2005年12月04日

小林〜富永〜中原〜大岡の濃密な関係

11/15にアップした「富永太郎と中原中也の異質な関係 」に、杉本氏からコメント
(12/2付け)をいただいた。
コメント欄が長くなったので、勝手ながら転記させていただく。

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以下、ご参考までに。

「かつて私は、中原中也について、小林秀雄に聞きにきた者は、誰もなかった、と記したことがあった。しかし、これには、もっと詳しい説明を記しておくべきであった。小林秀雄は、しかるべき紹介者がいないと、初めての人には会わないことにしているのだが、この帰国後(※ヨーロッパ旅行から帰国したときに"過去はもう沢山だ"と漏らしたことを指す)は、さらに徹底してきたから、そこへ辿りつくことが、先ず一と仕事であること、(つづく)
Posted by 杉本 at 2005年12月02日 00:04

たとえ会えたところで、誰にも肝腎のところは喋らないから、聞かれないと同じ効果を呈すること、今日のように、中原のすみずみまで探求が行われていなくて、当時はただ、ただ彼の作品を読むことで充足していた時代であった、小林・中原の問題については、大抵の読者は大岡昇平の著作で、充分に間に合せがついていたのである。いくつもの要因があったことを私は付加すべきであった。」(郡司勝義「大岡昇平遠望」)
Posted by 杉本 at 2005年12月02日 00:04

ところで、ユリイカの鼎談で加藤典洋氏が大岡昇平から直接聞いたという証言によれば、昭46年に開かれた富永太郎展に小林秀雄は結局顔を出さなかったそうですね。小林秀雄はこのときのパンフレットに一文を寄せていて、今回の全集で初めて収録されましたけれど、その最後を、「懐かしさが油然と湧き上って来る。見たいと思う。」という言葉で結んでいるのです。それが、大岡氏が招待状を出して、今日来るか今日来るかと思って待っていたが最後まで来なかった。加藤氏には、「小林には詩とか小説を書く人間に対する嫉妬がある」と言ったそうですが、後に松涛美術館で富岡太郎展が開かれたときには、富永太郎の絵をちっとも見ようとしない小林秀雄は「少し異常です」とも書いています。
Posted by 杉本 at 2005年12月02日 01:19

富岡太郎展->富永太郎展
Posted by 杉本 at 2005年12月02日 01:23

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上記の杉本氏のコメント(とくに前半部分)を読み、なぜか考えこんでしまった。
それを逐一ここに記すわけにはいかないが、ひとつだけ記しておこう。

かつてわたしが杉本氏に送信したメールに対して、

二人の人間関係が「すこしわかりやすくなる」という時点で、薄ら寒い虚偽を感じませんか?

という返信があった。
この場合の「二人の関係」というのは小林秀雄と青山次郎のことだったのだが、相手がだれであっても同じことだろう。
いつなく激昂した杉本氏の口吻は、わたしだけにむけられたものではなく、「秋葉原で店頭販売している万能包丁」(杉本氏のメールの一節)で小林秀雄を斬ろうとするひとたちに対する密かな怒りだろう。わたしはそう解釈した。

その密かな怒りが杉本さんの核になっていると思えるし、ひとりの文学者についてこだわっている人間にとっては当然のことだろう。
しかし"得体のしれない柔軟性"を有する杉本氏は、

かなり生意気なことを書きましたが、見当はずれではないと思います

と軽やかな着地をするのである。

さて、以前に「小林秀雄實記」掲示板でテーマになった、「小林が富永について、もう書かないと"宣言"する必要があったというのが、ランボオとの別れとパラレルである」という杉本氏の説は、わたしが「ユリイカ」の富永太郎特集から引用した高橋英夫氏の文章に呼応するものであった。
この特集は全編すぐれた内容だが、とくに高橋氏の一文は、小林に傾倒した人間にしか書けないうえに、富永についても深い理解を示している点で一読の価値がある。また、高橋氏の人間をみる視座をわたしが好もしく思っているともいえる。
なお、高橋氏の見解を学者が記したのが、11/12にエントリーした「富永太郎の祥月命日」で参照とした宇佐美氏の共同研究である。


杉本氏が指摘された、大岡昇平の怒りと困惑を喚起した昭和46年と昭和63年の富永太郎絵画展に対する小林秀雄のリアクションの謎解きが、杉本氏が上記掲示板において"宿題"とされたテーマと一致すると考えられる。

