2006年01月23日

矢崎滋編「課外授業ようこそ先輩」

2006/1/11放映の「課外授業ようこそ先輩」(NHK総合)は、矢崎滋氏(俳優)の「自分を見つめる自己紹介」だった。これまで多くの「課外授業」を観てきたなかで最も短く感じられたのは、平坦な内容だったからである。しかも「自己紹介」が苦手なわたしには抵抗感があった。そんなわけで今回はパスするつもりでいた。ところが数日後、にごり酒のようにじんわり利いてきたものがあったので、それを記しておこう。オルタスジャパン制作なのだから。

今回の先生である矢崎氏はじつに落ちつきがなく、緊張しながら世田谷区立祖師谷小学校、6年2組29名の子どもたちが待つ教室のドアを開く。カメラはそんな矢崎氏の視線とぴったり寄りそう。
前回の奥本氏が背広にネクタイという格好のわりにはラフな感じが立ちのぼっていたのに対し、矢崎氏はジーンズの上下というラフなスタイルとは裏腹に、どこまでも硬い。
岸田今日子のナレーションが矢崎氏の内面を代弁するのだが、わたしにはこれがうるさく感じられたし、矢崎氏の風体と岸田今日子の声に最後まで違和感があった。

矢崎氏は教壇に立ち、やおら黒いスポーツバッグを開け、中身について開陳する。メインは中1のときに買ったという国語辞典である。自分は「緊張しい」だといい、両手をまえにさしだす。アップになった両手が小刻みに震えている。子どもたちは驚く。

「自分をアピールすることが自分を救った」という体験をもつ矢崎氏は、子どもたちひとりひとりに黒板のまえで自己紹介をさせる。それを聴くためにすぐさま子どもたちのいる席に矢崎氏が場所移動すると、なぜか笑いが起こる。この仕草の滑稽さが矢崎氏のもち味なのだろう。

矢崎氏は子どものまえで自己を語る。
人見知りが激しくて幼稚園を退園させられた。その一方で目立ちたがりで、高校時代に演劇部へ。臆病で人前で負けてしまう。それをひっくり返さなきゃあと思い、20歳のとき劇団四季の試験を受ける。
(ここでわたしの好きなバレーダンサーの首藤康之を連想した。彼の内向的な性格が舞台ではじけたとき、うつくしく開花するのである)

フィルムを交えた矢崎氏のプロフィールが挿入される。
1868年、東大英文科を中退して、劇団四季に入団。
43歳のときに、仕事を整理してロンドンへ旅立つ。本場の演劇を観て、1年間考えつづける。
帰国後、納得できる芝居をする。

矢崎氏は子どもたちに、自分の長所・短所を画用紙に書かせる。
「観察と表現、自己紹介は役を演じるのと同じ」と矢崎氏はいい、
「考えて書いている作業が大事であり、1行も書けなくてもよい」と。
つぎに宿題を発表。
「自分を見つめる、前向きに苦しむ」
矢崎氏はバッグに入っていた古い辞書で〔苦しむ〕を引く。ここで授業のはじめにバッグからこの辞書をとりだしたことが、伏線だったことを匂わす。同時に、辞書を読むことが日常化していることもみせつける。
「心や気持ちを使う」とあり、立ち向かうことが大事だ、と矢崎氏は諭す。

2日目の授業。
矢崎氏は別室で子どもたちの作文を読みこむ。その部屋へ小玲(さり)さんというチャーミングな女の子が相談にくる。矢崎氏は軽い口調で、「好きなことをいえば?」とアドヴァイス。ここで観る側に、小玲さんの変化に対する期待感が発生する。

再度、黒板のまえで発表。
わたしはふたりの女の子の発言が印象に残った。
直美さんと小玲さんである。じつはわたしがこの感想を書こうと思った動機は、直美さんの存在が大きい。

◆直美さん
「田舎者であるということと、ヘンに訛って話すこと」
(実際におかしな日本語でしゃべったので、矢崎氏は笑いながら拍手)

◆小玲さん
「気が強くてうるさくて、ふざけていることが多いです。みんなの前ではけっこういろいろやれるんだけど、前にでると(いまの状況を指す)、なんかしらないけど涙がでます。悲しくないんだけど、涙がでて緊張します。意地っぱりだから、悲しいときでも楽しくやったりするんだけど、ほんとうは涙もろくて弱い面もあります」
(洋服の袖口で涙をぬぐいながら語る小玲さんの姿に矢崎氏も涙ぐむ)

わたしは意外と小玲さんには感情移入できなかったし、直美さんに対しても、ただ笑っただけだった。ところが、しばらくしてカメラが直美さんの生き生きした横顔を捉えたのに驚愕したのである。彼女の内部でどのような変化があったのだろうか。おそらく九州方面から都内に転居し、東京の文化になじんでいないのだろう。自己を喪失し、教室でも居場所がないのかもしれない。みんなの前で自分をさらけだしたことより、TVカメラの視線(厳密にはカメラマンの資質も関係する)を受けたことのほうが大きな意味をもつのではないか。それが今後の彼女にどのように作用するのか、そこにわたしは興味をもったのである。

■最後に先生からひとこと。
「長所とか短所とか、言葉で説明できることじゃないんでしょうけど、それについてみんながすごい考えてくれて、すばらしかったです。最後にもうひとことつけ加えると、そうそう簡単に答えはでないと、長生きしてきて思ってるんで。自分を見つめ、前向きに苦しむことと同時に、答えは急がない。そんなことでお開きにしたいと思います。どうもありがとうございました」
矢崎氏は頭をさげる。
子どもたちがトドメの唱和。
「ありがとうございました」

このクラスの子どもたちは声が揃うのが特徴だ。矢崎氏はそれを「気持ちがいいねえ」といったが、わたしは気持ちが悪かったのである。日常的に「唱和」の訓練をしている姿を想像してしまったのだが、考えすぎだろうか。

ちなみに自己紹介の嫌いなわたしは、名前だけですますか、正直な想いを述べるかのどちらかだ。後者が意外と受けたりする。スピーチも苦手なのだが、想定外に笑いをとり、「おもしろいことをいうなあ」という顔をされたケースも幾つかある。(物議をかもす発言をしてしまうことが多いのは、少数意見だからだろう)。相手が友人なら笑いを予測できるが、不特定多数の人間がおもしろいと感じるかどうかは予測できない。それを予測できるのが喜劇役者なのだろう。
そんなことを考えさせられたのが、矢崎氏の授業を観た効用といえるのだろう。

最後に苦言を呈すると、「課外授業」が「プロジェクトX」のようにパターン化してきたと感じるのは、わたしだけだろうか。
本番組は30分枠だが、45分は必要かもしれない。

余談だが、授業巡礼をした故林竹二(哲学者)の授業では、子どもたちの表情が生き生きしてくるのが感動的だ。しかしわたしが興味をもったのは、優等生とみなされている男の子が、林竹二の問いかけによって次第に破綻し、うなだれる姿だった。自分自身を疑う地点まで追いつめるのも、教育の力だろう。










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