2007年08月07日

東電OL殺人事件から10年を経て

すべては佐野眞一著『東電OL殺人事件』からはじまった

5月28日、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」を仲間の女性3人で観たあと、至近距離にある円山町に立ち寄り、東電OLの足跡をたどった。
東電OL殺人事件については自分が書くべきことはないと思っていたが、実際に現場を歩いたことで、自分なりに書いてみようという気分になった。
Bunkamuraのシアターコクーンはわたしの好きなホールで幾度か足を運んでいたが、円山町は未踏であり、その異界ぶりをたしかめたかった。そう思いながら、すでに数年が経過してしまった。
円山町は京都の先斗町に土地のもつ空気が似ていると感じた。いずれも花街(かがい)だったのだから当然なのだ。
われわれが歩いたのは5月末の夕方だったので、まだ空は明るい。そのせいで円山町のホテル街は死んだようだったし、意外とわたしはそちらに眼がいかなかった。
わたしが東電OLの精神性に興味があるからだろう。

佐野眞一は円山町について、
《都会の隠れ里を思わせる小さな街区である。かりそめの空間ともいうべきその不思議な地理感覚が、円山町をなお一層、地上から浮遊した亜空間じみた色合いに染めあげている》
と記している。(『東電OL殺人事件』p.18〜p.19)
この感覚を体感できたことが、わたしにとって最も大きな収穫だった。ホテル街さえなければ、わたしには好もしい空間だった。「この世の外」という感じで、ひっそりとしている。
円山町も神泉駅近くの殺害現場(古びたアパートの空室)も、現世に居場所がないかのような東電OLにとって、居心地のよい異界だったのだろう。

1997年3月8日、東電OLこと渡辺泰子は、井の頭線・神泉駅の踏切近くにある木造モルタルの古ぼけたアパート・喜寿荘101号室で、最後の売春相手とおぼしき何者かに絞殺された。遺体が発見されたのは、11日後の3月19日。
この東電OL殺人事件が起きたころの記憶が、わたしにはない。したがってこの事件の報道が過熱し、被害者である渡辺泰子の母親がマスコミ各社に抗議の手紙を送ったことも知らなかった。世間は過剰な反応をしたらしいが、わたしにはまったく無縁だった。
わたしにとって渡辺泰子が忘れられない存在になったのは、佐野眞一著『東電OL殺人事件』(新潮社/2005年5月)を読んでからである。
444ページというけっこう部厚い本であるにもかかわらず一気に読みおえ、翌日、一気に再読したほどインパクトを受けたのである。以後、幾度読みかえしたか数えきれない。
なぜそれほど読みかえしてしまうのか? わたしには渡辺泰子の心理がまったく理解できないからである。それに加えて、円山町という土地の記憶に不可思議な興味をそそられた。

わたしはこの事件で佐野のように発情しないし、「黒いヒロイン」として渡辺泰子を崇める心理は解せない。佐野が彼女に「巫女性と予言性」をみいだそうとする姿勢には違和感しかない。もしわたしの周囲に彼女がいたら、友だちになりたいとは思わないだろう。
わたしの興味は、肉体的にも精神的にも娼婦として不向きな彼女が、どうして夜鷹のように円山町を徘徊していたのか、に尽きる。潔癖性だったという彼女が、反転して汚濁願望を実践する、その病理について考えさせられる。
拒食症で痩せほそった肉体で1日4人以上を相手に毎晩売春し、終電で帰宅する生活は、凄絶というしかない。おそらく仕事に集中するエネルギーは残されていなかっただろう。
彼女が売春をしていたことを、家族(母親と妹)や、東電の社員が知っていた、というのにも驚かされる。
一方、冤罪としか思えないネパール人・ゴビンダの行方が気になる。『東電OL殺人事件』には、警察の怪しい動きが記されている。

午後5時、勤務先の東電本社を退社した渡辺泰子は、地下鉄銀座線の新橋から渋谷駅で降り、109の女子トイレで変身する。泰子が変身して売春していた、素の自分ではないという点は重要だと思う。
泰子は手帳に「売春日記」をつけていたらしく、その行動には合理性が貫かれている。
なお泰子の自宅に残っていた最も古い手帳は1992年で、事件現場に残されたショルダーバッグのなかから発見された手帳には、1996年から事件当日の97年3月8日まで記載されていた。
泰子のアドレス帳には、東電時代の上司や東電の幹部も入っていたらしい。東電の泰子の机のなかから、ワープロで作成した顧客に対する売春行為の申し込み書や、ワープロ打ちされたホテルに対する詫び状などが見つかったという。
殺害された当時39歳の彼女は、「東京電力本社企画部経済調査室副長」という肩書きをもち、1000万円近い年収があった。また売春で得た1億円近いといわれているお金は、銀行に預けていたらしい。
ただ堕ちるだけではなく、しっかり経済活動をしている点にわたしは注目している。


道玄坂地蔵はみていた 

われわれは泰子がおでんを買ったというセブン-イレブン円山町店の店内には入らなかったが、わりに小さな店でひっそりしている。
そこからちょっと迷いながら神泉駅にきた。意外と渋谷駅から近い。殺害現場である喜寿荘は線路を渡ってすぐなので、迷いようがない。
喜寿荘は周囲の建物からとりのこされたような古びた建物で、1階の廊下は荒れていて、殺害された部屋にはひとが住んでいる気配がない。2階の窓が開いていた(網戸はない)ので、ひとが住んでいるのだろう。
地下にある「まん福亭」(真上が殺害された部屋)という居酒屋から中年の男性がでてきて、店の横にある発泡スチロールの箱から鰹を勢いよくとりだし、鮮度をたしかめるようにながめた。これからさばくのだろう。
連れのひとりが「道玄坂地蔵はどこにありますか」と訊くと、視線をわれわれからはずしたまま無表情で「知らない」という。ほんとうに知らないのか、説明するのが面倒なのか、わたしには判別できなかった。

わたしがみたいと念願していたのは、この道玄坂地蔵だった。
109で変身した泰子は道玄坂地蔵という小さなお堂のまえで、5年間日課のように客を引きつづけたという。
われわれは円山町をうろうろしたが、道玄坂地蔵を発見できなかった。
自然と道玄坂にでてしまい、道玄坂上の交番をみつけた瞬間、「まん福停」のまえで訊いたのと同じ彼女が勢いよく交番のなかに入り、道玄坂地蔵の場所を訊いた。
交番には20代の巡査が3人いて、いずれもさわやかな顔をしていた。そのうちのひとりが、一瞬やや意味ありげな笑みをみせ、すぐに職業人の顔にもどり、親切に交番から出て教えてくれた。それが職業だとはいえ、「まん福亭」の男性との差が際だつ。

交番のすぐ先を右折すると、驚くほど近くに道玄坂地蔵はひっそりと立っていた。
「ヤスコ地蔵」とひそかに呼ばれ、手を合わせにくる女性たちの姿が絶えないといわれていたお堂だが、事件から10年を経たせいか、それほど手入れがゆき届いているようにみえなかった。またその唇は塗られた口紅で赤く染まっていたらしいが、わたしがみた時点ではその痕跡はなかった。
中央に新しい仏花が2束供えられていて、左手にわりに大きなガラスの花瓶があり、水が濁っている。そこに持参していた花束を入れるのに抵抗があるので、しばらくみつめていたが、観念した。潔癖性のわたしは、自分の全身が汚濁したような気分になりながら花束を入れ、手を合わせた。「安らかにお眠りください」と念じて。
同行したふたりは、わたしより先に手を合わせていた。

『東電OL殺人事件』(p.340)によると、道玄坂地蔵は宝永3(1706)年、道玄坂上に建立された。円山町あたりは江戸時代火葬場があったため隠亡谷と呼ばれ、近くには地蔵橋という橋もあった。花街として発展するのは明治24(1891)年頃からで、新橋から赤筋芸者と呼ばれた客に不都合のあった16人の芸者衆が、花柳界を開いたという。
戦後、道玄坂から円山町に移されて以来、地蔵の前に設けられている賽銭箱の金は道玄坂地蔵の名義で近くの八千代信用金庫に預けてあり、慈善事業活動に役立てているという。
しかしわたしが眼にした限り、この賽銭箱はみあたらなかった。

ネット上には東電OLに関する画像がたくさんアップされているが、『COSMOPOLITAN』(2002年12月号)に掲載された、【開かれた「パンドラの匣」】と題された佐野眞一の一文に挿入されている、藤原新也の写真が抜群にいい。この雑誌が発売された当時から気に入っていたが、現場を眼にしたいまのわたしは、さらに彼の表現者としての手腕に感心する。
記事はp.129〜p.135にわたり、写真はつぎの3ページ全面。
p.131……闇のなかで円山町のホテル街を横切る猫
p.133……夜のまん福亭
p.135……灯りのともる夜の道玄坂地蔵


円山町・神泉という土地の記憶

『東電OL殺人事件』に佐野眞一は、作家の大岡昇平が日本人には珍しい精緻な地理的感覚の持主だったことも、幼少期を過ごした渋谷という町の地理的感覚とおそらく無縁ではない、と記している。
ちなみに大岡昇平の家に近い富永太郎の家は代々木富ヶ谷1456番地(現神山町22番地)にあった。太郎が道玄坂を散策していたことが、遺された手紙からわかる。
余談だが、大岡は太郎の弟・次郎と同い年で成城学園中等部で同級。ふたりが知り合ったのは太郎が死んだ1925年11月12日から1ヵ月もたたない12月の上旬で、太郎の死んだあとの雰囲気がまだ富永家にあったという。

佐野によると、円山町が花街から旅館街にかわる流れの先鞭をつけたのは、岐阜グループと呼ばれる、富山県境に近い岐阜の奥飛騨にある御母衣(みぼろ)ダムの工事にともなって水没した村の人々だったという。
ついでながら、「水になった村」(監督・撮影/大西暢夫)という映画が、8月4日から東京都中野区のポレポレ東中野で公開されている。舞台は日本最大のダム湖に沈んだ旧・岐阜県徳山村である。

佐野は円山町という土地の記憶についてさまざまな角度からアプローチしているが、その意味で中沢新一著『アースダイバー』(講談社/2005年5月/装幀・菊地信義)は、とても興味深い。巻末に折り込み Earth Diving Mapがついている。
なお本書は『東電OL殺人事件』から5年後に刊行されている。
若い友人にコンセプトを伝えて、コンピューター上で描いてもらったお手製のアースダイバー用の「縄文地図」と現在の市街地図をもって東京を散策した中沢は、現代の東京が地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けていることを発見する。
わたしが『アースダイバー』を入手したのは円山町を歩いたあとなのだが、中沢新一の皮膚感覚に共感できる。
円山町と神泉に関する興味深い箇所を引く。(『アースダイバー』p.064〜p.065)

