2006年02月14日

世界 時の旅人「サガン その愛と孤独」〜瀬戸内 寂聴」―後篇

◆サガンと寂聴の対話

寂聴は1973年、51歳で出家、得度。
1978年、サガンと対話したときの映像が再び流れる。

寂聴は当時の映像を懐かしそうに観ながら、うれしそうに語る。
「このあと、もっと話しましょうというんで、場所を変えてカメラに映さずに気楽に話したとき、なぜ出家したかという話になりまして、この人にはいわなきゃあと思って、一生懸命に話したんですよね。そしたら、よくわかった、いまのあなたが羨ましいわ、っていったんです。とてもうれしかったですね」

サガンはこのころ薬物に依存するようになっていた。80年代の後半から両親や親友が相次いで亡くなり、サガンは精神的に追いつめられてゆく。
ここで1葉の写真がアップになる。
サガンは面やつれし、全身の神経が露出しているような感じで、正視できないくらいに傷ましい。わたしは眼をそむけたくなるのに抗しつつ凝視した。
なお寂聴は当時56歳ということになるが、いまのほうがいい顔をしている。

◆1988年3月18日付「ル・フィガロ」紙
【麻薬 サガンをめぐる論争】

サガン 30人もの検挙リストの中でメディアは私だけを話題にしています。

――麻薬の所有を認めるんですね。

サガン ええ。でも私の個人的な問題ですから。

◆ジュネビーヌ・モルさん(サガンの伝記を書いたジャーナリスト)

サガンが生前よく通ったカフェ、フフェ・ド・フロールで、寂聴はモルさんから話を聞く。

【モルさんの話の要約】

・若くして有名になり大金を稼いだことで、自由をはばむ障壁をすべてとりのぞいた。無制限の自由が叛乱を起こした。

・最後のインタビューで「とんでもない生活を送ってきたわね」というと、サガンは「そうよ。でも仕事もたくさんしたわ」と答えた。

・サガンは小さいときから、すでに他の子どもとはちがっていた。(伝記に掲載されている9歳のときの本を読む写真を示しながら)彼女はこの写真のなかで完全に外の世界と切り離されている。これこそフランソワーズ・サガン。彼女は自分以外であることができなかった。

・彼女はまず作家であり、その生活は小説を書くためにあった。

・彼女があなた(=寂聴)を羨ましく思っただろうということはわかる。なぜかというと、彼女はあなたのように、こころの安らぎをみつけることができなかったから。サガンは心配性で、いつも不安にかられていた。孤独や沈黙、倦怠をすごーく怖がって、ひとりではいられなかった。おそらく書くことが唯一彼女の背骨になっていたのだろう。

1994年、59歳のサガンははじめて死をモチーフにした作品『愛をさがして』を発表する。永年のアルコールや薬物依存でからだが蝕まれ、歩くこともできなくなってゆく。

◆イクグリッド・メシャラムさん(サガンの友人)

オンフルール――ノルマンディー地方の小さな港町。サガンが亡くなるまでの4ヵ月間をすごした別荘は、港からすこし離れた森のなかにあった。サガンは若いころカジノで得た1億6000万円でこの別荘を買った。この土地を気に入り、1年のうち3ヵ月は必ず訪れていた。
最後の作品を書いたのは1998年。
負債をかかえたサガンがこの別荘を差し押さえられそうになったとき、メシャラムさんが買いとり、無償で住まわせた。
(メシャラムさんは微笑をたたえた、うつくしく上品な女性である)

メシャラム 瀬戸内さんはフランソワーズにお会いになられたのですよね。

瀬戸内 1度しかお会いしなかったんですけれども、とてもいいかたで懐かしくって、大好きになりました。

メシャラム そうでしたか。何か通じ合うものがあったのでしょうね。

寂聴がメシャラムさんに案内される部屋の様子をカメラが追う。変えたのは絵画の位置くらいで、すべてが当時のままに保存されている。

狭かったので、寝室からトイレに行くときにこすった車イスの痕が壁に残っている。
サガンの寝室にかけられている絵は、お気に入りの1枚。彼女は船が大好きだった。最後の4ヵ月、サガンはこのベッドに寝たまま、新しい小説の構想を書きつけた。このときの写真がアップになる。老いたサガンだが、微笑を浮かべているのに救われる想いがする。

カバーもかけずに並べられた洋服。

陽あたりのいい居間を書斎がわりに1日の大半をすごした。お気に入りのクッションには自らが書いた小説のタイトルが刺繍されてあった。そのそばには、かつて世界中に翻訳された著書が無造作におかれていた。

