2005年09月03日

どうして戦争を起こす人がいるの?

前回にひきつづき、日本テレビで一貫してドキュメンタリー畑を歩く、小田昭太郎氏について。(その後の小田氏については知らない。近いうちに、小田氏を知る人物に訊いてみようと思う)
季刊「いま、人間として」創刊第一巻(径書房・1982/6/20)に掲載された小田昭太郎「信号機の方が大事……なのか」を、要約しながら引く。

ある日小田氏は、小学2年生になる娘の「どうして戦争を起こす人がいるの?」という執拗な質問攻めを受けた妻から、「この子になんとか納得のいく説明をしてやってくださいな」という"難問" を押しつけられる。

実際、ボクは弱った。それは右翼といったような一部の人間の問題ではなく、実は今の世の中に生きているボクたち大人全体への厳しい問いかけだったからである

小田氏が担当していた番組「ドキュメント’80」で狎鐐茲鮃佑┐襯轡蝓璽此蹐鮖呂瓩茲Δ箸いΔ海箸砲覆襦L渭澄∨菁8月には終戦特集を組み、戦争体験を伝承し、戦争そのものを告発し続けてきたのだが、12月の開戦日に向けての新しいシリーズでは、別の視点を持つ。戦争を起こし、戦争を支えたのは、実は日本の大多数の国民自身ではなかったのか。加害者としての国民一人ひとりという視点である。

小田氏はシリーズ4作品のうちの1本に、あるディレクターの補佐役として参加することになった。取材ターゲットは慶応大学の学園祭で催される防衛問題に関するパネルディスカッション。

「徴兵制はやむを得ない。」
 「戦うために武器をとることは当然である。」
 「守るべきものは、自由主義体制であり、日本の国土である。」
 「国家のためになら死んでも仕方ない。」
 特に気負った様子もなく平然と語る学生たちの発言はショッキングだった。正直なところ戸惑い、うろたえてしまった。そして、補佐役などとすましていないでこの問題に本腰を入れる覚悟を固めた


小田氏は早稲田の学生時代はノンポリだったが、大学の近くに下宿していたこともあり、連日友人たちが押しかけて来ては徹夜で議論し、翌日はスクラムを組んだ。
あの頃、現状の矛盾を批判し、熱っぽく理想を語り合った仲間は今の時代をどのように考え、どのように生きているのだろう。小田氏は自分自身の"いま"をみつめるためにも、卒業以来14年ぶりに一人ひとり訪ね歩くことにする。

調べてみると、みんな実に様々な職業に就いていた。
誰もがそれぞれの場で必死に生きていた。訪ねた小田氏に対して、何を愚にもつかないことを考えているのだという反応もあった。確かに私的な、自分自身の生き方を求めるために同窓生を訪ね歩くそのことが直接生活の糧に結びついているということで、内心後ろめたさを感じながらも、みんな変わってしまったなあという実感だけはどうしようもなく残る。
一言で言えば、まず現実を認め、現状維持を最優先にして生きていく、それが大人の生き方だという考え方に変っていた。その変貌が今の若い人たちの考え方を作ってきたのではなかったのか。慶応大学の学生たちから受けたショックは、二重の意味で小田氏自身にはね返って来た。

最近、政治問題や社会問題を扱えるドキュメンタリー番組の数は特に極端に少なくなってきた。当たり前のことが当たり前に言えない時代にもなってきた。そんな中で、表現の場を確保していくことはなかなか難しい。思わず慣れ合ったり、居心地の良さに流されていってしまいそうになる。
(略)
 かつては放送中止問題がよく起こった。しかし最近、放送中止問題が起きないのはなぜか。それは企画段階でつぶされていく管理体制がテレビ局にできたということもあるが、それよりもどっぷりとつかって無意識に自己規制をしてしまう制作者の方が大きいだろう


小田氏はこう疑問符で結んでいる。

言いたいことを言う権利を放棄した時、何も言えなくなる時代が来る。そしてそれは、もう始まっている。軍拡の道をまっしぐらに進んでいる今を、ボクたちはどう生きていけば良いのだろう。ボクたちが戦争の加担者とならないために、娘から、なぜ戦争を起こしたのか? と言われないためには

それから23年が経過した。病いは深部まで進行しているといわねばならない。

※季刊「いま、人間として」は、序巻(1982/5/15)〜終刊11巻(1984/12/15)+別巻1〜3計15冊径書房より刊行された。小田昭太郎氏の文章については、1・2巻に掲載された一文以外に読んだ記憶がない。当時、こんな質のよい雑誌をつくれるものか、と驚愕した。読者と出版社の関係において、ブログ的世界を構築していたように思う。

ところで、いまの若者は戦争についてどう考えているのだろうか。
上記の時代の慶応の学生とは格段の差がある、ということだけは明白だ。具体的にどんな差異があるのだろうか。

作家の辺見庸が早稲田大学で行なった連続講座「戦争と〈アカデミズム〉」として2002年4月18日に開催された講演会「戦争の時代にいかに抗するか?」について、以下の感想をおもしろく読んだ。

辺見庸という名のセクシーな乱暴者 →2002年4月/後

辺見庸の講演を聴いた人からの報告

△僚颪手は社会人で辺見庸の本もよく読んでいるので、わたしには共感できる面が多い。しかし意外にも、,梁膤慇検柄畭?)らしい女性の視点が、じつにおもしろく感心した。一見ふざけているようにみえるが、「思想」が感じられた。これからの時代は、彼女のような揺れに堪えうるだけの靱さが必要なのかもしれない。
ある大学の教員が、「近頃の学生のリポートは、女性のほうが優秀で、男性は型にはまっていておもしろくない」という意味のことをいっていたのを思いだした。

△乃述されている辺見庸の講演内容、

けっきょく、どこかが圧力をかけているわけではなく、現場で携わる人々一人ひとりがきちんと考えていないことに起因する、といっていた。個々人はみな "いい人" なのではあるが、退社後に酒場でこのままではだめだみたいなことをいい、しかし翌日はきちんと出社して "as usual" な日常を仕事のなかでくり返してしまう、そこが一番いけないんだ、とも

が印象的だった。
小田氏が身をもって思考し、番組のなかで継承しようとしたことが、ここでリンクするのである。








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