2006年05月13日

課外授業「二十歳の同窓会 原田泰治とこどもたちの約束」

2006/5/6、NHK放映の「課外授業ようこそ先輩」は原田泰治(画家)の登場。オルタスジャパン制作。
毎回、番組を観ていて思うのは、番組内で子どもたちの変化をあらわすのには無理があるのではないか、ということ。というのも、子どもたちの変化や、いかに自信がついたか、ということに力点をおいているようにみえるからである。
本番組はその意味で、番組の放映から8年後に開かれた同窓会を映すことで、かつての授業を吟味する内容になっている。

わたしの個人的イメージとしては、原田泰治の超マザコンぶりに閉口していた。本番組を観て、メルヘンタッチの画風・画材は、故郷・伊賀良という母胎から生まれたのだということがわかった。
8年まえの授業をわたしは観ていない。本番組を観る限り、最も授業からインパクトを受け、自らが変容し、二十歳の眼で原田さんと対峙しているのは美由紀さんだと思う。

益岡徹のナレーションのすばらしさに驚愕。俳優としてセリフをいう益岡徹の声質とはちがうので、別人に聴こえる。俳優の益岡にあまり好感をもっていなかったわたしは、見直したのだった。
抑制のきいた凛然とした声には、人生のきびしさがにじみでていて好もしい。社会派ドキュメンタリーのナレーションにぴったりだと、つい余計なことを考えてしまった。
念のため検索してみたら、『そこに楽園は無かった〜ドミニカ移民 苦闘の半世紀〜』(鹿児島テレビ放送)というドキュメンタリーのナレーターをしている。逸材なので、もっと活躍してほしい。

以下、順に追っていこう。

同窓会への招待状

昭和28年に卒業した原田さんは、45年後の平成10年4月に課外授業を担当。出演後、まもなく招待状を贈られた。「二十歳になった2006年1月3日に同窓会をしよう」という子どもたちの熱い想い。
大きな画用紙に「原田のおじさんへ」と冠し、原田泰治の肖像画が描かれている。裏面には、子どもたちからのメッセージ。

原田 「逢いたくなるもん、ねえ。宝ですよ」

雪の舞う飯田市立伊賀良(いがら)小学校へ

平成18年1月3日。
足が不自由な原田さんは、雪道を右手で杖をつきながら歩く。

原田 「いいかな、雪とおんなじで、まっ白い気もちで子どもたちに逢えるというのは。愉しみだし」

ナレーション 「長野県の南、かつて伊賀良村と呼ばれていた一帯です。いまは合併により、飯田市となっています」

教室のドアごしに子どもたちの声を耳にして、「おとなの声だなあ」とつぶやきながらドアを開く原田さんを、子どもたちは拍手で迎える。
互いに新年の挨拶を交わす。
原田さんが、ポツンと立っている幼児(男)にむかって「おめでとうございます」というと、笑いが起こる。

原田(66歳) 「みんな大きくなったねえ。びっくりしちゃった。おじさんは、もうジジイになったからね(笑)。ほんと、うれしいなあ。みなさん、ありがとね。あ、こうやってみていると、想いだすなあ、顔だいたい。うーん、ほんとだ(笑)。あ、赤ちゃんがいるね。びっくりしちゃった。ふつうオレの顔みると泣くんだよね。だけどこの子は大物(笑)。なにくん?」

幼児の母親 「タケルです」

原田さんは、「みんな憶えてる?」といいながら、画用紙の招待状をみせる。子どもたちから驚きの声があがる。

原田 「想い出としてね、みんなの絵がす〜ごくじょうずだと思った。クラスがまとまってたし、みんなの眼がきらきら輝いてて、ほんとによかった」

原田さんは、個別に子どもたちを撮った8年まえの写真を、ひとりずつ手渡す。この日、39人のうち31人が集まった。

ナレーション 「原田さんは、1歳のとき小児麻痺にかかり、両足が不自由になりました。思うように走り回ることができない。でも、故郷の風景をじっくりみつめることができました。画家・原田泰治の原点です。以来、自分を育ててくれた伊賀良をはじめ全国各地の故郷の風景を描きつづけています」

