2005年11月12日

富永太郎の祥月命日

80年まえの本日、午後1時頃、富永太郎は鼻にはめていた酸素吸入のゴム管を「きたない」といって自分の手でとりさり、「ちゅうさん、ちゅうさん」と二言。
2分後、絶命。
(註・「ちゅうさん」とは正岡忠三郎の意で、書簡では「太」「忠様」と記していた)

想念は時間と空間を超えるという。
かつて富永太郎について掲示板でやりとりを重ねた小向さんと、墓前にひざまずくような感覚で、太郎を偲びつつ記す。

富永太郎(1901〜1925)のいのちを奪ったのは奔馬性(ほんばせい)肺結核らしい。勢いよく走る馬のように急激に体を蝕むところから、その病名がつけられたという。それは樋口一葉(1872〜1896)と同じで、ともに24歳で散った。
24年というのは干支を2周している。なにか関連性があるのだろうか。還暦の60年は5周であり、厄年でもある。

たしか吉田松陰が「人間は何歳で死んでも春夏秋冬があり、生として完結している」という意味のことをいっていた。はじめは富永太郎の夭折を痛ましいと思っていたが、よくよく考えてみると、たしかに完結している。太郎は十分に地獄を味わった……もういいという感じ。

それは富永太郎の死に顔に顕れている。
"悲"そのものという感じで、眉と閉じた眼はうつくしすぎる。それは太郎の詩に登場する白くて冷たい陶器のような女性を想起させる。
大岡昇平の『朝の歌』に、太郎を看とった正岡忠三郎の日記が紹介されている。
死に顔の写真を撮ったのも忠三郎である。
しかも忠三郎は、黄泉へ旅立った太郎の黒髪を大切に保管していたのである。

角川書店から刊行する予定だった『富永太郎全集』全3巻は、大岡昇平の死によって宙に浮いた。この全集が刊行されないと、「正岡忠三郎日記」も陽の目をみないという。
「記録」され、それが保存されるという意味は大きい。

正岡忠三郎宛に太郎が書いた書簡(最晩年の4年あまりのあいだに156通)をもとに書かれた大岡昇平の『富永太郎――書簡を通して見た生涯と作品』(紹介されている正岡宛は76通)によって、われわれは多くのことを知ることができる。
その本を読むようすすめてくれたのが、上記掲示板の管理者である。
くどいようだが、感謝に堪えない。

富永太郎の詩にむかうとき、自ずからこころがからっぽになっている。
不思議なことだ。
そして太郎の詩も散文も、現代に通用する新しさがある。

小向さんとのやりとりはプリントアウトしてあるので、たまに読むと、それを書きこんでいた当時の自分の精神生活が甦ってきて、タイムマシンに乗ったようになる。
数ヵ月まえのできごとなのに、ずいぶん遠く感じられる。それはネット世界の特徴でもあるし、その間のわたしが、常ならぬ速度で富永太郎に没入していたからだ。
当然ながら、わたしの生活はめちゃめちゃになったのである。

富永太郎によって侵蝕されたわたしのからだを、さらに小田昭太郎に襲撃されているという現実がある。どうでもいいことだが、このあいだ気づいた。昭太郎って、"昭和"に生まれた"太郎"なのか。ちなみに小田昭太郎の顔は著書の裏表紙の写真しか知らないが、富永太郎には似ていない。意外と眼がやさしくて、遠くをみている感じ。からだからラフな感じがたちのぼっている。これは日本テレビに属していたころの顔だろう。


〔参照〕
富永太郎が眠る多摩霊園

富永太郎についてのページ

「親愛なる愚か者へ……」(2005/3/31)

「フランスへの目差し、日本への目差し」 宇佐美 齋

「松岡正剛の千夜千冊」 富永太郎詩集

「正岡忠三郎」 正岡浩


〔参照追加 2005/11/27〕
「中原中也記念館館報」

【2001・第6号】
◇特別寄稿
「富永太郎の書簡と正岡忠三郎日記」
――正岡家資料について
佐々木幹郎

【2002・第7号】
◇特別寄稿
「我家のダダさん」
富永一矢(1935年生まれ。富永太郎の弟次郎の子息)
◇企画展
秋の悲歎・富永太郎――私は私自身を救助しよう。


〔追記 2005/11/28〕
▼死に顔の写真を撮ったのも忠三郎である。

上記の記述について、コメント欄で太郎次郎さんからご指摘いただきましたので、訂正します。
つぎに太郎次郎さんのコメント(11/28)を再掲します。

……………………………………………………………………………………………

「死に顔の写真を撮ったのも忠三郎である。」とお書きになっていますが、どこでこの確証を得られましたか? 「正岡日記」には、太郎の死んだ日に死顔の写真をとる、という記述はありますが、忠三郎が撮ったとは書かれていません。中原家および正岡家に保存されていた太郎の死顔の写真は、専門の写真館が撮影したものです。

