2013年10月

2013年10月20日

佐村河内 守

2013年10月13日、東京オペラシティ コンサートホールで、《佐村河内 守作曲 ピアノ・ソナタ第1番&第2番 世界初全国ツアー》を聴いた。
ピアニストは第2番を献呈されたソン・ヨルム。

ピアノ・ソナタ第1番(36分)で黒いロングドレスであらわれたソン・ヨルムは、精神統一をはかるようにからだをぎこちなく動かし、ひどく緊張しているようにみえた。
ようやくという感じで最初の一音を弾いたとき、なぜかわたしの両眼にじわーっと涙が浮かんだ。
自分でも理解できない反応だった。
ソン・ヨルムは最初の一音をしくじればすべてがオジャンになるかのように、慎重に魂をこめたようにみえた。
ソン・ヨルムの緊張感は、最後まで持続していた。
わたしがピアノ・ソナタ第1番から受けとったのは、凶暴な怒りである。

20分の休憩があった。
『交響曲第一番』(幻冬舎文庫)という佐村河内 守の自叙伝が販売されていた。
だれも手にとっていなかったが、本書の存在を知らなかったわたしは、即座に買い求めた。

ピアノ・ソナタ第2番(36分)で白いロングドレスであらわれたソン・ヨルムは、はじめから緊張感がなく、愉しんで弾いているようにみえた。
第1番との落差が大きかったので、わたしはとても眠くなり、ぼーっとして聴いていた。

演奏後、佐村河内 守が登壇した。
サングラスをかけ、左手に包帯を巻き、杖をついている。
まさに満身創痍という感があるのは、NHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日)で放映された佐村河内 守を知っているからだ。
佐村河内 守が舞台でソン・ヨルムと抱擁し、腕を組んで歩くと、笑いが起こった。
おそらくほほえましいものを感じたからだろう。
ピアノ・ソナタがあまりにも激烈だったので。
35歳で両耳の聴力を失った佐村河内 守にこの笑いは聴こえない。
もちろん拍手の音も、ソン・ヨルムが紡ぎだすピアノの音も。
演奏後のソン・ヨルムの顔が柔らかく、満足げにほほえんでいたのが印象に残った。

帰宅して、自分がひどく疲れていることに気づいた。
あたりまえだが、佐村河内 守の抱える怒りが自分のそれをはるかに超えているからだ。
疲れたからだで、会場で買い求めた『交響曲第一番』を一気に読んだ。
本書は2007年10月に講談社から刊行され、2013年6月に幻冬舎から文庫として刊行。
本書からはNHKスペシャルには表現されていなかった佐村河内 守の抱える怒りが、息苦しいほど伝わってくる。
本書の刊行により2008年9月、秋葉忠利広島市長の尽力もあり、《交響曲第一番″HIROSHIMA″》が爆心地の近くにある広島市厚生年金会館で演奏され、CD化された。
多くのひとが佐村河内 守の存在を知ったという意味で本書より影響の大きかったのは、NHKスペシャルに登場したことだろう。
しかしわたしは、本書のほうがNHKスペシャルより衝撃を受けた。
230ページ記されているが、佐村河内 守は妻にこう伝えた。
「《ピアノ・ソナタ第一番》は最も私の姿をしている。もし、棺に一冊しか譜面がはいらないならこれを入れてくれ」

1999年に放映されたETV特集「フジコ〜あるピアニストの奇蹟〜」によりブレイクしたフジコ・ヘミングのコンサートを聴き、わたしはひどく失望した。
佐村河内 守にその心配はなさそうだ。

1993年、貴重なエヴァ・デマルチクの公演にゆき、舞台で歌うエヴァをみながら「求道者だ」と感じた。
佐村河内 守も「求道者」だ。

3.11以後、世界は変わった。
福島原発の爆発により、日本は底なしの恐怖にさらされている。
被爆二世の佐村河内 守の存在は限りなく重い。





miko3355 at 16:50|この記事のURLTrackBack(0)音楽