《渋谷はまず、この道玄坂の中腹あたりから発達しだした。
 ひとつには、そこに江戸の人々にとって最大の信仰であった「富士講」の本部がおかれたからである。この信仰では、富士山が巨大な幻想の女体にみたてられ、山麓に点在する「風穴」と呼ばれる洞窟にもぐりこんで、象徴的な死と生まれ変わりを体験して、気分も新しく江戸に戻ってくるという、とても不思議なことがおこなわれた。その死と生まれ変わりの空間にむけて、人々はこの渋谷から出発したのだった。
 しかし、興味深いことには、道玄坂の裏側の谷には、別のかたちをした死の領域への出入り口が、つくられてあった。うねうねと道玄坂を登っていくと、頂上近くに「荒木山」という小高い丘があらわれた。いまの円山町のあたりである。この荒木山の背後は急な坂道になっていて、深い谷の底に続いていく。そこに「神泉」(しんせん)という泉がわいていた。
 この谷の全域がかつては火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が、多数住みついていた。神泉の谷は、死の領域に接した、古代からの聖地だったので、このあたりには、聖(ひじり)と呼ばれた、半僧反俗の宗教者が住みついていた。彼らは泉の水をわかして「弘法湯」(こうぼうゆ)という癒しのお湯を、疲れた人々に提供していた。地下からわいたお湯につかることで、人は自然の奥底にひそんでいる力に、直接触れるのである。だから、お湯へつかることは、また別の意味の、「小さな生まれ変わり」を体験することでもあった。   
 道玄坂はこんなふうに、表と裏の両方から、死のテーマに触れている、なかなかに深遠な場所だった。だから、早くから荒木山の周辺に花街ができ、円山町と呼ばれるようになったその地帯が、時代とともに変身をくりかえしながらも、ほかの花街には感じられないような、強烈なニヒルさと言うかラジカルさをひめて発展してきたことも、けっして偶然ではないのだと思う。ここにはセックスをひきつけるなにかの力がひそんでいる。おそらくその力は、死の感覚の間近さと関係をもっている》

渡辺泰子は売春を重ねるたびに、死の領域に近づいていったのではないか。拒食症のせいで痩せほそり、さらにダイエット錠を常用していたという彼女にとって、売春は強力な死への牽引力だったのではないだろうか。
それにしても、そもそもセックスを商品化するとは、どういうことなのか?
わたしには本質的に商品化できないものとしか考えられないのだが。
エコノミストで合理主義者の彼女が、貧弱な自分の肉体を商品化していたところが、なんとも哀しい。


京王井の頭線・渋谷発0時34分の吉祥寺行き最終電車

渡辺泰子が殺害される日からさかのぼった約2年間、同じ終電によく乗り合わせていた女性がいた。彼女の自宅は井の頭線の西永福駅から徒歩5分で、渡辺泰子と同じ駅で降りていた。彼女はフリーライター・椎名玲で、『文藝春秋』(2001年6月号)に寄稿した【現代のカリスマ 円山町OL 淋しい女たちの「教祖」になるまで】と題する一文は、じつに興味深い。
渡辺泰子に思い入れが強いが面識のない佐野眞一には描けない、なまなましい渡辺泰子像が浮かんでくる。
上記から印象的な箇所を列記する。

―電の最後尾より二両目の後方ドア前が定位置だった。
何度か、車中で酒のつまみのようなものをむさぼるように食べている姿を見かけた。
9いショルダーバッグをゴソゴソとかき回して口紅を取り出し、電車の窓を鏡にして、唇の輪郭からはみ出すのを気にせず口紅を塗っていた。
じ領詭擇修了劼里茲Δ平燭断鬚げ従僂反燭胆屬文紅は、どこかレトロで生気のない顔を作りあげていた。腰までありそうな長い髪の鬘をかぶり、けだるくため息をつく。トレードマークのように真冬でもバーバリーのコート姿。コートの前はとめることなく、中の洋服が見えていた。印象的なブルーのツーピースを好んで着ていた。
チる電車の窓を見ながらよく笑みを浮かべていた。不思議な人だった。お世辞にもきれいとは言えないが、現世に魂がないかのようで、異質な吸引力があった。
ε甜屬陵匹譴如△海蹐咾修Δ砲覆辰身狃を支えたこともあったが、驚くほど軽い。足に包帯を巻いて辛そうに立っていときも「大丈夫ですか」と声がかけられない。やすやすと声をかけることができない、次元の壁を彼女から感じていた。
彼女の異変に気が付いたのは殺される半年ほど前からで、さらに激痩せして、頬の肉は削げ落ち、首筋が浮かび上がっていた。コートの下から見える足も異常にに細くなっていまにも折れそうだった。電車にゆられていると、呼吸さえも苦しそうに見えた。自宅のある西永福駅に到着し電車から降りたとたん、強風に煽られて反対側のホームの下へ落ちそうになったこともあった。
┛貪戞彼女の手に偶然触れたことがある。体温がまったくないような冷たい感触。この先この人は生きていけるのだろうかと、胸騒ぎを感じた。

109で変身した泰子は、帰りの終電の車内でもそのままの姿だったようだ。
自宅で長髪のカツラをはずし、濃い化粧を落とす。売春手帳に書きこむのが1日の締めくくりだったのだろうか。
そんな彼女の姿を想像していると、ダブルフェイスの境界線はどこに引かれていたのか、と考えてしまう。
売春行為によって自我のバランスをとっていたと思える泰子は、虚像が実像を呑みこんでしまう寸前に何者かによって生のピリオドを打たれた、という解釈もできる。
佐野によると絞殺されたとき抵抗しなかったらしいが、とうのむかしに渡辺泰子は死んでいたのだろう。
その時期を厳密にいうなら、過剰なまで尊敬していた父親を亡くした20歳のときだったのではないか。父親とは精神的な意味での近親相姦はあったらしいから。
東電の重役になる一歩手前で父親がガンで他界したとき、康子は慶応大学の学生だったが、このとき最初の摂食障害が起きている。そしてお嬢さん育ちの母親に代わり、一家の大黒柱として生きてゆくことを決意したという。


殺害された1997年3月8日(土)の渡辺泰子の足跡

『東電OL殺人事件』から事件当日の泰子の足跡をまとめてみよう。
11時25分、定期で西永福駅の自動改札口をくぐり、渋谷で下車。東急本店でサラダを買ったあと、山手線で五反田に向かった。西五反田2丁目のホテトル「魔女っ子宅急便」に着いたのは12時30分。「魔女っ子宅急便」につとめはじめたのは1996年の6月か7月で、源氏名は「さやか」。勤務日東電が休みの土・日・祝日。
5時30分頃まで客からの電話を待ったが、ひとりも客はつかず、5時30分過ぎに、すすけた感じのブルーのツーピースの上にベージュのコートをはおって退店した。「さやか」は退店後30分ほどしてから、客から電話があったかどうかを確かめるため、渋谷の公衆電話から必ず連絡してきた。だが、3月8日に限っては、その電話がなかった。「さやか」は仕事熱心というか積極的な娘で、「どんなお客さんでも回してね」といつもいっていたという。
なお、泰子がクラブホステスのアルバイトをはじめたのは1989年頃で、渋谷界隈で売春をはじめたのは、事件の6年くらいまえからだという。

6時40分頃、渋谷駅近くでかねてからの客(60がらみの風采のあがらない男)と待ちあわせた泰子は、渋谷109の前を右折して東急本店方向に向かい、東急本店側に渡らず、左側を道なりに歩いて、セブン-イレブン円山町店に立ち寄った。そこでシラタキやコンニャクなど油っこくない具を一つ一つ小さなカップに小分けして買い、いつもの通り「汁をたっぷりいれてね」とアルバイトの女店員に注文をつけた。
店を出て50メートルほど行って左折し、円山町のラブホテル街に向かった。初老の男と午後7時13分に円山町のラブホテル「クリスタル」(連れ込み旅館のようなたたずまい)に入って4万円で売春した。
(泰子が客を直引きしていた売春の最低価格は2000円まで落ちていたらしい)

午後10時16分に「クリスタル」をチェックアウトしたあと、泰子はラブホテル街をつっきり、初老の男を道玄坂上交番付近まで見送り、道玄坂から神泉駅方面に向かう路地を歩いていった。そのあと道玄坂方面に戻るという奇妙な行動にでて、「ねえ、遊びません、ねえ、遊びません」といって大っぴらに客引きをはじめた。
深夜の11時45分頃、喜寿荘101号室に東南アジア系の男と一緒に入ろうとしているところを目撃されている。
殺害される寸前まで、まことに"勤勉な生活"というほかない。


佐野眞一著『東電OL症候群(シンドローム)』

『東電OL症候群(シンドローム)』(新潮社/2001年12月)は、『東電OL殺人事件』の続編である。本書に「渡辺泰子さんというのは、すべての事象を透視して見るまなざしの持ち主だったんじゃないかというのが、私の仮説です」(p.191)という佐野の発言が記されているが、わたしには納得できない。
本書の末尾に、佐野はなぜ東電OL殺人事件に「発情」したかについて触れている。
《行間には私個人の親と子、兄弟にまつわる誰にも話せない闇と哀しみを潜ませたつもりである》《宇宙にたったひとりで放り出されたような極北の孤独が「発情」の根源だ》といわれても、なおさらわからない。

本書に、東電OLのどこに女性読者が感応されたのを知りたい、という思いで佐野が会った女性読者が紹介されている。
小夜子さん(仮名)は、わたしが思うにはお門違いである。どちらかというと、ケッセルの小説『昼顔』に近いと思う。わたしは観ていないが、映画ではセヴリーヌをカトリーヌ・ドヌーブが演じたらしい。さぞかし妖艶だっただろう。ただし、セヴリーヌは夫を深く愛しながら売春宿で働いていたが、小夜子さんは夫に醒めている。
わたしが共感できたのは、1960年生まれで、父親が東電に勤めていたという柴田千晶さんの詩集『空室 1991-2000』(ミッドナイト・プレス/2000年10月)である。
柴田さんは佐野に手紙ではなく、この詩集を送ったという。
本書で一部が紹介されているのを読んで、すぐにわたしはこの詩集を入手した。が、いまは品切れらしい。
柴田さんは「泰子は私だ」と思って詩篇を書いたという。わたしは柴田さんの感性には惹かれるが、それはわたしがとらえている泰子の感性とは異なる。

佐野眞一が『東電OL殺人事件』を著していなければ、これほど話題にはなっていなかった、とわたしには思える。
読者たちはそれぞれの器量に応じて、渡辺泰子に共感しているのだろう。
いまのわたしは渡辺泰子に対する謎はさらに深まり、「ヤスコ地蔵」を崇めた女性たちのその後が気になる。


「週間新潮」2007年3月22日号に掲載された元大学教授の述懐

松田美智子(作家)が東電OL馴染みの元大学教授(経済学)から聞いた話が「週間新潮」に掲載された。東電OLが殺害されて10年後である。
印象に残った箇所を列記する。

〇件の3年前の夜、道元坂地蔵近くの路地で声をかけられ、最後に会ったのは事件前日の3月7日。3年間で彼女に支払った金の総額は168万円。
▲灰鵐機璽箸簇術館、京都で仏像巡りをなんども誘ったが、実現しなかった。
「私なんかリストラでいつ飛ばされるか分らない。あそこ以外では使い物にならないから」と言うので、経済調査室は情報の中枢をなす部署なんだから、無くなったりしないよ、と慰めた。
(註・『東電OL症候群』によると、泰子がつとめていた「経営企画室」は、組織改革されてなくなった)
に佑なによりひかれたのは彼女のクレバーさ、上品さ、気持ちのよさ。職業柄、ドクターコースの女性を大勢知っているが、きちんと理論が整理されているのは、彼女がトップ。
コ陲Δ海箸覆蕁彼女のお骨の前で懺悔したい。ご家族にもお詫びしたい。
事件から数ヵ月後、30年近く奉職していた大学を定年退職。彼女の冥福を祈りながら、余生を過ごしたい。
約1年後、彼女が葬られている墓地を見つけ、やっとお参りができた。大好きだったお父さんと同じお墓で、本当によかった。

