2012年10月24日

わたしがみた「国分拓」 (前篇)

書きたいことはあるのだが、その時間も元気もなく、1年以上更新できなかった。
かなり無理をして本エントリーをアップしたのは、国分拓や「ヤノマミ」に興味をもつかたにすこしでも参考になれば、という想いからだ。
わたしが記憶したままを記しておこう。
メモをとっていないので、記憶ちがいがあるかもしれない。

10月7日の日曜日、ノンフィクション連続講座「ノンフィクションとこの世界」こちらに友人を誘って、女性ふたりで参加した。
場所は表参道にあるシナリオセンター。すぐ近くにクレヨンハウスがある。
プログラムをみて、贅沢な内容に驚くと同時に、ヘビーな一日になるなあと思った。

時間は11:00〜17:30で、13:00〜14:00は休憩。
国分拓について「出演できない場合は、関係者を代理としてお招きする」という一文があり、いかにも現役のディレクターという感じだった。
総合ナビゲーターは石井光太(ノンフィクション作家)。

●第1部
国分拓監督「ヤノマミ〜奥アマゾン・原始の森に生きる〜」〔劇場版〕上映――(2時間)
国分拓(TVディレクター)×石井光太――(1時間)

●第2部
 石川文洋(報道カメラマン)×石井光太――(1時間30分)

  *

石井光太は、ナビゲーターとして完璧だった。
絶対貧困をテーマに執筆しているのに注目していたが、まだ著書を読んだことはなかった。
8月に放映されたTBS「情熱大陸」に登場した石井光太をみて、釜石の遺体安置所で活動する姿に感銘を受けた。で、『遺体』(新潮社)を会場で買い求めた。

NHKスペシャル「ヤノマミ」と国分拓著『ヤノマミ』については、かつて本blogにアップした。
自分が感銘を受けた作品がのちに受賞したのは、うれしかった。
(ハイビジョン特集「ヤノマミ」が2009年、第35回放送文化基金賞においてテレビドキュメンタリー番組で優秀賞を、菅井禎亮・カメラマンが個別分野で映像賞。『ヤノマミ』がで2010年、第10回石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を、2011年、第42回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞)
わたしが本講座に参加した目的は、〈なま国分拓〉を自分の眼でみておきたい、ということに尽きる。
わたしには活字人間だが、本から得られる以上の情報を生身の人間は発している、という持論がある。
それは一対一で相手と対峙するほうが効果があり、かつてごく少数の人間から教えられたことは、いまでもわたしには宝物だ。
なぜかわたしは国分拓というディレクターに強い興味がある。
優れたTV番組制作者は多い。が、わたしが本人をみたいという願望をもつのはすくない。
理由を考えてみると、国分拓の感性が好きなのと、一見草食系なのにそうではないTV番組を制作している、という落差が気に入っているからだ。感性については、番組よりも著書から伝わってくる。
劇場版「ヤノマミ」DVDに、国分拓がインタビューに答える映像が付加されている。
国分拓はの手は、とてもきれいで繊細だ。
その現場に参加していたかたのblogは、こちらにリンクした「嗚呼、テレ日トシネマ―雑記―」で閲覧できる。
そのコメント欄で国分拓が草食系だと、わたしに教えてくれたのだった。

  *

登壇した国分拓はラフな服装とは反対に、終始緊張していた。
実年齢は中年だが、青年という風貌だ。
著書からわたしがとらえた国分拓像は、「人間とNHKという組織に醒めていて、自己をカリカチュアライズできる」だったのだが、それが国分拓流だということがわかった。
ポーカーフェイスだが、これも国分拓流で、心理を読みとれないポーカーフェイスだ。
それと、浮き世離れした感じがある。
NHKの看板番組を制作している、という気負いはなく、どこか飄々とした感じ。
強烈な個性を発散させているひとではなく、穏やかで、言葉が常に誤解を招くということを認識しているらしく、言葉選びに慎重だ。
定員は100名だが、ほぼ満席にみえた。予想どおり若い男女ばかりで、わたしと友人は浮いていた。が、それが気にならないほど、会場には静かな熱気が漂っていた。
質問コーナーで質問したみなさんは、的確な内容だし時間配分もわきまえていて、話し慣れているのに感心した。
スマートな若者たちで、いかにも空気を読めているという感じ。

