2006年07月03日

中原フク述・村上護編『私の上に降る雪は――わが子 中原中也を語る』

『私の上に降る雪は――わが子 中原中也を語る』(講談社・1973/10/12)を読む。
本書は村上護が、中原中也の母・フク(94歳)から聞いた話(昭和48年1月末から約1ヵ月あまり、2時間×6回)を文章にまとめたものである。巻末に記された村上の解説の日付が昭和48年10月1日となっている。一連の動きが、昭和48年(1973)年という1年間のうちに行われたということになる。
サブタイトル「わが子 中原中也を語る」は、大岡昇平がつけたという。

中原家の長男として両親から期待された中也は、一度も働いたことのない肝(きも)やき息子だった。
中也は父・謙助の葬式に帰っていない。「長い髪をして葬式にでるのはみっともない」と、フクが帰らせなかった。そしてそのことを、あとで後悔したという。
生前の中也は、湯田のあたりで「あれは肝やき息子だ」という評判だったが、のちに「死んで孝行なさいましたな」といわれるという。「湯田に住む者もほんとうに名誉に思っております」と。

大岡昇平が中也と喧嘩したときのことを『中原中也』に記していたが、フクが中也の妻・孝子から聞いた話ではこういう描写になる。

(p.200より引用)
《孝ちゃんはどうすることもできずにみておったといいますが、こまかい男がかかっていくのが、「おかしゅうて、おかしゅうて」と、話してくれたことがありました。中也は誰にでも、けんかを売ったものとみえます。
 孝ちゃんにもガミガミやかましゅういうておりました。それで、私は中也に、「孝ちゃんに、あんなにいうもんじゃあないよ。あんたのお嫁さんとしては、よすぎるようなお嫁さんじゃから、かわいがってあげなさいよ」と、いっておりました。りこうな女でしたから、孝ちゃんは中也が怒ると、ケタケタ笑っておりました》

「中也の詩なんか読んでも、しようがない」といっていた医者の父・謙助は、死の床で中也が送った「詩を印刷したうすいもの」を読み、涙をボロボロだしていたという。
一方、フクのほうは、「やれやれ、こんなことを相変わらずつづけておるのかな、とがっかりした気持で読んでおりました」。
謙助は、昭和3年(1928)5月13日に亡くなる。

中也・26歳、孝子・20歳の昭和8年(1933)、結婚。孝子の生まれた上野家と中原家は遠い親類にあたり、孝子には両親がいなかった。
中也が死んで16年ぶりぐらいに、フクは自分の娘としてよそへお嫁にやった。孝子はフクをほんとうの親のように思って、いたわってくれるという。

昭和24年(1949)・文化の日、小林秀雄は山口県から招かれて、「宮本武蔵」という講演をする。
「ぼくが講演に行っても話すことはないけど、中也さんのお母さんの顔でも見に行くつもりで、山口まで行きましょう」といったという。
講演後、松田旅館で宴会が催されたのに、小林秀雄はひとりでフクの家を訪れた。

(p.250より引用)
《「いま歓迎会をするからというて、知事やら何やら、いっぱい人が来ておった。けど、あんななかで飲んでもおもしろくないから、ここへ来ました」
 その夜は私の家に泊られて、小林さんは自分のお母さんの話などなさいました。「知らん間に、おっかあが死んだ、おっかあが死んだ。それを知らなくて、ほんとにすまなかった」と、涙を流してくりかえし話されました》

わたしは小林秀雄について詳しくないのだが、本書で唯一仰天したのは、「おっかあ」と母親を呼び、涙を流して詫びる小林秀雄だ。わたしがイメージしていた小林秀雄像に合致しないにすぎない、とはいえ。

さて、中原中也に心酔し、中也と富永太郎が共存するという知人がいる。わたしにはこの異質な詩人が共存することが不可思議なので、理由を訊いた。
「中也の詩には泣ける」と。そして彼女は、「富永太郎あってこその中也であり、小林秀雄だ」と言明していた。
わたしは実際に太郎の詩に泣いたことはないが、中也の詩には泣けないなあ。





miko3355 at 15:32│TrackBack(0)富永太郎 

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この記事へのコメント

1. Posted by シャンティcoco   2006年07月03日 18:44
懐かしい書名につられ一気に読んでしまいましたが、内容をほとんど覚えていませんでした(苦笑)。で、また悲しくなってきてしまいました。(苦笑)…何言ってるんでしょうね。失礼しました。
2. Posted by miko   2006年07月04日 08:45
シャンティcocoさま

ごめんなさい。エントリー末尾の「知人」とは、あなたのことです。そのときの会話を憶えておられますか?

