ジャーナリズム

2007年09月18日

岡本愛彦著『放送の原点を問う――テレビよ、驕るなかれ』

さきにアップしたニッポン人・脈・記「テレビの情熱」に登場する岡本愛彦について知りたくなり、『テレビよ、驕るなかれ』(春秋社/1983年)を入手した。濃密な内容にもかかわらず一気に読みおえ、いろいろ考えさせられた。

本書の「私のなかのテレビ史」(p.29〜p.97)は、テレビという未知の世界で、「テレビとは何か?」という一点を凝視しながら番組をつくりつづけた岡本愛彦のテレビ史と自分史が、重厚にオーバーラップしていて興味深い。

岡本愛彦のプロフィール

◆1925年生まれ。
◆1945年、満19歳で、無条件降伏・敗戦を、陸軍航空士官学校航空通信兵科の第59期士官候補生として、信州・上田の卒業訓練地で迎える。
両親家族は中国東北部の大連にいた。自活を決意して旧制大阪高等学校に編入、GHQの「軍学徒一割制限」で追放されて東京に出、以降ほとんど肉体労働だけで慶応義塾大学経済学部(旧制)を独力で卒業。
1946年、日本社会党に入党。頭で考える前に、民主主義とは何なのかを行動のなかで掴もうとした。
戦争加担者としての自分自身を生涯糾弾しつづける決意もしたし、天皇を頂点とする軍部と独占資本の明治いらいの侵略戦争と残虐な植民地支配に対して、我々の世代こそが最も鋭い糾弾者の立場をとりつづけることの必要性を身にしみて感じていた。
ノーマン・コーウィン作『文書番号A-777』がNHKラジオから放送されたのを聴き、放送終了後もしばらく席を立てないほど激しい衝撃を受け、生涯を決定する契機になった。
就職試験で合格した某全国紙と大手出版社を捨て、あまり迷いもせずNHK(東京・港区内幸町)を選ぶ。
◆1950年、放送記者、社会報道番組ディレクターとしてNHK(東京)に入社。ラジオ時代の鳥取放送局に3年足らず、テレビの本放送開始のために東京に戻され、NHK大阪のテレビ本放送のため希望して大阪へ。
◆1957年にNHKを辞職し、TBSへ入社。
◆1963年、TBSを辞職。
◆記録映画監督、フリージャーナリスト。
◆2004年、前立腺ガンのため逝く。

上記は本書からわたしが勝手に引用してまとめたものだ。
実際の番組づくりについて記されている箇所はとてもおもしろいが、分量が多くて引用しきれない。
主体性を喪失したTV局という組織から離れた岡本愛彦だが、組織に属していたから技術が磨かれ、それが大きな作品に結実したという側面もある。

岡本愛彦の作品をほとんど観ていないわたしがいうのはヘンだが、本書を読むと、岡本の手がけた作品には、いずれも思想性が貫かれている。アクチュアリティー(今日的な問題性)を番組制作の必須条件としてTVドラマをとらえていたという。
とりわけ1958年に平和文化賞、芸術祭大賞を受賞した『私は貝になりたい』は、ライフワークだったようだ。
「正直に、自らの意志を貫き通すために」TBSを去った岡本だが、内部事情については関係者への配慮から詳述を避けている。NHKを去った理由についても同様である。

  *

本書の巻末で、岡本愛彦は「読者への質問」を投げかけている。つまりすべてのテレビ視聴者に対してである。
それを列記する。(一部要約)

………………………………………………………………………………………

,△覆燭蓮⊂Χ畔送(民放)がスポンサーの投下する広告費によって支えられており、その広告費は一つ一つ商品の原価の中に必ず組み込まれていることを知りました。商業放送(民放)は、ニュース、ドキュメンタリーを含めて、あなたの生活に必要な放送を、良識と社会正義に基づいてキチンと放送していると思いますか?

⊂Χ畔送(民放)は公正中立であり、且つ子供たちにとってためになる放送をしていると思いますか?

