガマンできなくてメールしたが、返信はなかった。最初にべつの用件でメールしたときには、反論の返信があった。
(わたしは有名人にメールしたことがなく、この2度のメールは特別である。また勝谷氏は写真家でもあり、戦争中のイラクにも行って、危ないところを助かっている。凶弾に倒れた橋田信介は彼の師匠だという)

参考までに、2004/4/14(水) TBSラジオ「ストリーム」における勝谷誠彦氏の発言の一部をメモしたものを記す。パーソナリティは小西克哉氏だが、勝谷氏の発言はかみあっていない。

小西 総理大臣はテロリストといういい方はやめたほうがいいと思う。アメリカでも叛乱軍(はんらんぐん)といういい方はしても、テロリストといういい方をするのは、ブッシュと政権内部の人間だけですよ。ジャーナリストはそういうことはいわないですから。平気でテロリストという政治家は、その帰結を考えていない。これはマズイですよ。

勝谷 それは、いかにアメリカの意図を受けて、小泉さんと福田さんがすぐに話したか、だと思うんですよね。



miko3355 at 17:38|この記事のURLTrackBack(0)社会全般 

2005年09月09日

欲望という名の電車

「益岡賢のページ」は、読み応えのあるサイトである。益岡氏の視点が明瞭で気もちがよい。2005/9/8ニューオーリンズは、ハリケーン・カトリーナについて的確に表現されている。キーワードは《米国にべったりとついて行っている小泉政権の行く末にある社会現象》だ。
2004年のイラク人質事件における「自己責任論」は、布石だったのだ。これからはわわれわれの生活を脅かす「論理」として、本領を発揮するだろう。

『さらば外務省!』――私は小泉首相と売国官僚を許さない(講談社・2003年10月)を書いた天木直人氏が、神奈川11区から無所属で立候補した。
*「日刊ベリタ」小泉強権政治を変えるための一石に 天木前駐レバノン大使が立候補の弁

益岡氏の一文の末尾に、

ニューオーリンズの電車(Street Car)は、テネシー・ウィリアムズ 『欲望という名の電車』のモデル

とある。にわかにニューオーリンズに親近感がわいた。以前に観た映画(1951年・米)と原作は、わたしのなかで共存している。ブランチ役はビビアン・リー。

新潮文庫版・小田島雄志訳『欲望という名の電車』の冒頭はつぎのとおり。

ニューオーリンズ市の〈極楽〉という名の街路に面した、ある町角の二階建ての建物の外側。その街路は、L&N鉄道の線路と、ミシシッピ河のあいだを通っている。そこは貧しい地区ではあるが、アメリカのほかの都市にある貧民地区とはことなり、一種の卑俗な魅力をそなえている

巻末に記された小田島氏の解説によると、「欲望という名の電車」の初演は、1947年12月3日、ブロードウェーのバリモア劇場。舞台は、ニューオーリアンズのフレンチ・クウォーター。
ウィリアムズは、1938年春、27歳でアイオア州立大学演劇科を終えたあと、居所を転々とする流浪の生活をはじめたが、このニューオーリアンズという南部の港町に魅せられ、何度もフレンチ・クウォーターのアパートを借りている。そのロイヤルという通りに、昔、「欲望」と「墓場」と書かれた二系列の電車が走っていた。

9/11の選挙を目前にしたいま、この「欲望」「墓場」という二系列の電車が、日本の地にも走っているのではないだろうか。





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2005年09月05日

背中の眼    【エッセイ】

 タクシーというのは、見知らぬ他者に自分のいのちを預けていることを痛感させられる、奇妙な箱である。
 わたしの場合、こちらから話しかけることはまずないのだが、むこうから話しかけられたときは、なにがしかの会話を求めていると判断し、気もちよく応対することにしている。たいていの運転手は不機嫌に黙りこくっているのだから、話しかけられること自体が珍しいのである。


