2006年01月21日

BS特集「"ツナミ"との戦い」〜インド洋大津波から1年〜

2005/12/26、BS1にて放映された番組で、3部構成。
午後7:10〜10:00(8:00〜8:10と9:00〜9:15でニュース中断)。
インド洋大津波発生時のニュースで、日本のように津波に対する知識があればこれほど多くの犠牲者がでなかった、と聴いたのが印象に残った。恥ずかしながら本番組のテーマについて知識がなかったので、教えられることが多かった。

〈NHKの番組案内より引用〉
23万人もの死者・行方不明者を出した昨年末のインド洋大津波から1年。今も各国で100万人以上の人々が避難生活を続けている。番組では、この1年間に被災したアジア各国の放送局が取材した復興への取り組み、防災システムの確立に向けた模索、対立する民族紛争の和解など津波が引き起こした多くの人々と国家への波紋を紹介。津波から1年を迎えるアジアの葛藤を多面的に追う。

第1部 被災国が記録した復興への模索

地元の放送局が現場を記録しつづけてきた番組が、ディレクターのコメントを交えて紹介されている。それぞれが、なまなましい内容である。

インドネシア
 制作 METRO TV  カマルーラ(ディレクター)
タイ
 「リゾート再建への挑戦」
 制作 MCOT    ノンラック(ディレクター)
スリランカ
 「マーダラ漁復活にかける」
 制作 SLRC    チャンダナ(ディレクター)
モルディブ
 「故郷の島を離れて」
 制作 TV M
 
第2部 災害に強いアジアを目指して

第3部 村に帰りたい〜インドネシア・アチェ

オルタスジャパン制作である。
自然なカメラワークのなかに人々の懸命さ、逞しさが描かれている点で、NHKよりBBCに近いという印象を受けた。テーマの性質からして感動したとはいえないが、ドキュメンタリー番組として高く評価されるにちがいない質のよさがある。それだけに、語りの男性の声が"他人事"という感じで、耳ざわりだったのが惜しい。なんとかならなかったのだろうか。
それにしても女たちの元気さには圧倒される。万国共通なのだろうか。
以下、順に追ってゆく。

GAM(自由独立運動)と国軍の間で30年つづいてきたインドネシア・アチェ州の独立紛争は終結した。巨大津波の被災、救援活動の迅速な展開などが大きな契機となった。
2005年8月15日、ヘルシンキでアチェ和平協定が調印された。
8月22日、国軍撤退。GAMは840丁の武器を放棄。
8月31日、GAM兵士1500人は釈放され、それぞれ故郷の家に帰る。GAMは政党をつくり、自治政府の選挙に備えることを表明。

2005年5月、死者・行方不明者16万5000人といわれるアチェに入る。

【クルンサベキャンプ】
ここでの生活は、NGOによる援助によってまかなわれている。月に1度の配給は、1人あたり、米12キロ・食用油・麺・豆の缶詰で、家族の人数に応じて配られる。出身の村ごとに住民が集まって生活している。108世帯、352人。
海岸から20キロ離れた山間部の村に暮らしていた、ツナミの被害が及ばない人々が、なぜこの難民キャンプにいるのか? ――この問いかけから番組はスタートする。まず、ふたりの男性を軸にして進んでゆく。

スナルディーさん(32歳)
親族を36人亡くした。30年つづく紛争で、山間部のパンゴン村からインドネシア国軍に強制移住させられ、海沿いのキャンプに移り住んでいて、ツナミに襲われた。与えられたテントを改造して、手づくりの小屋に住んでいる。
アブバカルさん(32歳)
パンゴン村では雑貨商を営む。豊かな山村から切りだす木材を収入に当てていたが、ツナミでほとんどの家財を失う。村に帰れる日に備え、仕事道具のチェーンソーは大事に保管している。ここでカメラは、テントのなかでなにげなく鎮座しているチェーンソーを映しだす。かぶせるような語り、「ここでは仕事がない」。