あなたは商業放送(民放)の主権者であり、NHKの主権者でもあります。では、主権者として商業放送やNHKなどに今の放送はおかしい――と、注文をつけたことがありますか? また、今後そうした注文をつける意志をお持ちですか?

づ吐箸蝋駝韻垢戮討里發痢△弔泙蠍共のものです。現在のすべての放送について、あなたは「公共放送」だと感じたことはおありですか? 商業放送はスポンサーがタダで見せてくれていると考えたことはありませんでしたか?

1953年(昭28)のテレビ本放送開始以来30年の間に、100本以上の作品が放送中止になっています。そうしたことについて、あなたはどうお考えですか?

商業放送は、経営が苦しくなると電波料や番組制作費を値上げし、その金は結局回り回って私たち消費者が支払うことになります。外国、殊にヨーロッパのように商業放送(民放)テレビ局を減らすべきだとか、いろんな意見があります。どうお考えですか?

番組制作に当たっている下請プロダクションのスタッフは、ひどい労働条件と安い賃金で働かされており、将来一人前のディレクターなどになれるかどうかさえはっきりしていません。こうした状況について、どうしたらいいとお考えですか?

NHKについて、あなたは身近な印象をお持ちですか?

NHKの経営を、どうしたらいいとお思いですか? ヨーロッパ並みに広告放送を許すべきだとお思いですか?

商業放送もNHKも、「皆さまの放送」と言いながら、なかなか一般の民衆を経営や番組編成に参加させてくれません。視聴者として、何を希望しますか?

商業放送免許を再考し、近い将来、商業放送のネットワークを2乃至3本に再編集して、1本のネットワークに対して幾つかのテレビ会社が番組を提供してゆくという、英国的方式に改めるべきだという声が、依然として根強くあります。それが商業放送の質を高めるための唯一の方法だというのですが、この意見についてどうお考えですか?

民衆を愚弄する番組を多数放送しているテレビ局からは、免許を取り上げるべきだという意見について、どうお考えでしょうか?

………………………………………………………………………………………

Г硫疾船廛蹈瀬ションの過酷な実態については、本書で数字をあげて詳述されている。この搾取の構図は他人事ではないとわたしはとらえてきたのだが、その姿勢を岡本愛彦に肯定されたような気がしてこころ強い。

本書は1983年に刊行されているが、内容は古びていない。
岡本愛彦の最もいいたいことは「おわりに」に記されているつぎの一節に集約していると思える。

つまり、政治や資本に勝手なことをさせないことが放送における民主主義のスタート台なのだということを、民衆の次元でせめて意志統一ができれば、放送はそこから変わりはじめるのだと思う




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2007年01月30日

共同通信石山委員会編『コンポンスプーに楽土を見た〜戦場に消えた石山幸基記者の記録』

さきの更新から2ヵ月もの空白ができてしまった。更新していないにもかかわらず本blogにアクセスしてくださったみなさまに感謝しながらも、雑用に追われてどうにも時間を捻出できなかった。
本エントリーについては昨年末にアップしたいと思いながら、きょうに至ったという次第。

   *

さきにアップした馬渕直城著『わたしが見たポル・ポト』は、かなり無理をしながら書いたのだが、先日、「馬渕直城のアジア情勢報告」で本blogが紹介されていることを知った。
ありがたく思うと同時に、恥ずかしくもある。

さきのエントリーに追記したように、入手した共同通信石山委員会編『コンポンスプーに楽土を見た』(三草社/1982.11.15)を読了。濃密な内容であるにもかかわらず、一気に読ませる力が本書にはあった。
わたしが本書を読みたいと思ったのは、編集責任者・伊東正のレポート(『噂の眞相』/1983年2月号)に刺激されたからだ。そこからはジャーナリストとしての熱がストレートに伝わってきた。あつくるしくない上質の熱である。

