2007年06月23日

「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」

5/28に渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」を観た。
図録の内容がとても充実している。
会場に足を運ぶまえに図録はホームページから注文して入手していたので、眼を通していた。しかし実際に作品を展観してから読んでみると、よく理解できたのは不思議だ。

モディリアーニというと、わたしにとっては映画「モンパルナスの灯」(1958年/フランス/108分/モノクロ)のジェラール・フィリップである。モディリアーニも美男子だというが、ジェラール・フィリップのほうが断然いい。内面に秘めた芸術家としての苦悩を抱えながらキャンバスにむかうモディリアーニを、顔の表情だけであらわしているのには驚愕した。演技を超えていたように思う。
ジェラール・フィリップは、「モンパルナスの灯」上映の翌年1959年、肝臓ガンにて36歳で早逝。モディリアーニが結核性脳膜炎で急逝したのは35歳である。ジェラール・フィリップは、モディリアーニを演ずるために生まれてきたような錯覚に陥る。
同じくジャンヌを演じたアヌーク・エーメも、実在のジャンヌよりすてきだ。
モノクロの画面がうつくしい。
なお本展にともない、Bunkamuraル・シネマで「モンパルナスの灯」が特別上映された。好評だったらしい。
「芸術新潮」(2007年5月号)の特集「モディリアーニの恋人」に、中条省平が【「画家映画」を超える『モンパルナスの灯』】と題する一文を寄せているが、一読に値する。

ちなみに詩人・富永太郎(1901.5.4〜1925.11.12)はモディリアーニ(1884.7.12〜1920.1.24)とほぼ同時代に生き、24歳で夭折。また太郎は会場のBunkamuraザ・ミュージアムに近い代々木富ヶ谷(現・渋谷区神山町)の家で亡くなり、1988年に渋谷区立松濤美術館で「大正の詩人画家富永太郎」展が開催された。
太郎はムンクの画が気に入っていたが、モディリアーニ、ムンク、富永太郎に共通しているのは、恋愛の対象として知的で才気溢れる女性を選択していることだと思う。
なおモディリアーニの身長は160センチだったそうだが、富永太郎は182センチほどあったといわれている。両方ともわたしには意外だったので記しておく。

  *

本展では、モディリアーニの最後のパートナー、ジャンヌ・エビュテルヌ(1898.4.6〜1920.1.26)の遺族が秘蔵していたコレクション(日本初公開)を中心に、モディリアーニ、ジャンヌそれぞれの油彩、水彩、素描作品と写真等の資料が展示されている。
1916年12月に出逢ってから死ぬまでの3年間を、ふたりの作品から検証することができる。
ジャンヌの遺品の存在が明らかになったのは2002年、本展の監修者でもある美術家マルク・レスリーニ氏が当時館長を務めていたパリのリュクサンブール美術館で、モディリアーニ展の準備を進めていたとき、ジャンヌの兄アンドレが秘蔵していた作品群を引き継いだ子孫から、連絡があったという。(前掲「芸術新潮」)

1920年1月24日、慈善病院で急逝したモディリアーニのあとを追い、妊娠8ヵ月のジャンヌは1月26日の朝5時、両親のアパルトマンの6階から身を投げた。
1918年11月29日に生まれた娘は、2歳で孤児となった。
ジャンヌは娘を乳母に預けっぱなしで、モディリアーニの世話にかかりきりだったという。
母親と同じ名前の娘ジャンヌ・モディリアーニは、1920年1月、モディリアーニ家に引きとられてイタリアで成長し、美術研究家の道に進む。著書はこちら
なおモディリアーニは娘を認知していない。結婚によって状況を正常化する用意はあると事あるごとに認め、書き残してもいたが、当時の劣悪な通信事情により、イタリアで手続きをしなくてはならない書類がいろいろなことを遅らせている結果、何ヵ月も経ってしまったのだと、ジャンヌの両親の口から伝えられている。(図録)
ジャンヌ・エビュテルヌの娘ジャンヌとして戸籍に登録されたあと、どういう経緯があったのか、上述のようにモディリアーニ家に引きとられたのである。

ジャンヌの両親の、愛しあっているふたりを尊重する、という中立性というか客観性は、富永太郎の両親が人妻H・Sとの恋愛関係に示した姿勢でもあるが、かなりの理性を必要とするだろう。国や状況は異なるが、両者が同時代のできごとだという点に注目したい。
1917年7月からジャンヌとモディリアーニは同棲をはじめたが、ジャンヌの両親にはこの事実を隠していた。翌年の3月に妊娠の事実を隠し通せなくなり、モディリアーニから不安を完全に取り除く宣誓を受けて、両親はモディリアーニの過ちを許したのだという。1919年7月7日、モディリアーニはジャンヌと結婚することを文書で誓約。このときジャンヌはふたたび妊娠していた。(図録)