サガンが仕事をしていた机。物にはあまりこだわらない人だったと、メシャラムさんはいう。
タイプを打つ力を失ったあともサガンが使っていた筆記用具。「わたしにはたくさんの主人公が待っている」とサガンはいっていた。

寂聴はサガンのタンスを撫でる。それは心身ともに病んだサガンを、いとおしむように映る。
タンスに背をくっつけるようにして、寂聴は白いハンカチで眼や鼻を押さえつつ、涙声で絞りだすように語る。

「なんか、ほんとに胸が一杯になってきた。かわいそうで。もっと書きたかったでしょうね。物は残さないでいいというふうに思ってたんですけれども、やっぱりこういうふうに残されているものをみると、本を読んで感じるものとはまたちがったものを感じますね。(略)
物に囲まれているけれども、そしてああいうやさしい友情に守られているけれども、でも、彼女はとても孤独だったと思います。物のあることが、かえって彼女の孤独を語っているような気がします。
人間て、いつ死ぬかわからないし、どういう死に方をするか、死を選ぶことはできません。もう運命で、ある日死んでいくんですけれども、その人の生き方というものは、精一杯自分に忠実に、自分のしたいことをして、矢折れ刀尽きて死んでいくときに、成功しようが成功しまいが、そういうことは問題じゃないと思います。文学を選んだ以上、その道一筋に書きつづけ、世評がどうであろうと、書きつづけて死んでいったサガンというものを、あらためてきょう、とっても強く感じました」

2004年9月24日、フランソワーズ・サガン死去。(享年69歳)


◆カジャール

サガンは両親と兄の元に眠っている。
1字の銘もない白い墓。
寂聴がまとう僧衣の黒がうつくしい。サガンと対話した当時と較べて、僧衣がからだの一部のようにぴったりしている。
墓石に右手を置き、左手に数珠をもち、頭をさげて祈る寂聴。
それにしても寂聴のさくさくした足どりは、82歳とは思えぬほど達者だ。

  *

本番組は映像でしか表現できない世界を描いている。
サガン(1935〜2004)の意外な晩年をみせつけられたことで、わたしはデュラス(1914〜1996)を想起した。
デュラスの作品をわたしはほとんど読んでいる。「愛と孤独」というサガンとの共通テーマがありながら、まったくちがう生き方をしたふたりを対比させると両者に迫れるように思う。
寂聴はデュラスについても文章を書いていたけれど、サガンに対する愛の深さを本番組で知った。

  *

【知るを楽しむ――水曜日 なんでも好奇心】(NHK教育)で、2005年12月に4回にわたって放映された「世阿弥の佐渡を歩く」も秀逸だった。これも瀬戸内寂聴が案内役で、同じくスローハンド制作である。
古海裕子のナレーションがとてもよい。

余談だが、【知るを楽しむ】はわたしの知人(NHK職員)が新番組の開発にかかわったらしい。
彼は好奇心が刺激されると、瞳がきらきらと輝く。教養の塊のような人間なので、彼の額を眺めながら「このひとの前頭前野はどうなっているのだろうか」と想像した記憶がある。
かつてディレクターだった彼は、わたしにこう語った。
「給料をもらったときに、千分の一の割合で、こんなおもしろい仕事をしていて、お金をもらってもよいのかと思う」
わたしが「どうしていまのお仕事を選ばれたのですか?」と問うと、困惑ぎみの顔つきで「なんかずるずると……」という答えが返ってきたのが、わたしは気に入ったのだった。

ところで【知るを楽しむ】は、曜日ごとにテーマが分かれていて、25分×4回という細切れなので、ちょっと疲れる。2夜連続として放映してほしい。
中村幸代のテーマ音楽が、太鼓のように好奇心を刺激するので、いつも妖しい気分になる。




miko3355 at 16:48│TrackBack(0)TV・ラジオ 

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この記事へのコメント

1. Posted by 鈴木   2006年02月14日 17:49
http://jump.sagasu.in/goto/bloog-ranking/でこのブログが取り上げられていたので、見にきました。僕もブログをはじめようかなと思っています。又見に来ますね(^^)
2. Posted by miko   2006年02月14日 19:12
鈴木さま

コメントありがとうございます。
ご指摘のサイトは存じませんでした。さきほどアクセスしてみましたが、よくわかりませんでした。
昨年8月に突如はじめたblogですが、いかがでしょうか。ご感想など聞かせていただけるとありがたく思います。
鈴木さまがblogをはじめられましたら、ぜひ教えてください。
これからもよろしくお願いいたします。