知的人間ではなく感覚人間であるわたしは、日常生活においても、他者の発した言葉より、その人間がからだから発している"空気"を重視する傾向が強い。馬渕直城著『わたしが見たポル・ポト』のp.57に掲載されている石山幸基(共同通信プノンペン支局長/1973年9月)の写真をみて、同年10月10日に単身でクメール・ルージュ解放区に潜入取材を試みた、という事実に違和感があった。その石山の太った体躯と柔和な笑顔から、イメージが膨らまなかったのである。この写真は、本書のp.195にも掲載されている。
無意識下とはいえ、その違和感を解明したいという想いが本書を読む行為の底流にあったのだと、いまにして気づく。

本書は石山幸基のプノンペン日記・陽子夫人への手紙・論文、追悼文(馬渕氏の一文も掲載されている)、石山記者捜索日誌(社外秘の資料)などで構成されていて、どれもが一読に値する内容になっている。とくに巻末の捜索日誌は臨場感があり、胸に迫ってくる。
よく練られた内容構成になっていて、本書に注いだ共同通信石山委員会の膨大なエネルギーは、「日本のインドシナ報道に強い不満を見せていた石山のジャーナリズムのあり方への考察と告発」に応えようとする姿勢なのだろう。
石山の問いかけは2007年現在にも通用すると思う。

『噂の眞相』で伊東は記している。
1973年5月、休暇で一時帰国した石山はつぎの"事件"以降、東京デスクとの距離が開いていったらしい。
《不用意に「カネが余ってしようがない。先輩たちは汚職でも……」と口走ったことが引き金になり、オンナを買わないからだ、それでカンボジア人の心がわかるもんかいといったやりとりになっていったという》

この場合のカネは、自費ではなく社費なのか?
いずれにしても「女を買うことでカンボジア人の心がわかる」という認識を、わたしは肯定できない。

1972年12月7日の日記に石山は、《女を買うのはこの地域の遅れた経済状態につけこむことではないのか》と記している。
12月10日には、《生まれてはじめてアヘンをすってみたが、どうってことない。口とノドの奥になにか、あまい感じがのこっているだけ》と。
そして12月27日には、《おれはアヘンのことは、日本人のだれにもはなしていないけれど、目の色かえて女を漁る日本人の「まっとうな」社会よりも、リーやシルバーナ、ロランたちのヤクザなアヘンの世界の方が、よっぽど上品に思われる》。

上記『噂の眞相』の末尾に伊東が記している一節は、石山と共同入社同期生のジャーナリストとして鋭い問いかけである。
《出発の時点では、確かに彼は職業人であった。しかし、解放区入りした後、劣悪な生活条件の中で、腐敗したロン・ノル政権と戦う善良な農民ゲリラに接したとき、果たして職業意識を貫けただろうか》

このテーマに別の角度から鋭く斬りこんでいるのが、本書に掲載されている土井淑平の一文である。(p.167〜p.173)
土井は石山と同期入社で、共同通信社内の有志が発行した「メディアの反乱」というタイプ印刷の雑誌を編集した中心人物。1969年12月に創刊号、71年12月に第4号を出して廃刊。石山はすべての号にジャーナリズム論を寄稿。
土井の一文から引用する。

《革命や戦争の現場にじかに立ち会うという圧倒的な臨場感に幻惑されると、自らの位置をついつい見失ってしまい、どうしてもロマンチックな気分になるのが人情なのかも知れない。石山君にしても、少し後にテヘランで客死した竹沢護君にしても、たとえ、それが病死や交通事故という形をとったにせよ、彼らの死は、そこらへんの判断の甘さというか不用意さの帰結といえはしないか。彼らも、また、それと意識せず職業意識の陥穽にはまり、殉職というかたちであたら貴重な人生を棒に振ってしまったのではないか》

石山幸基は1年間の任期中、49通の私信を陽子夫人に書き送った。1973年8月26日付け書簡で、つぎのように記している。
《毎晩バッハ、モーツアルト、チャイコフスキーをきくことを慰めにしているような、あえていえば卑小な生活形式では、カンボジアに立ちうちできないのです。もちろん、任期満了まではせいいっぱいやるつもりだし、十分の一の確率で活路がひらけてくる可能性もないわけではないですが、しかし、やっぱり今回はまちがっていたでしょう。オレのいまの最高の魂のよろこびは、クメールそのものとのまじわりのなかにはない、ということを知った以上》

