2012年10月

2012年10月24日

わたしがみた「国分拓」(後篇)

1時間の休憩ののち、石川文洋のコーナーに入った。
わたしが会場の出入り口付近に座っていたのでわかったのだが、石川文洋は「いやあ、多いですね。20人くらいかと思った」といいながら、リラックスした感じであらわれた。
(ちなみに国分拓は会場のまん中から登壇しようとしてわたしの左横に立ったのだが、ひどく緊張しているのがわかった。スタッフに右側からと促され、そちらに移動してから登壇した)
石川文洋は穏やかで長老の風格がある。
口調は著書『戦場カメラマン』の文体と同じだ。
TVでみるより実物のほうが魅力的だ。
10分ほど話した時点で、自分の鞄をもってきてくれと、会場のうしろにいるスタッフに声をかけた。
鞄のなかからとりだしたのは降圧薬。毎日、3回降圧薬をのんでいるが、急に高くなったときにのむ薬だという。
話しはじめるとつい力が入り、血圧が上がるのだという。
みんなが心配そうにみつめるのに対し、笑顔で「だいじょうぶです」という姿にユーモアが漂う。
「心臓が止まりました」という医者の声が聞こえて、5回の電気ショックで生還したと、こともなげに付け加えた。
が、石川文洋はいたって健康そうにみえた。

石川文洋が撮った写真を映しながら、立って説明。
それにしても石川文洋の記憶力には驚愕した。
作家には記憶力が必要らしいが、写真家にもそれはいえるのかもしれない。
石川文洋が従軍カメラマンだったときにうなされ、兵士たちが敵の襲撃かと銃をかまえたので、「恥ずかしかった」。
いまでも、うなされるという。
臆病で、いまでも血をみたり交通事故の現場をみるのは怖いが、戦場で死体をみるうちに慣れてくる。
「わたしも兵士だったらひとを殺します。戦争とはそういうものです」とクールな口調で断言。
(自分の年金額を名言したのには驚いたが)、宝くじが当たったら、かつて写真を撮った場所を再訪してみたい。
機械に弱く、パソコンもできないので、よくそれで写真を撮るなあといわれる。
いまはフォトジャーナリストが発表できる場がない、と訴えていた。
80歳までは撮りたい。
校長に頼まれて、学校で講演しているという。
すべては平和な世界を築くために。

わたしはこちらで石川文洋著『戦場カメラマン』から引用しているが、カンボジアでの大虐殺について訊いてみたかったと、帰宅してから思った。
石川文洋は、「もし、大虐殺がなかったことが明らかにされた場合、私は現場へ行きながら、事実を見誤った責任をとって今後、報道にたずさわる仕事をやめる覚悟でいます」と同書に記している。
2011年10月、千葉のホテルで入浴中に倒れて死亡した馬渕直城が、ポル・ポト派の虐殺を否定していたことについて、訊いてみたかった。
病死した共同通信プノンペン支局長・石山幸基こちらについても訊いてみたかった。

講座終了後の石川文洋は、語り足りないような顔をしていた。
写真にまつわる話になると自然と熱が入り、キリがないようにみえた。

 *

石井光太が「石川さんも国分さんも、まだいらっしゃいますので、お話ししたいかたはどうぞ」と発言したので、質問できなかったわたしにもチャンスがあるかもしれないと思った。
国分拓を探すが、姿がない。
イスに座ったままの石川文洋を、数人の若い男女がとり囲んでいた。
女性が石川文洋とのツーショットを携帯に撮るのを、石井光太に頼んでいた。
ほほえましい光景だなあと思い、さきほど「兵士たちと仲よくなった」といった石川文洋の戦場での光景と重なり、人徳じゃないのかと思った。
帰ろうとして部屋をでたら、スタッフらしき若い女性が立っていた。
「国分拓さんはもう帰られましたか?」と訊くと、「さきほどタバコを吸っておられたので、探してきます」。
いまにも走りだしそうだったので、「もういいです、帰りますから」。
ここにいないということは、なにか用事があるのだろう。
そんな国分拓を呼びだすのは醜悪だ、とわたしは思った。
彼女は同情的な顔で「ほんとうにいいんですか」と無言で訴えたので、誠意を感じた。
ああ、国分拓とは縁がなかったなあ……と感じながら狭い外階段を降りると、狭い踊り場に国分拓の背中がみえた。
踊り場に灰皿があったので、そこでタバコを吸っていたのだろう。もう吸いおえていた。
国分拓の左側に若い男性が立っていたが、講座に参加したかたのようにみえた。