彼の述懐を読んでわたしが疑問に思うのは、最後まで金銭が介在した関係だったところだ。
彼が渡辺泰子に対して親身に接していたとしても、彼女にとっては顧客のひとりでしかなかったのではないのか。
それでも、これほど泰子のことを死後も大切に思う人間が客のなかに存在していたとしたら、わたしは安堵する。
佐野眞一は彼に会わなかったのだろうか。


参照

東電OL殺人事件(新潮社のホームページより)

佐野眞一『東電OL症候群』(新潮社PR誌「波」2001年12月号より)
「ガラスの天井」を生きる女性たち
バレリー・ライトマン

ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。

新たなランドマーク出現で変貌する 道玄坂坂上〜円山町周辺事情(シブヤ経済新聞)

渋谷三業地

雑誌における女性被害者報道の分析要約
武蔵大学:武蔵社会学論集「ソシオロジスト」No.1 
1999(平成11)年3月22日

東電OL殺人事件 無実のゴビンダさんを支える会








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この記事へのコメント

1. Posted by 貴方は本当の渡辺泰子を知らない   2009年08月04日 15:37
2 佐野真一氏の著書も私を取材して書かれたもの。当時のマスコミ報道は私の取材から始まっている。
2. Posted by miko   2009年08月06日 22:21
あなたはほんとうの渡辺泰子をご存じなのですか?
わたしにはとうていわからないので、本エントリーをアップしました。
3. Posted by 通りすがり   2010年11月05日 04:07
著書の一登場人物として彼女を理解しようとしても無理であるということが、沢山の方が書かれているこの事件についてのブログなどを拝見させていただいて理解できます。ほんの一瞬ですが生の彼女に触れた者としては「父親への思い」が夜の顔を作っていたのではないかと感じる次第です。
この事件は真犯人が明らかにされただけでは解決されない謎がもう一つあると思います。
それはこの著書を読んだ全ての方が感じている「なぜ」です。
私も一読者として皆さんと同じように疑問を抱き、そして彼女の声や温もりが記憶から消えない一人の人間としもて考えさせられています。
4. Posted by miko   2010年11月05日 21:17
通りすがりさま

コメントありがとうございます。
本エントリーには毎日、多くのアクセスがあります。
東電OLが風化しないのはなぜなのか?
現代の女性が抱えるこころの闇について、いつも考えています。

一方、女子高生が肉食系になり鼻息が荒いなあと日々実感していて、ちょっと怖いです。
彼女たちが35歳くらいになったときの姿に興味があります。
5. Posted by 通りすがり   2010年11月06日 01:41
私的には「心の闇」は「ファザコン」の様な亡き父の幻影を求めて男性と接する行動が世間的には「売春」という形で彼女を動かしていたのではないかと思えてなりません。一般的に売春の目的は金銭ですが、彼女は行為の対価として金銭を受け取る事への執着はあった物のその額に付いては全く執着がなかったと感じています。
男性と接すること事が目的であってその証に対価を求める。受け取ることが証であってその大小は重要ではない。という風に思えてなりません。
「心の闇」にスポットを当てるなら幼少期の彼女の生い立ちなどを紐解かないと読者全てが納得いくような解明はなされないと思います。
6. Posted by 泰子さんの後輩   2011年01月25日 12:28
1 彼女は僕にとっても永遠の謎です?良くも悪くも惹き付けられる女性です…あまりに痛ましいですが‥僕の敬愛する作家中上健次の小説に出てくる、カサブタだらけのマリア様のような、映画昼顔ような、なにかを突き付けてくる存在です。孤独、挫折、疎外、精神疾患、トラウマ、失恋‥彼女をあの闇に彷徨させたものは?…つい最近もあの現場に 献花しに行きました。まだそのまま建っていましたので驚きましたが、ドアの前で手を合わせていたら、 中から黒人男性が出て来て更に驚きました。なかには通りすがるとき目を向けて話す人がいるなど、今もってあの事件は風化してないと思いました。 改めてご冥福をお祈りいたします。
7. Posted by miko   2011年01月30日 14:20
泰子さんの後輩さま

コメントありがとうございます。
最近、殺害現場に行かれ、献花されたのですね。
わたしはお地蔵さまに献花し、手を合わせました。
あのお地蔵さまのある空間はぽっかりしていて、世間から忘れさられたような安らぎを、わたしは感じました。

たしかに東電OLは風化していないのですが、その理由が知りたいです。

彼女の挫折感は半端ではなかったと思いますが、わたしは彼女を「娼婦」だと認識していません。

昨年、森光子著『吉原花魁日記』を読み、衝撃を受けたのですが、そのあと読んだパトリシア・マコーミック著『私は売られてきた』は、それ以上でした。
8. Posted by スミレ   2011年05月23日 04:38
何故か今此方にたどり着いてしまい、コメントさせて頂きます。

私は今38で独身です
泰子さんと同じですね…
今は田舎に戻ってますが18〜33歳まで東京にいました
20歳で吉原デビューし気づけば30歳まで裏の生活でした
正直、そんな世界にいながらこの事件の事は覚えてません
吉原だけでは無理になると渋谷のホテトルもしました
今でも読んでいて場所など鮮明に蘇ってきます
なのに今、事件の事15年経って向き合ってます
犯人はわからないままなんですか?
私は泰子さんとは少し違いますが、今考えると身体を売る事に理由はなかったです
吉原や渋谷で知り合う人の中で本当にお金が理由で仕事してお金を残した人は数える程度
あの世界は不思議な世界です
どんな理由があったにしろ、仕事は空虚だったと今は思います
すみません、長々と

消えない過去にリンクして思わず
9. Posted by miko   2011年05月23日 21:31
スミレさま

コメントありがとうございます。
スミレさまのつぶやきのようなコメントになぜか生々しいものを感じ、レスポンスすることに畏れています。

本blogで最もアクセスの多いのが東電OLに関するこのエントリーです。
ほとんど検索によるもので、福島原発の事故でさらにアクセスが増えています。
アクセスがあっても読まれているとは限らないので、内心当惑していました。

はっきりしていることは、東電OLはいまだに風化していないということです。
東電OLが亡くなった年齢に近い女性が関心をもっているのではないかと、わたしは想像していました。
女性にとって35歳は大きなターニングポイントであり、泰子は35歳近くになって売春をはじめたのですが、スミレさまは35歳近くになってやめられたということになるのでしょうか。
東電OLは古くて新しいテーマで、時代性がからむことでより複雑になっているように思います。

1905年に生まれた森光子という女性が書いた『吉原花魁日記』(朝日文庫)は興味深い本でした。
スミレさまのお役にたつかどうかわかりませんが、おすすめします。
森光子は貧困のために19歳で親に吉原に売られたのですが、当時の吉原の世界が描かれています。
2年あまり後、光子は決死の覚悟で郭を脱出します。



10. Posted by 人類   2011年06月01日 22:34
こんな情報もありますが本当でしょうか

---------------------------------

ところで東京電力OL殺人事件という奇怪な事件も
原発利権が絡んでいたという話がありますね。
こちらも是非取り上げてみてください
http://ameblo.jp/sannriku/entry-10650675827.html
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/155.html


東京電力の勝俣恒久会長が、殺されたOLの当時の上司だったとの情報もありますね。
http://gazo2.fbbs.jp/thre/s1_list/15127
11. Posted by miko   2011年06月03日 11:48
人類さま

コメントありがとうございます。

東電OLが地熱発電を推奨していたということについて、わたしも最近、知りました。
わたしの想像にすぎないのですが、売春をはじめてからの泰子は、東電という組織において存在は軽かったととらえています。
連日、終電まで売春をしているのですから、体力的に仕事にエネルギーを注げるわけがありません。
エリートということになっていますが、泰子にはリストラされる恐怖心があったのではないでしょうか。

冤罪にちがいないネパール人を東電OL殺害の犯人にしたてるなど、東電OL殺人事件の背後にある闇には慄然とします。



12. Posted by ちよ   2011年06月28日 12:41
以前、文庫本で東電OL殺人事件を読み、衝撃を受けたのですが、それからしばらくは忘れていました。今回、原発事故が起きて、改めて思い出し、こちらのブログを見つけました。また再読してみようと思います。吉原の本も、機会があれば、読んでみたいです。
13. Posted by miko   2011年06月29日 23:45
ちよさま

コメントありがとうございます。

ちょうど6月20日(月)にNHKBSで放映された今井正監督の映画「にごりえ」を観たところでした。
菊之井の酌婦・お力が源七によって無理心中させられるという結末は、ほんとうにやりきれません。

樋口一葉は、吉原の近くに住んでいたから、「にこ゛りえ」を書けたのです。

東電OL・泰子が売春していたことは、社内で知れ渡っていたそうです。
会社にも自宅にも身の置きどころがなかった泰子が売春するときは、カツラをつけ濃い化粧をして変装していました。
別人格の泰子が売春していた、という意味でしょうか。
14. Posted by 定年暇人   2011年07月14日 10:32
東電原発事故がきっかけで佐野真一氏の「東電OL殺人事件」「東電OL症候群」を読みました。

私がこれらを読んで気になった点は次の点です。

“狃の東電社内における態度なども含めた勤務状況とその変遷。
同期の東大出の女子社員の述懐から推測するところ彼女はエコノミストであるという自負が強く、雑用は一切しないというように使いにくいな社員だったのではないか。そのため男社会の東電社内で次第に干されるようになっていったと思われる。20年前の大企業の企画部門といえば9時10時の残業が当たり前の時代に毎日5時頃退社して体を売っていたとすれば会社では仕事がなかったと推測される。
当然残業手当も無くなるわけで一家の経済的支柱を自認していた彼女としてはこれを補填する意味合いもあって売春を始めたかもしれない。
だから母親は彼女の売春を知っていたのではないか。
家庭における父親との幼少期からの関係。とくに父親がどのように彼女に接していたのか。
D名鐓η篏が殺される事件では女性は裸かそれに近い状態で発見されるケースが殆どだが本件ではきちんと服を着て乱れもない状態で見つかっている。彼女は必ず先に支払いを要求しており金額でもめたのなら止めればいいだけだから、犯人は彼女をよく知る人物で犯人とは行為もなかったのではないか。
15. Posted by miko   2011年07月14日 21:03
定年暇人さま

コメントありがとうございます。

定年暇人さまの見解について、わたしはあまり同意できません。
東電OLについては、ほんとうにわかりません。
佐野真一の本を繰りかえし読みましたが、謎が深まるばかりです。

