2006年07月24日

上野晴子著『キジバトの記』

朝日新聞・朝刊の別刷りbe(土曜日)の【愛の旅人】を愉しみにしている。書き手が同じひとではないのだが、毎回、文章がとてもいい。
6月10日は、「妖婦か殉愛のヒロインか」と題して、阿部定事件をとりあげていた。
(文・保科龍朗 / 写真・内藤久雄)

阿部定事件については興味がなかったのだが、保科龍朗氏の筆力には脱帽した。
つぎの視点が、わたしの定に対する認識を変えた。

《定はその運命を潔く引き受けたかにみえた。だが、手記に透かし見える虚実あいまいな内面の真実は、死にきれなかった「殉愛」の聖なるヒロインに人知れずなりきることだったようだ》

さて、7月8日は「割烹着に隠された闇」 上野英信と晴子――「キジバトの記」だった。
(文・今田幸伸 / 写真・内藤久雄)

食道ガンが脳に転移した上野英信が逝ったのは、1987年11月21日。享年64歳。
英信の死後、ひとり息子・朱(あかし)さんの家族と同居していた晴子は、原発性腹膜ガンでホスピスにて死去。1997年8月、享年70歳。

『こみち通信 15』――追悼・上野英信(径書房・1988/4/20)に掲載された上野朱さんの一文は、その筆力とともにわたしを圧倒した。

《私も同じ屋根の下に暮らし、民衆の悲しみに寄り添う上野英信と、妻に対して絶対服従を求める上野鋭之進との矛盾を見てきた。そしてその仕事はともかくとして、一家庭人としての父には疑問を抱き続け、父の奥深くに潜む天皇制家父長主義を憎んでいた》

そんな朱さんの憎しみは、死の1ヵ月余りまえ、もつれる舌で「お父さんの右手はどこにあるのか」という父のひとことで崩れさる。
そして「もう一度あの人の子供に生まれてみたい」と記す。

上野晴子著『キジバトの記』(発行=裏山書房・発売=海鳥社・1998/1/15)を発刊当時に読んだとき、わたしは失望した。
今回、再読したが、同じ感想である。

性別に関係なく他人の作品のためには惜しみなく協力した英信は、妻の晴子だけには文学(短歌)を禁じた。
「文学の毒が君の総身に回っている」という英信の言に、わたしは笑うしかない。しかしその理由について、「文学の不幸を知り尽くした人の、妻に対する最後の愛情だったかとも思われる」と記す晴子の見解には失望するのみ。

英信は京都大学時代に才色兼備の女子学生と魅かれあった。が、彼女は「英信が周囲の期待に応えて学問をつづけるならばどこまでも一緒に歩む。けれども、一切をなげうって炭坑へまでついてゆく勇気はない、と正直に告げて去っていった」。
晴子は、そののち立派な学者になったという名も知らぬその彼女を、「曼殊院の君」と呼んでいる。
英信は「曼殊院の君」に裏切られたと思っていたらしいけれど、それは勝手な思惑だ。しかしそれより、晴子も単なるエゴイストの英信に同調している節があるのが、わたしには解せない。

晴子は、結局は英信を尊敬し、自分を筑豊に連れてきてくれたことに感謝していた。
亡くなる直前、晴子は朱さんに「もう一度、お父さんと一緒になりたい」と語ったという。そんな晴子に、わたしはがっかりしてしまうのである。
晴子は結婚に破れ、英信とは再婚である。初婚の男性との関係について晴子は記していない。それが明らかにされると、英信への尊敬の念が理解できるのかもしれない。

家庭で「武装した天皇」であった上野英信の思想性と、なした仕事との矛盾点を、しっかりみつめることのほうが大切だと、わたしは思うのである。
英信はできあがった原稿を最初に妻の晴子にみせたらしいから、夫婦の型としては、木村栄文夫妻と同列なのだろう。

そういえばわたしの友人が、懇意にしている作家とともに、英信と晴子が開いた「筑豊文庫」を訪ねたときの話を聞いたことがある。
英信に師事していたある作家について、「もうダメになった」と評したという。英信は、よほど彼女たちにこころを許していたのだろう。
晴子が来客の接待に追われ、水仕事のしすぎで手が傷だらけになっていた様子が、『キジバトの記』に記されている。
英信を慕う不躾な女性たちを含め、来客たちは、立ち働く晴子の姿をどのように受けとめていたのだろうか。


miko3355 at 00:10│TrackBack(0) 

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この記事へのコメント

1. Posted by シャンティcoco   2006年07月27日 22:29
面白うございました。^^色々と考えさせられます。
2. Posted by miko   2006年07月28日 07:39
シャンティcocoさま

あなたが『キジバトの記』についてどのような感想をもたれるのか、興味があります。

岡本敏子は、太郎の妻ではなく養女になるという選択をし、世間から忘れられていた岡本太郎を押しだすプロデューサーとしての才能を発揮しました。

わたしは岡本敏子を視野に入れながら、上野晴子について考えました。本エントリーでは触れませんでしたけれど。
もちろん単純に比較しているわけではありません。
3. Posted by シャンティcoco   2006年07月28日 21:29
そうおっしゃっられちゃ、『キジバトの記』、ちゃんと読まなくちゃ。でも「武装した天皇」な夫なんて最低!・・・と思っているので、どんな感想になるのやら、です。
4. Posted by miko   2006年07月29日 09:59
シャンティcocoさま

わたしは一応『上野英信集』を読んでいますし、手許にあります。
『キジバトの記』はそれほど感心しませんでした。
死によって相殺される――その程度のものだったのか、「割烹着に隠された闇」は、と思いました。

朱さんの「武装した天皇」という表現は意味深長です。
朱さんの筆力はプロとして通用すると思います。

今田幸伸氏は、《それにしてもなぜ英信は妻の文学を禁じ、晴子はそれを受け入れたのか》と記しています。
英信は自分の仕事を遂行するために、晴子のシャドウ・ワークが不可欠であり、晴子は英信の仕事をなによりも尊敬していたからでしょうね。
もしかしたら、その仕事を支えているという自負があったのかもしれない。英信の言を受け入れる以外に晴子の選択できる道がなかった、ともいえます。
もちろん私見にすぎませんが。