 乗車して一呼吸してから、その運転手は話しかけてきた。あたりさわりのない内容だった。それに対してわたしは、ひとことではあったが、なぜか自分の社会をみる視点が判明するような発言をした。それを聴いた彼は、無言のうちに背中全体で大きくうなずいた。そのリアクションに驚いていると、彼はおもむろに語りはじめた。 
 広島で被爆した。学徒動員で広島へ行き、そこで被爆したのだと。
 思わず彼の横顔に眼をやった。全身に諦念があふれるのを感じとったとき、彼の声にならない声がわたしに聴こえたような気がした。
  ――あのとき、広島へ行っていなかったら……。
 彼は右手でハンドルを握りながら、左手で備えつけのボックスから手帳をとりだし、後部座席のわたしに渡した。そのときちらっと彼の横顔がみえた。彼の行為に迷いはなかった。その空気に圧倒されるようにして受けとったものの、その行為には、はかりしれぬ想いを抱いた。ここで受けとるのを拒否することは、彼の自尊心を著しく傷つけてしまうということだけは、明白に伝わってきた。
 ずっしりと重い被爆者手帳の手応えが掌に残った。手帳を開くことは、彼のなにかを侵すような気がして、わたしにはできなかった。というより、受けとるだけで精一杯だったのだ。
 黙ったまますぐに返した。
 それを受けとろうとして左側に半身を返したので、彼の顔の大半がみえた。一瞬、テレたような表情がよぎった。
 それにもかかわらず、わたしはしたり顔でいった。
「原爆の場合は、何年もたってから症状がでてくるのが怖いですね」
 しまったと思った。この発言は誤解を招くにちがいない、とわたしは想像した。が、彼は拍子ぬけするほど明るい声で応じた。
「そうなんです。ぼくも時々ノドの調子がおかしくなるんです!」


 いままで最も怖かったのは、ノイローゼの運転手のタクシーに乗りあわせたときだ。
 走りだしてすぐに、「待ってました」といわんばかりに彼は話しかけてきた。最近ある宗教団体から脱退したのだが、自分の親戚も妻の親戚も同じ宗教団体に属しているので、とても疎外感がある。また、脱退した人間は必ず不幸になると脅されているというのだ。信仰しながら日常生活がまるでなっていない妻とも離婚したという。
 憑かれたように熱弁をふるいながら、途中で道に迷ってしまい、脇道にタクシーを止めた。それから彼はハンドルにおいた両腕に顔を埋め、低い声でつぶやいた。
「ここはどこかなあ……」
 ひたすら彼を励まして精神を高揚させることしか、わたしに残された道はなかった。ここで降りてしまいたいという衝動に襲われたが、その行為がただでさえ壊れやすくなっている彼のこころを刺激してしまったら、元の黙阿弥なのだ。彼のこれからの人生の展望よりも、わたしには自分のいのちのほうが大事だった。ノイローゼの運転手のタクシーに乗りあわせて事故死――なんて、あまりにも自分がかわいそうではないか!
 そんな胸中でいながらも、うかつに声をかけられないので、わたしは黙って彼を見守っていた。しばらくして職業的習性からか、彼は再びハンドルを握り、タクシーはゆっくり走りだした。
「でも、早くその宗教からぬけだせて、奥さんとも早く別れることができてよかったじゃないですか、これからの人生にとって」
 わたしが軽い口調で、それでいて真剣な面持ちを崩さずにそういうと、
「そうなんですよね!」
 ひときわ明るい声で彼は同調した。
 1時間もうろうろと走ったあげくに、タクシーはやっとの想いで自宅に到着した。いつもなら30分で着いている距離だ。当然ながら料金は確実に増えている。
「おまけしておきます。○○○○円でいいです」
 と彼は意を決したようにいったが、それでもかなりの増額である。
 わたしは黙って、おまけしてくれた料金を払った。
 降りようとすると、
「きょうは、よいお話をありがとうございました」
 真人間になったような声でそういい、彼はわたしの顔をみないで、まっすぐまえを向いたまま礼儀正しく頭をさげた。