いまだに東電OLが風化していないのも、不気味です。




16. Posted by panda   2011年07月21日 13:40
「花街」は「かがい」とは読みません。
「はなまち」と読みます。
 
 老婆心ながら指摘させていただきます。
 
 
17. Posted by miko   2011年07月21日 21:16
pandaさま

コメントありがとうございます。
「花街」は「はなまち」と読まれることが多いですが、正しい読みは「かがい」です。

試しに国語辞典を引いてみてください。そうすればおわかりになります。

永六輔がラジオで「かがい」と読むのが正しいと、以前にいっていましたし、ネットで検索してみても、そう記されています。
18. Posted by ソリアーノ   2011年07月22日 01:09
夕刊の見出しを見てこの事件を思い出しました。
彼女の「こころの闇」はわからないでしょうが推測することはできると思います。
 彼女は幸せではなかったのだろうと思います。
彼女が求めていたもの、望む生き方と現実とのあまりに大きな乖離があった。
そこから逃れるため、現実逃避の手段として売春をしていた、でも僕には自傷行為に思えます。
殺害される時彼女が抵抗しなかったとすれば、楽になれるという思いがあったのかもしれません。
この事件が風化しないのは、14年前と今の社会状況に変わりがないからではないでしょうか?
JR西日本の福知山線脱線事故と同様に現代日本の病理が顕れていると思います。
19. Posted by まりりん   2011年07月22日 02:56
5 1997年、私は27歳でした。結婚したてで、泰子さんが住む西永福の隣、永福に越してきたばかりでした。

27歳の私は、エリートの年増が、何でこんな事するんだろう・・。特に興味も起きませんでした。

ですが、現在42歳になった私が、泰子さんに対しての興味がムクムク湧いてきます。今の私より、若くして死んでしまった泰子さん。結婚もおそらく考えず、ひたすら売春が止められなかった泰子さん。

彼女の運命を調べました。四柱推命です。自分自身である月支が偏官でした。男性を表す偏官、正官が合計3つあります。官は仕事を表しますが、偏官が2つあるとはかなり、せっかちで、合理的、強引。あまり後先を考えず行動する。男性関係も派手を好む。

しかも、セックスが大好きなカンチもあります。

1989年にホステスを始めた事で、自分本来の性が見えて、東電のエリート女子より、娼婦である事が一番の癒しになっていたと思いました。

井の頭線から、道玄坂の歓楽街は、昭和の匂いがします。
今生きていたら、54歳になっていた泰子さん。私より一回りお姉さんです。昭和の香りがする円山町から、クチサケ女になった泰子さん。

泰子さんの魂、きっと前世は、女郎だったのかもしれません。女郎の魂があの円山町からはなれられなかった。
泰子さんは殺されたかもしれませんが、きっと心のどこかで予言していたのではないでしょうか。

泰子さんの奇怪な行動は、2重人格としか思えないです。私が小学校の時に伝説になったくちさけ女、あれは泰子さんだと思いました。泰子さんを見た事はないけど私は井の頭線で泰子さんに会っていた気持ちがします。

20. Posted by 匿名   2011年07月22日 08:04
5 身体を売る女性がこのような最期になると、オトコのモノガキは女性を女神のようなマリアのような位置に無理矢理置いてストーリーを作りますがそれは絶対に違うと思いますね。そして冤罪とは言っても、殺害はしていなくても彼は「客」であったことは確かではないかと思うんですが。
21. Posted by 定年暇人   2011年07月22日 09:52
14年後になって新事実・・・。
この事件はどちらかというと被害者の異様な生活のほうが関心が集め、それについて論じられることが多いまま今に至っているが、新事実が明らかになったことで冤罪事件としての注目度が増してほしいものだ。


ちなみに
広辞苑によれば下記の如く「かがい」も「はなまち」も両方ありますが、一般的には後者のほうが主流でしょう。

かがい【花街】遊郭。花柳街。いろまち。

はなまち【花街】料理屋・芸者屋・遊女屋などが多く軒を並べている町。色町。色里。
22. Posted by マリア   2011年07月22日 13:45
私は今38歳です。
事件の頃は24歳でしたが、私は16歳から22歳頃まで売春を繰り返していました。
他にアルバイトもしていましたが、バイトのない日は売春でした。

泰子さんに虚無感があったかはわかりませんが、恐らく私も同類の感覚から行っていました。当時はお金を稼ぐだけとしか思ってなかったけれど。
逆にお金以外の感情、主にマイナスな感情ですが、他にはやはりこの世から離脱したいというか現実との関わりを極端に減らしたいという感覚がないと何年も、何年もできません。

とりつかれたかのように行っていたのでしょう。
本当に真面目な方だったように思えます。自分が生きているこの世界で渡辺泰子として保つには最低限必要な人間らしい行為が売春だったのではないかと思います。

私自身はその後親子関係の問題もありカウンセリングで売春をしていた事を話しましたら、それは親に対する復讐で、自分傷つける事で親に罪悪感をもたせる為にする事が多いと言われました。納得する部分は私にはあります。
泰子さんは亡くなってしまったので本当の本人の感情はわかりませんが、重く、苦しい物がある人程、自分を底の底まで落としこんで得る快感、ある意味麻薬みたいなものにとりつかれるものではないでしょうか。


23. Posted by うんどこしょ   2011年07月22日 17:19
愛とか、欲とか、恐怖とか、嫉妬とか、言葉で表現できる範疇に落ちれば、その概念の中で理解は達成できて一安心なんだが。しかし、この人の場合には、カチッとくるものがない。精神病だと言い切れればそれで納得できるのが・・・。その範疇に入り切れていないから、納得を許してもらえないから、逆に興味が尽きない。 皆自分なりの範疇に入れようと議論も尽きない。

学生の時に拒食症があったということであれば、治療が困難な病気であることを考えると、長い年月の間に精神が少しずつ病んでいたということなんだと思える。ただ、生活を律する精神だけは正常に機能し続けたから、狂った状態が規則正しく続いたんだと思う。病気と認定されればわかりやすいだろうに・・・。 会社も親も異常はわかっていてもきちんと生活しているから手が付けられなかったんだろう。気の毒で仕方がない。  

自分が母親だったらどうだろう。増していいとこのお嬢様だったら。 いい年をして狂ったメス犬ように見境なく性交し続ける娘は、自分の全ての価値観を壊滅させる屈辱であり、狂気に取りつかれたかわいそうな子、である。 どちらの観点からも殺意は生まれてしまいそうだ。

生きながら地獄を味わってきたご家族、特にお母さんに対して、同情の念がやまない。 

客の一人であった大学教授は何度か文化的なイベントに誘い出そうとして断られている。人の尊厳を完全に失ったこの子を見て、母親の心情を察して、救済をあきらめ完全犯罪をしてくれたのであってほしい。その事実を掴んだ多数の人、検察までもが、この先生を庇って不完全なアリバイに対し黙認しているのであってほしい。       
24. Posted by タヨ   2011年07月22日 23:00
意味がわからん
25. Posted by 定年退職   2011年07月24日 05:52
それにしても元大学教授の次の述懐は気になる・・・。

コ陲Δ海箸覆蕁彼女のお骨の前で懺悔したい。ご家族にもお詫びしたい。
θ狃の冥福を祈りながら、余生を過ごしたい。
26. Posted by miko   2011年07月24日 08:48
今回、再審請求審議で東京高検が実施したDNA鑑定が報道されたことにより、東電OL殺人事件が発生してから14年後にして、またもや注目されています。
新聞には「女性」と表現していて本名は伏せられています。
体内から採取された精液とアパート室内で見つかった体毛1本のDNA型が一致したということは、コンドームを使用していなかったということになります。
本によると泰子はコンドームを使用していたということなのですが、相手の男が拒否したのか、泰子が使用しなかったのか。わたしはこんなディテールが気になります。
つまり泰子の精神状態が反映していると想像するからです。

いま、事件発生当時の殺害現場の映像がTVで流れるのを観ますと、一度でも現場のアパートを訪ねたわたしとしては、複雑な心境になります。
泰子のクツだと思われるのが映りましたが、本で読んだとおりキチンと置かれていましたが、クツ先は部屋に向かっていました。つまりぬいだままの方向であり、手を加えて向きをかえるところまではなされていません。

今回の報道により、本エントリーにも驚くほど多くのアクセスがありますが、どれくらい読まれているかは疑問です。

複数のコメントに対するレスポンスは字数を超えてしまいますので、分割します。
新しいエントリーとしてアップしましたが、コメントとの関係が不明になるので、削除しました。
27. Posted by miko   2011年07月24日 08:49
●ソリアーノさま

3.11以後、世界が変わりました。
福島原発の事故により、東電と日本という国家の病理が明白になりました。
渡邊泰子は東電の社員であることに誇りをもっており、会社に対する批判精神があったとは考えにくいです。

自社にとって不利な勢力をコントロールしてきた経済力(その元になるのは高い電気料金)を喪失したいまの東電でなければ、マイナリ受刑者は冤罪のまま放置されていたことでしょう。

14年まえよりも30代の女性が生きにくくなっているのではないでしょうか。
渡邊泰子が年収1000万円以上の東電社員でなければ、これほど注目されません。
一方、30代の男性にも貧困が拡がり、自由が奪われています。


●まりりん さま

渡邊泰子は殺害されるまえに死んだも同然だったと、わたしは思っています。
拒食症でやせ細り、売春することでやっと生き延びていたのでしょう。
「合理的」というのは当たっていると思います。
どんなに低価格であっても、泰子には必要でした。
いま、「セックス依存症」が若い女性にみられるらしいのですが、泰子はそれだったかもしれないとわたしは思っています。


●匿名さま

佐野眞一が渡邊泰子をヘンに讃えているのが、わたしには不可解でした。

マイナリ受刑者が泰子の客であったのは事実ですが、冤罪で人生を奪われるのは悲惨です。

28. Posted by miko   2011年07月24日 08:54
●定年暇人さま

今回のが「新事実」だとわたしは思っていません。
マイナリを有罪にして東電OL殺人事件を世間から遠ざける必要性が東電にあったのではないかと、わたしは推察しています。
あるいはそれ以外の要因があったのでしょう。

「花街」について、わたしの家にある辞書で調べた結果です。
広辞苑は昭和49年刊なので、「はなまち」は記載されていません。「かがい」のみ。
新潮版「現代国語辞典」(昭和60年刊)にも記載されていません。「かがい」のみ。
三省堂版「新明解国語辞典」(2005年刊)には、「かがい」と「はなまち」の両方が記載されています。

「Wikipedia」から引用します。

《「はなまち」という読み方は、三善英史の歌謡曲『円山・花町・母の町(まるやま・はなまち・ははのまち)』(1973年)のヒット以降、使われるようになった。円山(まるやま)とは、渋谷区道玄坂付近にあった三業地である。また、映画『花街の母』(1979年)と同名の金田たつえの演歌『花街の母(はなまちのはは)』もヒットした。現在では「かがい」より多く使われ一般に浸透しているが、本来は「かがい」が正しい読み方である》

1973年以後に刊行された国語辞典には「はなまち」が記載されているのでしょう。
「goo辞書」には両方あります。
ほかにも「かがい」が正しい読み方であるという記載がネット上にはあり、NHKのニュースでは「かがい」と読むとのこと。

29. Posted by miko   2011年07月24日 08:56
●マリアさま

渡邊泰子が売春をしていた理由はひとつではないと思います。
精神科医・斎藤 学(さいとう さとる)は、母親に対する復讐を指摘していますね。。


●うんどこしょさま

プライドの高かったらしい渡邊泰子の母親は、娘が売春をしていたあげくに殺害されたという事実にマスコミによる人権侵害が加わり、想像を絶する苦痛を味わいました。
家柄がよいという親戚とは絶縁状態なのでしょうね。
泰子の妹がわたしには気がかりです。


●タヨさま

「意味がわからん」という意味がわかりません。

30. Posted by miko   2011年07月24日 17:37
定年退職さま

気になるという内容がよくわかりませんでした。
わたしがとらえたのは、彼は渡邊泰子の父親のようなスタンスで売春生活からの脱却をめざしたが、泰子には通用しなかった、という感じです。
31. Posted by 定年暇人   2011年07月24日 18:25