それから約2ヵ月後の10月10日、石山は2、3週間の予定で解放区入りした。11月のはじめには、任期を満了して帰国するはずだった。1974年1月20日ごろ、カンボジア中西部のゲリラ基地、クチョール山中で死亡していたことが判明したのは、1981年7月。マラリアに腸チフスを併発したと予想され、発病から約20日後だったらしい。傷ましい最期である。
1981年7月、共同通信の現地調査に同行した石山夫人と母親は、現地の風土を一目みるなり、「ここでは幸基は生きられない」と、その死を覚悟したという。

石山が馬渕直城のような強靱な肉体をもっていたら生還できたのかもしれない。しかし本書に寄せられたコーン・ボーン(石山の助手でカンボジア人。通称トイ。石山に依頼され、解放区に入る認可証を入手)の一文には、《ただティからの情報のなかには生命の安全を保障するという部分はなかった。私はこの事実を松尾文夫氏がこの関係でプノンペンに来たときに報告しておきました》という記述がある。
ティというのは、トイがウドン地区で会った男で、上級司令部とのパイプ役を果たした。松尾文夫は、当時、共同通信バンコク支局長で、本書に「なぐりつけても止めるべきだった」という一文を寄稿。

石山はジャーナリズムの本質にこだわりつづけ、「ジャーナリズムの方法は不定型」であり、ジャーナリストは本来アマチュア精神に立脚している、と考えていたという。そんな石山なら、ネットジャーナリズムを肯定し、おもしろがっていただろう。
石山は論文のなかで、ジャーナリストの要件として、「主体的な思想者でありつづけること」をあげている。そして、「いま六十代の左翼あるいは自由主義者、あるいは共産主義者のなかで、内心で勲章をほしがっている人は結構いるようなのだ」と記している。

本書に寄せられた一文はどれもがすばらしいが、そのなかでも印象に残るのは、上記の土井淑平とエリザベス・ベッカー(73年当時、ワシントン・ポスト特約記者)である。
わたしには彼女が石山の素顔を最もよくキャッチしていたように思えてならない。
わたしの勝手な解釈では、ジャーナリストという共通項をもつふたりには、ユーモアの通じる男女間の友情が育っていたのではないか。

  *

石山の解放区取材の直接的契機は、1973年8月に競合区(昼間は政府軍が支配、夜間は解放側の天下)に一泊二日という短時間訪問した山田寛(読売新聞社・サイゴン特派員)で、このスクープが共同通信本社を刺激したという。
このときの体験は山田寛著『ポル・ポト〈革命〉史―虐殺と破壊の四年間』(講談社/2004年7月)に記されている。
また馬渕直城著『わたしが見たポル・ポト』の末尾に記されているポル・ポトの後妻と娘のその後についても、山田は記している。

石山幸基と同じくジャーナリズムにこだわりつづけているのが辺見庸である。石山が1942年生まれで、65年に共同通信社入社なのに対し、辺見は1944年生まれで、70年に同社入社、96年退社。
最近読んだ辺見庸著『いまここに在ることの恥』(毎日新聞社/2006年7月)の冒頭は、四半世紀以上前の、タイ・カンボジア国境付近の記憶の描写であり、「私の知るかぎり最悪の難民キャンプがそこにあった」と記している。
本書を貫いている辺見庸のジャーナリズムへの鋭い問いかけは、石山幸基のそれとリンクしている。

本書で、辺見がノーム・チョムスキーについてやや批判的にとらえている。2002年の対談(『プレイボーイ』に掲載)をわたしはネットで読んでいただけに、興味深い。

p.132の記述は痛快である。
《若いときには「反戦」を唱えていた文化人が老いてから紫綬褒章かなにかを受勲して、平気で皇居にもらいにいく。旧社会党の議員でも反権力と見なされていた映画監督でも平気でいく。晴れがましい顔をしていく。ここには恥も含蓄も節操もなにもあったものではない》

