音楽

2014年02月10日

佐村河内守騒動がもたらしたもの

さきのエントリーをアップしたのは2013年10月20日で、わたしは佐村河内守作曲のピアノコンサートを聴いた感想として彼を讃えた。
先日、2014年2月6日、桐朋学園大非常勤講師・新垣隆氏の会見があった。
18年間佐村河内守氏のゴーストライターとして20曲以上の曲を書き、報酬は買いとりで合計約700万円、印税には無関係だった、と。
さらに衝撃的なのは、佐村河内守氏は耳が聴こえているという。

ショックを受けながらこの問題について考えてきたが、いまの自分の考えを記しておきたい。
2月6日付で、通りすがりさまから「こっちが読んでて恥ずかしくなってきちゃいました!!」というコメントがあった。
具体的になにを意味しているのかわからないが、わたしへの批判だろう。
自分を安全圏に置いてこういう短いコメントを残すというのは、悪質だとわたしは思う。

佐村河内守氏がブレイクしたのは、2013年に放映されたNHKスペシャルが起因している。
本番組の企画者はフリーディレクターらしいが、NHKは佐村河内守氏が全聾ではなかったことを知らなかったという。
しかしそれだけではすまされないだろう。
NHKは会見を開いて、説明してほしい。
佐村河内守氏が広島の被爆者や東北の被災者、そして彼がかかわった子どもたちを欺いたのはほんとうに悪質だ。
わたしはNHKスペシャルより、自叙伝『交響曲第一番』のほうに感銘を受けた。
これはほんとうなのだが、本書を読みはじめてすぐにゴーストライターの存在を疑った。文章が手慣れていたからだ。
あとがきに「本書は、発作の合間を縫ってこつこつと筆を進め、書きあげたものです」とあったので、佐村河内守氏に文才があり、優秀な編集者がかかわったのだろうと思ったのだ。
わたしが入手したのは幻冬舎文庫だが、単行本は講談社から刊行されている。
NHKスペシャル以上に、自叙伝はフィクションである。
講談社は絶版にするだけではなく、説明責任があると思う。
ゴーストライターが存在するのかも含めて。

あらゆる芸術作品についてどう受けとるかは自由で正解はない、というのがわたしの持論だ。
作品を純粋に鑑賞して、作者の属性から切り離すことはできない。
わたしは今回の問題を考えていて、カミーユ・クローデルを想起した。
カミーユは精神を病み、「ロダンに才能を盗まれた」と思いこんでいたが、それはまったくの妄想ではなかったのだから。
師匠のロダンより弟子のカミーユのほうが優れた彫刻家だった、と評価する専門家がいるというのを、以前に新聞記事で読んだことがある。
わたしはカミーユという女性が好きだし、「分別盛り」という作品は好きだ。
芸術家が自身のマイナス体験をプラスへと転化させ、それが作品として結実したとき、ひとの魂に訴える大きな力となる。

佐村河内守氏が新垣隆氏に渡した図表には、交響曲第一番『現代典礼』とあり、1年間で作ってくれ」といわれ、完成してから数年後に「HIROSHIMA」というテーマで発表されたのには新垣隆氏が驚愕したという……。
佐村河内守氏の戦略は当たり、交響曲第一番《HIROSHIMA》のCDはヒットする。
広島市は2008年に佐村河内守氏が受賞した「広島市民賞」の取り消しを決定した。
福島県本宮市は佐村河内守氏に「市民の歌」の作曲を依頼し、先日届いたばかりの曲を3月11日の追悼式典で初披露する予定だったが、使わないことを決定した。
会見でこれについて質問された新垣隆氏は、初耳でそれには関わっていない、と発言した。
最近、ゴーストライターを辞めたいという意志を新垣隆氏が伝えたとき、それなら自殺すると脅していた佐村河内守氏は、つぎのゴーストライターをみつけていたということになるのだろうか。

新垣隆氏の会見だけでは全貌は明らかになっていない。
今後の損害賠償額は佐村河内守氏が詐称によって得た額を超えるという。
新垣隆氏が買いとりではなく、印税を受けとっていたら、損害賠償する羽目になったのだろうか。
悪事をはたらいた人間が罰を受けるとは限らない。
その意味では、佐村河内守氏のケースは悪質度が低いともいえる。
わたしがコンサートで聴いたとき、ピアニストのソン・ヨルムは魂をこめて《ピアノ・ソナタ》を演奏していた。
希望のシンフォニーといわれた《HIROSHIMA》についても、演奏したオーケストラは魂をこめたと思う。
その祈りが聴衆に伝わったのだろう。

新垣隆氏の会見のなかで最も印象的だったのは、佐村河内守氏のことを「プロデューサーだった」ときっぱりいったことだ。
ふたりのやりとりのなかで作品ができあがっていったという一面があったのだろう。
新垣隆氏は桐朋学園大非常勤講師を引責辞任するらしい。
わたしは新垣隆氏がこれを機に、チャンスに恵まれることを祈る。