,海梁瞭發寮艮佞六件当時の司法解剖で検出されていたものだが極く少量であったために当時の技術ではDNA鑑定は無理として鑑定しなかったという。
∋Δ気譴襭音間前に馴染みの初老の男とホテルでコンドームなしで性交しているが、DNAの型は警察保管のこの男のデータとは一致しなかった。
2篩魁第三の男の存在が浮上してきた。
づ時学生であった現場近くの商店の息子さんが事件前に顔馴染みの客引きと朝渋谷駅へ向かって並んで歩く中で会話を交わしたことがあり、「どこに帰るの?」と聞いたところ「うちらはみんな巣鴨」と答えたという。そして事件後彼らはぱったり姿を見せなくなった。彼女の定期券は巣鴨で発見されている。

言葉は時代とともに変遷していきます。
昭和49年の広辞苑になく、平成10年の第五版に載っているということは、「はなまち」も正しい読みとして認知されたということでしょう。

小生のような夜の世界に無縁な無粋者には「かがい」などと言われてもすぐには何のことやらピンときません。「はなまち」といわれればすぐ漢字も思い浮かぶし、響きがなんとなく雰囲気まで醸し出していてすぐわかる。そんなことからこの読みが一般化したのでありましょう。
ちなみに広辞苑によれば「貼付」は「ちょうふ」が正しい読みですが「チョウフの慣用読み」として「てんぷ」も載っています。でもいまや「てんぷ」の方が主流ではないでしょうか。
「はなまち」の解説には慣用読みなどの説明はないので、立派に独立したひとつの「正しい」読みとして載せていることになります。
32. Posted by 通りすがり   2011年07月26日 02:55
以前書き込みさせて頂きました通りすがりです。

今回の証拠は再審に大きく前進する物だと期待しております。

この鑑定は素人でも、何故その当時にやらなかったのかと疑問に思えてなりません。

最初から「犯人ありき」として期待通りにならない証拠は出したくないという思惑が今回も(昨年の厚労省の障害者の郵便料金の事件同様)働いていたのではないでしょうか?

「ゴビンダを支える会」の「事件の概要」を読むと当日の目撃証言も父を迎えに来た青年は「男性の方は良く見ていなかった」と証言したことが書かれてありますが、
この後、もしかしたら誘導されて作成された証言として「東南アジア風の男」というのが採用されこの証言は佐野氏の「東電OL殺人事件」に書かれています。

そうなるとやはり最初から検察側の「シナリオ」がありそれにのっとって「仕組まれた裁判」が行われたのではないかと思えてなりません。

受刑者G氏を当時は疑う余地はあったかもしれませんが
その余地は当日部屋を使用されたと思われる全ての人に向けられるべきだと思います。

私個人の見解はG氏は無罪だと信じています。

彼が犯人ならば遺体のある隣のアパートに、不法滞在にも拘らず平然と毎日暮らしていける訳がない。と思えるからです。

そうでなければ姿をくらまして逃亡するのが妥当ではないかと?

一刻も早く再審が行われることを祈るばかりです。
33. Posted by miko   2011年07月26日 06:38
定年退職さま

「かがい」には歴史があります。「はなまち」が歌謡曲のヒットによって一般化したのであれば、わたしは「かがい」と読みます。
「かがい」の文化を重用視するからです。

panda さまの「かがい」とは読まないというコメントは、正しいとはいえません。
だれにでもまちがいはあります。が、panda さまのスルーには感心しません。
このたびわたしもいろいろ調べてみて、新しい発見もありましたので、よかったと思っています。

以前にも小説『悪人』に関するエントリーへのコメントで、本文にない文章を引用しているとの指摘がありました。
そのかたのほうがまちがっていましたが、スルーされました。

34. Posted by はじめまして   2011年07月26日 18:42
東電OLの件について一番詳しく書かれているブログだと思い、こちらにコメントさせていただきます
この事件について少し関心があってネットで調べていくうちに、真犯人云々より、亡くなられた被害者の東電での勤務態度について興味があり、ネットで検索してみたところ、2ちゃんねるに投稿された元同僚という方のコメントがありました(信用性は?ですが)
引用「私は渡辺さんと一緒に働いてた。渡辺さんはチョー変わり者で、異常な性格。痩せている事が最高の美と思っていて、異常なまでに痩せていた。だから、彼女の事はエイリアンをもじってえーちゃんと陰で呼んでました。同僚、先輩はもとより、上司の言う事は聞かない、好きな上司は大平首相のご子息であられた大平副長。
彼女が認める上司の言う事は聞いていたが,会社では超のつく問題児だった。私は先に退職したが、後にえーちゃんが殺された、渋谷で立ちんぼをやってた、って聞いてものすごく納得出来た事を記憶してます。彼女がパン助になったのはストレスや会社のせいでもなく異常な性への興味だったと思います。佐野真一氏は勝手な事を書いてるけど、全くの見当違い。 腹が立つ。
35. Posted by miko   2011年07月27日 00:09
通りすがりさま

実施されなかった渡邊泰子のショルダーバッグの取っ手の鑑定については、佐野眞一が『東電OL殺人事件』に記しています。
先日のTV出演でも語っていました。実施されなかった理由がわからないと。

7月26日付け朝日新聞の夕刊に、この件について記事がでていました。
最新の技術で取っ手部分に不着した物質のDNA型が判明すれば犯人特定の決め手になる可能性があるが、二審までの鑑定で試料は使い切ったため、鑑定は実現できなかったとのこと。

犯人が殺害直前にバッグを奪おうとした際、泰子が抵抗したため、取っ手がちぎれたとされていました。
拒食症でやせ細った泰子にそれだけの力があったということが、わたしには驚異であると同時に、まさに「死にものぐるい」という感があり、慄然とします。

いずれにしても、ゴビンダ受刑者は自由の身になるでしょうね。
36. Posted by miko   2011年07月27日 01:33
はじめまして さま

大平明については、佐野眞一が『東電OL症候群』(2001年)に記しています。
父親を喪ったばかりの渡邊泰子が、慶応の先輩であり上司だった大平明に強く引かれたらしいと。
大平明は現職総理のまま急死した大平正芳の三男で、その後大正製薬オーナーの上原家と縁組して、同社副社長に。
泰子が東電に入社して2ヵ月後の1980年、大平明も泰子と同様に父親を喪っている。
佐野眞一が大平明を取材したとき、かつての部下だった渡邊泰子の不幸な死に対し、冷淡で迷惑そうな態度にみえたという。
佐野によると、大平正芳は一時期、円山町の花街に足繁く通い、SKD出身の大きな料亭の女将が愛人だったという。
警察庁詰めの新聞記者によると、泰子のもっていたアドレス帳には大平明の名前と携帯番号も書かれていた。

ネットで調べましたら、大正製薬における大平明の役職はつぎのとおりです。

昭和57年5月 当社入社
昭和57年6月 取締役に就任
昭和58年6月 常務取締役に就任
昭和60年6月 専務取締役に就任
平成6年6月 取締役副社長に就任
平成11年6月 代表取締役副社長に就任
平成18年4月 大正富山医薬品蠡緝充萃役社長に就任(現任)
平成21年4月 取締役副会長に就任(現任)

わたしは、渡邊泰子は「セックス依存症」だったのではないかと思っています。
1日4人の客と売春をするというノルマを課し、殺害された当日もそれをクリアしたみたいですね。
虚像が実像を食い破る寸前に殺害されたという気がします。

佐野眞一が描いた渡邊泰子像は、実像とちがうかもしれません。
しかしそれに迫ろうとするエネルギー、本事件を広めた功績を、わたしは評価します。
37. Posted by うんどこしょ   2011年07月27日 01:35
タヨさま、
わかりにくくて済みません。いいたいことはつまり長年の客であった大学教授が、この子はもう完全に人間性を失っていると確信し泰子を殺した。 ということです。   
38. Posted by うんどこしょ   2011年07月27日 02:12
私は読んでいませんが(というより読むつもりはありませんが)、佐野眞一の泰子に対する感性を疑問視する声が多いですね。特に巫女に例えるような陳腐な偶像化に批判が多いようです。 泰子に関する感性はなってなくてもお金を稼ぐ感性はすぐれていたということでしょうか。 しかし、人の不幸をネタに金儲けして気が引けないのでしょうか。 リンゼーさんのご両親は、娘の不幸で稼いだ金など1ペニーとて受け取れない、と当然の反応を示しました。泰子の家族はどういう思いをされているのでしょうか。佐野がもし社会的な使命でこの本を書いたというのなら、印税を全て寄付してほしいと思います。 1円なりとも自分の生活に使っていたとしたらこいつは殺人者に引けを取らないとんでもないやつです。 mikoさまは泰子のご家族のことを大変気遣ってらっしゃったようですが、ご家族にしてみたら傷に塩を塗られたようなもので、更にその不幸をネタに金儲けしているとすると許せるものではないのでは・・・。 もし佐野が印税を寄付しているという事実があるならすべての批判を撤回して謝罪しますが・・・。 真実を知りたい人は裁判記録をネットで探して読まれることをお勧めします。 佐野の本を買って読む人と佐野本人には泰子の呪いがふりかかりますように・・・。 
39. Posted by うんどこしょ   2011年07月27日 03:13
連続投稿です。1)毎日退社後終電まで売春する。2)週末はSMクラブ出勤後に渋谷で売春する。3)相手と場所を選ばず体を許す。4)ラブホテルを糞尿で汚し出入り禁止となる。5)ネパール人と4Pをする。 自分の生活に置き換えて考えてみてください。たった1つの項目でも1回なりともできますか? 活字の上ではありえそうだと錯覚しますが、実際雨の日に渋谷に行くのだって面倒なのに・・・。女性には多少は理解できるというような感想が見受けられますが、どんな依存症でも性欲が強くてもこのレベルは無理でしょう。複数の人にやられる想像して興奮して自分で処理するのはいいですよ。ただ現実との間にはとてつもなく大きな一線がある。やはり病理の世界だと思います。Mikoさんは興味があっていろいろ調べていますが、「かがい」「はなまち」の機論を堪能できる堅気の素人に理解できる世界ではないですよ、これは。 それにしても人の不幸をネタに金儲けしている佐野には腹が立つ。 ご家族がご健在でいらっしゃるのに・・・。 全額社会貢献のために寄付させましょう。  
40. Posted by 定年暇人   2011年07月27日 09:40
たしかにこの事件に生じた現象を冷静に考えてみれば反省されるべき点はあるように思う。
佐野氏の本は冤罪の告発という点では一定の役割を果たしてきたと思うが、一方でこの本の読者の関心は事件よりも被害者個人の特異性に向いているところがある。みんなが心のどこかに反感を抱いている独占電力会社、羨望のエリート一家を襲う悲劇、被害者の華麗な経歴、そしてその異常な性生活、嫌でも興味をそそる材料が揃い過ぎるほど揃っている。佐野氏の鋭敏な作家本能が”発情”、「書けば売れる!」と考えた商魂が透けて見えなくもない。
そのせいか告発本としての体裁をとりながら、内容的には被害者個人と彼女を取り巻く特異な状況について興味をそそるような記述も多く、関係者のプライバシーへの配慮は希薄といわざるをえない。
勝手に身辺を調べられ、好きに書きたてれた被害者家族の心情を思うと同情を禁じえない。
また東電元上司が唯一実名で登場するのも、その恵まれた経歴に対するやっかみ感情に訴える意図が感じられる。今や黒幕まがいの扱いもある氏だが、”疑わしきは被告人の利益に”の原則は法廷だけでなく日常の社会生活でも守られるべきルールであろう。
41. Posted by 定年暇人   2011年07月27日 15:53
未菜実さんと仰る方の面白い書き込みがありましたので勝手ながら一部を引用させていただきます。