驚くと同時に、ごく自然に話しかけていた。
「さきほど質問者が多かったので……」
まず「カメラワークがいいですね」というと、国分拓は完璧なポーカーフェイスで無言。
「NHKもそうですが、ステレオタイプの出産シーンにうんざりしているので、ヤノマミはよかったです。いのちを生みだす側は、いのちに対する畏れが必要じゃないでしょうか?」
わたしがそう問いかけると、またもやポーカーフェイスで無言。
「ナレーションで、少女は……、少女は……とありますが、もう少女ではありませんね」
「それは妊娠してからですか?」と迫ってきた。
「子どもを精霊のまま天に返してからです。天に返すかどうか、その葛藤を経て成長したのではないか」
わたしが発した「成長」という単語に反応して、国分拓の頬の筋肉がかすかに動いた。
国分拓は急に真顔になり、
「そういってくださると、うれしいです」
うれしそうではない顔と口調でそういうところが、国分流なのだろうか。
「わからないから撮れたんです」と国分拓が付け加えたのに対し、
「それはちがうと思います」
と断言してしまった。
しかしそれが国分拓の言を否定したのではないことは、伝わったようだ。
最もいいたいことをいったあと、わたしはつづけた。
国分拓の全身を上から下へさし示しながら、
「一見、草食系なのに……」というと、
不意を衝かれたような驚きを全身であらわした。
不躾なことをいってしまったような気がして、言葉を繋ぐことができなかった。
わたしは国分拓が若松監督のような風貌だったら、ここまで惹かれないのだ。
「NHKの番組の質が落ちつづけています。ちょっとくらい受信料を下げるのではなく、いい番組をつくってください」
それに対しては無反応。
「サッカー少年の番組もよかったです」というと、国分拓はポーカーフェイス。
(その番組はBS世界のドキュメンタリー「ファベーラの十字架 2010夏」)
「最近、NHKは再放送が多いですが、そう明記してください」
「どういう感じですか?」と怪訝そうに訊かれたので、
「騙されたという気がします」と答えると、無言でいたずらっぽく笑った。
5分間ほどのやりとりだったが、自然と「ありがとうございました」と深く一礼した自分に驚いた。
少女(ローリ)をめぐって、一瞬でも国分拓となにかを共有できたことがうれしかったし、「ヤノマミ」という映像作品と、著書を発表してくれたことに対する感謝の念なのだろうと、いまは思う。

階段を降りようとしたら、意外にも背後から友人の声が聞こえた。
「カラダがきれい!」
「きれいでしょう!」と語尾を上げ、国分拓は大きくからだを揺らしながら同意した。
「獲物は平等に分けるといいますが、サルの頭はどういうふうに分けるのですか?」
このときの国分拓の答えを失念したので、あとで彼女に訊くと、「サルの頭は食べられる部分が少ないので、装飾品」とのこと。
彼女がいうには、サルの頭に特別な意味があるのかと思ったとのこと。
 
わたしにとって最も印象に残ったのは、少女(ローリ)だ。
ローリは子どもを天に返したことで、より豊かな母性を獲得したと、わたしは解釈している。
わたしは巷にあふれている母性を信用していない。
エゴイズムの要素が強すぎるから。
親というのは子どもの成長とともにやせ衰えてゆくものだ、と考えている。
しかし子どもを食って親が肥え太り、子どもが死に体というケースが多いのではないのか。
わたしはふたりの子どもを生んだが、初産のとき「母体にとって胎児は異物であり、その闘いが悪阻だ」ということを知り、感動したのを憶えている。

  *

国分拓の作品には、なにか哀しみの塊が胸底に残る。
とくに「ファベーラの十字架 2010夏」はそうだ。
わたしが好きな作品は2007年にアップしたBS世界のドキュメンタリー「ヘルクレス 初めての休日」こちらだ。
骨太なテーマがありながら芸術性の高いドキュメンタリーになっている。
NHKにそんな番組を制作してほしいと思っていた。
なぜNHKかというと、視聴率を問わない番組を制作できるからだ。
最近のNHKは視聴率を重視するあまり、本来の存在意義を忘れている感じがして残念だ。
国分拓には「ヘルクレス 初めての休日」に通じる資質がある。
ぜひそんな番組を制作してほしい。
ちなみにフクシマ関連の番組で最も感心したのは、ETV特集「ネットワークでつくる放射能汚染地図」だ。
その番組の取材班が記した『ホットスポット ネットワークでつくる放射能汚染地図』(2012/02/13・講談社)も、とても興味深く読んだ。

