2005年08月09日

伝記を書く作業にともなうもの

8/7放映の「週間ブックレビュー」(BS2)を観た。松岡正剛の顔をはじめて拝見。独特の落ちつきがあり、とてもいい声で話す。髭はないほうがいいと思う。
わたしにとって松岡正剛といえば、ネット上の「千夜千冊」であり、かなりのページをプリントアウトさせていただいた。これは本になるという。たしかに紙に活字として定着させてほしい内容だ。

本番組で松岡正剛が書評したのは、植村鞆音『直木三十五伝』(文藝春秋)で、直木の甥にあたる著者が、45年にわたる調査と新たな視点から、直木の43年間の人生を描いた作品。
直木三十五という人物については名前しか知らないが、奇抜な人間だったらしい。本人の作品はあまり読まれず、直木賞がひとり歩きしているのは奇妙だ。
直木賞・芥川賞→菊池寛→池島信平とわたしは連想するが、菊池寛や池島信平が好きだというわけではない。編集者としては、坂本一亀のほうが好もしい。

『伝説の編集者 坂本一亀とその時代』(田邊園子・作品社・2003年6月)は衝撃的な内容で、一気に読了した。田邊氏の文体が男性の筆のようで、読みながら幾度も表紙をみて、女性であることをたしかめた。こんな文章を書ける田邊氏は、すてきだと思う。脳に性差がないということの、ひとつの証左といえるのだろうか?

以前に読んだ塩澤実信『雑誌記者池島信平』(文藝春秋・昭和59年11月)の巻末に収められている、司馬遼太郎の「信平さん記」より引用。

伝記は文学の諸分野でもとくに高い精神と精密な知的作業を必要とする。しかし実際には反故の中にうずもれて――私自身にも似たような体験があってそうおもうのだが――地虫に化(な)ってしまったような陰欝な感情に襲われることがしばしばある。ひとにも会いたくなくなってしまい、さらには、牢獄にいるような感じがしばしばする

上記の植村鞆音氏も「地虫」になったのであろうか。それにしても、45年は永い。


miko3355 at 22:35│TrackBack(0) 

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