2005年12月14日

神の手  【エッセイ】

 20代の一時期住んでいたマンションは、阪急電鉄千里線のS駅から徒歩10分ほどの地点にあった。やや古びた落ちついた一戸建てが並ぶなか、すこし高台になった土地に大規模といえるマンションが建ったので、周辺の住民にとっては風紀を乱す迷惑な存在だったらしい。たしかに周囲の風景からは違和感のある建物だった。
 わたしの住む部屋の玄関まえに立つと、1970年に開催された「大阪万博」のシンボルである「太陽の塔」の正面を、なんの障害物もなく眺望することができた。その歪んだような顔に親しみと懐かしさがあった。

 わたしの高校時代に「大阪万博」は開催され、夏休みに同じ高校に通う友人Sさんに誘われて行ったのだった。Sさんもわたしもひとの多いのが苦手なので、並ばなくてもよいところばかりに入った。そのなかに「太陽の塔」があった。「太陽の塔」の内部に入ろうという人間はあまりいないらしく、深閑としていた。
 わたしの記憶では、まずエスカレーターで最上階まで昇り、階段で降りてゆくのだが、踊り場の周囲の壁に、モザイク状に幻灯のような感じのフィルムが埋めこまれていた。朱肉で捺印した印鑑のフィルムが映しだされた踊り場で、わたしはひとつひとつの印鑑の姓を頭のなかで読みあげて愉しんだ。単純だけれど、おもしろい。
 その下の踊り場のフィルムは日没で、それぞれの場所がちがうため、日没の顔に多様性がある。わたしは夢中になってそれらの差異に注目しながら、ぐるりとからだを一回転させた。つぎに平衡感覚をうしなったからだで踏みだした片足が、空を蹴った。そこはもう階段だったのだ。

 わたしは眼を閉じながらも意識ははっきりしていた。不思議なことに、どうにかしようという意思を完全に失いながら身をまかせていると、右半身を階段の数だけ打つので、自分のからだが一回転ずつしながら落ちているのだと知った。痛みがまったくなく、意識はどこまでも明晰だった。
 そろそろ終わりにしてくれないかなあ……とひとごとのように思っていると、最後にうつぶせになって両手をぱたっとついた。このときも痛みはなく、一貫して優雅な力に支えられているような感じなのだ。階段は8段くらいあったが、かすり傷ひとつなかった。
 Sさんが駆けよってきて、
「だいじょうぶ?!」
 と心配そうに声をかける図を想像し、恥ずかしさに襲われたわたしが耳にしたのは、意外にもSさんの呆れたようなひとことだった。
「猫みたい!」

 Sさんはとてもチャーミングだったので、男子生徒にもてていたが、どこか醒めているところがあった。また、Sさんと同じ中学校出身の男子生徒が自死した様子を、暗い顔でわたしに語ったときも感情を顕わにせず、いつもどおり放課後に図書館で勉強していた。性格がよくいつも笑顔なので、女子生徒からも教師からも好感をもたれていたが、淡々としていた。
 そんなSさんだったので、われわれは何事もなかったように「太陽の塔」をあとにしたのだった。

 自分が大けがをするのは自業自得だとしても、もしわたしのまえにひとがいたら、そのひとを巻きぞえにしていたと思うと、暗澹たる気分になる。
 それにしても、わたしが体感した巨きな柔らかい力はなんだったのだろう。いまでもその感触は身にまとわりついているのである。

  *

 阪急電鉄千里線のS駅は、車両とホームの間隔がひどくあいている箇所があった。当時わたしの息子は2歳だった。ふつうなら子どもを抱っこしてホームに降りるだろうが、わたしは息子の手をつないで、声もかけずに降りるというきわめて危ない方法をとった。危ないけれど、達成したあとの喜びは格別だった。
 その1歩を踏みだすとき、わたしの手に自然と力が入るのだろう。声はかけないが、わたしは子どもに最大限の注意を払っていたのだから。それを幸いにも子どもが感受してくれたから成功したといえる。逆にいうと、感受できる子どもであるという確信に似たものが、わたしの無意識下にあったのかもしれない。

 2回めに挑戦しようとしたとき、同じ車両にいたひとたちの「ああーっ……」という叫び声を聴き、わたしの集中力は一瞬そがれたが、なんとか達成できた。しかし他者のいかにも危ないという声を聴いたことでわたしは恐怖心をあおられ、以後は危なくない車両に乗ることにした。
 危ない橋を渡るとき、"危ないけれども渡りきれる"という予感がないと失敗する、ということだけはわかっていたのかもしれない。


〔追記 2006/1/28〕
「大阪万博 いま熱い」(2005/5/4付け朝日新聞・朝刊)より引用。

《大阪府吹田市の万博記念公園に残る太陽の塔の人気も高い。昨年11月から事前に申し込めば中に入ることができるようになった。3月までに2千人が見学している》

miko3355 at 21:19│TrackBack(0)小品 

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この記事へのコメント

1. Posted by 小向   2005年12月26日 15:33
小林秀雄が水道橋駅のプラットフォームから一升瓶を抱えて落ちて怪我一つなく、死んだ母親が助けてくれたとはっきりわかった、という話を「感想」の初めの方で書いていますね。
人のいのちは科学的な説明ではうまくいかず、不思議なものだと思う方がむしろ理にかなっていると僕も最近よく思います。
オカルティズムは興味本位にではなく人間の真の不思議を教えてくれるものとしてもっと身近なものであるべきではないかなどと思っています。mikoさんが体験された「巨きな柔らかい力」こそリアルな何かではないか。人間、そして人生は面白いと感じます。
子育ても不思議な体験ですよね。大きくなってからはあまり感じませんが、幼い頃の子供はか弱くて思い出せばいろいろなことがありました。親だけの力で育てているのではなく何かが助けてくれているような気がします。
2. Posted by miko   2005年12月27日 08:08
小向さま

当エントリーをアップするのはとても恥ずかしかったのです。わたしも書きながら、小林秀雄のその体験を想起しました。
平衡感覚を失っていたのはたしかですが、それだけではあのような器用な階段の落ちかたはできませんし、自分の肉体と意識が遊離していました。

人間は生まれおちたときから個としてできあがっていると思います。親がなにかをしたと思うのは傲慢で、子どもが太るためには、親は痩せ衰えなければなりません。いまは、親が子どもを食っている傾向があると思います。
そうはいってもわたしは、親としては失敗の連続でしたが、子どもを養分にして太ってはいません。