2005年11月25日

三島由紀夫の自決

1970年(昭和45)11月25日、午後零時15分、三島由紀夫は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した。
没後35年・生誕80年を迎え、来月には『決定版三島由紀夫全集』(新潮社)の補巻が刊行されるという。
三島由起夫が生まれた1925年(大正14)に富永太郎は他界した。没後80年は見事に黙殺されたのである。

三島由紀夫が自決したとき、わたしは高校3年生で、学校の教室にいた。
つぎの授業をする教師が入ってくるのを生徒は着席して待っていた。
教室に担任教師Hが一歩足を踏み入れたので、みんなは何事かと緊張して注目した。
彼はひとことだけことばを残して立ち去った。
「先ほど三島由起夫が割腹自殺しました」

「ええーっ!!」という驚きの声とともに、大半の生徒が立ちあがった。
わたしは座りながら、担任教師Hの苦悩に満ちた蒼ざめた顔をみつめていた。
Hは東大卒という噂の政経の教師で、年格好も三島に似ていた。HRがとても短く、担任としての親近感をほとんど感じさせない。人間として嫌味はないが、なにを考えているのかわからない風情があった。授業内容もほとんど記憶にないほど凡庸なものだった。その高校は自由な校風で、変わった教師が多かった。
そんなHが、自分が受けもつクラスの生徒に、わざわざ三島の自決を知らせにきたのはなぜなのか。わたしには不思議でならなかったし、いまもその理由がわからない。
その後のHは、HRでも政経の授業でもそのことを話題にしなかったが、そのほうが彼らしかった。

中・高と同じ学校に通ったHさんとは、卒業後に急速に親しくなった。彼女の誕生日が三島が自決した11/25なのを気にしていた。そして彼女の母親が三島文学に傾倒していた。
ちなみに彼女とわたしの名前が同じで、わたしの誕生日は4日後の29日である。
ちがうのは、彼女の血液型がA型だということ。(わたしはB型)

わたしは三島の作品をほとんど読んでいないが、三島由紀夫という人間には興味をおぼえる。『三島由紀夫おぼえがき』(澁澤龍彦・中公文庫・昭和61/11/10)はくりかえし読んだ。とりわけ巻末に収められているつぎの対談がじつにおもしろい。

‖价漫.織襯曚寮こΑ併暗舁概夫/澁澤龍彦)
対談 三島由紀夫――世紀末デカダンスの文学(出口裕弘/澁澤龍彦)

,僚藹个蓮1970年、中央公論社刊『日本の文学第34巻・内田百痢λ厂鄂一・稲垣足穂』付録76で、新文芸読本「稲垣足穂」(河出書房新社・1993/1/15)所収。
△僚藹个蓮◆屮罐螢ぅ」(昭和61年5月)で、文藝別冊 総特集「三島由紀夫」(河出書房新社・2005/11/25)所収。

