2006年02月07日

ハムスターの死  【エッセイ】

 娘が中学1年生のときだから、いまから11年まえに遡る。同じクラスの友だちが飼っているジャンガリアンハムスターが子を生んだので、1匹譲ってもらうといいだした。わたしの家族は息子を含めて4人なのだが、わたし以外は動物好きで、以前にイヌを飼うという話がもちあがったとき、わたしは真顔で宣言した。
「イヌを飼うのなら、わたしは家をでてゆきます!」
 自分が動物と生活を共にするということを、わたしの生理的感覚はどうしても許容できない。ちなみに花を家のなかにに置くのも好まない。花は呼吸していて刻々と変わってゆく、そういうなまなましい存在が身の周りにあるのは、どうにも息苦しいのである。もちろんそれらを客観的に眺めるぶんには問題はない。生活空間に存在されるのが困るのだ。

 ハムスターの場合はケージに入っているし、当時住んでいた家が、和室以外の部屋がすべてフローリングであったという点でわたしは妥協した。絨毯敷きの部屋で動物を飼うのは、潔癖性であるわたしの神経に障るのである。幸いにも娘の部屋はベランダに面していて陽あたりがよく、8畳近い大きさだったので、ハムスターにとっても好条件に思われた。わたしは人間のつごうで動物が不幸になるのが許せなくて、動物園で動物をみるたびに、はたして彼らは幸福なのだろうかと、子どもごころに考えたものだ。
 ひとつだけ娘に約束させたのは、自分で世話をすること。娘の性格からして、持続力に欠けることが懸念されたからである。
 
 数日後の日曜日、娘は近くの百貨店Iでハムスターを飼うのに必要な品を買いそろえ、意気揚々としていた。わたしはハムスターに腫瘍ができやすいということを知っていたので、そうならないことを願いつつ、まずは書店で『ハムスターの飼い方』という本を買い求め、最低限の知識を身につけた。
 いよいよジャンガリアンハムスターがやってきた。家族全員が興奮し、わたしもかわいいなと思った。いそいそと世話をしていた娘だったが、1年近くたつと、ケージ内の掃除を怠るようになり、ついにエサを買うのも怠るようなったので、わたしがエサを買ってきていた。が、掃除をするためにはハムスターに触れなければならないので、どうしてもできない。娘に幾度も掃除をするよう催促した。砂漠からやってきたハムスターは、トイレの砂を新しくすると、全身砂まみれになって気もちよさそうにした。
 飼っていたハムスターは本に書かれていた好物と必ずしも合致しなくて、ゆでたブロッコリーやほうれん草の茎の部分が好きだった。そのうちにわたしが娘の部屋のハムスターのまえを通ると、ケージにしがみついてなにかを訴えるポーズをするようになり、わたしにはそれがゆでたブロッコリーを求めているように映ったのである。

 ある朝、娘が起きるやいなや、ハムスターが脱走したと騒ぎだした。普段は我関せずの息子も娘と一緒に探しはじめ、息子の部屋の収納庫のなかにいるのを発見した。隙間から進入したのだろうか。小さなからだで、家のなかを縦断したかと思うとおかしかったし、やはりケージのなかで生きるのはいやなのかと思ったりした。6時半には家をでていた高校生の息子が8時に家にいたということは、試験中だったのだろうか。
 遅刻した娘は、中学校の先生に理由を問われ、「ハムスターが脱走したので探していました」というと、納得してもらえたというのを聞き、大笑いした。

 ある日、わたしはS百貨店でハムスターのエサを買ったとき、ワラ製の巣箱とグレーの陶器のエサ鉢が気に入り、思わず買い求めた。帰宅して、さっそく新しいものと交換した。するとハムスターは発狂したかのように巣箱の縁を走り回り、エサも食べない。それをみた娘もわたしも驚愕した。すぐに古いものと交換したのだが、「刷りこみ」とはこんなにも激しいものだったのか。自分の浅はかさに嘆息した。

 ハムスターが生まれてから2年になろうとしていたころ、午前1時ごろになると回し車で遊ぶ音が娘の部屋から聞こえてくるのが途絶えた。
 わたしは深夜のリビングにひとりでいて、なにもしないでぼうっとした時間を1時間ほどすごすということで、かろうじて自己を再生していた。そんな時間帯にその音を耳にしていたのである。低血圧のわたしが毎朝、5時半に起床し、雑事に襲われる日常だったから、早く就寝したほうが身のためなのだが、そうすると、わたしのなかのなにかが壊れるのである。この性癖はいまでも変わっていない。ただし、いまは5時起床を余儀なくされている。
 数日後、ハムスターは巣箱からでなくなった。エサに困窮したDNAのせいかと思えるほど、エサに対してガツガツしていたのに、なにも食べなくなった。わたしは以前に喜んで食べてくれたチーズケーキを買いにケーキ屋に走った。鼻先にチーズケーキを置いても、巣箱からでてこないのを娘と眺めながら、わたしは「ほら、大好きなチーズケーキだよ!」と幾度も叫んだ。すると大儀そうに頭だけだし、ケーキの表面をペロッと舐めただけで、奥にひっこんでしまった。
 わたしはハムスターの死が近いことを悟った。

 数日後の朝、目覚めた娘が悲鳴をあげた。
 ひっそりとハムスターは息絶えていた。
 ケージを開け、ハムスターを巣箱からだそうとした娘が、死後硬直のためそれが不可能になっていることを知り、泣きじゃくっている。わたしは、はじめてハムスターに触れ、巣箱からとりだすという役まわりになった。 枯れ枝のような無機質な感触が、ただただ哀しかった。
 娘に請われてわが家にきたハムスターだったが、娘は十分な愛情を注がなかった。幸せだったのだろうか。腫瘍もできず自然死したことに、わたしは深く安堵していた。
 整体の創始者である野口晴哉氏によると、死期が近づいた動物は、だれもいない場所に移動し、食を断っていのちの終わりを待つという。近親者に手をとられながら死んでゆくのは人間だけだと。
 たしかにハムスターは見事に小さな生を了えた。そのことにわたしは感動をおぼえていた。

 2週間ほどが経過したころ、わたしは野菜売り場に立ち、ブロッコリーをとろうとした手がはたと止まった。――もうハムスターはいないのだ。家族のためではなく、ハムスターの喜ぶ姿がみたくてブロッコリーを買おうとしている自分がいた。わたしは、にわかにそれを買う気力を失い、野菜売り場から離れた。
 いまでも時折ハムスターを懐かしく想いだす。エサをガツガツ食べている元気な姿を、そして見事な死に様を。
 わたしのこころの片隅に、いまもハムスターは棲みつづけているのかもしれない。
 
 
 

miko3355 at 21:43│TrackBack(0)小品 

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