2006年09月21日

新日曜美術館「悲しみのキャンバス 石田徹也の世界」

束芋についてはこちらにアップしたが、NHK教育の番組「新日曜美術館」ではとりあげられていないようだ。しかし8/20放映の本番組〈アートシーン〉で、束芋の個展「ヨロヨロン」がとりあげられ、ガラスごしの原美術館の庭をバックにして、束芋が立ったまま短くコメントする姿が紹介された。

新日曜美術館「悲しみのキャンバス 石田徹也の世界」(2006/9/17)を観て、衝撃を受けた。
較べるのもおかしいが、石田徹也は束芋を軽く超えている。

…………………………………………………………………………………………………………………………

〔NHKのホームページより〕

2005年に31歳で亡くなった無名の画家、石田徹也。今、遺作集と有志による展覧会によって、その作品が注目を集めている。石田の作品には、必ず石田自身の自画像と思われる人物が登場する。しかしその人物が学校の校舎に閉じこめられる男に変身したり、葬式の場面ではプラモデルのように回収されるなど、現代社会が生みだす抑圧感や日常の中に潜む怖さ、危うさなどの負のイメージを鏡のように鮮やかに浮き上がらせる。

…………………………………………………………………………………………………………………………

石田徹也の作品に必ず登場する自身の分身とおぼしき人物は、いずれもうつろな視線をなげかけている。にもかかわらず、みるものにストレートに訴えかけてくる。
シュールだけれど、リアルなのだ。
本番組では、石田が克明に記した「創作ノート」と「夢日記」、友人たちの証言から、創作の鍵を掘り起こしている。
「夢日記」がそのまま作品のモチーフになった画が紹介され、なるほどと思った。

石田はひとと話さなくてもいいアルバイトをしていた。それらは個性を必要としない、過酷な肉体労働である。アルバイト先に提出した履歴書に記された職歴は、それを物語っている。
おかしかったのは、履歴書に貼付された石田の写真が、画に登場する分身とそっくりだったこと。
肉眼でみた石田はどんな顔だったのだろう。知りたかったという想いにかられる。当然ながら、石田は自分の肉眼で自分の顔をみることはできない。鏡でみた自画像が、作品に投影されている。

経済的援助をしようかと申しでた母親に、「そうすると自分がダメになるから」と断ったという。

石田の友人(男)が、石田はカップラーメンやパスタばかり食し、すべて絵の具に回していた、と証言。娯楽に時間を費やさず、画を描きつづけたという。
別の友人(女)は、2003年に重い肝臓病になった石田の不安について語っていた。

本番組では、街で数人に『石田徹也遺作集』をみせ、感想を求めている。
石田徹也の素性を知らない彼らが、画から強烈なメッセージを受けている。
画をみるまえは弛緩した表情の青年が、感想を述べたときには、真摯な顔に変貌していた。
かんじんなことを意識から除外することで生活するのに便利な道を選択している自己に、「それでいいのか」と突きつけられたのではないか。
母親と一緒の小学生の女の子は、母親よりも的確な感想を述べていた。

番組で紹介される石田の画をみて、わたしは世界に通用すると思った。
石田の画には、それだけの哲学がある。
現実世界に対する鋭敏な観察と批判精神。
地べたを這う視線。
たとえば売春でエイズを発症したタイの少女は、石田の画をみてどのような感想をもつだろう。貧困のため学校に行けずに労働している子どもたちは、どうだろう。

石田は国際的舞台を夢み、語学を勉強するスケジュールを記していた。

2005年5月23日、踏切事故で逝去。享年31歳。
不謹慎だが、その事故現場が描かれた石田の最期の画が、わたしの脳裡に浮かぶ。死に際しても、あのうつろな眼をしていたのではないだろうか。
そんな夢をみた石田が現実世界で実行した、という解釈も成立するのではないか。
生死を分けた踏切だが、石田の内面世界において、生と死に境界線はなかったように思う。

石田徹也によって、芸術の凄みをあらためて感じることができた。


〔参照〕

石田徹也追悼展 「漂う人」




miko3355 at 22:50│TrackBack(0)TV・ラジオ | 美術

トラックバックURL