GAM(自由アチェ運動)において、アチェの一般の人々まで戦闘の犠牲になった。GAMの支配下「黒地域」では強制移住させられ、山から20キロ離れたクタパンキャンプへ。パンゴン村住民の半数350人が死亡・行方不明。
パンゴン村の村長・ハイルディーンさん(50歳)は語る。
「6年前、突然GAMの部隊があらわれ戦場となった。GAMと国軍の板挟みで苦しい立場に追いこまれた」

【バンタヤンキャンプ】
153世帯、699人。ツナミで破壊された海辺の村から避難してきた。120隻あった船は壊れ、20隻が残った。漁師をしているが、ガソリンのコストがかさみ、収入のない日もしばしば。
8月、クアラシンパンウリムへ帰る準備がはじまった。NGOから援助された資金で生活に欠かせない漁船50隻をつくる。漁師たちにとって燃料費は重い負担になっていた。村人たちはキャンプを出て、すこしでもクアラシンパンウリムに近い場所に移住することを望んでいる。

村長・バスリサレさんは、地方政府の有力者を招いた。警察署長、郡長、軍司令官である。故郷へ帰るための足がかりをつけたいと考えている。政府はツナミが再び起きることを警戒し、海岸から300メートル以内に新たに家をつくることを禁止している。元のクアラシンパンウリムへ帰ることは許されていない。
村長の考える再建予定地に住めば、GAMを支援するのではないかと地方政府は警戒している。村人が希望する土地はクアラシンパンウリムに近く、政府が決めた土地はバンタヤンに近い。
8月30日、村長は村民会議を開く。

郡長「政府が指定する場所に家を建てたほうがいい」
村民(男)「漁師の仕事をしているのだから、山奥には住めないよ。クアラに帰る許可だけ出してくれ」
郡長「帰ったとしても、勝手に家を建てられない。そうなると漁師の仕事もできないだろう」
村民(女)「船があるんだから、できるわよ。信じられない。村のことはわたしたちが知っている。ウソをついてもダメ」
郡長「政府の移住のための援助はあと2〜3年。1年という話もある。文句をいえば、なにももらえなくなるかもしれない」
村民(男)「政府が作ってくれないなら、自分たちで作る。許可だけ出してくれ」
村民(大勢)「そうだ、そうだ。今日でもすぐに帰りたい」
村の宗教指導者(男)「自分たちで村を再建しよう。先祖からのものを海の残骸にしてはいけない」
彼の発言に村民は活気づく。

村民会議の結果、郡長のみ承認を得たが、最終的に援助金をもらうためには、県の承認を得ないといけない。村長は、村へ帰るための嘆願書を作った。軍司令官と警察署長は、最後まで協力を拒んだ。サインしたのは郡長だけだが、村長はそのまま県知事に申請した。
村長「クアラの避難民は、他の移住地に移されたくない。元の村に帰りたいんだ。県知事はこういった。なんのために避難民を元の村に帰すのか。それはGAMを喜ばせ、支援することになるのにと」

GAMの村とみなされたクアラシンパンウリム。国軍と警察の疑惑は消えていない。

9月、クルンサベキャンプを再び訪ねる。

村長・ハイルディーンさんと村の有志が、パンゴン村の状況を確かめるために山にむかう。クルンサベキャンプからパンゴン村まで20キロ。パンゴン村の入口にある国軍詰所。和平後、国軍の兵士は、制服から私服に変わっていた。村長一行は、身分証明書なしで村に入ることができた。

【パンゴン村にて】
破壊された廃屋だけが残されていた。壁一面の落書き。いずれもアチェ人を侮辱するもの。
さらに奥へ、村の中心だった集落を目指す。
道は荒れはて、橋は落ちたまま。かつての村の面影はみあたらない。家々はことごとく焼かれていた。
村は完全に破壊されている。