※ただいま「小林秀雄實記」が改訂中につき閲覧できないので、掲示板とはリンクできないのをお許しいただきたい。


〔追記 2005/12/4〕
本日、杉本さんからコメントで指摘していただいた件については、完全にわたしのミスなので、訂正させていただきます。

本文において、

《杉本氏が指摘された、大岡昇平の怒りと困惑を喚起した昭和46年と昭和63年の富永太郎絵画展に対する小林秀雄のリアクション》

とわたしは書きましたが、昭和63年に開催された絵画展に、昭和58年に他界した小林氏が行けるわけもなく、大岡氏が昭和63年の絵画展のカタログに寄せた一文「富永太郎における創造」のなかで記した、昭和46年開催の絵画展に対する小林氏についての回想文でした。

大岡昇平は昭和63年の絵画展の直後に他界しており、そのことから「小林秀雄さま、」という大岡氏の病いと老齢によって乱れた筆による弔詞などを連想しているうちに、鬼籍に入ったひとたちが、なまなましく立ちあがってきて、わたしの頭は混乱した。
そんなわけで、ふたつの絵画展に小林氏がかかわっていたような錯覚に陥った。
わたしの手許にある『大岡昇平全集17』(筑摩書房)――本書を教えていただいたのも杉本氏である――に、カタログに寄せた大岡氏の一文「富永太郎における創造」が収められていて、過去に読んだにもかかわらず失念していた。

……というようなイイワケを書き連ねていると、取調室で敏腕刑事に自白を迫られている容疑者(→犯人)のような気分になってきた。

で、富永太郎展について整理してみる。

■昭和46年(1971)2月15日〜27日
東京・銀座のギャラリー・ユニバースにて
「富永太郎の絵」展……歿後46年

■昭和63年(1988)10月18日〜11月27日
渋谷区立松濤美術館にて
「大正の詩人画家富永太郎」展……歿後63年

□小林秀雄 昭和58年(1983) 3月1日歿
□大岡昇平 昭和63年(1988)12月25日歿
□富永太郎 大正14年(1925)11月12日歿
□中原中也 昭和12年(1937)9月22日歿

  *
  
杉本さんが紹介された「ユリイカ」所収の【郡司勝義「大岡昇平遠望」】につづく文章も興味深いので引く。

《しかし、小林秀雄は、一々具体的に例証を挙げて問いつめられるのを、最も苦手とし、嫌っていた。
 (略)
 大岡昇平は、小林秀雄との間にかもし出されているこの微妙な呼吸(いき)づかいを、敏感に察知していた。だから、氏は中原中也や富永太郎の評伝を書くについては、われわれの想像を絶するほどの苦心を払っていた筈である。あの外堀を片っぱしから埋め尽くして行く手法は、そこから発したものであろう》







miko3355 at 03:59│TrackBack(0)富永太郎 

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この記事へのコメント

1. Posted by 杉本   2005年12月04日 09:04
> 杉本氏が指摘された、大岡昇平の怒りと困惑を喚起した昭和46年と昭和63年の富永太郎絵画展に対する小林秀雄のリアクション

私の書き方が悪かったかもしれませんが、小林秀雄が昭和46年と昭和63年の富永展に二度とも来なかったという意味ではありません。何せ小林秀雄は昭和58年3月に亡くなっていますので。大岡氏は昭和63年の展覧会の図録に寄せた文章(「富永太郎における創造」)の中で、昭和46年の展覧会のときのことを回顧して「少し異常」と書いていた、ということです。
2. Posted by 杉本   2005年12月04日 09:25
以前、私が掲示板に書き込んだくだりを再掲しておきます。

> 私もこのくだり(「僕は再び君に就いて書く事はあるまいと思ふ」)は以前から気になっています。ただ、小向さんとはちょっと違う風に感じています。小向さんがおっしゃるような側面も確かにあったとは思うのですが、重要なのは、小林秀雄にはそれを敢えて"宣言"する必要があったという点です。それは、「ランボオII」の"別れ"とパラレルです。そして、戦後すぐに書かれた「ランボオIII」でその宣言を翻し、ふたたび太郎について書いたという理由とも逆説的に繋がるものであるように思えます。小林秀雄とランボオの関係を語るときに、この一節は要となるものではないでしょうか。

「小林秀雄にはそれを敢えて"宣言"する必要があった」というのは、「小林秀雄にはそれを敢えて宣言する"必要"があった」と書くべきでした。
3. Posted by miko   2005年12月04日 18:04
杉本さま