話は変わるが、昨年、新宿でバンダジェフスキー博士の講演を聴いた。
「チェルノブイリよりフクシマのほうが深刻」だというのが博士の見解だ。
ほんとうは避難すべき首都圏に住むわたしは、日々の食材を買い求めるのも大きなストレスだ。
フクシマの危機は現在進行形だし、底なしの不安がある。
日本の子どもたちは、これからどうなってゆくのだろうか?
3.11以後、いつもどんよりした心境にいるわたしにとり、佐村河内守氏の存在は大きかったのだ。
彼が被爆二世だというのはウソではないらしいが……。



miko3355 at 00:44|この記事のURLTrackBack(0)

2013年10月20日

佐村河内 守

2013年10月13日、東京オペラシティ コンサートホールで、《佐村河内 守作曲 ピアノ・ソナタ第1番&第2番 世界初全国ツアー》を聴いた。
ピアニストは第2番を献呈されたソン・ヨルム。

ピアノ・ソナタ第1番(36分)で黒いロングドレスであらわれたソン・ヨルムは、精神統一をはかるようにからだをぎこちなく動かし、ひどく緊張しているようにみえた。
ようやくという感じで最初の一音を弾いたとき、なぜかわたしの両眼にじわーっと涙が浮かんだ。
自分でも理解できない反応だった。
ソン・ヨルムは最初の一音をしくじればすべてがオジャンになるかのように、慎重に魂をこめたようにみえた。
ソン・ヨルムの緊張感は、最後まで持続していた。
わたしがピアノ・ソナタ第1番から受けとったのは、凶暴な怒りである。

20分の休憩があった。
『交響曲第一番』(幻冬舎文庫)という佐村河内 守の自叙伝が販売されていた。
だれも手にとっていなかったが、本書の存在を知らなかったわたしは、即座に買い求めた。

ピアノ・ソナタ第2番(36分)で白いロングドレスであらわれたソン・ヨルムは、はじめから緊張感がなく、愉しんで弾いているようにみえた。
第1番との落差が大きかったので、わたしはとても眠くなり、ぼーっとして聴いていた。

演奏後、佐村河内 守が登壇した。
サングラスをかけ、左手に包帯を巻き、杖をついている。
まさに満身創痍という感があるのは、NHKスペシャル「魂の旋律〜音を失った作曲家〜」(2013年3月31日)で放映された佐村河内 守を知っているからだ。
佐村河内 守が舞台でソン・ヨルムと抱擁し、腕を組んで歩くと、笑いが起こった。
おそらくほほえましいものを感じたからだろう。
ピアノ・ソナタがあまりにも激烈だったので。
35歳で両耳の聴力を失った佐村河内 守にこの笑いは聴こえない。
もちろん拍手の音も、ソン・ヨルムが紡ぎだすピアノの音も。
演奏後のソン・ヨルムの顔が柔らかく、満足げにほほえんでいたのが印象に残った。

帰宅して、自分がひどく疲れていることに気づいた。
あたりまえだが、佐村河内 守の抱える怒りが自分のそれをはるかに超えているからだ。
疲れたからだで、会場で買い求めた『交響曲第一番』を一気に読んだ。
本書は2007年10月に講談社から刊行され、2013年6月に幻冬舎から文庫として刊行。
本書からはNHKスペシャルには表現されていなかった佐村河内 守の抱える怒りが、息苦しいほど伝わってくる。
本書の刊行により2008年9月、秋葉忠利広島市長の尽力もあり、《交響曲第一番″HIROSHIMA″》が爆心地の近くにある広島市厚生年金会館で演奏され、CD化された。
多くのひとが佐村河内 守の存在を知ったという意味で本書より影響の大きかったのは、NHKスペシャルに登場したことだろう。
しかしわたしは、本書のほうがNHKスペシャルより衝撃を受けた。
230ページ記されているが、佐村河内 守は妻にこう伝えた。
「《ピアノ・ソナタ第一番》は最も私の姿をしている。もし、棺に一冊しか譜面がはいらないならこれを入れてくれ」

1999年に放映されたETV特集「フジコ〜あるピアニストの奇蹟〜」によりブレイクしたフジコ・ヘミングのコンサートを聴き、わたしはひどく失望した。
佐村河内 守にその心配はなさそうだ。

1993年、貴重なエヴァ・デマルチクの公演にゆき、舞台で歌うエヴァをみながら「求道者だ」と感じた。
佐村河内 守も「求道者」だ。

3.11以後、世界は変わった。
福島原発の爆発により、日本は底なしの恐怖にさらされている。
被爆二世の佐村河内 守の存在は限りなく重い。





miko3355 at 16:50|この記事のURLTrackBack(0)

2005年08月18日

岡静代と阿部薫から坂田明へとつづく

8/4の夜、NHK-FMにて放送された岡静代のリサイタルを聴く。クラリネットがこんなにも愉しめるとは、いままで知らなかった。(2005/5/24/東京オペラシティ・リサイタルホールで収録)
「ラッヘンマン/ダル・ニエンテ」を聴いていて、なぜか阿部薫の音が浮かんだ。岡静代の音には快感があるが、阿部薫は快感を拒絶する。わたしにはそう聴こえる。体調の悪いときに阿部薫のCDを聴いていて、堪えられなくなって止めたことがある。