平成10年4月の授業映像が流れる。
原田泰治の作品をクローズアップ。
「ただいま」 「モモの花」

美由紀さんの変容

奥に座っている子どもたちを自分のほうに引き寄せて、原田さんはいう。
「どんな8年間をすごしてきたか、おじさん聞きたいんだ、とても。みんなの話聞くよ、オレ、きょうは。それ愉しみにきたんだから」

A女 「いま、地元の女子短大に行ってるんですけど。高2のときに看護師になろうと思って、いまがある……みたいな感じです」

原田 「自宅から通ってるの?」

A女 「自宅です」

原田 「いいねえ。幸せだね。それで、いいひとは? 正直にいってくださいね、おじさんに(笑)」

(横に座っている女の子と顔を見合わせながら、困惑ぎみに応える)
A女 「ええ、まあ……います。いません(笑)」

A男 「大阪のほうで、救急隊員になるための勉強をしているんですけれども、この飯田市に帰ってきて、飯田市民だけは絶対に助けたいと思って、がんばろうと思っています」

原田 「すごいねえ!」

B男 「高校出てから美容師になろうと思って、いま名古屋にいるんですけど、シャンプーでメチャメチャ手が荒れるんですよ。肌がメチャ弱いんで。夜、毎日泣いていました」

原田 「そんなに手が荒れるんだな」

美由紀 「いまは家を出て、千葉県の大学で日本文化を勉強しています」

(8年まえ、課外授業を受けた美由紀さんの顔をクローズアップ)

ナレーション 「美由紀さんは小学生のころ、友だちづきあいが苦手でした。そのため不登校を繰りかえしていましたが、原田さんの授業には思い切って出席。忘れられない想い出となっています」

(そのときの授業で原田さんが、足のギブスをはずしてみんなにみせた姿をみて、泣きだした美由紀さんの映像が挿入される)

涙の理由を語る美由紀さん。
「怖かったし、申し訳なかったし……。原田さんもコンプレックスをもっていた時代って、たぶんあると思うんですよ。そういう自分のよくないところを、ああやって出せるっていうことに、たぶんびっくりしたんだろうなあ、うん」

ナレーション 「中学生でも不登校ぎみだった美由紀さんはイジメにあい、いっそう他人への恐怖心を強めてしまいます。(中学の制服姿の、硬い表情の美由紀さんの写真が挿入される)。高校では、こころを開いて話せる友人と出逢い、少しずつですが、ひとと向きあえるようになりました。(浴衣を着た笑顔の写真が挿入される)」

(美由紀さんが、友人と雰囲気のよい喫茶店で話す映像を流しながら)

ナレーション 「そして卒業後は、自立心を養いたいと飯田を離れ、千葉の大学に進みました。見知らぬ土地で新しい友人もできています」

ひととちゃんと話せるようになった美由紀さんは、苦労していない人間はひとりもいないと思うようになり、ひとを癒せる、安らいでもらえるような仕事に就きたいと漠然と思っているという。
20歳になった美由紀さんの言葉を選びながらの発言を聞いていると、感じやすく、純粋な人間の生きがたさが胸に迫る。

シングルマザー・久美子さんの苦悩

原田 「なんだと思う? みんなの描いた絵(笑)。ずいぶんあるよ。返しますね。記念にとっておかなければ。もう2度と描けないよ。もう戻れないんだもん」

8年まえ、原田さんは子どもたちに家族の絵を描いてもらった。返された絵をカメラのまえでみせながら、笑いあう子どもたち。

(久美子さんの絵がクローズアップ)

ナレーション 「仲のよい家族の絵を描いた久美子さんです。いつも明るい父と母。ひょうきんな姉とやんちゃな弟。久美子さんはいつか自分も、こんな笑い声の絶えない家庭をつくろうと思っていました。(車で保育所に息子を迎えにゆく映像が流れる)。そんな久美子さんは19歳で結婚し、息子を出産。しかし憧れていた結婚生活は、離婚によって終止符が打たれました」