ご指摘ありがとうございます。
完全にわたしのミスです。ミスの連続で申しわけありません。
本文で訂正を追記させていただきました。
(メールの無断引用はだいじょうぶでしたか? 重要なテーマが潜んでいるように思えたのですが、これもわたしの妄想かもしれません)
4. Posted by 杉本   2005年12月05日 00:07
太郎次郎さんの厳しいご指摘もありましたが、その点でいえば私なども歪みまくりの恥かしいことだらけです。けれども、「すべて」の文献に目を通し、またその「すべて」を念頭において書いたり考えたりするということは不可能ですし、「すべて」を念頭におこうとすると誤る、ということもあります。逆に、或る一つの文献から得た直感を信じて突き進んでみるということも非常に大事だと思っています。その結果生じる誤解や事実誤認が常に致命傷であるとも限りません。数学上の大発見の多くはそういう誤解から生まれる、と或る数学者(岡潔だったかな?)が言っていました。
5. Posted by 杉本   2005年12月05日 00:08
河上徹太郎は、「彼の『誤解』のために日本文化はどんなに救われたか、『誤解』されてぼくはどんなに大切なことを悟らされたか」と小林秀雄を評しています。一方、河上徹太郎がゲーテに関して書いたものが、ごくわずかの文献から導き出されたものであったことに驚嘆した或る学者に対して、「それでこそ河上なんだ」と小林秀雄が嬉しそうに語ったという話もあります。要は、どこまでその「誤解」を研ぎ澄ますことができるかということなのでしょう。

上記のメール引用は別にかまいませんが、私のことなど書いても面白くないので、富永についてもっと書いてください。
6. Posted by 小向   2005年12月05日 15:16
昭和46年というと「本居宣長」を執筆していた時期で富永太郎のことを思う余地がなかったのかもしれませんが、それにしても小林秀雄は太郎につれなかったですね。なぜだろうと考えてもよくわかりませんが、太郎の実力を大岡昇平ほどには理解していなかったのではないかと想像します。フランス語ができた点では秀雄より上で昇平と同レベル、絵画を描く力は詩作とほぼ同じで秀逸だったと僕は思っています。杉本さんとmikoさんのこのたびのやりとりを読んで、やりみずさんのサイトにアップしていただいている太郎の絵を久しぶりに眺めました。どの絵にも共通している特徴は、人物も植物も器物も対象を深く物質的にとらえているという点です。静的で立体的な物質としての描き方は太郎の詩作品と共通すると思います。画家としても当時これほどの人はいなかったのではないか。もっと長生きしていればといつもながらくやしさをおぼえます。
7. Posted by miko   2005年12月06日 07:51
杉本さま

杉本さんらしいコメントだなぁと思いました。
太郎次郎さんのきびしいご指摘はありがたいと思っています。が、そのこととは別に、わたしは直感というものを大切にしていて、それを研ぎすましたいと願って生きてきました。ですから初対面の人間について、なんの先入観もない、自分の直感だけでとらえた人物観が、のちに的はずれではなかったと知ったときは、自分にしかわからない喜びに浸ったりします。
実際に接触してみてわたしが尊敬できる人物というのは(きわめて少数ですが)、みな直感力に秀でています。医者も例外ではありません。

最近でいうと、先日、当blogで番組評を書いた奥本大三郎氏です。奥本氏についてなんにも知らなかったという自分の無知がプラスに転じました。
子どものまえで授業をするということは、子どもの直感で掴まれるわけですから、怖いですね。
(つづく)

8. Posted by miko   2005年12月06日 07:59
杉本さんの美意識から推察して、たいへんなご迷惑をおかけしているという自覚がありながら、杉本さんについて記したのは、そこにテーマ性が潜んでいると認識しているからです。「杉本圭司論」に興味はありますが、わたしの手に負えません。

こんな"公園"でよろしければ、お気のすむまで一服してください。遠慮は無用です。

(p.s. 昨日いただいたメールのレスは、なんとか本日の夜までに送信します)
9. Posted by miko   2005年12月06日 08:42
小向さま

わたしの場合は小向さんとちがって、つい最近知ったわけです、富永太郎の詩を。ずっと気になりながら、中原中也の影に隠れていました。しかし自分と縁のあるものは、永い時を超えてつながるのだなあと実感しています。

わたしは、富永太郎の生は24年6ヵ月で十分です。
散文詩「秋の悲歎」を残してくれただけで、ありがたく思います。

絵についてはよくわかりませんが、詩と同様に太郎のもつモダニズムがあらわれているように思います。わたしの好きなタイプの絵です。
飯島耕一は「キュビスム」といっていますね。
10. Posted by miko   2005年12月06日 12:36
杉本さまへ追記

▼Posted by miko at 2005年12月06日 07:59

上記のコメントでは、いかにも意識的に書いているようですが、正確にいうと、大岡昇平ではないですが(←中原について書いていると富永が進入してきた)、blogを書いていると杉本さんが進入してくるという感じです。
無意識の領域なので、防ぎようがないのです。で、あとで考えてみると、きっちりつながっているのが不思議です。だからといってご迷惑をおかけしていることに変わりはないので、自粛します。

これと同様のことは、杉本さんと無関係のエントリーでも発生しています。
blogは生き物だと、つくづく思います。
最近では、ネット世界の知人と現実世界の知人にラインを引けなくなるほど渾然一体化しています。