2007年04月10日

「黄金の三角地帯」の変貌が意味するもの

「クンサー」で検索して、2006年01月11日にアップした「小田昭太郎著『クンサー』を読む」にアクセスされるかたが時折あるのはうれしいことだ。
小田昭太郎氏がクンサーに会見したのは1985年だった。
小田氏は、メオ族が住むパンケア村でみたケシ畑をつぎのように描写している。

《背丈一メートルばかりのスーッと真っ直ぐに伸びた細い茎に支えられて、その頂に深い赤と言えばいいのか濃いピンクなのか、チューリップのようでいて、それよりももっと可憐で清楚な花弁をつけ、一斉に招くように揺れている。それはいかにも儚く妖しい女たちの群れにも似ていた。そんな花々に混じってポツン、ポツンと所々に純白や紫の花弁が顔をのぞかせている。この美しい草花の精に魅せられて人は廃人と化していくのだろうか》

この描写を記憶していたわたしは、さきにアップした「追跡 ヘロイン・コネクション」という番組で、一面のケシ畑を観て納得したのである。やはり映像の力は大きい。

小田氏は、昔からケシの栽培を仕事としてきたメオの人々について、「麻薬を作っているのではなかった。ケシを栽培するただの農民だった」と記している。
この「ただの農民」の視点で描いた記録が、高野秀行氏の『ビルマ・アヘン王国潜入記』(草思社/1998年10月)であり、表紙は一面のケシ畑である。
1995年10月、高野氏はワ州に入り、半年にわたって滞在した。村人と一緒にケシ栽培の全行程を体験するのが目的である。その体験はユーモラスに描かれている。
本書は小田昭太郎氏の筆致とは異質だが、思想的には相通じるものが流れているように思う。
「あとがき」で高野氏は、1997年1月に亡くなったクン・チャ・ウ氏について、つぎのように記している。

《彼はビルマでの役所勤めを退職後、齢七十にしてタイに亡命し、シャン州独立と少数民族に対する人権侵害廃絶の運動に余生を捧げた。私を気に入ってくれ、一緒に一軒家を借りて、数年にわたって起居をともにし、ほとんど親子と呼んでもよい関係であった。氏は死の直前まで、「ビルマ政府にシャン州住民を売った」クンサーを恨み、衣食住にも事欠くような貧窮生活のなか、クンサーの誘拐作戦を画策していたという、いろいろな意味で稀有な老人であった。個人的な親愛の情はもちろん、私は将来、この人物を主人公としたシャンの民族独立運動のルポを書くつもりでいたこともあり、その急な死は痛恨の一語に尽きる》

  *

2007/02/04(日)の夕刻、たまたま観たTBSのニュース番組で「黄金の三角地帯」の変貌を知った。TVをリアルタイムで観ることは稀なので、不思議な気分になった。
いま、タイでは厳しい取り締まりをする一方で、ケシに替わる作物の導入を奨励しているという。
JIFF(日本国際親善厚生財団)
は、マラリアに効く成分をもった「クソニンジン」の栽培を実現させることを計画している。

ごまのはぐさのこまごまことのは」というblogの〔クソニンジン・プロジェクト〕より引用する。
 
《タイ北部国境地帯はゴールデントライアングルと呼ばれる麻薬の生産地帯です。その地では現在タイの王室が運営する財団とJIFFが提携して、麻薬・貧困・感染症の撲滅に取り組んでいます。
 麻薬の原料となるケシの栽培を撲滅するため、代替作物としてクソニンジンの栽培を奨励する計画が立てられています。クソニンジンは製薬原料として高い需要があり、お百姓さんたちの収入源として有望視されています。こちらからお送りする種子は、ケシの種子の代わりに畑に蒔かれ、新たな収入源となり現地のお百姓さんの経済的自立をお手伝いすることとなります。さらに現地で生産されたクソニンジンは抗マラリア薬として精製されて、財団によって安価で地域に流通させられ、マラリア撲滅にも力を発揮することとなります》

「クソニンジンを栽培してくださっている皆様へ」というJIFF(日本国際親善厚生財団)からのメッセージはこちら


〔参照〕

論 説「アフガニスタン再建の躓きの石−麻薬取引のグローバル化」
(『立命館経営学』/2005年1月) 本山美彦

「ビルマの麻薬汚染と軍事政権」(社会新報/2003年7月12日)
ジャーナリスト 菅原 秀






miko3355 at 17:58│TrackBack(0) 

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この記事へのコメント

1. Posted by シャンティcoco   2007年04月27日 21:42
こんにちは。ちょっと話は違うんですけど、中原中也と富永太郎展、横浜近代文学館で開催とのこと。もうご存知かもしれませんが、念のため^^。
http://www.hamakei.com/headline/2333/index.html?ref=rss
2. Posted by miko   2007年05月08日 11:11
レスがおそくなり、ごめんなさい。
かつて本blogに書きましたが、わたしは中原中也サイドから描かれている富永太郎との関係性には納得できません。
大岡昇平の「中也は太郎から決定的な影響を受けたが、太郎は中也とは比較にならないほどの教養を身につけていた」という説に信憑性があるように思っています。

中也の生誕百年ということで、「また来ん春……」に大江光さんが曲をつけ、4/28日に山口市民会館で演奏されたそうですね。