阿部薫と鈴木いづみの狂的な関係を描いた『エンドレス・ワルツ』(稲葉真弓・河出書房新社)は、読むようにと貸してくれてたひとがいたので、わたしの手許にはない。もう10年以上まえのことだ。
「深夜のTV番組で阿部薫がサックスを吹く姿を観たことがある」というと、そのひとは一瞬、羨ましいという顔をした。モノクロだったにもかかわらず、阿部薫の顔が死人のような土色を帯びているように映ったのが、印象的だった。
なお『エンドレス・ワルツ』は、鈴木いづみの遺族から名誉毀損で訴えられたと記憶している。

29歳で夭折した阿部薫のCDを、わたしは3枚もっているにすぎない。
「アカシアの雨がやむとき」「暗い日曜日」「風に吹かれて」
CD3部作で、1971年に録音されたもの。71年〜72年が阿部薫の絶頂期だという。
阿部薫を発掘したのは、「ユリイカ」や「カイエ」の編集長だった小野好恵らしい。編集者としての小野の腕は冴えわたっている。遅ればせながら、「カイエ」のランボオとネルヴァルの特集号を入手してそう思う。とはいえ、なかなか読破できないでいる。歳月に晒されても品質が劣化しない雑誌だ。

このCD3部作に添えられているライナー・ノーツはどれも秀逸だが、活字が異様に小さい。
「風に吹かれて」のライナー・ノーツは、町田康と故小野好恵が書いている。(小野は49歳で他界したため、オリジナルCDライナーノーツより転載)
町田康によると、映画「エンドレス・ワルツ」の主役を演じた町田康が10代のころ、大阪のオレンジホールでサックス奏者のS氏が公演をした際、評論家のTに会うべくリハーサル中の会場に行ったが、来ていないので、そのまま帰った。後日、人づてに聞いたところ、S氏は「なっなんだ、いまの阿部薫そっくりの餓鬼は!」と、たいへんに厭がったらしい。

このS氏とは坂田明のことだろうか。
坂田明については、ひとつ忘れられない想い出がある。
近くに住む友人への年賀状に「NHKのTV番組『課外授業 ようこそ先輩』は坂田明のが一番よかった」と書いたのが予想外の作用をし、その友人から誘われて、近くのお寺で坂田明のサックスを聴くことができたのだ。彼女の職場は、そのお寺と関係がある。そして坂田明とわれわれの家は近距離だ。

2003年4月13日。4月だというのに夏を思わせるような強い陽射しに閉口しつつ、駅から目的地のお寺まで歩く。
境内で坂田明を発見した。だれも気づいていないようだ。よれよれのGパンにくたびれたシャツ姿は、まったく目立たない。しかしTVで観たのとまったく同じ感じ。
わたしが立つ場所から3メートルくらいの距離で、坂田明は「稚児舞い」を興味深くみていた。その姿をわたしは不躾なほど凝視してしまったのだ。こんなことは、もちろんはじめてだ。その視線に気づいた坂田明は、怯えはじめた。ストーカーのような眼つきをしていたのだろうか(笑)。写真を撮っていた友人が戻ってきて、「気にしてたよ」といっていたから、わたしの勘ちがいではない。

その後、舞台へと場所を移動した。坂田明が衣裳を替えていたので、ほっとした。

なま坂田明をみた感想。

 ・ふざけた感じがよい。
 ・場によって態度を変えない人間ではないか。
 ・身が軽い。
 ・世界からフリーという感じが、からだ全体から漂っている。

わたしが坂田明が好きなのは、広島県呉市に生まれ、漁師になるはずだった自分を肯定しているところだ。それは「課外授業 ようこそ先輩」にも表現されていた。

舞台の脇で坂田明のCDを売っていた女性が、「買えば、演奏後にサインをしてくれる」という。いままでサインには興味がなかったが、記念になるかもしれないと思い、演奏後に買うことにした。

坂田明は「○○○○○様」とCDを買った人間の名前を書き、自分のサインをしたあと、「2003.4.13」と記す。
わたしはほかのひとのように、自分の名前がどういう漢字なのかを説明するのがめんどうなので、住所と名前が書いてある手帳の最後のページをさしだした。
手帳を手にとり、「○○○○○さん?」と訊かれたので、「はい」と答える。ひとこと「『課外授業 ようこそ先輩』は坂田明さんのが一番よかったです」といいたいのだが、喉がひりついている。ひとこと言葉を発すると、雪崩現象を起こしそうな気配がありながら、わたしは黙していた。そんな場所で話しかけるのは非礼なのだ。
かつて山下洋輔のコンサート会場で、至近距離の座席にいたが、そんな妙な気分にはならなかった。しかもわたしは、坂田明の容姿に魅了されているわけではない。
坂田明は、不思議な存在感のある人物である。

かくして家でCDを聴くたびに、怯えきった坂田明が甦る。
ちなみにわたしが買ったCDは、下手な歌をうたっているので、サックスの演奏に入ると安堵する。
その相乗効果もあり、坂田明のサックスの音にはエクスタシーを感じるのである。



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