本書はわりと最近、入手したまま放置していたのを一気に読了。
母・フクさんの証言によると、中也はひとの悪口をいうのが常だったらしく、病床の太郎のもとにやってきて嫌われたのも、そのひとつですね。
息子の中也に対してもそうですが、フクさんの人間をみる眼に虚飾がないのを、好もしく思いました。
3. Posted by シャンティcoco   2006年07月04日 19:09
やっぱり。私のことだと思った(笑)覚えてますよ。調度最近、また中也を読んでました。やっぱりたまりません。私は一生こんなじめじめした男から切れずに生きていくのだ。どうせなら富永太郎に惚れたかった。(苦笑)
4. Posted by miko   2006年07月05日 07:56
シャンティcoco さま

中也と太郎が共存している最たるひとは大岡昇平です。しかしその内実には質的差異があると、わたしは感じています。

中也の棺のまえで泣いた大岡昇平をみて、酒に酔った仲間がハアハアハアと笑って、あまり湿っぽさのない通夜だったと、フクさんが証言していますね。

詩篇「骨」は好きです。
5. Posted by 小向   2006年07月06日 11:06
mikoさん、こんにちは。シャンティcocoさん、はじめまして。中也、太郎、秀雄に関心をお持ちでうれしいです。三人に共通するのは批評精神ではないかと僕は思っています。批評精神というと難しいようですが、簡単に言えば、自己を見つめるもう一人の自分を自己の内部に持っているかどうかのことだと思います。それが徹底しているのが小林秀雄で、僕が感じる限り非常に醒めた目で何もかもを見ることができた人で、批評家になったのも自然だったかなと思います。醒めているといっても冷たいということではなく人間感情はとても豊かな人だったみたいです。中也も批評家的な面がかなりあって、けっしてじめじめした性格ではなかったと思っています。ある座談会で「人間というのは気がついたらいたんですからね」と言ったのを読んで、はっとしました。人間の存在というものの根源的な不思議についてこれほど端的にわかりやすく表現した言葉を僕はほかに知りません。
6. Posted by miko   2006年07月06日 15:13
小向さま

じつはシャンティcocoさんには、杉本さんの「小林秀雄實記」を紹介しました。ですからネット上の小向さんをご存じです。

フクさんの語りを読み、当事者の証言の重みを感じました。
中也がいかに長男として両親に期待され、大切にされていたか。その点は太郎についても同じですが。
親というのは第一子に期待するのが常だという説があります。子どもが男であれ女であれ。
以前に大江健三郎の講演で、光さんに自分が断念した学者の夢を託していたと聴き、そんなものかなあと思いました。
7. Posted by シャンティcoco   2006年07月11日 21:04
こんばんは。mikoさん、小向さん。詩人とは批評精神なくして存在しないと思う私でごんす。で、秀雄は「意識」を、太郎は「感覚(感性?)」を、中也は「感情」を突き詰めていったという気がしちゃってます。今更・・・なこと言ってますね。失礼しました。^^
8. Posted by 小向   2006年07月13日 13:22
ボードレールの「批評家が詩人になるのは驚異的かもしれないが、批評家を蔵さない詩人は不可能である」という言葉に小林秀雄はよほど感心したのかいろいろな文で何度も取り上げています。僕なりに言い換えてみますと「批評家がすぐれた芸術作品を作れることはめったにないが、一流の芸術作品はよくよく考えて分析されて作り上げられたものばかりで、自然発露的に出来上がるものではない。一流の芸術家は皆すぐれた批評家なのだ」。
なかなか理屈っぽいですが、納得できますね。秀雄、中也、太郎は当時ボードレールにかなり影響を受けたみたいです。
ボードレールの上の言葉は「リヒャルト・ワーグナーとタンホイザーパリ公演」という評論にあります。とても読みにくい文章の評論です。