ちなみに馬渕直城とともに1986年、麻薬王クンサーの取材を成し遂げた小田昭太郎(オルタスジャパン代表)が、当時在職していた日本テレビで制作したドキュメンタリー番組「故郷は戦火のなかに 」(1979年芸術祭優秀賞)はこちらの卒論(平成14年)で番組分析されている。「タイ国境にある難民キャンプ・カオラン収容所が舞台」とのこと。


〔参照〕

「カンボジアの悲劇を生んだ国際的背景-ポル・ポト裁判の今日的意味を考える」―日本国際問題研究所・所長 友田 錫 (2006年7月21日記)


「日本の若い人たちへ〜山田寛さんへのインタビュー〜」
(2001年6月26日 日本外国特派員協会にて)



〔追記 2007/02/10〕

本文末尾で紹介した卒論(平成14年)の「カンボジア関連番組表」にある【10. 月曜特集「潜入ドキュメント 揺れるカンボジア」(1993.4.26 /テレビ東京)】は、こちらにあるようにオルタスジャパン制作で、第31回ギャラクシー賞選奨を受賞している。


〔追記 2007/03/27〕

上記の卒論(平成14年)は、その後削除されている。
わたしの記憶ではサイト運営者が無断転載を禁じていたので、必要な箇所をここに引用することができない。残念である。








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2006年09月18日

公共放送・NHKの存在意義

NHKの番組改変問題については、本blog で2005/10/192006/05/30にエントリーした。

NHK民営化の声もあるなか、公共放送について自分なりに考えてきた。
わたしは、公共放送としてNHKが存続してほしい。

朝日新聞・夕刊に、7月から9月にかけて「公共放送像を語る」というタイトルで、8回にわたって談話が掲載された。
7回・門奈直樹(立教大学教授)は、BBCとNHKがほぼ同時期に公共放送をめぐる議論が起きたのは、「インターネットの普及など、世界的に放送の価値が問われている共通の背景がある」と語っている。

最後の8回・永井多恵子(NHK副会長)は、受信料支払率が7割だという現況について、「罰則なしで、この数字はすごい」という感想をもち、「最終的には視聴者のみなさんの判断を信じている」と語る。
永井多恵子はNHK総合にしばしば登場する。それを観ていて、NHKは変わらないなあという気分になるのは、わたしだけだろうか。

上記の新聞記事よりおもしろかったのは、NHKラジオ第1で3夜(8/9〜8/11)にわたって放送された「世界の公共放送」というタイトルの番組。

  *

憲法メディアフォーラム」の匿名座談会「現場記者が見た小泉政治」を興味深く読む。

座談会ゲスト

大手新聞社編集委員
大手新聞社社会部記者
NHK報道局記者
在京キー局政治部記者

司会

岩崎貞明(『放送レポート』編集長)
丸山重威(関東学院大学教授)

NHK報道局記者は、番組改変を内部告発した長井チーフプロデューサーたちの配転問題について、現場では「いきなり記者会見してしまったのは我々も驚きました。他にやりようがあったんじゃないかと思う人は多いです」「本音では、片が付いたと思いたいのです」と発言。
「NHKの組織自体がガタガタしてきてリストラを組合が認める状況」であり、「とても外部に向けてアピールするところまでいかない」。

末尾で大手新聞社社会部記者がつぎのように発言している。

《その「支持を得られる」ということですが、読者・視聴者の支持を得られそうになければ、正しいと思ったことでも報道しないのか。実は、そこが問われているのではないか、とも思います》

  *

2006/9/5付け朝日新聞・朝刊に小さな署名記事(岩本哲生)をみつけた。

ネット事業を広げても…TV番組制作会社 単価落ち利益縮小

全日本テレビ番組製作社連盟による二つのアンケートで、中小テレビ番組制作会社の経営実態がわかった。有効回答は、会員総数(テレビ局を除く正・準会員89社)の半数程度。
 