  *

なま「国分拓」をみてから数日後、信じられないことがわたしの身に起こった。
わたしは感覚人間なのだが、国分拓もそうらしい。
わずか5分間なのに、一対一で国分拓と対峙したせいで、「ヤノマミウイルス」といかいいようのないものに感染したらしい。
こんなふうな生きがたい感覚は、はじめての体験だ。
インフルエンザウイルスに感染したときと、似ている。
なにか自分で制御できない力が作用しているという感じだ。
わたしの内部で大きな問い直しが必要らしい。
仕事にも生活するにも不都合な状態がつづいていて、困惑している。
このエントリーをアップするのも、いままでで最も時間がかかり、なかなか進まなかった。
齢を重ねるごとにわからないことがふえていく、という認識は以前からあったのだが、大きなところでわからなくなってしまった。
これをアップすることで、つぎの段階に進みたいと願っている。
ちょうど転機となる年齢でもあるので。





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わたしがみた「国分拓」 (前篇)

書きたいことはあるのだが、その時間も元気もなく、1年以上更新できなかった。
かなり無理をして本エントリーをアップしたのは、国分拓や「ヤノマミ」に興味をもつかたにすこしでも参考になれば、という想いからだ。
わたしが記憶したままを記しておこう。
メモをとっていないので、記憶ちがいがあるかもしれない。

10月7日の日曜日、ノンフィクション連続講座「ノンフィクションとこの世界」こちらに友人を誘って、女性ふたりで参加した。
場所は表参道にあるシナリオセンター。すぐ近くにクレヨンハウスがある。
プログラムをみて、贅沢な内容に驚くと同時に、ヘビーな一日になるなあと思った。

時間は11:00〜17:30で、13:00〜14:00は休憩。
国分拓について「出演できない場合は、関係者を代理としてお招きする」という一文があり、いかにも現役のディレクターという感じだった。
総合ナビゲーターは石井光太(ノンフィクション作家)。

●第1部
国分拓監督「ヤノマミ〜奥アマゾン・原始の森に生きる〜」〔劇場版〕上映――(2時間)
国分拓(TVディレクター)×石井光太――(1時間)

●第2部
 石川文洋(報道カメラマン)×石井光太――(1時間30分)

  *

石井光太は、ナビゲーターとして完璧だった。
絶対貧困をテーマに執筆しているのに注目していたが、まだ著書を読んだことはなかった。
8月に放映されたTBS「情熱大陸」に登場した石井光太をみて、釜石の遺体安置所で活動する姿に感銘を受けた。で、『遺体』(新潮社)を会場で買い求めた。

NHKスペシャル「ヤノマミ」と国分拓著『ヤノマミ』については、かつて本blogにアップした。
自分が感銘を受けた作品がのちに受賞したのは、うれしかった。
(ハイビジョン特集「ヤノマミ」が2009年、第35回放送文化基金賞においてテレビドキュメンタリー番組で優秀賞を、菅井禎亮・カメラマンが個別分野で映像賞。『ヤノマミ』がで2010年、第10回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を、2011年、第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞)
わたしが本講座に参加した目的は、〈なま国分拓〉を自分の眼でみておきたい、ということに尽きる。
わたしには活字人間だが、本から得られる以上の情報を生身の人間は発している、という持論がある。
それは一対一で相手と対峙するほうが効果があり、かつてごく少数の人間から教えられたことは、いまでもわたしには宝物だ。
なぜかわたしは国分拓というディレクターに強い興味がある。
優れたTV番組制作者は多い。が、わたしが本人をみたいという願望をもつのはすくない。
理由を考えてみると、国分拓の感性が好きなのと、一見草食系なのにそうではないTV番組を制作している、という落差が気に入っているからだ。感性については、番組よりも著書から伝わってくる。
劇場版「ヤノマミ」DVDに、国分拓がインタビューに答える映像が付加されている。
国分拓はの手は、とてもきれいで繊細だ。
その現場に参加していたかたのblogは、こちらにリンクした「嗚呼、テレ日トシネマ―雑記―」で閲覧できる。
そのコメント欄で国分拓が草食系だと、わたしに教えてくれたのだった。

