2005年09月09日

欲望という名の電車

「益岡賢のページ」は、読み応えのあるサイトである。益岡氏の視点が明瞭で気もちがよい。2005/9/8ニューオーリンズは、ハリケーン・カトリーナについて的確に表現されている。キーワードは《米国にべったりとついて行っている小泉政権の行く末にある社会現象》だ。
2004年のイラク人質事件における「自己責任論」は、布石だったのだ。これからはわわれわれの生活を脅かす「論理」として、本領を発揮するだろう。

『さらば外務省!』――私は小泉首相と売国官僚を許さない(講談社・2003年10月)を書いた天木直人氏が、神奈川11区から無所属で立候補した。
*「日刊ベリタ」小泉強権政治を変えるための一石に 天木前駐レバノン大使が立候補の弁

益岡氏の一文の末尾に、

ニューオーリンズの電車(Street Car)は、テネシー・ウィリアムズ 『欲望という名の電車』のモデル

とある。にわかにニューオーリンズに親近感がわいた。以前に観た映画(1951年・米)と原作は、わたしのなかで共存している。ブランチ役はビビアン・リー。

新潮文庫版・小田島雄志訳『欲望という名の電車』の冒頭はつぎのとおり。

ニューオーリンズ市の〈極楽〉という名の街路に面した、ある町角の二階建ての建物の外側。その街路は、L&N鉄道の線路と、ミシシッピ河のあいだを通っている。そこは貧しい地区ではあるが、アメリカのほかの都市にある貧民地区とはことなり、一種の卑俗な魅力をそなえている

巻末に記された小田島氏の解説によると、「欲望という名の電車」の初演は、1947年12月3日、ブロードウェーのバリモア劇場。舞台は、ニューオーリアンズのフレンチ・クウォーター。
ウィリアムズは、1938年春、27歳でアイオア州立大学演劇科を終えたあと、居所を転々とする流浪の生活をはじめたが、このニューオーリアンズという南部の港町に魅せられ、何度もフレンチ・クウォーターのアパートを借りている。そのロイヤルという通りに、昔、「欲望」と「墓場」と書かれた二系列の電車が走っていた。

9/11の選挙を目前にしたいま、この「欲望」「墓場」という二系列の電車が、日本の地にも走っているのではないだろうか。





miko3355 at 14:03│TrackBack(0)社会全般 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 小向   2005年09月12日 14:44
こんにちは。ブログ見せていただきました。デザインの良いブログですね。
「欲望という名の電車」はエリア・カザン監督でしたね。マーロン・ブランドも出ていましたね。昔テレビで観たことあるはずですが忘れてしまいました。今観れば感動しそうな気がします。
最近映画をすっかり観なくなりました。何だか生活にゆとりがないせいです。静かで落ち着いた環境の中で観たい映画をゆっくり観たいなと思っているのですけれど。
選挙結果はどう思われますか?僕は民主党の戦術ミスが大きいと思っています。
小泉さんが郵政民営化の次に目指すのは憲法改正のはずです。どんどん恐い時代になってきました。平常心を失わないようにしたいですね。
2. Posted by miko   2005年09月13日 16:55
コメントありがとうございます。

民主党の敗北は戦術だけではなく、政策も問われていると思います。党首にオーラが感じられないのは致命的です。
わたしの選挙区に天木直人氏のような方が立てば、迷わず一票を入れます。

「刺客」に発情して、いままで関心のなかったひと(性別・年齢を問わない)の足が、投票場に向かったのかもしれません。小泉劇場に参加したかのような錯覚のもとに。投票率の高さが逆効果でした。

わたしがlivedoorのblogを利用しているのは、ホリエモンが気に入っているからではないのですが、彼は選挙権のない若者に人気があるみたいですね。その理由について考察する必要があるとしても。

メディアの質が劣化しているのは、日本だけの現象ではないらしいですが、自民党の圧勝は怖ろしいです。つごうの悪い有能な人間は、殺されますね。視えない「刺客」によって。