どうか、富永再評価をなさりたいのでしたら、原典、原資料にあたってください。どうも、富永太郎を愛するあまりに、すべての記述が妙に歪んでいるように思えるのですが。

……………………………………………………………………………………………

大岡昇平の『朝の歌』に紹介されていた「正岡忠三郎日記」に《夕方死顔の写真を撮す》とあるのを読み、自分の妄想にまかせて記したのはわたしの誤りでした。
というのも、太郎の死に顔の写真には、撮った人間の念が転写しているように感じられたからです。まったく根拠はありませんが。
実際に写真を撮った写真館の人物は、どういうひとだったのでしょう。富永家とは関係がなかったのでしょうか。










miko3355 at 17:10│TrackBack(0)富永太郎 

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この記事へのコメント

1. Posted by 杉本圭司   2005年11月13日 17:26
 ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。残念ながら一日遅れてしまいました。

 「正岡忠三郎日記」についてですが、

「大岡昇平は中原と富永について書くとき、しばしば「正岡日記」を引用した。しかし、日記に書かれていた文章のすべてが引用されたわけではない。また、大岡氏は日記帖そのものを参照したのではなく、正岡氏が日記帖からピックアップして原稿用紙に転写し、大岡氏に資料として送ったものから引用していた。当然、転写時には正岡氏による文章の取捨選択があり、大岡氏の引用間違いなども起きたとも思われ、「日記」原本の文章と大岡昇平の引用文とでは、本文が微妙に異なる結果になっている。(つづき)
2. Posted by 杉本圭司   2005年11月13日 17:27
 正岡明氏の話によると、これらの大量の日記帖の存在がわかったのは、阪神大震災のおかげであった。伊丹にあった正岡家が震災で半壊状態になり、家を整理しているうちに、戸棚の奥から転げ落ちているのを発見したという。それまで、正岡忠三郎がこれほど多くの日記をつけていたとは、ご子息も、友人たちの誰もが知らなかった。」
http://www.chuyakan.jp/15kanko/15flame.html

 現在、この「正岡日記」は、大正10〜14年までの正岡宛富永太郎書簡152通と絵画と詩稿、および大量の同時代の友人たちの書簡などとともに、中原中也記念館(http://www.chuyakan.jp/)に所蔵されています。これに、神奈川近代文学館に寄贈された資料をあわせると、富永太郎が残したすべての文献と遺品は揃うということで、なんともうらやましい話であります。
3. Posted by 杉本圭司   2005年11月13日 17:28
(コメントの文字数制限があるようなので分割しました。)
4. Posted by 杉本圭司   2005年11月13日 17:31
URL訂正。

http://www.chuyakan.jp/15kanko/2001.pdf
5. Posted by miko   2005年11月13日 21:08
杉本さま

ついにコメントいただきましたね(笑)。ありがとうございます。コメント欄が窮屈で申しわけありません。
いえいえ、わたしの場合はカラ元気ですから。

さすが強力な人間検索エンジンの杉本さんです。ご紹介いただきました佐々木氏の特別寄稿を拝読しました。その関連としてつぎのエントリーに書きます。

(私信として:先日いただいた衝撃的な"メール=コメント"についてのレスポンスは、長くなりそうなので、どうしたものかと思案しています。もうすこしお待ちください)
6. Posted by 杉本圭司   2005年11月14日 12:25
(先のメールについて:レスは不要です。ちょっと驚いてもらえればそれでいいというようなメールですから。)
7. Posted by 小向   2005年11月15日 13:08
mikoさん、こんにちは。
宇佐美斉氏の太郎についてのコメントはうれしいですね。
フランス詩を肉声をともなって全身的に咀嚼した、なんて
最大の評価、そして正当な評価ではないでしょうか。
富永太郎ほどの人がなぜいまだにあまり有名でないのか不思議ですが、わかってくれる人は高く評価して惚れこんでくれる。それでいい気もします。作品が少ないことも残念ではありません。数は少なくても太郎の詩作品の魅力は大きいですから。最近は「大脳は厨房である」が気に入っています。わけがわからないまま惹かれます。
8. Posted by miko   2005年11月15日 18:23
小向さま

コメントお待ちしていました。
宇佐美斉氏の件について反応していただき、ありがとうございます。
これは掲示板に書きこむつもりでしたが、サイトが閉鎖されたので留保していました。
富永太郎に新しい角度から光があてられたようで、うれしく思いました。