  *

登壇した国分拓はラフな服装とは反対に、終始緊張していた。
実年齢は中年だが、青年という風貌だ。
著書からわたしがとらえた国分拓像は、「人間とNHKという組織に醒めていて、自己をカリカチュアライズできる」だったのだが、それが国分拓流だということがわかった。
ポーカーフェイスだが、これも国分拓流で、心理を読みとれないポーカーフェイスだ。
それと、浮き世離れした感じがある。
NHKの看板番組を制作している、という気負いはなく、どこか飄々とした感じ。
強烈な個性を発散させているひとではなく、穏やかで、言葉が常に誤解を招くということを認識しているらしく、言葉選びに慎重だ。
定員は100名だが、ほぼ満席にみえた。予想どおり若い男女ばかりで、わたしと友人は浮いていた。が、それが気にならないほど、会場には静かな熱気が漂っていた。
質問コーナーで質問したみなさんは、的確な内容だし時間配分もわきまえていて、話し慣れているのに感心した。
スマートな若者たちで、いかにも空気を読めているという感じ。

わたしの記憶に残った国分拓のトークはつぎのとおり。
視聴者から寄せられた感想は、ネット上の感想と同じ。
若いころから心酔している(心酔という単語は発しなかったが、そういう意味のことを早口で)藤原新也にひとを介して感想を求めたら、「ああいうひとは褒めないんですね。なにも起こらない時間をもっとみていたかった」と、満足げな口調。
シャボリ・バタ(偉大なシャーマン)の語りは、哲学が必要なので番組のはじめにおいたが、実際は同居取材の最後のほうだった。それ以外は、すべて時系列。
(著書によると、テレビカメラを嫌がっていたシャボリ・バタが、死後に取材テープを燃やすという条件で1回限りのインタビューに応じたのは、同居して140日を過ぎたころ)
「ヤノマミ」の続編をつくるつもりはないが、助けを求めているのなら、友人としてNGOといっしょに活動したい。
いま、再訪のためにお金をためている。

殺人者に興味があるらしく、それをテーマにした番組をつくりたいらしい。
それを聞いてわたしに浮かんだのはカポーティーの『冷血』で、このノンフィクション・ノベルを発表後、カポーティーの内面でなにかが崩壊したことだ。
(わたしは小説は読んだが、映画は観ていない)
国分拓が「きょう電車で席を譲ったひとが、あしたひとを殺す――それが人間だと思っている」といったのが、印象的だった。

全体的に国分拓は、著書からわたしがイメージしていた像と結びついた。
国分拓は、自己を脅かすテーマを追いつづけているように、わたしにはみえる。
生物学的に女性のターニングポイントは35歳で、男性はその10年後という説がある。
大厄がそれぞれ33歳、42歳というのもこれに重なる。
国分拓はヤノマミと150日同居して取材をしたことで、心身が壊れた。
わたしは国分拓に「心身が壊れるだけの能力があった」と認識している。
だれもがここまで壊れるわけではないだろう。
それが42歳に近いのが興味深い。
そして国分拓は、自身のターニングポイントを、ヤノマミ体験から生還することで、異次元に進化したようにみえる。
ほんとうに壊れてしまわなかったのは、表現者として不可欠な強靱な資質が国分拓に備わっていたということだろう。

菅井カメラマンはカメラを媒体にしてヤノマミの世界、とくに少女(ローリ)が難産のすえに生んだ女の子の首を両手で絞め、精霊のまま天に返した場面を凝視しつづけた。
菅井カメラマンの視点で書いた『ヤノマミ』が読めるとうれしい。
菅井禎亮のカメラワークはすばらしい。
わたしが最も好きで脳裏に焼きついているのは、シャボノを上空から撮った映像だ。
円形なのがいいし、宇宙を感じる。

国分拓の著書『ヤノマミ』が受賞したころ、フクシマを取材していたというので、どのような番組を制作するのか愉しみにしていた。
更新のたびに閲覧している「palopの日記」によると、2012年3月9日に放映されたNHKスペシャル「南相馬 原発最前線の街で生きる」が、「取材・撮影:菅井禎亮、ディレクター:国分拓」だという。
TV番組の制作者にこだわるpalopさんの考察はおもしろいし、考えさせられる。
あたりまえだが、TV番組にかかわらず、あらゆる作品は受け手の器量によってさまざまな感想を生む。
「正解」はないのだと思う。
わたしは録画し忘れたのか、1年がかりで国分ディレクターが制作した南相馬の番組を観られなかったので、『g2 ジーツー』vol.10(2012/05/01発行・講談社)を入手し、国分拓の記事「三〇三日後の成人式」を読んだ。
国分拓が「福島と福島以外の不公平」ではなく、原発事故が露わにした「南相馬の持つ者と持たざる者の不公平」に着目しているのが、興味深い。

miko3355 at 13:24|この記事のURLTrackBack(0)講演