2005年10月16日

「すりきれたビデオテープ」の祟りか?

8/289/3のエントリーで、わたしは小田昭太郎氏の文章を大幅に要約・引用した。
そこまで大胆なことをできたのは、当時、径(こみち)書房の代表だった原田奈翁雄氏とわたしが、20年来の知己だからである。
近いうちに原田氏に手紙を書く用件があるので、そのときにblogをはじめたことを伝え、大幅な要約・引用について事後承諾いただくこころづもりだった。

ところが先日、「小田昭太郎」で検索して当blogにアクセスしてきたひとがあり、うかつにも予期せぬことだったので驚いた。その検索画面から、昭和63年に小田氏が「オルタスジャパン」という制作プロダクションを立ちあげたことを知った。「すりきれたビデオテープ」の掲載から6年後である。
「ようこそ オルタスジャパン」

日本テレビという組織から離れたのは、小田氏の過去の短い文章の流れから意外性はなかった。またHPの扉の文章から、わたしの知っている小田氏が生きていることを知り、深く安堵した。
で、なんらかの方法で小田氏に、blogに不当な引用をしたことをお断りしないといけないと思い、私信をHPの業務宛アドレスにメールすることに躊躇しつつ、実行したのである。
肉筆の手紙のほうが失礼にならないのではないかと迷ったが、blogを読むのにはメールのほうが便利だと考えた。
それが10/7のこと。

つぎに「本」というカテゴリーに収められていた小田氏の文章を、「小田昭太郎」として独立させた。
小田氏の「その後」について書くためであり、それが特別な意味をもつことに気づきはじめたからだった。
そのうえで10/11に原田氏にメールをして、上記と同じ内容のお断りをした。

返信がないことも想定していたので、メールボックスに小田氏のメールを発見したときは感動した。が、ひと呼吸おいてメールを開こうとしたと同時に、動悸が激しくなった。ここまでの緊迫感は珍しい。意識としては冷静に事を運んでいるつもりだが、からだは正直に反応するということ。わたしの脳裡に永年棲みついていた小田昭太郎像が、どう暴れだすのか……。

小田氏の返信はストレートで、23年前の小田氏を彷彿とさせるものだった。小田氏が呻吟しながらも、内的世界がぜんぜん変わっていないと思えたのが、このうえなくうれしかった。
その内容をぼんやりと反芻しながら考えついたのは、この返信を全文「小田昭太郎」のカテゴリーに入れることはできないだろうかということだった。

かつて小田氏の文章に衝撃を受けたのは、障害者を人間扱いしないで利用する健常者の存在に対する憤りであった。が、それ以上に小田氏の感性のやわらかさがわたしの琴線に触れたのだった。他者との距離のとりかたに、小田氏独特の思想がある。
信念をもって動きながら、衝撃を受けたときに見事にぐらつくさまが痛快で、信用できるのである。
その意味あいにおいて、あれから23年を経ても小田氏が変わっていないことを知り、現時点で「記録」しておきたいという欲望をおぼえた。

上記の考えを伝えるために10/14に小田氏にメールをすると、その日のうちに「もし何かお役に立つことであれば何なりとお使い下さい」との返信をいただいた。
お言葉に甘えて、10/13付けのメールの全文を転載させていただく。

  *

●●◯◯◯さま

 はじめまして。思いもせぬメールに出会い、その中味の重さに圧倒されて直ぐにご返事を出すことが出来ないでおりました。ごめんなさい。いま、ボクはスタッフ60人弱のプロダクションをやっています。ドキュメンタリーを中心にドキュメンタリー的なものまで含め、主にテレビの番組の制作をしています。

 この度、遠い昔の自分に再会したことは衝撃でした。正直、忘れていた自分でした。たいした志を抱いて、という訳でもなく、日本テレビで番組を制作することが出来なくなったので、結局はそこを飛び出すことになりました。はじめは仲間6人で制作プロダクションを立ち上げました。それから18年目に入った現在、いつの間にかスタッフも増えてしまいました。お金のことを考えたことのない経済オンチだったボクが今はお金の苦労ばかりで血ヘドを吐いています。やりたい事と実際の世界との落差など当たり前の理屈ですが、その当たり前の現実に戸惑いうろたえる毎日です。ドキュメンタリーで糧を得る難しさに押しつぶされなが
ら喘いでいます。

 ボクはその苦しさや忙しさを理由にして、若いスタッフたちにボクが体験したことや考えたことや悩んだことを伝えることをしていないのではないか、かつて自分が取材する側とされる側の乖離について悩み考えたことなど等々伝えていないのではないか、と思い当たります。そして、見つめなおしてみれば、あの頃の自分と今の自分が全く変わっていないことにも気付きます。自分の昔は振り返らない、と決めていたことは事実です。ですから、これまでのボクの仕事を知っている社員たちはほとんどいません。あの時は、と思い出を話したこともほとんどありません。しかし、そういうことではなくて、伝達することの意味を改めて考えさせられました。昔の体験を価値のあるものにするかどうかはボク自身の意識の問題である、との簡単なことに気付きました。いやはや、青年のような積りでいますが、いつの間にか60歳をいくつか過ぎました。伝達をやめた時、組織や国は滅びるのかも知れませんね。幼稚で申し訳ありませんが、メールをいただいて思ったことです。こちらこそ本当にありがとうございました。心より感謝いたしております。
                                                                        小田 昭太郎

  *
  
「すりきれたビデオテープ」というエントリーの結語に、生意気にもわたしはこう記した。

彼はいま、どのような地点に立っているのだろうか

小田氏の返信が上記にストレートに呼応していたのに、わたしは圧倒された。
「血ヘド」という語句にわたしのからだは過剰反応し、心臓が収縮した。

10/14付けの返信の冒頭に、

どうもボクは妙な世界の入り口に立っているような気がしています。これまで仕事関係以外のメールのやりとりはこれが初体験です

とある。

プライベートなメールのやりとりをできないほど忙殺されている日常がある、ということだろうか。

小田昭太郎氏の文章を当blogに再掲したことにより、わたしは自己の体内に(無意識のうちに)潜伏していた「小田昭太郎ウイルス」に発症してしまった。メールを通してそれに小田氏が感染した、というふうにわたしは解釈している。なぜなら、不当に要約・引用した真意を理解していただくために、わたしは自己を語らねばならなかったからである。
換言すると、かつて小田氏が一人称で書いた過去の文章が、見ず知らずの他者によって三人称で要約・引用された文章を読むという行為のなかで、小田氏は無意識下で録画されていた「小田昭太郎」というビデオテープを観る羽目になったということではないのか。
そのことから派生して、「血ヘド」を吐きつづけることで痛めつけられた臓腑の粘膜を、いささかでも内側から修復できないか(=免疫療法)という荒療治を、不遜にもわたしは考えている。ほとんど妄想の世界に突入している観があるとしても。

10/14付けのメールで、気がむいたときに「つぶやき」を書いていただきたいとお願いしたのだが、これは実現しないかもしれない。

自分の考えをいささかでも深めたいという想いではじめたblogであるが、予想もしなかった展開をしているように思う。
「小田昭太郎」というカテゴリーを育てていけたら、うれしいのだが。
未知の検索者のためにも。


※小田氏のメールの引用文において、「喘いで」の箇所で文章が切れていますが、元の文章はつながっています。アップすると、そうなってしまい、ほんとうに喘いでいる感じです。







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