スナルディーさんの家は残っていなかったが、両親のために建てた家は焼かれずに残っていた。2人とも、ツナミで亡くなった。
スナルディー「悲しい。両親ももういないのに、いったいなんのための家なんだ。この紛争で被害を受けたのは村民だ。国軍とGAMが戦争をし、村民が損害を背負わされた」

森と化した村をみて、村長・ハイルディーンさんは座りこみ、遠くをみる眼をしてタバコを喫っている。この徒労感の漂う姿が、わたしには本番組で最も印象に残った。
そして彼はつぶやく。
「みてのとおりだ。もうなにもない。どうすればいいのか……。以前は賑わっていたのに」

和平が実現し、紛争が終わっても、村民には村の復興という課題が残されたまま。

一方、バンタヤンキャンプでは、村民たちは再建の一歩を踏みだした。小舟に分乗して村へむかう。9ヵ月ぶりの一時帰郷。

【クアラシンパンウリムにて】
みな自宅へ帰り、片づけをはじめている。
村民の顔は一様に明るい。
「わたしの家よ」とカメラにむかって笑う女。
村民のなかには、地方政府の許可を得ず住みつく人もあらわれた。
村の漁師たちのために、コーヒーの店も開いた。
コーヒーを盆にのせ、笑顔で運ぶ女。

9月30日、何者かによる村民への発砲事件が起きた。停戦監視団が、その調査のためにやってきた。

事件を目撃した若者の証言。
「国軍のボートがあの島に上陸したんだ。村の男が漁に使う木をもってあそこにいた。こういうふうに(長い木の枝を肩にもって実演)。これを武器だと思った国軍が撃ってきたんだ。われわれがここに戻ると同時に、国軍はやってきた。われわれがいなければ彼らは来ない。彼らの目的はなんだ。彼らはわれわれを村から追いだしたいんだ」

村長・バスリサレさんは苦笑しながらいう。
「安全になったら人はここに戻るし、紛争があればまた逃げる。なにも起こらなければ、ここに小屋を造った者たちは、おそらくすぐ戻ってくる。難民キャンプで暮らすのは、もうたくさんだ」

  *
  
■2006年1月14日(BS1、21:40〜22:00)
地球街角「被災地は今・アチェ」

日本電波ニュース制作。
12万戸の住居が必要だが、村によって援助の格差が拡がっている。村長の存在が大きく、リコールされて新しい村長に変わった村もある。が、そこには不自然な動きがあった。
援助についてどう報道すべきか。
巨額の援助金をめぐっての新たな問題を、本番組は投げかけている。
家とは不釣り合いにしかみえない立派な家具を、手放しに喜んでいる女性をカメラは映しだしていたが、なんとも複雑な心境になった。

■2006年1月17日(NHK総合、午後7:30〜8:00)
クローズアップ現代
「津波1年 子供たちは今」
 〜大石芳野 被災地を撮る〜

 
インドネシア・アチェ州とインド東岸を訪ねて、被災地に暮らす子どもたちを撮影した写真家の大石芳野さんがスタジオで語る。

インドネシアだけで3万5000人の子どもたちが親を失ったという。
紹介される子どもたちはいずれもトラウマを抱え、小さな胸を痛めている。学校に行きたいと思いながら、働かざるをえない子どももいる。食料不足のため親戚の家を転々としている子ども。住む家さえない子どもたちもいる。
ここでも世界からの支援の配分が問題になっている。
復興を急ぐことで、子どもたちのこころのケアが忘れられているという。
「苦難を自分のものにして乗り超えてほしい」という大石さんの訴えに対し、それを子どもに求めるのは酷だと思ったのは、わたしの甘さだろうか。

子どもたちが写真を通して訴える瞳が胸に痛い。


〔参照〕
「スマトラ沖地震 被災地ルポ」(ビデオ・ジャーナリストMK)

「インドネシア民主化支援ネットワーク(ニンジャ)」














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