読み方は時代によって変化していますね。
下に、私が気づいた例を挙げておきます。★誤用の方が定着したか優勢なもの。
・攪拌:"こうはん"→"かくはん"   
・端緒:"たんしょ"→"たんちょ"   
・蛇足:"じゃそく"→"だそく"
・設立:"せつりゅう"→"せつりつ"  
・睡眠:"すいめん"→"すいみん"
・出納:"しゅつのう"→"すいとう"  
・情緒:"じょうしょ"→"じょうちょ"
・宿命:"しゅくみょう"→"しゅくめい"
・消耗:"しょうこう"→"しょうもう"
・漏洩:"ろうせつ"→"ろうえい"   
・稟議:"ひんぎ"→"りんぎ"
・捏造:"でつぞう"→"ねつぞう"   
・捧腹絶倒→抱腹絶倒
・貪欲:"たんよく"→"どんよく"   
・呂律:"りょりつ"→"ろれつ"

★変化の途中にあるもの。
・御用達:"ごようたし"→"ごようたつ"
・固執:"こしゅう"→"こしつ"
・早急:"さっきゅう"→"そうきゅう" 
・重複:"ちょうふく"→"じゅうふく"
・追従:"ついしょう"→"ついじゅう" 
・茶道:"ちゃどう"→"さどう"
・悪名:"あくみょう"→"あくめい"
・残滓:"ざんし"→"ざんさい"
・口腔:"こうこう"→"こうくう"   
・直截:"ちょくさい"→"ちょくせつ"
・白夜:"はくや"→"びゃくや"
・世論:"よろん"→"せろん"
・出生率:"しゅっしょうりつ"→"しゅっせいりつ"
・丁字路(ていじろ)→T字路(てぃーじろ)
・難しい:"むつかしい"→"むずかしい"
42. Posted by はじめまして   2011年07月27日 20:55
連続投稿がうまくできなかったのですが、続きです
「えーちゃんは人との関わりに全く興味が無かった。プライベートの話なんてする人は皆無だったんじゃなかろうか? 当時は総合職、なんてカテゴリーはなかったから、大きな会議の時は、女子社員はみんなでお茶入れをしなければいけなかったけど、絶対やらなかった。女子社員はもちろん男性にも本当にみんなに嫌われていた。 渡辺さんをずっと要職で雇っていたのは、お父さんのこともあるし、彼女の思惑と違う仕事をさせたら、大騒ぎして騒ぎまくるに違いないもの。ただ渡辺さんは、ある意味優秀だったと、彼女の名誉の為に言っておきます。」

この投稿を見て、私の職場に以前いた人を思い出しました。彼女も上記とほぼ同じ性格(ガリガリにやせていた)で、「女性の自己防衛本能が高まりすぎると他人に激しく攻撃するようになるのだろうか」といつも思っていました。
東電OLの方も、きっと、昼は周囲への攻撃で、夜は金を稼ぐ事で、本能的に自己防衛していたのかなと、思いました。
43. Posted by miko   2011年07月28日 07:46
うんどこしょ さま

あなたのお考えですと、ジャーナリストという職業は成り立ちません。

あなたの〈佐野がもし社会的な使命でこの本を書いたというのなら、印税を全て寄付してほしいと思います。1円なりとも自分の生活に使っていたとしたらこいつは殺人者に引けを取らないとんでもないやつです〉〈佐野の本を買って読む人と佐野本人には泰子の呪いがふりかかりますように・・・〉というコメントには、正直なところ閉口します。
わたしには、あなたの攻撃性が怖いです。

佐野眞一だけを批判されていますが、商業ベースに乗るかどうかを判断するのは、版元の新潮社です。
たしかに渡邊泰子の家族は甚大な被害を受けましたが、渡邊泰子に共感する部分のある女性が多いということが、佐野眞一の著書により明白になりました。
これは大きな功績です。

わたしは渡邊泰子に好感をもっていませんが、女性のターニングポイントである35歳近くのひとの抱えている危機感に興味があります。
本エントリーにも書きましたが、『空室』という詩集の著者である柴田千晶の感性がとても好きです。
渡邊泰子をモチーフにした詩集で、秀逸です。
残念ながら、この詩集は品切れみたいですね。
44. Posted by miko   2011年07月28日 07:56
定年暇人さま

〈佐野氏の鋭敏な作家本能が”発情”、「書けば売れる!」と考えた商魂が透けて見えなくもない〉というあなたのコメントに、わたしは同意できません。

〈東電元上司が唯一実名で登場するのも、その恵まれた経歴に対するやっかみ感情に訴える意図が感じられる〉と書かれていますが、それは大平明のことですか?
文脈からすれば、実名をだす必然性があります。
渡邊泰子は亡父の部下だったひとのコネで東電に入社したそうですが、大平明も総理だった父親のコネの可能性がありますね。
そうだとしたら、渡邊泰子より悪質だと思います。
45. Posted by 定年暇人   2011年07月28日 09:12
たびたびおじゃまいたします。

泰子がセックスに狂うようになる最初のきっかけは何だったのであろうか。
女性の場合、一人で性の快楽を覚えることは少ないように思う。ここまで性の奴隷になるには早い時期に誰かに焚きつけられ、官能が高められていったと思われる。
小生は最初に彼女が性の快楽に目覚めたのは子供の頃だったのではないかと考えている。
父親は彼女を溺愛し、彼女もまた異常なまでに父を慕っていたようであるが、幼少期からの父親との関係は果たしてどのようなものだったのだろうか。


46. Posted by まりりん   2011年07月29日 21:57
mikoさんこんばんは!

先日、神泉駅に降りて、喜寿荘の前を通ってみました。
その以前1994年頃の神泉駅は小さな駅で駅員もいませんでしたが、ちょうど1997年頃に今の駅になったのですね。

喜寿荘は昭和の香りを今なお残したままで、住人も普通に生活しているのです。

すぐの路地を入ると円山町のラブホテル街に入ってしまう、本当に松濤と円山町の落差は激しいです。

47. Posted by miko   2011年07月31日 04:56
定年暇人 さま

レスポンスがおそくなり、申し訳ありません。
時間がとれなかったということもありますが、どのようなレスをすればよいのかと考えると、憂鬱でした。
いままでいただいた定年暇人さまからのコメントには同意できず、今回のも同様です。

〈女性の場合、一人で性の快楽を覚えることは少ないように思う。ここまで性の奴隷になるには早い時期に誰かに焚きつけられ、官能が高められていったと思われる〉という定年暇人さまの見解は受け入れられません。
そういう女性が皆無だとは思いませんが、渡邊泰子には当てはまらないでしょう。
妙な表現ですが、もっと自発的なエネルギーだと、わたしはとらえています。
とても深い病理です。

定年暇人さまは渡邊泰子と父親に近親相姦があった、と考えておられるのですか?
ファーザーコンプレックスは濃厚ですが、それはないでしょう。

ひとりの人間が体験できることは限られています。
自分の体験からものごとを判断しようとすると、狭いものになります。
いくら想像力を働かせてもわからない、それが渡邊泰子だと思います。

売春するということは、買春している男が存在しているわけで、人間が存在している限りなくならないのでしょう。


48. Posted by miko   2011年07月31日 05:15
まりりん さま

あの古びた喜寿荘というアパートが、いまも存在していることが不思議です。
ほんとうに神泉駅に近くて、終電に乗る渡邊泰子には好都合ですね。

円山町は不思議な土地だと、わたしも思います。
わたしが足を運んだのはお昼でしたから、ホテル街は死んだようになっていました。
ホテルのまえをベビーカーを押して通りすぎた女性がいました。
近くに東急百貨店や文化村もありますしね。

わたしは殺害現場より、「ヤスコ地蔵」のほうに興味があります。
内部にふたつの地蔵が収まっているので、背が高くてグロテスクだと感じました。
そのまえに立つと、妙に安心感のある小さな空間でした。
わたしが行ったときはあまり手入れされていませんでしたが、いまはどうなのでしょう。
再度訪ねるとしたら、掃除道具を持参して、きれいにしたい気分です。

49. Posted by miko   2011年07月31日 12:02
訂正します

さきのコメントで「内部にふたつの地蔵が収まっているので」と書きましたが、わたしの記憶ちがいでした。
ほんとうにそうなのか気になって調べてみました。

道玄坂地蔵にある立て札によると、このお地蔵様は約300年前に建てられたときは豊沢地蔵とよばれていたが、御本体は2度の火災で焼け崩れ、この地蔵の中にご本体を固めて上をきれいにお化粧し、道玄坂地蔵と名を改めて現在地に建っているとのことです。

それにしても奇妙な地蔵です。

50. Posted by まりりん   2011年07月31日 18:39
mikoさんこんばんは!

お地蔵様、見つけられませんでした。
途中下車して、色々あの界隈を探索しています。

今日は、喜寿荘隣の粕谷ビルを裏側から見てきました。
松濤温泉(旧)付近のシャルマン(喫茶店)にも入りました。

お地蔵様や、大仏様で二重に中に入っている事ありますよね。是非、又歩きまわって、お地蔵様に手を合わせたいと思いました。
51. Posted by miko   2011年07月31日 21:46
まりりん さま

訂正のコメントをしましたが、以前に道玄坂地蔵の立て札を読んだときに誤読していました。
火災で焼け崩れたのなら、ほとんど御本体は残っていなかったのかもしれません。

わたしは3人で円山町を散策し、道玄坂地蔵の場所がわからなくて、道玄坂上交番で訊きました。
なんと道玄坂地蔵は、かつてこの交番のあたりに建っていたらしいです。
道玄坂上交番の先を右折したら、すぐそこにあります。
みつけられないひとが多いみたいですね。

道玄坂と円山町には歴史がありますので、自由に歩いてみるとおもしろいかもしれませんね。
わたしは裏道を歩いて迷路を愉しみたかったのですが、ひとりではなかったので実行できませんでした。

本エントリーに一時的に増えていたアクセスも落ちついてきて、わたしはほっとしています。
わたしは量より質を重んじる人間なので、コメントされなくても、ひとりでもなにかを受けとったかたがおられたら、うれしく思います。
52. Posted by kumatr   2011年08月02日 06:47
最近の新聞報道で、東電OL事件を思い出し、NETで検索して、MIKOさんのブログにたどりつきました。今月の中旬過ぎに 東京方面に出掛ける用事がありますので、できたらこの近辺界隈をいろいろ歩き回ってみるつもりです。
53. Posted by miko   2011年08月02日 23:17
kumatrさま