先ほど、つぎのエントリーをアップしました。
掲示板モードです(笑)。
9. Posted by 太郎次郎   2005年11月27日 02:42
「角川書店から刊行する予定だった『富永太郎全集』全3巻は、大岡昇平の死によって宙に浮いた。この全集が刊行されないと、「正岡忠三郎日記」も陽の目をみないという。/「記録」され、それが保存されるという意味は大きい。」とお書きになっていますが、「正岡忠三郎日記」のうち、富永、中原に関連する部分は、すでに『新編中原中也全集』別巻(2004、角川書店)に原本から翻刻されています。すくなくとも、ここで原資料にあたることができますし、ご興味がおありなら、中原中也記念館でも原本の閲覧が可能ですよ。
10. Posted by miko   2005年11月27日 19:35
太郎次郎さま

はじめまして。コメントうれしく拝読しました。

わたしが参照したのは「ユリイカ」の大岡昇平特集で、1994/11/1発行でしたので、古い資料でした。ご指摘ありがとうございます。
上記に、「正岡忠三郎日記」という一級資料をこの特集に入れようと思ったが、大岡さん編集の「富永太郎全集」が出るまではということらしい、という主旨の樋口覚氏の発言があります。
その後、佐々木氏が動かれたのでしょうか。
上記討議において、佐々木氏の鼻息は荒いのですが(私見です)、中原中也や富永太郎に鍬を入れた大岡昇平の功績を、正当に評価したいとわたしは思います。
(つづく)
11. Posted by miko   2005年11月27日 19:51
太郎次郎さんは、杉本圭司さんが運営されている「小林秀雄實記」というサイトをご存じですか。
その掲示板で小向さんと富永太郎についてやりとりしていました。中原中也や小林秀雄がテーマになることもあり、たま〜に杉本さんも参戦されました。
とてもセンスのよいサイトですので、再開した暁には、ぜひとも太郎次郎さんに参戦していただきたく思います。

これからもよろしくお願いいたします。

12. Posted by 太郎次郎   2005年11月28日 11:51
「ユリイカ」の大岡昇平特集(1994/11)が出た段階では、大岡昇平氏はすでに亡くなっておられます。したがって、「上記に、「正岡忠三郎日記」という一級資料をこの特集に入れようと思ったが、大岡さん編集の「富永太郎全集」が出るまではということらしい、という主旨の樋口覚氏の発言があります。」というのは間違い。
また、大岡さんは『富永全集』の編集を最後まで続けておられましたが、そこに「正岡日記」を入れる企画案はありませんでした。

13. Posted by 太郎次郎   2005年11月28日 11:52
「死に顔の写真を撮ったのも忠三郎である。」とお書きになっていますが、どこでこの確証を得られましたか? 「正岡日記」には、太郎の死んだ日に死顔の写真をとる、という記述はありますが、忠三郎が撮ったとは書かれていません。中原家および正岡家に保存されていた太郎の死顔の写真は、専門の写真館が撮影したものです。

どうか、富永再評価をなさりたいのでしたら、原典、原資料にあたってください。どうも、富永太郎を愛するあまりに、すべての記述が妙に歪んでいるように思えるのですが。
14. Posted by miko   2005年11月28日 17:39
太郎次郎さま

ええ、参照した「ユリイカ」の徹底討議は大岡昇平の死後です。
「間違い」といわれましたが、樋口氏の発言はつぎのとおりです。

《「正岡忠三郎日記」という一級資料をこの特集に入れようと思ったんですけれどね……。大岡さん編集の「富永太郎全集」が出るまでということらしいけど、それは未だに出ないし。本当のところそれが出ないと太郎や中也のこともよくわからないですよね》

それと、大岡氏編集の『富永太郎全集』に「正岡忠三郎日記」が含まれているとは、わたしは書いていませんし、参照した「ユリイカ」にもそういう記述はありません。
大岡氏の富永に対する情熱に対して、周囲の関係者に困惑があったということが前提の発言だというふうに、わたしは受けとめていました。
(つづく)
15. Posted by miko   2005年11月28日 17:58
富永の死に顔の写真の件は、わたしのまちがいでした。あとでエントリーに追記して訂正させていただきます。

> どうか、富永再評価をなさりたいのでしたら、原典、原資料にあたってください。どうも、富永太郎を愛するあまりに、すべての記述が妙に歪んでいるように思えるのですが。

富永再評価の意図などまったくありませんが、きびしいおことばを真摯に受けとめようと思います。

小向さんとは、富永を愛しているという共通項はありますが、意見はちがうところが多く、そのちがいを表明することで、より理解が深まったと認識しています。

最初の太郎次郎さんのコメントから、きびしいものを受けとりましたので、さきのコメントで「小林秀雄實記」掲示板への参戦をお願いした次第です。重層的な構造の掲示板ですから。