久美子 「なるようになったみたい。なにも考えずにすごしたんで、こんなんでいいのかなと思うんですけど、たまに」

ナレーション 「いまは保険の外交員として働き、親子ふたりの生活をまかなっています」

自宅で息子の世話をしながら語る久美子さん。
「自分が悲しいことがあったときに泣いてたりすると、子どもが泣いちゃうじゃない。じゃあ、わたしも泣かないようにがんばろう、とか。一緒に泣いてたらダメだなあと思って。まえより強くなったかなと思いますね、自分が」

(場面が教室に戻る)

原田さんは眠ってしまった久美子さんの息子・タケちゃんを抱っこし、久美子さんに話すように促す。
足の悪い原田さんは、ずっとイスに座っていて、自分から動こうとはしない。

原田 「オレの孫(笑)。かわいいねえ」

久美子 「いまは子育てと仕事をとりあえずしてるんですけど、ウチのなかでいろいろあって、イザコザみたいな感じで。ウチ、いま微妙なんですけど、とりあえずいま、ひとりで仕事をしてて……、あ、ちょっとダメだ。やばいかも。あ、ちょっといいです(失笑)。なんかまずいわ。すいません、やばいっす……」

そういいながら、うつむいて泣きだしてしまった久美子さん。

原田 「切なくなっちゃう? うん、わかった。やめよう。ごめんね」

久美子さんは教室の隅に移動し、みんなに背を向けてしゃがみこむ。久美子さんの背をカメラが凝視。
同窓生たちは、それぞれ複雑な表情になる。

原田 「おじさん、ちょっと考えたんだけど、自分が二十歳のときにどうだったかと思ったときにね、一番悩んだときよね。人生の灰色のときなのかなあ。オレ、いま振りかえってみると、人間はみな二十歳のなかでとても悩んでる。でもね、そういう苦しいなかで自分が闘ってきたということが、とっても原田泰治をつくっていると思うの。苦しみを与えてくれるということに感謝して乗り超えていく、そういうパワーをもてるのが二十歳だと思う」

(平成10年の授業風景の映像が流れる)

ナレーション 「かつて行なった課外授業の最後に、子どもたちはそれぞれがもつ故郷・飯田のイメージを描きました。絵が完成したとき、原田さんはこんなメッセージを贈りました」

8年まえの原田 「どんなに自分たちが大きくなって故郷を離れても、きょうの出逢いもそうだけれども、"伊賀良で育ったこころ"を大事にしてもらいたい。鮭の稚魚が川を下って、大きくなったら、傷つきながらも自分の故郷の川へ上ってくるじゃない。それとおんなじように、自分たちが苦しくなったとき、悲しくなったとき、そういうときに必ず故郷を想いだして、がんばってやってゆく。ほんとにありがとう。ご苦労さんでした」

ナレーション 「あれから8年。同窓会に集まった31人のうち23人が、いまは伊賀良を離れています」

バスケットを断念したダイスケさん

B女 「いまは京都にいるんで、親も京都で就職していいよっていってるんで。まだ下に弟と妹がいるんで、自由に京都で就職したいなあと思います」

C女 「わたしはあまり帰ってくる気はないんです。親は大事だと思うんですけど、自分がやりたい仕事を考えると、東京とかの都会にいたほうがいろんな体験ができるから」

C男 「アパレル系なんで東京とか都会のほうがやっぱりいいんですけど、自分は独りっ子で長男なんで、どっちみち親のめんどうをみなきゃいけないかなあと思って。帰ってくるかどうかは、むずかしいところなんですけど、そういった点で悩んでます」

ダイスケ 「高校を卒業したあとに、やりたいことっていうのは、正直なかったんですよ。なので地元で就職したというのもあるんですけど、そういう自分らからしたら、やりたいことがあるひとは、すごい羨ましいというか、そういうことは大事にしてほしいなあと思うんで、ぜひやりたいことをがんばってもらいたい、って思ってます」