インターネット向けの動画にも事業を広げているが、地上波テレビ局の番組制作費削減で厳しい状況。

昨年秋から今年春にかけて番組制作費の削減を元請けから要請されたケースが42社中17社あり、NHKと民放の情報番組やドキュメンタリーが多い。

テレビ局だけに頼る現状では、制作会社の厳しい状況は簡単には変わりそうにはない、と結んでいる。


〔参照〕

情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士:ワシントンタイムズ(統一協会系)がNHK圧力問題などで安倍批判!〜WHY?(2006/09/17)

Cityscape Blog: 安倍政権の徴農政策−自由民主主義から極右全体主義へ(2006/09/17)

世界を覆い隠すメディアウォール「NHK番組改変問題」を問う(石田英敬)
初出:『世界』岩波書店 2005年4月号





















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2006年05月30日

NHKが永田氏・長井氏を左遷

2006/5/27付け朝日新聞に小さな記事をみつけた。 永田氏、長井氏に対する不当な人事異動である。

01年に放送直前に改変された番組のチーフ・プロデューサーだった永田浩三・衛星放送局統括担当部長が、ライツ・アーカイブスセンターのエグゼクティブ・ディレクターに、担当デスクで内部告発した長井暁・番組制作局教育番組センターチーフ・プロデューサーは放送文化研究所(メディア研究)主任研究員に異動。

◆「NHK受信料支払い停止運動の会」が永田浩三氏、長井暁氏に対する不当な人事異動を止めるよう求める緊急の申し入れ書を2006/5/26付けでNHKに送付した。全文はこちら

◆「情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士」
2006/3/31のエントリーから、永田浩三氏の法廷での証言を引く。

「我々を律しているルール,放送に携わる人間を律しているルールというのは幾つかあるんですけれども,もし2つ挙げるとすれば,真実を希求する不断の努力ということ。これは野球をやる方がボールを追いかけたり,山登りをされる方が山の頂を目指すのと同じぐらい当たり前のこととしてあって,私はそのことを大事に思ってやってきましたし,若い人たちにも,真実というものを追い求める仕事なんだというふうに言ってきたわけです。もう1つ,やはり声を挙げられない人のことを我々は大事にして,放送という形でそれを紹介していくと,立場の弱い人のために放送はあるんだというふうにずっと信じてきましたので,そのことの2つに照らし合わせてみて(みるならば),(松尾放送総局長や伊東番組制作局長は)彼ら(慰安婦)が言っていることが信憑性がないという判断でしたけれども,それをご本人の前で本当に今でも言えるのかということを申し上げたい。やはり,弱い人の立場に立って,やる仕事というのを,根本的に毀損する判断だったんじゃないでしょうか」

上記の永田氏の発言は、番組制作者として至極まっとうだ。
なお、朝日新聞の本田雅和記者は、ことしの4月、「アスパラセンター」に異動したという。
これらの動きに慣れてしまうわれわれの感性が怖い。
長井氏が内部告発をした直後、紙媒体に属するジャーナリストが、ラジオで長井氏の左遷を当然のように予想していた。わたしはそのことに、激しい違和感を感じたのだった。






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2005年11月03日

テレビ制作会社について考える

10/19にアップした「NHKのDNAとは?」を書いているとき、同時にわたしはテレビ制作会社のことを考えていた。制作会社に興味をもったのは、もちろん小田昭太郎の存在が大きいが、「制作プロダクションの現実」(「創」1993年6月号)を読んだからだ。これは上記エントリーでも紹介した〈ジャーナリスト坂本 衛のサイト〉所収の取材記事だが、秀逸。
                         
坂本氏によると 制作会社の劣悪な環境の元凶は、「局が出す番組制作費が著しく安い」ことにあるという。

「放送局にもプロダクションにも"商品"という概念がない」「プロダクションはビジネスになっていない」「企業の体をなしていない」というのも、誰に聞いても返ってくる自嘲の声である

1992年7月に朝日放送が放送した番組の"やらせ"に、制作プロダクションのタキオンが深く関与していた件について、坂本氏は放送局と制作プロダクションの歪んだ関係を普遍的なものとして提示する。そして《いい番組を作ったときは局の手柄にし、悪い番組を作ったときはプロダクションに責任を押しつけて逃げるという本音が明らかになった》と記す。

