2005年10月26日

 菊地信義(装丁家)編「課外授業ようこそ先輩」

TVをリアルタイムで観る余裕がないので、録画に頼っているのだが、10/19に放映されたNHK総合の「課外授業ようこそ先輩」はリアルタイムで観た。授業をするのが装丁家・菊地信義だというのも大きいが、なによりも小田昭太郎氏が率いる「オルタスジャパン」が企画・制作した番組だったからである。

以下、感じたことを記してみる。

菊地氏の顔をみたのははじめてだが、母校の小学校を訪ねたせいか、ひとと接するときにはそういう表情なのか、終始笑顔をたたえていた。しかし顔がアップになると、精巧なカメラレンズのような眼には、孤独感と狂気の気配が漂う。吸いこまれるような眼というより、深遠な海という感じで近寄りがたい。地面にひとりで立っている男。どこにも凭りかかっていないのである。それらは生来の資質なのだろう。テンションの高いところも含めて。

わたしが菊地氏の装丁した本から受けていたイメージは、天才肌でひとを寄せつけない、孤絶の世界をもつ男。以前に、「文藝春秋」だったかに掲載されたエッセイを読んだとき、そのイメージと同じだった。
菊地氏がしーんとした部屋で、装丁するまえの作業として、原稿を読む映像が挿入されていたが、それはわたしがイメージしていた顔に合致する。獲物に挑む野生の虎のような形相。TVカメラのまえでこれだけの殺気を感じさせるのだから、実際の仕事場では……と想像すると怖ろしい。
菊地氏の発言。

「異次元にきたような感じ」
「徹底的に原稿を読むことでデザインが立ちあがる」 
 
さて、授業に入ろう。
まず「昨夜、眠れましたか?」というスタッフらしい人間の質問(文字と音声入り)から入ったのが、異様だった。
「顔をみたらわかるでしょう。眠れませんでした」
と、菊地氏は笑顔で答える。
これだけのやりとりだが、スタッフと菊地氏の事前の話しあいが想像される。菊地氏が母校で授業することに、緊張感をもって挑んだことが伝わってくる。しかしその理由については述べられない。

菊地氏は教室で、自分の装丁した本を並べた机のまえに立ち、子どもたちを迎え入れる。子どもたちが待つ教室に先輩が入ってゆく、といういつもの構図と逆であるのがおもしろい。
そこには明確な意図があり、菊地氏は「菊地書店」だといいながら、子どもたちに「いいなあと思う表紙の本」を選ばせる。しかも3分という限定で。要するに、書店でひとが本を眺めたときと同じシチュエーションである。パッとみてひとの気を惹く表紙の本はどれかという実験。
選んだ本を手にした子どもにその理由を訊き、子どもたちが自分の言葉で説明できることに、菊地氏は感動する。
装丁が本の中身をアピールする存在であるということが、どれだけ子どもたちのこころに響いただろうか。おそらく数年後に、より強く実感するのだろう。

菊地氏は、装丁した金原ひとみの小説を例にとり、子どもたちに感想を訊きながら、装丁とはどういうものかを、子どもにもわかる言葉で説明してゆく。常にキーポイントを示すのが、菊地氏の特色だ。
装丁するために必要なこと。

小説のなかに潜んでいる色・紙のイメージを読みとる。
イメージする力を鍛える。

そのうえで、谷川俊太郎の「生きる」という詩の頭の7行からイメージして装丁する、という課題を子どもたちにさしだす。
そしてこうアドバイスする。

・谷川さんが用意してくれた鏡に自分が写る。自分自身の1行をみつけてください。
・自分のつくりたい表紙をイメージする。
・自分と話をする。自分の気もちを深くみつめなおす。

こうして子どもたちの表紙づくりがはじまる。
作業途中で、菊地氏が待つ部屋を子どもが個別に訪ね、着想を話したあと、アドバイスを受ける。一対一の空間を設定したところに秘密があると思う。作業する教室を用いない。子どもたちは、緊張から解かれた感じで部屋を去る。その背中から〈やる気〉がうっすらと立ちのぼる。