コメントありがとうございます。

ぜひ道玄坂地蔵と対面してください。
あのまえに立つと、不思議な気分になります。

わたしはお昼に訪ねたので、夜にあの辺
を彷徨したいと思いながら、実行していません。
54. Posted by Kumatr   2011年08月25日 12:57
Miko様
21日、朝、小雨、渋谷へ行きました。車を止めたコインパーク、偶然ですが、東電シンドローム本の表紙にある、トンネルの上、。車から出ると、電車の音、踏切の音、あれっと思いフェンスのぞき込むと、神泉駅、現場の裏口、4回建ての古いビル、目の前です。トンネルの上が民間の駐車場だったんですね。今も入居者が居るんですね。お地蔵さん、青果店、ラブホ、簡単に見つかります。思ったより狭いエリアを何度も歩きました。中年の女性、お地蔵さんにお参りしてました。私もお参りして、賽銭をいれました。菊の花、たくさん供えて有りました。四つ辻で上下左右から来る通行人に声かけるには絶好の場所ですね。感想は…んんん、なんとも言い難し。心の中に残る経験です。
55. Posted by miko   2011年08月26日 23:43
Kumatr さま

コメントありがとうございます。
渡邊泰子の足跡は容易には消えませんね。
最近いただくコメントを介して思うのは、それぞれにとっての渡邊泰子がいていいのではないかと。
渡邊泰子をわかる人間はいないでしょう。
が、それぞれが彼女に想いを寄せる――、これはものすごいことだと思います。

わたしは道玄坂地蔵のある空間が気に入っています。
なぜかほっとします。

渡邊泰子のおかげで、わたしは渋谷という土地には特別な感慨をもつようになりました。

56. Posted by ボーダー   2011年10月31日 04:26
5 先日、久米宏のラジオ番組に佐野眞一が出ていました。

久米さんも放送の前に、本を片手に円山町を1人で歩いたそうですよ。お地蔵さんの場所は、近所の不動産屋さんに聞いてなんとかたどり着いたと言っていました。祠はゴミひとつ落ちていなく、生花が供えられていたそうです。

今も収監中のゴビンダはどう考えても冤罪ですが、次の再審でも無罪になるかどうかはわかりません。最近DNA鑑定によって泰子さんと最後に関係を持った第三の男の存在が明らかになりましたが、だからと言ってその男が犯人だという証拠はない。というのが司法の考えのようです。

そもそも今回の鑑定結果が出る遥か以前から、泰子さんの身体についた唾液とゴビンダの血液型が違うことはわかっていました。検察がその証拠を意図的に隠したのです。

日本の司法の薄気味悪さは、これまで何度となく露見しています。我が国にとって最大の恥部ではないでしょうか。人間の尊い一生を、司法の職につく者が、都合よく、意図的に葬っている可能性が高いのです。日本の司法や東電の体質は、泰子さんの行動などより、ずっと不可解で怖しい。と言うのが僕の感想です。
57. Posted by miko   2011年10月31日 22:32
ボーダー さま

道玄坂地蔵はたしかに一見の価値がありますね。

ゴビンダを冤罪に追いこんでまで隠蔽したいものがこの事件の背後にあるわけで、それがなんとも不気味です。
渡邊泰子という女性の不可解さに冤罪が加わったことで、この事件が重層的になっています。

東電の体質は、国のバックアップがなければ成立しません。
税金や高い電気料金を国民から絞りとったうえでの利権構造です。
わたしは飯田哲也(環境エネルギー政策研究所所長)に注目しています。

58. Posted by うつな暇人   2012年02月13日 23:01
彼女は、確かにセックスに溺れる様になっていた事は事実かも知れませんが、事件の本質はそこにあるので無いと思います。恐らくその闇を探ろうとすれば、消されてしまうであろう。作者はそれを知った為、我が国で公にするには昼は超大企業のエリートOL夜は売春婦と言う形で出したが、その背景を察して貰いたかったのではないか?1945年8月から基本的には変わっていない。政府も国内問題はある程度の最良はあるがそれ以外は殆ど選択の余地は無い。それは、近年になって加速度的、露骨になっている様に思われてならない。かつての敵国に「原子力」の自由を与えるとは、考えられない。そもそも、当時のあの会社が幹部社員のスキャンダルを公に出す訳がない。本来ならどんな手を使っても揉み消した筈だ。それが、寧ろ彼女を貶める様な内容だ。まるで見せしめの様に・・・
59. Posted by miko   2012年02月17日 03:25
うつな暇人さま

コメントありがとうございます。

「そもそも、当時のあの会社が幹部社員のスキャンダルを公に出す訳がない。本来ならどんな手を使っても揉み消した筈だ」とのご指摘ですが、殺人事件が発生した以上、東電が揉み消すのは不可能だと思います。
ゴビンダを冤罪にしてまで、事件の幕引きをしようとした裏になにがあったのか。
そこに真相が隠されているのではないでしょうか。
60. Posted by 通りすがり   2012年02月21日 21:32
うつな暇人さんが
仰るとおり、私個人の根拠の無い戯れ事ですが、

公にしたくないために「東電が仕組んだ地雷除去」だったとも考えられなくも無いような気がしてきました。

定期券が巣鴨の民家の敷地内でみつかった事は、錯乱目的と理解できるところもあります。

61. Posted by miko   2012年02月23日 00:14
通りすがりさま

コメントありがとうございます。
通りすがりさまやうつな暇人さまのおっしゃりたいことが、わたしにはよくわかりません。

渡邊泰子はたしかにエリートOLではありましたが、本人には挫折感があったようです。
毎日定時に退社し、終電まで売春をしているような生活でしたので、職場で活躍していたとはとうてい考えられません。
東電や社員が泰子の売春を知っていたのに、解雇されなかったのは不気味です。

本事件の闇は深いですが、事件を裁く側が怪しすぎるのは大きな問題です。
62. Posted by ponpon   2012年06月09日 08:59
ゴビンダさんの冤罪のトピックからここにたどりつき全て読ませていただきました。考えれば考えるほど分からなくなります。愛情が欲しかったのならデートに誘った教授と関係が深くなるのが普通だと思います。でも彼女はそうではなかった。ということは愛されることを求めて売春をしていたわけではないですよね。
私が一番気になるのは殺害された古いアパート。高収入でプライドのある女性だったらたとえ売春に使う場所だとしてもあんな場所は借りないと思います。どうして彼女があのアパートを選んだのか。ただ駅に近いという理由だけではなく何か心理的な要因があるのではと思います。
家族や同僚も彼女の売春の事実を知っていたとのことですが、どうして誰も彼女を助け出せなかったのでしょうか?母親は毎晩終電で帰ってくる娘をどういう目で見ていたのでしょう?見てむぬフリだったのでしょうか?ふとお葬式の際の被害者の母親の様子がどうだったのか気になりました。
63. Posted by エレキ   2012年06月09日 21:06
本は読んでいません。
私の勝手な想像です。

性交ノルマを達成することによって
大好きだったお父さんと会える!
時間を越えてお父さんと精神的同期できる!
彼女にとって性交は、そのための儀式だったと思います。

誰も助けなかったのは、人を近づけさせないオーラみたいなものを彼女が発していたと思います。
特に、会社の従業員達は彼女が堕ちて行く姿を見て密かに楽しんでいたと思います。だから余計に放置しかのかもしれません。『公衆便所として利用したろうか』というノリでしょう。エラソーなことを主張してきた女が自ら堕ちて行く・・・『他人の不幸は蜜の味』という言葉があるように。イジメる対象がいた方が社内を纏め易かったのでは?
そして売春の有無に関係なく会社の都合で消し、ボロ雑巾のように捨て去り『当社とは関係ございません』みたいな・・・『見せしめ』もあったと思います。
原発作業員の手配で日頃から付き合っているでしょう。
電力会社=大企業、電力会社社員(正規従業員)=勝ち組
と世間は認知しているでしょうが
原発を保有する電力会社はブラック企業だと思います。


64. Posted by ih   2012年06月10日 00:07
マイナリ被告が逮捕された時、何か違うと感じたのだけど、世間は容疑者が不法残留なのだから多分そうだろうと噂していて、“不法滞在者”だから犯人とされたという印象でした。 確かに、被害者は父子で“反原発レポート”を書いていたのだから抹殺されたとしてもおかしくないかもしれません。 =今だからそういう考え方が浮かびます。
=誰が指示したかまではわからないけど=原発推進派と反対派の戦争のような中でだったから起こるべくして起こった事件なのかも知れません、、
でも!!!!!

私も当時、神泉駅の松濤よりのマンションに住んでいて道元坂オフィスに通勤していたので渋谷から裏道を通って神泉駅近くの現場の前を通って帰っていましたが、事件前は会社の制服を紙袋に入れた〝おばさん〟がよく細い道に立っていたのを見かけました。 ネットに出ている写真は若い頃の被害者だから、年齢的にもそうだと思います。すれ違う時によく見えて 時計やハンカチなどの持ち物が意外にも品の良い新しい物ばかりだったので=“立ちんぼ”にしては変だと思いました。

=そこに立たせる事でわざわざ怪しい噂が立ちやすくしてから殺された?
=そうではなくて誤解されていただけでたまたま殺された?
もしくは、彼女はそれ以上に賢くて、自分が危険にさらされて命を落とした後も、 自分を殺したのは誰かという=憶測=が飛ぶ事で、父親の仇を討とうと目論んだ!!!!

....彼女が歩いていた先は昔からの料亭がいくつもある場所で、企業幹部や高官にも使われている場所ですが、待ち合わせた人とはそこに向かって歩いていました。
65. Posted by ih   2012年06月10日 00:19
その後は私もあの人良く立ってるのよねと家族に話していた位で、昔は料亭街だった所も今ではその裏にラブホが立ち並んでいる事もありその場所に数分でもじっと立っていたら怪しい事をしていると疑われるのは間違いないです。

道元坂小路側から来た品も良く賢そうな30代位の男性達は省庁の人で、百軒棚側から来た50代のきちんとした会社員男性は彼女の年上の部下だったとしたら言葉使いや身なりからも物凄〜く納得できます。 “立ちんぼと思っていたのに”=とにかく一度もはっきりと客引きという現場は目撃しませんでした。

たまたま何か“集会”のお迎えで立っていただけ!!!!!☆
別の日に、もう少し若い会社員らしい女性が紙袋に同じように制服を入れて立っていた事があり何だ? 
最近はこんなきちんとした女性も“立ちんぼ”をするのかと
ぎょっとした事がありました。
66. Posted by ih   2012年06月10日 00:23
今思えば、何かの集会の為に誰かのお迎えに出られていただけなのだと思います!
彼女は国や会社を敵にまわして、自分を危険にさらしてまで私達の為に密かに集会を開いて原発の危険性を訴えてくれていたのだと思います。

あの場所の現代のイメージで“勝手に立ちんぼをしていると思い込んでいた”私のような人間は、円山町を若者の遊びやレジャーの場所としか認識できない、渋谷に行っても殆どはそういう風にしか使っていなかった人間なのだ思います。 

週刊誌やスポーツ新聞の記事を書いているライターの中には、お金の為に虚偽や憶測で書く者も混ざっていて、誰が傷つこうかおかまいなく出来るだけ大衆受けのする記事を書くライターがいます。 与えられた情報をうのみにして身近な人に話している私達はそういう低俗なライターと何も変わりません。。 私自身“立ちんぼだと誤解したまま”家族にそんな人がいるのだと話していました。 家族はこの辺は料亭もあるからと言っていましたが 意味がわかりませんでした。本当にご免なさい。