ジャンヌの遺髪が展示されていたのに、軽い衝撃を受けた。
たまたま前週に「中原中也と富永太郎展」で観た富永太郎の遺髪との差異に驚く。太郎の遺髪は黒くて繊細で、小さな円形状に品よくまとめられていた。わたしの記憶にまちがいがなければ、かわいらしい桃色の柄の千代紙が貼られた、小さな長方形の箱がそえられていた。
しかし忠三郎が、遺髪をこの小箱に収めて保管していたのかどうかはわからない。忠三郎の妻が、夫が亡くなったときに太郎の遺髪を棺に入れ、残りをそのような形状にして保管したのではないか、などという妄想を膨らませて愉しんでいる。
一方、ジャンヌの遺髪は赤みをおびた茶色で、意外と太くてぱさついている。量的に多いので、まるで生きているようにグロテスクだ。
図録(p.172)に掲載されている遺髪の写真は、展示されていたものとちがう。実物はもっと赤みをおびていて、艶がない。
前掲の「芸術新潮」(p.82)に掲載されている遺髪の写真は、展示されていたのと同一にみえる。

  *

わたしが最も惹かれたのは19歳のジャンヌのモノクロ写真だ。
16歳の写真のようなふっくらした体躯と意思的な強い眼をもつジャンヌとはほど遠い。眼に力はあるものの、虚ろである。上半身は痩せているが、腹部がふっくらしているので、身ごもっているのがわかる。貧困のなかで酒と麻薬に溺れ、健康状態の悪化したモディリアーニとの生活は、内向的なジャンヌのこころを侵蝕したにちがいない。
モディリアーニのあとを追って自死したジャンヌは、彼女自身のなかにそこへ結びつく要素があったのだろうか。

図録(p.168〜p.172)で解説されている、ジャンヌの遺作(連作4点/水彩)には物語性があり、ジャンヌがモディリアーニから独立した優れた画家だったことを示している。
4つのステージでジャンヌは自分の人生を分析し、総括している。これらの作品がいつ制作されたのかさだかではないが、自死の直前だとすると21歳のとき。驚くべき洞察力である。
とくに最後の1点である《自殺》は、ベッドの上で服を着た長い髪の痩身の女性が、右手に血染めのナイフをもち、左手で血の滴る心臓に手を当てている。腹部がふっくらしていて、身ごもっているようにみえる。
心臓に手を当てているところから、そこに最も大切な宝が内蔵していて、それが壊れたあとも護りつづけているようにもみえる。また、傷みを和らげるために手を当てているようにもみえる。この傷みは、存在の傷みである。

ジャンヌが最も大切にしたかったのは、なにだったのだろう。
「ひとりでは生きていけなかったから身を投げた」というだれにでも納得できる解釈ですませてよいのだろうか。
モディリアーニに絶望していた、という仮説も成立する。
子育てを他人任せにし、身を粉にしてモディリアーニの世話をしたジャンヌ。そればかりではなく、作品を制作していたのだ。
ふたり目の子どもを身ごもり、2歳の娘を遺して自死したということは、母よりもモディリアーニのパートナーとしての自己、そして画家としての自己を優先させたということなのか。
ジャンヌの作品のなかで、《黒い服を着たブルターニュ女性》がわたしは好きだ。妙に存在感がある。静物画もいい。

会場でわたしは携帯ストラップとキーホルダーを買い求めた。
ポスターや図録の表紙になっているアメディオ・モディリアーニ《大きな帽子を被ったジャンヌ・エビュテルヌ》(1918年/油彩)が形どられている。
どうしてこの油彩が選ばれたのか知らないが、優美さが漂っているからだろうか。
この年にジャンヌは娘を生んでいる。
生身のジャンヌは、モディリアーニの描く肖像画とはちがう風貌だったというのがよくわかる。
ジャンヌより14歳上のモディリアーニは、実生活で理想の女性像をジャンヌに押しつけたことはなかったのだろうか。
ジャンヌのサイドから、あるいは孤児となった娘の視点により、モディリアーニ神話が崩れたらおもしろい。

  *

じつはジャンヌより女性彫刻家カミーユ・クローデル(フランス/1864-1943)のほうがわたしは好きなのだ。本展と同時期に「二人のクローデル展」(川口市立アートギャラリー・アトリア)が開催されていたので、観にゆくつもりでいたのだが、かなわなかった。「分別盛り」を観たかったのだ。
カミーユはロダンの弟子ということになっているが、彫刻作品はロダンより優れていたという説もある。
同じことはジャンヌにもいえるわけで、芸術家として作品を正当に評価してほしい。
それにしても、愛しすぎたほうがより悲劇的な結末を迎えるという原理は、時代を超えて不変だということにあらためて気づく。
そして他者の存在を喰らうことで自己を太らせ、作品化してゆく芸術家という種族に、怖れさえ感じるのである。
換言すると、優れた芸術作品の裏側には、生け贄になった人間が貼りついているということだろうか。









miko3355 at 15:07│TrackBack(0)美術 

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