作業がはじまった教室で、ひとりの男の子が、みんなから離れた席でぽつんと座っている。イメージがわいてこないことに苦悩して、べそをかいている。
菊地氏は彼に近づき、ハンカチのようなものをとりだし、彼といっしょに鼻をかむ。泣くに泣けない彼の背中を押すという感じ。言葉による励ましではなく、ただ寄りそう。そのままでいいんだよ、という暗黙のメッセージ。なんでもない情景だが、彼の内部でなにかが起こることを予感させる。
菊地氏のアドバイスを受けながら、ようやく彼なりの表紙ができあがる。

このあとだったと記憶しているのだが、菊地氏はカメラ(スタッフ)にむかっていう。
「アイデアがでなかったというのも、ひとつの答え。それを認めてあげる」
完璧な演出ではないか、と思えるくらいはまっている。
正直なところ、この発言があったほうがよいのかどうか、わたしは迷う。
余韻として視聴者に伝えるのは、むずかしいだろうし。

最後に、ひとりひとりがみんなのまえで作品を発表する場面で、菊地氏は立ち往生していた男の子の作品を、手放しで褒める。そこに虚飾はなく、「今度自分もそのアイデアを使おうかな」などという。それはタイトルのない表紙なのである。
発表したあとの、(苦しんで作品をつくった)男の子の笑顔が印象的だった。
装丁するという作業を通して、彼の内部でなにかが変容した。自信がついた、という感じを受けた。
「変われ」というメッセージは、コンプレックスを増長させるだけだ。
他者の肯定的な視線がこころの核心に触れたとき、ひとは動きだすのかもしれない。

なにごとも「あとしまつ」が大切なのだが、菊地信義はそれを忘れない。授業のまとめとして、こう強調する。

「自分のなかに潜んでいる自分を読みだすのが、生きるということ。装丁するということ。イメージをかたちにすること」

2日間にわたる授業を無事終了したあとの、解放感と満足感に満ちた菊地信義の笑顔がこころに残った。この授業でなにかを発見したかのような、強靱な精神が伝わってきた。
なお、全体的にナレーションの声質が、菊地氏の醸しだす空間に対して違和感があり、耳ざわりだった。

  *

「課外授業」という番組を以前から興味深く観ていたのは、わたしが「教える」ということについて、子どものころから引っかかっているせいかもしれない。感心しない教師が多かったなあと。唯一尊敬できたのは、中学校の国語教師(女性)のみ。

筑摩書房のPR誌「ちくま」(2002年10月号)に掲載された「"旅芸人の一座"から見た教室―坂上達夫氏に聞く」はとてもおもしろかった。
坂上達夫(さかうえ・たつお)氏は、『課外授業 ようこそ先輩』の企画段階から携わってきたNHK教育番組部チーフ・プロデューサー。1955年生まれ。

以下、重松清(作家)のインタビューに答えた坂上氏の発言から引く。(抜粋)

“崛箸箸靴萄任眛颪靴い里蓮◆峩気┐襪劼箸閥気┐蕕譴襪劼箸隆愀言をどうやってつくるか」ということなんです。その点、『ようこそ先輩』の「故郷の母校に帰る」という設定は、われながら秀逸といいますか(笑)、「先生」をやるひとにもそれだけでモチベーションの高まりがあるんですね。

⊂なくとも番組として考えた場合、成功するかどうかはむしろ演出サイドの問題になるでしょうね。「先生」のなにをどう引き出して子どもたちに伝えたいかということを、収録前にしっかり考えておかないと。「先生」の名前に寄りかかって「このひとが教壇に立てばとにかく番組にはなるから」と、事前の準備をわれわれが怠ってしまうと、授業はてきめんに砂を噛むようなものになってしまいます。

3本作家の五味太郎さんに出演していただいたとき、「だいたい、嫌いなことなんて、いくらがんばったってうまくなるわけないだろ」と言い放っちゃった。これは、一般的な学校の常識では出てこない考え方ですよね。でも、私は、そこに込められているメッセージはすごく大事なことだと思いました。ひとがひとであるということは、なんでもバランス良くこなすことではなくて、むしろ他のひとと違う自分を見つけて、それを身につけるということなんだろうな、と。「現場」の先生方からはなにか言われるかもしれないけれど、この部分は絶対に放送で出したい、と思いました。事実、「現場」の評判はあまりよくなかったらしいのですが(笑)。

