2006年10月03日

『森羅映像』 吉田直哉 著/矢萩喜従郎 写真

吉田直哉の『森羅映像 〈映像の時代〉を読み解くためのヒント』(文藝春秋/1994年)を最近入手し、おもしろく読んでいるところだ。

P.186〜P.193の【「やらせ」の反対語は?】という項から抜粋。

日本ではじめてのテレビドキュメンタリー・シリーズは1957年にはじまったNHKの番組「日本の素顔」で、はじめは「フィルム構成」と名乗っていた。その番組の担当者であり命名者である吉田直哉は、録音構成をモデルに、記録映画とは距離をおこうとした。

結局フィルム構成という名は定着せず、テレビドキュメンタリーと呼ばれるようになった形式でつくってきて、いちばん多い質問の基本パターンは、「ドキュメンタリーには、どのくらいやらせがあるのですか?」。
きまって「ぜんぶです」と吉田が答えると、相手は絶句する。
〈やらせ〉の反対語は〈盗み撮り〉であり、盗みはあきらかに犯罪だから、撮影の許可を願い出る。

戦争の写真や記事に限らず、ありのままを伝えることなど幻想であり、ほんとうは「ありのまま」というものがあるのかどうかさえ、確かでない。まして、何かを「ありのままに伝える」ことは不可能。
何を見せ、何を見せなかったか、何について書き、何について書かなかったか。それが「表現」で、人間は表現でしかものを伝えられない。

ドキュメンタリーには、受け手の想像力をそそることが限りなく要求される。
ドキュメンタリーで問われるべきものは、「正誤」よりも「巧拙」なのだ。

銀行やコンビニの防犯カメラと、ドキュメンタリーのカメラの働き方はちがう。しかし今日、ドキュメンタリーのあるべき姿に防犯看視カメラを夢想している人は、実に多い。
いまからでも「映像構成」と改めるほうがいいのではないか。

  *

吉田はこのなかで、「表現というものについて実に多くを教えられる」といい、大岡昇平の短篇『問わずがたり』とエッセイ「『問わずがたり』考――事実とフィクションの間に――」を紹介している。
共に『文学における虚と実』(講談社)に収められているというので、早速わたしは入手したのである。
というのは、エッセイのほうは筑摩書房版「大岡昇平全集 17」で既読だったが、短篇のほうは気になりながら未読だったからである。
なおエッセイについては、杉本圭司さんが運営されている「小林秀雄實記」の掲示板(註・ただいま改訂中につき閲覧できない)で、小向さん相手に詳細に書きこんだという過去があり懐かしい。

富永太郎に関する部分を引用する。
(P.190〜P.191)

《歴史小説でも伝記でもありませんが、大岡昇平に『問わずがたり』という、ふしぎな短篇があります。大正の天才的な夭折画家の恋愛事件について、遺作集を編集している出版社の社員が地方都市に赴いて、老いた関係者を歴訪するという内容で、小説に地の文はなく、いずれも七、八十歳になっている三人の女性との対話だけから成り立っているのです。
 この作品には、その成立過程を書いた「『問わずがたり』考――事実とフィクションの間に――」という関連したエッセイがあって、共に、『文学における虚と実』(講談社刊)に収められているのですが、あわせて読むと、表現というものについて実に多くを教えられます。
 大岡昇平は、詩人富永太郎の伝記を書くために関係者を歴訪したことがあり、富永が心中というところまで行くほどの恋をした人妻との事件を取材しました。そのとき「問題の女性に遠慮から質問できなかったことを、実際に質問したように書き、想像された反応を書いた」のが、この小説なのです。
 伝記、小説、エッセイ。大岡昇平の三つの作品は、伝記も関係者のプライバシーへの考慮から完全に自由ではないこと、かといって多くの歴史小説家が誇る、証言や文献から常識的に結論されるところから離れて想像力によって「真実」に迫る才能と自由も、結果は多くの問題をもたらすこと、を余すことなく示した実に知的な試みでした。
 主題に関係のない文学への寄り道をしたと思われるかも知れませんが、伝記、小説、エッセイがニュースと同じジャンルに属さないのと同様に、テレビドキュメンタリーがテレビや新聞のニュースとは別のジャンルのものである、ということを言いたかったのです》

  *

ドキュメンタリー番組はわりと観ているし、吉田直哉については以前から興味をもって眺めていた。ユーモア感覚があるのに軽くない。柔軟な思考が心地よい。
本書は平易な文章で書かれているが、重厚な内容になっている。
とくにP.72〜P.74の【『ヴィジョンズ・オブ・ジャパン』】という項の、
《「人生は些事から成る」という。人生がそうなら一国の文化も同じで、些事から成っているのだ》
というくだりで、上記の杉本さんを想起した。と同時に、杉本さんの表現(背後に小林秀雄がいる)と吉田の表現の差異を感じることで、より深くこのテーマについて考えられるような気がしたのである。



miko3355 at 15:39│TrackBack(2) | 富永太郎

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