 ある読書会の帰りだった。わたしがある男性に声をかけて、その読書会が開かれたといういきさつがあった。
 わたしは駅からタクシーに乗った。自宅まで20分ほどの距離である。その日、ちょっといやなことを耳にしたことで、わたしのこころは固く沈んでいた。夜景を眺めながら、わたしはそのことについて考察していた。10分ほど走ったところで、それまで押し黙っていた初老の運転手が、唐突に口を開いた。
「きょう、なにかあったん?」
 どきりとした。だが、自分の父親に近い年齢の男の口調に、ある種の親密さを感じとったわたしは、当たらずとも遠からずといった答えを返した。
「きょうは読書会の帰りなんですが、初回だったので、はじめて会ったひとばかりで、ちょっと疲れたんです」
 男は半ば安堵し、半ば腑に落ちないという背中をみせながら、こういい放ったのだ。
「わたしらは商売柄、うしろにも眼がついているんだ。いままでいろんなひとを乗せてきたけど、お客さんのような影の薄いひとははじめてだ!」
 この種の不躾さに対しては、常々ひとこと発さずにはいられないわたしは、怒りを内包した静かな声でいった。
「人間はだれもが、どうにもならないものを抱えているのではないでしょうか……」
 そのとたんに、あつくるしく迫っていた男の背中がさあっとむこうにひいてゆき、謙虚に並んだ雛人形のような貌になった。
 男は、自分もまた客にみられているという事実に気づいたのだろうか。あまりいい気にならないほうが身のためではないですか、というわたしの親密なメッセージを感受できるだけの神経はもちあわせていたということか。
 男の背中は、急速に影が薄くなったまま沈黙を保ちつづけた。
 
 
※これは1989年に、某所から「4日以内に書いてほしい」という無茶な依頼を受けて書いたものです。当時、いろいろな反応があり、愛着のある小品なので再掲します。推敲する時間がなかったわりには手を入れる必要を感じなかったのですが、今回、すこしだけ手を入れました。笑っていただけると、うれしいです。


miko3355 at 23:31|この記事のURLTrackBack(0)小品 

2005年09月03日

どうして戦争を起こす人がいるの?

前回にひきつづき、日本テレビで一貫してドキュメンタリー畑を歩く、小田昭太郎氏について。(その後の小田氏については知らない。近いうちに、小田氏を知る人物に訊いてみようと思う)
季刊「いま、人間として」創刊第一巻(径書房・1982/6/20)に掲載された小田昭太郎「信号機の方が大事……なのか」を、要約しながら引く。

ある日小田氏は、小学2年生になる娘の「どうして戦争を起こす人がいるの?」という執拗な質問攻めを受けた妻から、「この子になんとか納得のいく説明をしてやってくださいな」という"難問" を押しつけられる。

実際、ボクは弱った。それは右翼といったような一部の人間の問題ではなく、実は今の世の中に生きているボクたち大人全体への厳しい問いかけだったからである

小田氏が担当していた番組「ドキュメント’80」で狎鐐茲鮃佑┐襯轡蝓璽此蹐鮖呂瓩茲Δ箸いΔ海箸砲覆襦L渭澄∨菁8月には終戦特集を組み、戦争体験を伝承し、戦争そのものを告発し続けてきたのだが、12月の開戦日に向けての新しいシリーズでは、別の視点を持つ。戦争を起こし、戦争を支えたのは、実は日本の大多数の国民自身ではなかったのか。加害者としての国民一人ひとりという視点である。

小田氏はシリーズ4作品のうちの1本に、あるディレクターの補佐役として参加することになった。取材ターゲットは慶応大学の学園祭で催される防衛問題に関するパネルディスカッション。

「徴兵制はやむを得ない。」
 「戦うために武器をとることは当然である。」
 「守るべきものは、自由主義体制であり、日本の国土である。」
 「国家のためになら死んでも仕方ない。」
 特に気負った様子もなく平然と語る学生たちの発言はショッキングだった。正直なところ戸惑い、うろたえてしまった。そして、補佐役などとすましていないでこの問題に本腰を入れる覚悟を固めた