ず能的な編集で、どの子も必ず画面の中に登場するようにしています。ただ、授業で課題を与えられて、それに向かって行動している姿を撮るわけですから、そのなかでやっぱり何度も映る子が出てしまう、という言い方以外にないですね。目立つ、目立たないの問題ではないんです。

イ發舛蹐鵝△錣譴錣譴發泙辰燭準備をせずに教室に入るわけではありません。事前に学校に行って子どもたちにアンケートをとったり写真を撮ったりして、収録で教室に入った段階では、カメラマンも含めて全員、子どもたちの顔と名前は一致しています。十把一絡げではなくて、自分が自分として認識されていることの大事さなんですよね。

Δ錣譴錣譴糧崛箸痢崟萓犬蓮一生に一度、自分のやってきたことすべてをかけて子どもに語りかける。一回だけだから、できるんです。しかも、子どもたちにとっては、毎日毎日同じ調子で授業がある中で、知らないひとがやってきて、ふだんと違う面白いことをやってくれる……目が輝かないはずがないんですよ。(プロの先生と)比べることじたいが、ほんとうはナンセンスだと思いますね。

Г錣譴錣譴教室に行くことになんらかの効用があるんだとしたら、それは、だらだらした日常に区切りをつける、ということかもしれません。そのときに、"学ぶ意味"みたいなことを多少でも残していければいいのかなあ。われわれの正直な意識としては、それ以上でも以下でもないんですよね。

┰什仭宛紊了劼匹發燭舛旅ゴ饋瓦辰董∈嚢發世隼廚Δ鵑任垢茵(中学生だと)遅いというより、年齢が上がって、相手に理解力があると思うと、「先生」のほうも馴れ合いになって緊張感がなくなってしまう、という不安がありますね。「わかるでしょ」と言った瞬間に、止まってしまう。それをどこまで噛み砕いて相手に伝えていくかという必死さを、やはり見せてほしいわけですから。

われわれがターゲットとしている視聴者は、子どもたちではなく、親なんですよ。一流のおとながどう生きているかを、われわれ普通のおとなが見ることに意味がある。それを見せる手だてとして、学校の教室を借りちゃったわけです。その証拠に、『ようこそ先輩』は、最初の一年は夜十時からの放送だったんです。

もっと個人的な動機にひきつけて言えば、私は一九五五年生まれなんですが、われわれ世代が自分自身を問う番組だったんですよ、そもそもは。子どものことをいろいろ論じているけれど、突き詰めていくと、おとなを再教育するほうが先かなあ、と。「『ようこそ先輩』は、おとなの頭をリストラする番組」というのが、私の持論ですから。

■坂上氏の発言を、末尾にある重松清のコメントより引く。(とても気に入ったので)

《インタビューの申し込みをしたときも、坂上さんは困惑気味に「私はテレビ番組をつくっているだけですから、私なんかに意見を求めちゃいけないんじゃないでしょうか」と答えるだけだった》

※検索してみたら、この坂上達夫氏へのインタビュー記事は、  『教育とはなんだ』―学校の見方が変わる18のヒント (重松清編著・筑摩書房)に、「ちくま」掲載時と同じタイトルで収められている。

「課外授業 ようこそ先輩」は、NHKの看板番組のひとつでもあるので、NHKが制作していると思いこんでいた。が、そうではないことを、「オルタスジャパン」のHPから知った。調べてみると、ほかの制作会社も手がけているようだ。
番組のラストで制作会社名を明記してほしい。著作権はどうなっているのか。NHKグループの「NHKエンタープライズ21」のみ明記しているのは、納得できない。


〔追記 2005/10/27〕
上記の文末でえらそうに書いたので、いやな予感がして、さきほど録画したビデオテープで確認しました。
ラストに「制作・著作 NHKエンタープライズ オルタスジャパン」というテロップが流れたのをみてドキッとしました。訂正してお詫びします。ほんとうに恥ずかしい!
また「NHKエンタープライズ21」が、「NHKソフトウェア」と平成17年4月1日に合併し、「NHKエンタープライズ」になっていたことも知りませんでした。









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