2013年03月

2013年03月20日

水谷修に逢いにゆく

2013年3月18日、夜回り先生こと水谷修の講演を拝聴した。
たまたまバナー広告で講演を知り、聴講券を2枚入手できたので、友だちを誘った。
社団法人全日本不動産協会の一般消費者むけの無料講演会だった。
水谷修の講演会は公表していないらしいが、もしかしたら無料講演会を水谷修は選んでいるのかもしれない。
会場は千駄ヶ谷駅の至近距離にある津田ホールで、18時00分〜19時40分。
津田ホールは小さくてわたしの好きなホールだ。
水谷先生の講演らしく時間厳守で、講演時間は18時10分から90分間。

開演よりかなり早く着き、3階まで階段をあがると、驚いたことに水谷先生が数人の男性とともに著書を並べていた。
わたしの立つ地点から3メートルくらい離れていたのにすぐにわかったのは、なにかフツウとはちがうオーラを放っていたのに加え、いきいきとした表情ですばやく手を動かしていたからだ。
友だちとトイレに行ったあと、著書を買うために近づこうとしたら、水谷先生は売り場からすこし離れたところに座り、少女の話を聴いていた。
寄り添うように黙って話を聴いている姿が印象的だった。
話を終えた水谷先生がわたしの横を通りすぎる瞬間、「どうも」と声をかけられた。

高文研という出版社が運営する水谷修の掲示板「春不遠」(はるとおからじ)を閲覧していた時期があった。
自分の苦しみをひたすら訴える多くの若者に真摯に対応する水谷先生に痛ましさを感じるようになり、耐えられなくなったので遠ざかっていた。
同時に、水谷先生は彼らとは較べようもなく重いものを抱えているのではないか、と思えてならなかった。
そうでなければとても対応できないからだ。
しばらくして閲覧してみると、2002年6月にはじまった「春不遠」はさまざまな理由から閉じられていた。
2005年11月10日が、水谷先生からの最後の書き込みだった。

2012年、水谷先生はホームページを開設した。
9月17日、水谷修オフィシャルブログ「夜回り先生は、今!」を開始している。
いままで水谷修の著書を数冊入手し、いくつかのドキュメンタリー番組に出演した水谷修を観た。
けれども「なま水谷修」は、まったくちがってみえた。
胸腺リンパ腫を患ってからの映像や写真はやつれてみえていたが、実像は神がかっているとしか思えぬほど生命力にあふれていた。
こんなにカッコよく、背広の似合う男性は稀だ。

  *

講演の冒頭で、水谷先生はいった。
胸腺リンパ腫が安定したかと思った矢先、転移がわかった。
昨年の12月に腸を切り、さらに胃を切ったばかりなので、いまも出血がつづいている。
授業や講演のときには立ってするのだが、血圧が低くなっているので、苦しくなったらイスに座らせてほしい。
悲愴感漂う感じではなく、苦笑いしながら。
わたしはブログを閲覧していたので知っていたが、14日に入院し、胃の悪性腫瘍を内視鏡手術していた。
退院は19日である。
そんな体調にもかかわらず、迫力に満ちた講演だった。
結局、イスに座ることはなかった。
水谷先生は実践派だが、ほんとうは論客なのだと確信するほど頭脳明晰だ。

講演の内容は著書を読めばすむわけだが、とくに記憶に残ったことを記してみよう。
聴衆は若者が多く、春休みに入ったためか小学生もいた。
夜回りをひとりではじめた時代の「元気な若者」の非行とはちがう、リストカットやいじめによる引きこもり・自殺といった、生命力の希薄な若者が増加している。
日本の行く末が憂慮される。
3.11は水谷先生にとっても衝撃的で、それまでに築いたネットワークを駆使して東日本大震災復興支援にとりくんでいる。
さだまさし、鎌田實、坂東玉三郎、菅原文太なども水谷先生の仲間だという。
水谷先生はカトリックのクリスチャンらしいが、さまざまなの宗教の支援によって建物を開放してもらい、若者の心身の復活につなげようとしている。
お寺のような神聖な場所では、リストカットはできない。
わたしが感心したのは、水谷先生がかかわった若者たち(暴走族の総長を含む)が、社会的ネットワークを形成していることだ。
水谷先生は着実に荒れ地を耕し、種をまいている。

  *

講演が終わり、わたしには珍しく水谷先生にサインを求める長蛇の列に加わった。
いままでサインがほしいと思ったのは、坂田明のみだったから。
わたしは水谷先生との縁をなにかに刻んでおきたかった。
声をかけるひとに対して、水谷先生は笑顔でスマートに応対していた。
「上智大の学生です」と声をかけた男性もいた。
サインが終わると、水谷先生はひとりひとりに「ありがとうございました」といいながら深く一礼した。
とにかく所作が美しいのだ。
わたしは買い求めた2冊にサインしてもらうページを広げていた。
1冊目にサインしながら、水谷先生は「そちらにもしますからね」と声をかけてくれた。
水谷先生が「ありがとうございました」といって一礼した後頭部を目にしながら、わたしは「ありがとうございました」といった。
水谷先生は座っていて、こちらは立っているので、そういう位置関係になる。
サインしている水谷先生の手はとてもきれいだった。
国分拓との共通項は、手がきれいなことと、一見草食系だということ。

きっちりていねいに仕事をしている人間のすがすがしさを、水谷先生が身をもって教示してくれたような気がする。
それはとても稀有な体験だった。

水谷先生はいまも全国で夜回りをつづけていて、そのことでエネルギーをもらっているという。


miko3355 at 16:52|この記事のURLTrackBack(0)講演