2009年06月

2009年06月08日

NHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」

2009/04/12に放映されたNHKスペシャル「ヤノマミ 奥アマゾン 原初の森に生きる」を録画していたのを観た。
なんの予備知識も期待感もなかったが、オープニングシーンからエンディングまで惹きつけられた。
なまなましいのに詩的な映像世界を構築している。
本番組は59分に編集されたものだが、03/23にハイビジョン特集で放映されたのは110分。
NHKのホームページによると、ブラジル政府、部族の長老7名との10年近い交渉の末、TV局としてはじめて長期の同居が許されたという。
ディレクターの国府 拓とはどういう人物なのか、大いに興味がある。

田中 泯の重いナレーションに一瞬笑いそうになったが、笑えなかった。
妙に明るく制作された番組の多さに、自分が毒されていることに気づかされたからだ。
田中 泯はNHKのドラマ「ハゲタカ」で加藤幸夫役を演じていた。
声に独特の存在感がある田中 泯は、ナレーターとしても異色だ。
田中 泯は、本番組スタッフの情熱に打たれてナレーションを引き受けたという。

余計な音はほとんど挿入されず、深閑とした森に自然界の音が響き渡る。
眼力で演技する役者のように、カメラの眼力による鋭く豊かな表現力には感心する。
BS世界のドキュメンタリーに時折みられるカメラワークだ。
取材クルーたちは150日間ヤノマミと同居し、彼らと同じものを食べ、彼らの言葉を覚えようとした。
その150日間の生活ぶりを本にしてくれることを、わたしは願う。
ナレーションの言語感覚から推察すると、いい本になるにちがいない。

不気味なオープニングシーン

カメラが女の顔をアップにする。
女が白蟻の巣を焼き払っている。
無表情だが、瞳にかすかな憂いを帯びている。
白蟻の巣のなかには、生まれたばかりの子どもが納められている。
子どもの亡骸を白蟻に食べさせたあと、巣ごと焼き払うことで天に送る、という弔いの儀式である。
子どもを殺めたのは、母である女自身だった。

ヤノマミとナプを明確に区別

ブラジルとベネズエラにまたがる深い森のなかでヤノマミは暮らしている。
ヤノマミがアマゾンの森に住みはじめたのは、1万年まえだと考えられている。
彼らは独自の文化や風習をもつ、きわめて稀な部族だ。
不思議な雲がかかる岩山の麓に、ヤノマミがシャボノと呼ぶ丸い家がある。
ひとつ屋根の下に150人が暮らす。

同居1日目、取材クルーたちは奇声で迎えられた。
そこへ突然、トランクスをはき、腹のでた男が立ちふさがる。
「敵なのか、ナプなら殺すか」
ヤノマミとはニンゲンという意味で、ナプとはヤノマミ以外のニンゲン、あるいはニンゲン以下の者を指す。
その男は呪文のようななにかを唱えつづけたあと、「もういい 行け」という。

岩山が雲に覆われると雨が降る。
シャボノのなかには家族ごとのいろりがあり、取材クルーたちもいろりをつくった。
集団で捕った食べ物は公平に分けられ、自給自足の生活。
10年まえ、政府の僻地医療が本格化し、パンツ・サンダル・ナイフがすこしずつ配られるようになった。
ヤノマミは人口がふえると、分裂するといわれている。
政府の僻地医療がはじまって以来、人口は倍近くに膨らんでいた。
宣教師がやってきたこともあった。
立ち入り禁止先住民保護区となったいまは、訪れる者はほとんどいない。

ヤノマミは日本人からみて親近感をもつ顔をしているように、わたしにはみえた。
子どもたちは無邪気でかわいい。
本番組に登場したヤノマミをみると、小さな男の子は全裸だが、大きくなるとトランクスをはいたり、陰部に布をつけている。
女は子どもも含めて赤い布を陰部につけている。
サンダルをはいている小さな男の子がひとりいたが、あとはみんな裸足で上半身は裸だ。

ヤノマミのシャーマンは木の樹液からつくった幻覚剤の力を借りて、さまざまな動物の精霊を体内に呼びこむ。
それを病人に送りこみ、悪霊を追い払う。
村には8人のシャーマンがいたが、そのなかにシャボリ・バタ(偉大なシャーマン)と呼ばれる老人がいる。
老人は、自分はもうすぐ死ぬのだといい、死後の話をした。

   地上の死は死ではない
   魂は死なず精霊となる
   精霊も やがて死ぬ
   地上で生き 天で生き
   虫になって生きる
   ナプも知らねばならない
   誰もが 同じ定めを生きる
   