(高校でバスケットの試合に出たときの集合写真と、地元の工場で技術を磨くダイスケさんの映像が流れる)

ナレーション 「ダイスケさんは中学・高校と熱中してきたバスケットボールを、できれば大学でもつづけたいと考えていました。しかしバスケットでは食べていけない。そう考えて、熱い想いを封印しました。そしてまずは地元に根を張ろうと、地元の金属加工工場に就職。新たな生きがいを、じっくりとみつけていくつもりです」

ダイスケ 「いま親と一緒にいるんですけど、お金の面では自分でなんとかしていこうかな、と思ったんで。もう二十歳にもなりました」

制作スタッフらしき女性の問いかけ。
「(8年まえに)原田さんのいった言葉を、いまのミヤシタくんはどういうふうに受けとめていますか?」

ダイスケ 「いまなら、いってたことがわかるとまではいかないと思うんですけど、わかってきたんじゃないかなあ、とは思います」

原田さんが贈った作品

原田 「あのね、用意してきたのね。めったにこういう絵、描かないんだけど、女のひとが男のひとに抱きついているという感じね。あんまりいやらしく思わないでね。これは青春の一コマを表現して描いてあります」

原田さんは、みんなのまえで筆をもち、絵の右側に言葉を書きこむ。「どんなに苦しくても支えあって生きてほしい」という願いがこめられているという。

   努力の種まかねば
   夢の花は咲かない。

みんなは黒のマジックをもち、原田さんから贈られた絵の周りに、将来への願いを書きそえる。

   おばあちゃんになっても、仲よく
   手をつなげるような夫婦が理想
                   久美子

最後に、女の子が赤のマジックで書きこむ。

   2016年
   みんなで
   また集まろう

拍手が起こり、「そのときはまた、原田さんもぜひ」と、女の子が原田さんに招待状を手渡す。

「いいんですか。また招待状いただいちゃった」といいながら、原田さんはカメラに招待状をみせる。
日付は「2016年1月3日」となっている。

裏門らしき場所で、原田さんは見送る。
ひとりひとりの子どもたちと握手しながら声をかける。久美子さんには励ましの言葉を。
いつもは子どもたちが先輩を見送るので、逆である。

母校を去ってゆく子どもたちの背中をカメラは追う。
最後尾にいるのは久美子さん。子どもを抱いていないらしく、身軽にみえる。本来は明るい性格であろう久美子さんの背に、さきほど泣きだした背がかぶさる。その前途多難な路を、だれかが見守っているようなカメラ目線を感じる。

原田 「いい子どもたちに逢えたということ、8年まえにね。それはあんまり変わってないし。はじめはびっくりするじゃない、大きくなっちゃってね。でもやっぱりどこかよきあのころの小学6年生のときの姿とかわかるし。それからあれだけこころを開いて、いろいろの悩みを話してくれるあの子どもたちのこころはほんとにきれいで、いい子どもたちですよ、ほんとに」

エンディングシーン

しゃれたシーンである。カメラワークがいい。
無人の教室の黒板に、原田さんから二十歳の子どもたちに贈った作品が置かれている。殺風景な教室に、夢の花が咲いたように映える。絵を子どもたちの夢がとり囲んでいる。
このシーンは余韻を感じさせるとともに、ひとりひとりの子どもたちの成長の重みのようなものが伝わってくる。
この教室で、いま、日常的にどんな授業が展開されているのか。
無人の教室はとり戻せない時間を想起させ、センチメンタルな気分を呼びさます。が、原田泰治の暖色系のメルヘンタッチの絵と造形美のある文字には、それらを払拭するやさしさと力強さがある。

趣向はちがうが、時を隔ててひとと逢う世界をシビアに描いた映画「舞踏会の手帖」(1937年・仏)の、モノクロのうつくしい映像が浮かんできた。








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