わたしの記憶に残った国分拓のトークはつぎのとおり。
視聴者から寄せられた感想は、ネット上の感想と同じ。
若いころから心酔している(心酔という単語は発しなかったが、そういう意味のことを早口で)藤原新也にひとを介して感想を求めたら、「ああいうひとは褒めないんですね。なにも起こらない時間をもっとみていたかった」と、満足げな口調。
シャボリ・バタ(偉大なシャーマン)の語りは、哲学が必要なので番組のはじめにおいたが、実際は同居取材の最後のほうだった。それ以外は、すべて時系列。
(著書によると、テレビカメラを嫌がっていたシャボリ・バタが、死後に取材テープを燃やすという条件で1回限りのインタビューに応じたのは、同居して140日を過ぎたころ)
「ヤノマミ」の続編をつくるつもりはないが、助けを求めているのなら、友人としてNGOといっしょに活動したい。
いま、再訪のためにお金をためている。

殺人者に興味があるらしく、それをテーマにした番組をつくりたいらしい。
それを聞いてわたしに浮かんだのはカポーティーの『冷血』で、このノンフィクション・ノベルを発表後、カポーティーの内面でなにかが崩壊したことだ。
(わたしは小説は読んだが、映画は観ていない)
国分拓が「きょう電車で席を譲ったひとが、あしたひとを殺す――それが人間だと思っている」といったのが、印象的だった。

全体的に国分拓は、著書からわたしがイメージしていた像と結びついた。
国分拓は、自己を脅かすテーマを追いつづけているように、わたしにはみえる。
生物学的に女性のターニングポイントは35歳で、男性はその10年後という説がある。
大厄がそれぞれ33歳、42歳というのもこれに重なる。
国分拓はヤノマミと150日同居して取材をしたことで、心身が壊れた。
わたしは国分拓に「心身が壊れるだけの能力があった」と認識している。
だれもがここまで壊れるわけではないだろう。
それが42歳に近いのが興味深い。
そして国分拓は、自身のターニングポイントを、ヤノマミ体験から生還することで、異次元に進化したようにみえる。
ほんとうに壊れてしまわなかったのは、表現者として不可欠な強靱な資質が国分拓に備わっていたということだろう。

菅井カメラマンはカメラを媒体にしてヤノマミの世界、とくに少女(ローリ)が難産のすえに生んだ女の子の首を両手で絞め、精霊のまま天に返した場面を凝視しつづけた。
菅井カメラマンの視点で書いた『ヤノマミ』が読めるとうれしい。
菅井禎亮のカメラワークはすばらしい。
わたしが最も好きで脳裏に焼きついているのは、シャボノを上空から撮った映像だ。
円形なのがいいし、宇宙を感じる。

国分拓の著書『ヤノマミ』が受賞したころ、フクシマを取材していたというので、どのような番組を制作するのか愉しみにしていた。
更新のたびに閲覧している「palopの日記」によると、2012年3月9日に放映されたNHKスペシャル「南相馬 原発最前線の街で生きる」が、「取材・撮影:菅井禎亮、ディレクター:国分拓」だという。
TV番組の制作者にこだわるpalopさんの考察はおもしろいし、考えさせられる。
あたりまえだが、TV番組にかかわらず、あらゆる作品は受け手の器量によってさまざまな感想を生む。
「正解」はないのだと思う。
わたしは録画し忘れたのか、1年がかりで国分ディレクターが制作した南相馬の番組を観られなかったので、『g2 ジーツー』vol.10(2012/05/01発行・講談社)を入手し、国分拓の記事「三〇三日後の成人式」を読んだ。
国分拓が「福島と福島以外の不公平」ではなく、原発事故が露わにした「南相馬の持つ者と持たざる者の不公平」に着目しているのが、興味深い。

miko3355 at 13:24│TrackBack(0)講演 

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