2006年03月

2006年03月23日

作家と編集者の資質

「内田 樹の研究室」2006/03/12の村上春樹恐怖症に引用されている村上春樹の「ある編集者の生と死 安原顯氏のこと」(『文藝春秋』/2006年4月号)を読み、全文を読みたくなったので雑誌を入手した。
読後感としては、名状しがたい不快感。安原顯氏に対してではない。村上春樹に対してである。
わたしは安原氏のようなタイプの人間は苦手だし、村上春樹の自筆原稿を担当編集者だった安原氏が古書店に売り渡したの言語道断だと思う。しかし村上春樹が安原氏を「個人的な友だちだと思ってきた」という記述に、違和感をおぼえたのだ。
以前に、わたしが好感をもつ村松友視の『ヤスケンの海』(幻冬舎文庫/平成17年)を読んでいたせいかもしれない。ヤスケンとは安原顯氏のことで、村松友視と安原氏は中央公論社の編集者として、文芸誌「海」を担当していたのである。
同書に、ふたりの関係を端的に描写したくだりがあるので、引いてみる。
p.165〜p.166

「俺が中央公論から出て行くってことはだよ、おまえが重要なセコンドを失うってことだからさ」
「ああ、五点勝ってると思ってるボクサーである俺に、三点負けてんだよバカ! っていうセコンドがいなくなったって話か」
「だから、俺みたいなセコンドは絶対にいないからさ、これからはセコンド抜きで、この中央公論って雰囲気と闘わなきゃならないって言ってるんだよ」
「ヤバイな、それ」
「ヤバくちゃ困るんだよ」
「あのさ、相談があるんだけどさ」
「会社辞めるのやめて、またセコンドになれっていう相談は駄目だぜ」
「やっぱし」
「そりゃ駄目だよ、おまえと話してると危ないんだよな。せっかく辞表出してきたのにさ」
「嘘だよ、うそ。まあ、がんばってよ作家稼業」
 ヤスケンは、そう言って私の手を握った。握り返すと、部厚いけれど湿り気のないヤスケンの掌の感触が、じんわりと私に伝わった――。

同書における文芸誌「海」編集時代の話はじつにおもしろい。とくに「大江健三郎事件」は傑作だ。大江健三郎の感心しない一面が露呈している。
また、余命1ヵ月を宣告されたWeb日記「ヤスケンの編集長日記!」が転載されているが、わたしはこれをリアルタイムで読み、安原氏がちょっと好きになった。その理由を村松友視がうまく分析しているのは気もちがよい。

ところで、村上春樹のつぎの記述には寒くなった。これは安原氏の真実だと思うが、それを記さずにはいられぬ境地とはなにか。

《「俺がハルキを育てたんだ」というようなことを言いまわっているという話を、何人かの編集者や書き手から耳にした。しかし――決して安原さんの編集者としての能力を貶めるわけではないが――彼に育てられたという記憶はない。それよりは、生意気な言い方かもしれないが、僕はどちらかといえば自分一人で育ってきた》

《「スーパー編集者(エディター)と自ら名乗り、世間の小説家をめった切りにしていたのは、自分が小説家になれなかったフラストレーションが大きかったからかもしれない》

もしかしたら村上春樹は編集者より作家のほうが階層が上位だと勘ちがいしているのであろうか。そんな匂いが漂う文章なのだ。
両者は比較できないものだが、両者において優れていた吉行淳之介や村松友視(吉行の担当編集者)を、わたしは好もしく思う。

村松友視が中央公論社を辞めて小説を書いてゆくと覚悟したときの、吉行淳之介とのやりとりを引く。
『夢の始末書』(村松友視/角川文庫/平成2年)
p.325〜p.326

「おい、しかし大変ですぜ……」
「ああ、覚悟してます」
「いや、そうじゃなくて、後遺症だよ」
「後遺症……」
「編集者の感覚ってのは、残るからね」
「はあ……」
「俺は八年ほど編集者やったけど、八年くらい後遺症があった」
「…………」
「やった年数だけ残るらしいね」
「はあ」
「おまえさんは、何年やったの?」
「十八年とちょっと……」
「じゃあ、還暦までだな」
「編集者の後遺症が、ですか」
「そう、あれは抜けませんぜ、なかなか」