村人総出の狩り

同居して40日目。
村人総出の狩りがはじまる。
若い男が脇道に入る。
弓矢で獲物を狙う男の姿。
弓矢の先にある空間がアップになり、鳥の断末魔の叫び声が響く。
オウムの親鳥は道中の食料となる。
女たちも脇道に入る。
香りのある草を摘み、からだにつける。
女たちは色とニオイで身を飾る。

森を歩いて丸3日、狩りの拠点となる野営地に着く。
夜、偉大なシャーマンが語りだす。
  ヤノマミの祖先が動物になった
  それでも動物を殺し 食べよ

サル、バク、ワニ、アルマジェロなどの獲物を男たちがナイフで解体し、薫製にする。
めったに獲れない大物のバクをみて、驚いている取材クルーの男の声が挿入される。
ヤノマミは胎児を食べない。森に返す。
親をしとめられた子ザルは、森に返しても生きのびられない。
少女が自分のニオイを覚えさせるために、抱いた子ザルの口に自分の唾液を口移しするのをカメラが執拗に映す。

60日がすぎたころ、赤道直下の森に雨季がくる。
ヤノマミには50を超える雨の名前がある。
小さな子どもは、4〜5歳になるまで名前がない。
男の子は「モシ」、女の子は「ナ・バタ」と呼ぶ。
モシとナは生殖器のこと。
なぜか女子だけに「バタ=偉大な」という言葉がついている。
ナ・バタをみせてやると、子どもたちが誘う。
ナ・バタの大木は、シャボノの入口にある。

■出産直後に迫られる母親の決断

同居して90日目、ひとつの家族がシャボノから消えた。
村の男に訊くと、娘が妊娠して怒ってでていった、という。
妊娠したというのは、子ザルに唾液を与えていたあの少女だった。
少女は14歳、結婚はしていない。
この村では、14歳で出産することも、未婚のまま出産することも珍しくない。
同居120日目、少女の家族がシャボノにもどってきた。
なぜもどってきたのか、両親はなにも語らない。
少女に臨月が近づいていた。
この村では毎年、20人近くの子どもが生まれ、半数以上が精霊に返される。
子どもを人間として迎え入れるのか、精霊として返すのか、14歳の少女がひとりで決めねばならない。
周りの人間は理由を問わず、少女の決断を受け入れる。

精霊となった者のことは忘れねばならない。
子どもを天に返すときは白蟻の巣に納めて燃やす。
そして天で再会するまで待つ。

130日目、少女の出産を手伝うため女たちが森に入る。
女と子どもたちは、少女からすこし離れたところに立ち、見守っている。
陣痛から45時間後、少女が出産し、決断する。
少女が地面にしゃがんでいる。
血に染まった少女の足や草木をカメラは映す。
少女の顔は苦悩しているようにみえる。

胎児がバナナの皮で包まれる。
少女ではない女の手によって。
少女はわが子を精霊のまま天に送った。
その夜、少女は出血がつづいた。
少女は土の上に腰をおろしたまま一夜を明かした。
夜明けまえ、少女のいろりで、少女の隣りにいる父親がなにかつぶやいている。

少女の子どもは白蟻に食べられ、精霊のまま天に昇る。
子どもを食べた白蟻は焼かれて灰となり、土に返る。

少女の一連の動きについて、ナレーションがないのがいい。
ここで言葉による説明があるとぶち壊しだから。
少女がどんな想いで出産を体験したのか、すべては観るものの想像に委ねられている。
たしかなのは、少女は14歳にして少女ではなくなったということだ。
出産を経て、弟らしき小さな男の子を抱っこしてかわいがっている少女の姿は、母親のようにみえる。
というか、そのようにカメラが映している。

5日後、激しい雨のなか、女たちが川に入る。
毒草を川に流し、しびれて浮かんでくる魚を捕る。
子どもたちが魚を捕る。
臨月に近い女も魚を捕る。
少女も魚を捕る。
産後5日後に川に入って真剣な眼でしびれた魚を探す少女の映像に、わたしは驚愕した。

ヤノマミ、それはニンゲンという意味

ヤノマミがいった
万物は精霊から成る
精霊は動物の姿を借りて
何かを告げにやってくる
死者の伝言を運ぶ蝶もいる
ヘビの精霊は〈死の世界〉からくる
〈死の世界〉へ導かれぬよう
ヤノマミはヘビを殺す  

田中 泯のナレーションが、低いトーンで呪文のようにくりかえす。

   森で生まれ
   森を食べ
   森に食べられる

   森で生まれ
   森を食べ
   森に食べられる