タキオンが順調に成長している時期に起きた事件ということもあり、まったくやりきれない。局側がタキオンにプレッシャーをかけた可能性が大きいという外部の声もあったらしい。
タキオンの稲塚秀孝は社名をゼットに変更し、再起を図ったが、いまはタキシーズの代表。
「放送レポート」に〈98年夏/銀行とのわが闘争〜番組制作会社「ゼット」はこうして倒産した/稲塚秀孝〉という記事を書いているようだ。

このなかに登場するプロダクション経営者はいずれも魅力的だが、わたしが最も気に入ったのはクリエイティブネクサスの藤井潔。(註・現在は会長)
NHKのドキュメンタリー・ディレクターとしては吉田直哉(※)に親しみをもっていたが、藤井潔については知らなかった。
藤井潔の言を引く。

《しかし藤井は自らを、
「僕はテレビが心底好きで、関心の第一はテレビにある。テレビと心中するつもりの古い作り手だ」
 と語りながらも、
「プロダクションとしては、売り上げに占める地上波の比率を減らし、非テレビ部門を増やす方向を目指す。これはうちに限らない。売り上げの八割とか九割をテレビに依存しているプロダクションの多くが、その比率を五割とか六割まで下げたいと思っているはずだ」
 と断言する》

《藤井潔は、最後にこんなことも付け加えた。
「放送局、それもNHKという局にいた人間の目から、制作プロダクションの人たちを見ると――こういう言葉が当たっているかどうか、でも――ほんとに一生懸命で、いじらしいというか。ほんとに″虫″ですね。彼らは局のやり方を知らないが、知っている人間からみると、よくここまでやるなと。NHKでも、ここまで虫じゃないし、純粋ではなかった。だからこそこの人たちを、いまのような状態においてはおけない。正当な報酬と拍手が得られるようにしなくては」

  *

上記を読んで藤井潔について知りたくなり、以前に読んだ『「NHK特集」を読む』(小林紀興・光文社・1988年)を読みかえした。
読後感としては、とにかく熱い。1988年当時に読んだときには感じられなかった時代の熱さが感じられる。そういえば、あのころはNHKや民放のディレクターが、TVのトーク番組に登場していた。TVが元気で、深夜にもトーク番組が多かった。

藤井潔がいいだした"サムシング・ニュー"は「NHK特集」のモチーフになったことばだが、藤井がNHKを辞めて設立した制作会社、クリエイティブネクサスに継承されているようだ。
「クリエイティブネクサス」ごあいさつ

以下、『「NHK特集」を読む』より引く。

●小型VTRカメラを見て閃いた藤井潔(p.235〜p.238より抜粋)

昭和52年3月3日に放送された『永平寺』は、スペシャル部内での評判はよくなかった。ところが、この作品がその年のイタリア賞テレビドキュメンタリー賞をさらう。
受賞理由は「寺の僧の意識の流れを表現するのに小型VTRを使用したのはクレバーな選択だった」というものだった。当時、ヨーロッパのテレビ局はまだ小型VTRを採用していなかったが、VTRの優位性を素直に認める度量が彼らにはあった。

「ボクたちも、最初は番組を"作る"つもりで取材に行った。が、そんなことはおこがましいことがわかった。われわれが受けた感動を、音と映像を通じて視聴者にどう"伝える"かが問われている、と思った。つまり"作る"のではなく、"伝える"のが新しいドキュメンタリーの使命ではないのか、と」

●組織に風穴を開けた男・掘四志男(p.225〜p.227より抜粋)

『NHK特集』がスタートしたのは昭和51年4月。生みの親は、当時、放送総局長だった掘四志男。
型にはまった番組が視聴者にとって面白味を欠くのは当然で、昭和40年代半ばになるとNHKに対する視聴者の風当たりは相当強くなっていった。視聴者のNHK離れは相当深刻になり、料金不払い運動にNHKは悩まされるようになった。
堀が重視したのは、クロスカルチャーを実現することと、それまでいわば無風状態だった官僚機構のNHKに競争原理を導入することであった。
たとえ負けても(視聴率)ファミリーアワーで民放に挑戦すべきだ、ということで質の高い教養番組に力を入れることにした。