小田氏は早稲田の学生時代はノンポリだったが、大学の近くに下宿していたこともあり、連日友人たちが押しかけて来ては徹夜で議論し、翌日はスクラムを組んだ。
あの頃、現状の矛盾を批判し、熱っぽく理想を語り合った仲間は今の時代をどのように考え、どのように生きているのだろう。小田氏は自分自身の"いま"をみつめるためにも、卒業以来14年ぶりに一人ひとり訪ね歩くことにする。

調べてみると、みんな実に様々な職業に就いていた。
誰もがそれぞれの場で必死に生きていた。訪ねた小田氏に対して、何を愚にもつかないことを考えているのだという反応もあった。確かに私的な、自分自身の生き方を求めるために同窓生を訪ね歩くそのことが直接生活の糧に結びついているということで、内心後ろめたさを感じながらも、みんな変わってしまったなあという実感だけはどうしようもなく残る。
一言で言えば、まず現実を認め、現状維持を最優先にして生きていく、それが大人の生き方だという考え方に変っていた。その変貌が今の若い人たちの考え方を作ってきたのではなかったのか。慶応大学の学生たちから受けたショックは、二重の意味で小田氏自身にはね返って来た。

最近、政治問題や社会問題を扱えるドキュメンタリー番組の数は特に極端に少なくなってきた。当たり前のことが当たり前に言えない時代にもなってきた。そんな中で、表現の場を確保していくことはなかなか難しい。思わず慣れ合ったり、居心地の良さに流されていってしまいそうになる。
(略)
 かつては放送中止問題がよく起こった。しかし最近、放送中止問題が起きないのはなぜか。それは企画段階でつぶされていく管理体制がテレビ局にできたということもあるが、それよりもどっぷりとつかって無意識に自己規制をしてしまう制作者の方が大きいだろう


小田氏はこう疑問符で結んでいる。

言いたいことを言う権利を放棄した時、何も言えなくなる時代が来る。そしてそれは、もう始まっている。軍拡の道をまっしぐらに進んでいる今を、ボクたちはどう生きていけば良いのだろう。ボクたちが戦争の加担者とならないために、娘から、なぜ戦争を起こしたのか? と言われないためには

それから23年が経過した。病いは深部まで進行しているといわねばならない。

※季刊「いま、人間として」は、序巻(1982/5/15)〜終刊11巻(1984/12/15)+別巻1〜3計15冊径書房より刊行された。小田昭太郎氏の文章については、1・2巻に掲載された一文以外に読んだ記憶がない。当時、こんな質のよい雑誌をつくれるものか、と驚愕した。読者と出版社の関係において、ブログ的世界を構築していたように思う。

ところで、いまの若者は戦争についてどう考えているのだろうか。
上記の時代の慶応の学生とは格段の差がある、ということだけは明白だ。具体的にどんな差異があるのだろうか。

作家の辺見庸が早稲田大学で行なった連続講座「戦争と〈アカデミズム〉」として2002年4月18日に開催された講演会「戦争の時代にいかに抗するか?」について、以下の感想をおもしろく読んだ。

辺見庸という名のセクシーな乱暴者 →2002年4月/後

辺見庸の講演を聴いた人からの報告

△僚颪手は社会人で辺見庸の本もよく読んでいるので、わたしには共感できる面が多い。しかし意外にも、,梁膤慇検柄畭?)らしい女性の視点が、じつにおもしろく感心した。一見ふざけているようにみえるが、「思想」が感じられた。これからの時代は、彼女のような揺れに堪えうるだけの靱さが必要なのかもしれない。
ある大学の教員が、「近頃の学生のリポートは、女性のほうが優秀で、男性は型にはまっていておもしろくない」という意味のことをいっていたのを思いだした。

△乃述されている辺見庸の講演内容、

けっきょく、どこかが圧力をかけているわけではなく、現場で携わる人々一人ひとりがきちんと考えていないことに起因する、といっていた。個々人はみな "いい人" なのではあるが、退社後に酒場でこのままではだめだみたいなことをいい、しかし翌日はきちんと出社して "as usual" な日常を仕事のなかでくり返してしまう、そこが一番いけないんだ、とも

が印象的だった。
小田氏が身をもって思考し、番組のなかで継承しようとしたことが、ここでリンクするのである。