また「すばる」に掲載された美輪明宏と瀬戸内寂聴の対談がとてもおもしろかったのだが、手許にあるはずの雑誌が、どういうわけかみあたらない。

本日の朝日新聞の天声人語、そして11/21付け朝日新聞の「時の墓碑銘」(小池民男・本社コラムニスト)で、小林秀雄の三島由紀夫評が紹介されている。

「率直に言うけどね、きみの中で恐るべきものがあるとすれば、きみの才能だね……ありすぎると何かヘンな力が現れて来るんだよ。魔的なもんかな」

上記,里覆で三島は、稲垣さんに会わないでいたい二つの理由を、あからさまに述べている。

「一つの理由は、稲垣さんの昔からの小説をずっと愛読しておりますから、稲垣さんを、いまだに、白い、洗濯屋から返ってきたてのカラーをした、小学校の上級生だと思いたいんですよね、どうしても。そういう少年がどこかにいて、とんでもないものを書いているというふうに思いたいんです。つまり美少年がとんでもない哲学体験を持っているという夢を持っているわけ。また、向こうからこっちを見ても、こんなむさ苦しい男が出ていって、稲垣さんに対談を申し込むというのは、はばかりがあるんです。それが第一の理由でお目にかかりたくない。僕は固く心に決するところがあって、一生お目にかからないでいようと思うんですね。
 もう一つは、非常に個人的な理由ですけれども、僕はこれからの人生でなにか愚行を演ずるかもしれない。そして日本じゅうの人がばかにして、もの笑いの種にするかもしれない。まったく蓋然性だけの問題で、それが政治上のことか、私的なことか、そんなことはわからないけれども、僕は自分の中にそういう要素があると思っている。ただ、もしそういうことをして、日本じゅうが笑った場合に、たった一人わかってくれる人が稲垣さんだという確信が、僕はあるんだ。僕のうぬぼれかもしれないけれども。なぜかというと、稲垣さんは男性の秘密を知っているただ一人の作家だと思うから。僕はこの巻の解説にも書きましたが、ついに男というものの秘密を日本の作家はだれも知らない。日本の作家は、男性的な作家は主観的に男性的であるだけで、メタフィジカルに男性の本質がなんであって、男はなんのために生まれて、なんのために死ぬかを知らない」
(昭和45年5月8日 赤坂シドにて)

稲垣足穂についても三島由起夫についても不勉強なわたしだが、上記の三島の弁は、三島にとって自分の作品の最大の理解者であった澁澤龍彦との関係とともに、強く印象づけられる。
なお、『仮面の告白』を三島由起夫に書かせたのは、編集者・坂本一亀である。

  *

三島由紀夫の『文章読本』は、レクトゥール(普通読者)であったことに満足していた人を、リズール(精読者)に導くことを意図して書かれている点がユニークである。

●レクトゥールの定義
小説といえばなんでも手当たり次第に読み、「趣味」という言葉のなかに包含される内的、外的のいかなる要素によっても導かれていない人。

●リズールの定義
その人のために小説世界が実在するその人。文学というものが仮の娯楽としてでなく本質的な目的として実在する世界の住人。




miko3355 at 23:53│TrackBack(0)文学 

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この記事へのコメント

1. Posted by 小向   2005年11月28日 10:25
25日は憂国忌でしたね。人の死に方というのは本当に重くてむずかしい永遠のテーマです。三島由紀夫は割腹自殺をかなり準備していたようです。今月の日本経済新聞に仲代達矢の「私の履歴書」が連載中ですが、仲代氏が「人斬り」という映画で三島由紀夫と共演した時、なぜボディービルをして体を鍛えているのかと聞いたところ、三島は切腹をした時に脂肪が出ないように鍛えていると答えたそうです。三島の心には自分は切腹で死ぬという覚悟がしっかりあったのですね。
僕は三島由紀夫のたいした読者ではありませんが、心底驚いたのは「愛の渇き」という作品です。日本人が書いたとは思えないシャープな文体で描かれたすごい迫力の小説でした。新潮文庫の解説で吉田健一がかなりほめていたと記憶しています。
2. Posted by miko   2005年11月28日 22:05
小向さま

三島由紀夫は老いる自分を許せなかったらしいですね。
わたしは三島の"肉体美"は痛ましくてみていられません。
土台が華奢なのがかえってあぶりだされて、アンバランスです。

三島由起夫の『金閣寺』より、水上勉の『金閣炎上』のほうに感銘を受けました。

関係ないですが、奥本大三郎(仏文学者)の課外授業について番組評をアップしたとき、専門はなんだろうと思っていました。先日、検索してみたところ、専門はランボオとボードレールでした。
3. Posted by もっちゃん   2005年12月18日 14:10
突然失礼いたします。あの日、仕事中聞いてまったく仕事にならず女性上司から「なによ!人一人死んだぐらいで!」と叱責されたのをおもいだしました。三島と鴎外が好きでした。いまは全く小説を読んでいません。
4. Posted by miko   2005年12月19日 07:30
もっちゃんさま

コメントありがとうございます。
いかなる状況で三島の自決を知ったか、というのは大きいですね。時を経てもそのときの衝撃が、その記憶とともに甦りますから。わたしは政経の教師の蒼ざめた顔が脳裡に焼きついています。
自衛隊派兵を考えると、隔世の観があります。