ご冥福を祈ります。被害者の名誉を回復させて下さい。
67. Posted by miko   2012年06月10日 22:23
ponponさま

コメントありがとうございます。

渡邊泰子についてはいくら考えてもわからないことだらけなので、わたしはこのエントリーを書きました。
泰子の母親は娘が売春をしていることを知っていても、どうすることもできなかったのだと思います。
泰子が売春をしていた理由はひとつではないと思いますが、母親が最も嫌悪するであろう売春をすることで復讐していたという側面があったのではないかと、わたしは思います。
泰子は父親亡きあと、一家の大黒柱として生きてゆくという気概をもっていたらしいですね。
家柄はよくても経済力のない母親を軽蔑していたのではないかしら。

佐野眞一の東電OLに関する本は文庫になっていますし、事件がまた話題になっているせいか、書店に平積みになっています。参考のために読まれることをおすすめします。
68. Posted by miko   2012年06月10日 22:26
エレキさま

「私の勝手な想像です」とご自身が宣言しておられますが、「勝手な想像をする自由はありますね」としかいいようがありません。
原発が日本に導入されたのは国策ですが、東電という大企業の悪質さが露呈したので、国民から攻撃されているわけです。
その悪質さは3.11後もまったく変わっていません。
東電が社員だった渡邊泰子をヤクザを使って殺害したという話がネットで流れていますが、事実かどうかは不明です。
はっきりしているのは、脱原発ではない国は時代おくれだということです。
69. Posted by miko   2012年06月10日 22:28
ihさま

コメントありがとうございます。

生身の渡邊泰子をihさまは目撃されたのですね。貴重な体験だと思います。
 
「父子で反原発レポートを書いていた」という事実はないみたいですよ。
父親が反原発だったので降格になったというのは、もしかしたら事実かもしれません。
「彼女は国や会社を敵にまわして、自分を危険にさらしてまで私達の為に密かに集会を開いて原発の危険性を訴えてくれていたのだと思います」というihさまの見解は、ちがうと思います。

いずれにしても、東電OL殺人事件の闇は深いです。

3.11以後、それまで東電がカネの力で圧殺してきた闇が、すこしずつ暴かれるようになりました。
そのカネも電気料金に上乗せしたものだったわけで、ほんとうに憤りを感じます。
70. Posted by エレキ   2012年06月11日 00:09
いろいろなところで彼女の考察がなされているようですが、その中に、

彼女の家の土地(借地)代金は10年ごとに支払う契約がされていたそうです。
杉並区永福の土地80坪の借地代金10年分って幾らでしょう?

彼女は家長として、家を守るために売春で稼いでいた可能性があるというのです。

女性の社会的地位が低い時代、家長に先立たれ女手一つで家や家族を養うためには身体を売ることは普通にあったと思います。家を守るために貞操を捨てる事は貞操を守る事より立派な行為という認識であれば、家族が売春を知っていてもおかしくありません。
これは家を守る事に固執しない家庭で育った人には理解できない感覚だと思います。

そう考えると、彼女は、父の死後、拒食症を患いながらも、家族を守るために必死で生きてきたのであって
多くの人が期待する?『心の闇』なんか一つも無かったと思います。
夜の仕事でヨレヨレでもキチンと出社しています。
夜の仕事が終われば必ず終電で帰宅していた・・・
性愛に溺れていたのなら外泊があってもおかしくないでしょう。
自分の提案が退けられても会社を愛していたのでしょう。精神疾患だったら定刻どおりの出勤は困難だと思います。

いろいろ挫折(他人の評価による)を経験したそうですが、家長という立場を評価するのは自分です。
家長であるという自負と責任が奇行にもつながっていると思います。(『家(け)』=血筋 に価値を感じない人には理解不能でしょうが・・)


彼女にもう少し柔軟性があれば、1997年に死することなく、2年後には売春ではない蓄財方法のチャンスが到来したのに・・・残念です。

泰子さんは、家族の為に、会社の為に、必死に頑張ってきた素敵な女性だと思います。

71. Posted by suyap   2012年06月11日 14:26
こんにちは、
渡邉泰子さんつながりでこのブログにたどりつき、さっき拙記事をTBさせていただきました。私の見解はそちらに書いております。

ところで本文で挙げておられる女性ライターの椎名玲さんが、「永久保存版 肉も野菜も魚もこれで安心 放射能を落とす下ごしらえ」という香ばしい本を出しておられますね。また昔は「『夢のリゾート』なんて嘘ばかり ベトナム人気で観光客が味わう恐怖のサバイバル」文藝春秋社...という座談記事でも活躍しておられるようです。

井の頭線で毎晩のように見かけた姿が、遺体発見時の服装とまったく同じ...ふ〜む、そこに香ばしさを感じてしまうのは、私の感性がヒン曲がっているからでしょうか?
72. Posted by miko   2012年06月12日 14:34
エレキさま

エレキさまが渡邊泰子を英雄視されておられるのには、感心しません。
東電での年収は1000万円近くあったといわれていますし、東電入社は父親の部下(ネットでは勝俣恒久らしい)のコネです。
母親は泰子の扶養家族として扱われていたでしょうし、マジメに勤務していたら、困ることはなかったと思います。職場での居心地は悪かったにしても。
それに妹も就職しましたので、泰子の経済的負担はぐっと軽くなったはずです。
売春によって得たお金をすべて貯蓄していたというのは、泰子の特異性をあらわしていると思います。

父親を絶対視していた泰子が、大学生のときに父親を病死で失った時点で、泰子は精神的に死んだとわたしはとらえています。
殺害されたわけですが、渡邊泰子の実体はそのずっとまえに死んでいたのではないか。
いずれにしても渡邊泰子が風化しないところに、わたしは現代社会の病理をみます。

73. Posted by miko   2012年06月12日 14:39
suyap さま

コメントありがとうございます。
TBされたとのことですが、本blogにはつながっていません。
よろしかったら再度お願いします。
かつて椎名玲さんが渡邊泰子について記した一文には、感心しました。

74. Posted by エレキ   2012年06月12日 19:28
英雄視はしていません。
泰子さんは被害者なのに貶められたまま人々に記憶されてしまうのが悔しいな・・・と感じています。

ご参考

http://www.interq.or.jp/venus/yoshida/0529Kokorono-yami(1).html


特に、上記の4部により、私は自分の経験と照らし合わせて自分なりに霧が晴れたように感じました。

http://www.interq.or.jp/venus/yoshida/0529Kokorono-yami(4).html

更に私の想像ですが、彼女にとって家は『お父さん』の象徴だったのでは?
肉体として存在したお父さんを助ける事が出来なかった悔しさや無念を『家を守る』ことで今度こそお父さんを助ける事が出来るんだ!っていう思い。代償規制ってヤツですかね?
家を維持できなくなることは永遠に父との別れにつながってしまう恐怖。
東電のせいで避難しなければならないのに家に残り、放射能で田畑は死んでしまったのに土地に固執する人々。原因は全く違うが思いは同じだと思う。

父の死で立ち直れないほど号泣する娘を東電の弔問者は見ているはずで社員の繋がりが良好な会社ならば遺族を採用するのは珍しくないです。コネというより会社の誠意です。こういうの、経験者じゃないとわからない世界なので外の人から見ると『不公平』でしょうけれど。
75. Posted by miko   2012年06月13日 06:57
エレキさま

リンク先のサイトは閲覧させていただきました。

本エントリーは以前からアクセスが多いのですが、コメントにレスポンスするのが、いつも気が重いです。
最大の理由は、それぞれにとっての渡邊泰子が存在し、彼女を理解しているという思いこみが強く感じられるからです。
はっきりいってわたしの身近に渡邊泰子がいたら、好きになれないと思います。
が、拒食症でやせたからだで、1日4人というノルマを達成していた渡邊泰子には痛ましさを感じます。

以前にコメントしていただいたかたで、泰子が売春をはじめた齢くらいで売春をやめ、いまはフツウの会社員をしているというのがありました。
彼女からヒリヒリするような感触が伝わってきて、コメントするのが怖かったですね。

わたしには渡邊泰子はわかりません。
だからこそ、ずっと考えつづけてゆきます。
76. Posted by suyap   2012年06月13日 20:58
ブログをやっていくなかで、記事内容によって、TBを受け取れなかったり、送れなかったりすることに気づきました。一応URLを記しておきます(htpの間にtを足してくださいね)。この記事へのアクセスの動きも、コントロールがかかっているようです。

htp://suyap.exblog.jp/15527889/

ともかく、この事件でオモテに出ている「情報」は、すべて警察・検察・メディアを通したものでしか知りようが無いということはしっかり認識する必要があると考えます。泰子さんの母親が彼女の「売春」を知っていたかどうかなんてのも、我々にどうしてわかるのでしょうか?そもそも彼女の「手帳」が自宅からも発見されたってのも、いくらでも仕込むことは出来ます。

そうそう、2000年5月のこんな記事が出てきました:
http://www.1101.com/torigoe/archive/2000-05-25.html

椎名玲氏の記事が出たのは2001年6月号?東京高裁の逆転有罪判決の半年後ですね。最高裁上告もあって、世論の後押しを「強化」したかったのかも。私は円山町界隈で目立つ立ちんぼしてたのは、別人だと考えます。

77. Posted by エレキ   2012年06月13日 21:03
何度も、コメントにお付き合いいただき ありがとうございました。今回でコメントするのは最後にします。

もし、彼女と接する機会があったら、彼女に代金を支払って相手になってもらいたいと真剣に思いました、週一くらいで。
同姓ですけどね(笑)当方彼女よりやや年下です。
同性愛ってことではなく、話し相手になってもらうために、ね。カネで買う友達??って異常ですかね?
気付かないだけで世の中そんな関係多いのでは?

泰子さんに小生の職場や家庭の悩みの聞き役になってもらいたかったです。『目標を決めたら前進のみ!』と叱咤されそうですが・・・

蛇足ですが、彼女がラブホテルで脱糞・放尿したのは
たぶん、肛門性交を求められたからだと思います。
恐らく既婚の客からの求めだと思います。
女房に求める事が出来ないが刺激の欲しい既婚客。
ゲイの性交事情を思い出しました。
管理人さんはすでにご承知かもしれませんが。

ではでは、さようなら




78. Posted by miko   2012年06月15日 00:32
suyapさま

わたしの体験からいうと、内容に関係なく、TBができなかったことがあります。また、メールが届かなかったことも数回あります。
パソコンによる操作は絶対ではありません。

リンク先のページは閲覧しました。
椎名玲の一文は気に入っていましたので、それを疑うとなると、なにを信じていいのかわかりません。
suyapさまは佐野眞一をきびしく批判しておられますが、わたしは全面否定しません。
suyapさまの見解には同意できませんが、そういう見方もできるということで、考える材料にさせていただきます。
79. Posted by miko   2012年06月15日 00:34
エレキさま

ご気分を害されたのでしたら、お許しください。
ネット世界では意外と人間性が露呈すると、わたしはとらえています。
活字のほうがよほどごまかせます。
活字にしてしまったものは消せませんが、ネットでは瞬時に削除できるケースがあるにせよ。

わたしにとって渡邊泰子が謎であると同時に、エレキさまも謎です。
エレキさまの内なる渡邊泰子が存在しているようにみえるのは、現実世界では得られない関係性を希求されているからでしょうか。

渡邊泰子の「脱糞・放尿」については、精神病理の意味での自己の存在証明かもしれぬと、わたしはとらえていました。


80. Posted by 円山泰子   2014年07月20日 14:19
夢路