上記を読むと、編集者という職人の奥深さがうかがえるのである。
なお、吉行淳之介は本書の解説も記しているが、これもおもしろい。

また村上春樹は、プロデューサー型編集者と実務型編集者を分けて、安原氏は前者だが、自分は後者の編集者を好むという。文学担当の編集者に実務型は存在しないと思うのだが。
わたしの記憶では、村上春樹は書きあげた原稿をまっ先に妻にみせるらしい。彼にとってのプロデューサー型編集者は妻なのだろうか。なんとなく最初の読者の域を超えている妻をイメージしてしまうのである。

わたしが20代のころから数えきれないほど読みかえしてきた本が吉行淳之介著『私の文学放浪』(角川文庫/昭和50年)である。カバーはクレーの「恐怖の踊り」。
いつ読みかえしても刺激がある。
吉行淳之介は作家と職業作家を分けて考えていて、後者が前者より優れているとは限らないという視点に立っている。

一方、茂木健一郎氏(脳科学者)は、「ちくま」(2006年2月号/419)の連載【思考の補助線】で、「批評性と創造」と題した一文を記している。そこから引く。

《創造をめぐるモデルは、いまだにルイ・パスツールによってなされた微生物の「自然発生説」の否定以前の段階にある。微生物が無から生じることがないように、人間の脳が何もないところから何かを生み出すことはありえない。実際、脳科学は、創造性と脳内の記憶のシステムの関係を明らかにしつつある。創造とは、思い出すという行為と密接に関係しており、過去の体験の脳内アーカイヴに依存しているのである》

作家に不可欠なのは、記憶力と批評性ということになるのだろうか。安原氏にはそれらが欠けていたということなのだろう。

高橋たか子著『驚いた花』(人文書院/1980年)に収められている「ドストエフスキーについての寸言」に、ドストエフスキーが『罪と罰』執筆当時に住んでいた四階建てのアパートを訪ねたときの記述がある。そこから引く。

《ドフトエフスキーが自分の住居から一方に五十メートルぐらいのところにラスコリニコフの部屋を、他方に五十メートルぐらいのところにソーニャの部屋を思い描いて小説を書いたのだという、具体性を、まのあたりにしたからである。つまり、こんなふうにして想像力をはたらかせるタイプの小説家なのだった、という思いに打たれたからである。
 また、言いかえると、作者自身よくよく知っている通りや建物に即して人物を動かしていったのだという、想像力の秘密に触れた気がした。もちろん、小説に描かれた通りや建物は実写されたものではなくて、想像的に変質させられた通りや建物なのだけれども。
(略)
 ここからすこし行ったところに、小説のなかで金貸し老婆が四階に住んでいた、六階建てのアパートがある。「石の井戸」と呼ばれる、陽の射さぬ中庭があり、全体に湿っぽさがしみわたった建物は、どこか乾いているような感じさえする。その古ぼけたみすぼらしさが、私には強く印象づけられた》
(新潮社、「ドストエフスキー全集24」月報 一九七九年十二月)

余談として。
10年以上まえだが、詩人の辻征夫(1939年〜2000年)と話す機会があった。
「田中康夫は村上春樹のことを商売人だといって批判しているけれど、そもそも文学作品を商品として売るということ自体……」
そうわたしがいうと、辻征夫は瞬間的にわかったという顔をしたのだった。
なお辻征夫は、村上作品の価値を認めていたし、レイモンド・カーヴァーを翻訳した村上春樹を支持していたようだ。
(この翻訳を安原氏は「海」や「マリー・クレール」に掲載し、のちに全集として中央公論社から刊行された)

辻征夫のからだから発散していたものを言葉にすると、こうなる。
「詩人とは言葉を発する人間ではなく、言葉を溜めこんでいる人間なんだ」
わたしは生身の人間とむかうとき、そのひとが発する言葉より、からだから発散しているものを読みとる傾向がある。そしてひとりの人間から、本を読むことでは得られない内実を読みとれたとき、幸せな気分に浸るのである。
辻征夫が『ヴェルレーヌの余白に』で高見順賞を受賞したのは、この直後だった。




miko3355 at 16:33|この記事のURLTrackBack(0)文学