●『NHK特集』のシステムをつくりあげた尾西清重(p.246〜p.250より抜粋)

「確かにNHKはニュースから娯楽番組まで幅広く放送しているけど、そのレーゾンデートル(存在価値)のコアはジャーナリズムにあると思う。面白くなければテレビじゃないとか、視聴率さえとればいいとか、当てればいいとかいった考え方は、ボクに言わせればマスコミュニケーションとしては邪道ですよ。それはジャーナリズムではない。
 ただしボクは、ジャーナリズムという言葉を報道番組というふうに狭く限定して使っているんじゃないんです。もっと広い、たとえばドラマであっても、時代や社会をうつす鏡というか、そこに人間の生活があり感情があって現代に通じるものがなければいけない。そういうものも含めてジャーナリズムとボクは規定しているんですよ」


  *

NHKの真相」(イースト・プレス、2005/5/15)を読了。
全編おもしろく読んだが、「NHKに訴えられたただ一人のジャーナリスト」だという浅野健一の【名誉毀損!――「やらせ報道」をめぐるNHKとの九○○日闘争】は圧巻だった。

また、安井陽(フリーライター)の【君は『NHKに言いたい』を見たか?】は、おもしろすぎる。
〔鳥越俊太郎の大暴走〕という小見出しの末尾から引く。

《鳥越氏の場合、批判の中身が証拠を丹念に積み上げて問題点を指摘する類のものではなく、直感的、感情的であり、非論理的な部分が少なくない。それでも頭ごなしに厳しい言葉を浴びせてくるから、視聴者のガス抜きになるし、それが過ぎると、逆に海老沢会長に同情心が芽生える。この日の鳥越氏の役割は、派手に吼えかけて、最後は噛まれる噛ませ役。鳥越氏の出演を決めた担当者の見識には敬服するしかない》

全体的におもしろいのだが、結語がキマッていて笑える。
鳥越氏がラジオで得意気に語っていたのは、じつはそういうことだったのかと納得。

NHK現役記者へのインタビュー記事は興味深かったが、とくに注目したのはつぎの発言。

海老沢さんは、NHK営業という日本放送協会の中で最もアンタッチャブルな暗黒部分に触ろうとして刺されたのかもしれない。だとすると、シナリオが別にあり、私たちはしょせん踊らされているというか、芝居を演じさせられているだけなのかも、と思うことがある。
 もちろん、政治部や社会部など報道部分も改革が必要だが、本当に改革が必要なのはNHKの営業部門だと思います。これには、まだ誰も手をつけていない



〔参照〕

「J考現学」 カテゴリー〔ジャーナリズムの定義〕

「ジャーナリズム論」野村一夫

「ATP インタビューシリーズ」


※吉田直哉著 私伝・吉田冨三『癌細胞はこう語った』(文春文庫・1995年)にひどく感心した。当時、医師(名医)、医学部受験生などに、べつに買い求めて渡した。本はすすめるにとどめているので、例外的行為。なお富三は直哉の父親で、「吉田肉腫」を発見した世界的病理学者。
直哉は、強い酒を継続的に呑んだため食道ガンに罹患する。手術後の手記(たしか「文藝春秋」所収)は、父親を意識するあまりガンでは死ねないとの信念に貫かれていて、壮絶。

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2005年10月19日

NHKのDNAとは?

わたしの実感では、10年ほどまえからガクンとNHKの番組の質が落ち、いまだに回復していない。また、NHK教育で文学に関する番組が放映されなくなった。なぜなのだろう。ドキュメンタリー作品がふえたが、質の劣化した番組が多いように思う。ときたま民放ですばらしいドキュメンタリーが放映されるのを観ると、NHKはだいじょうぶかと懸念する。
NHKという組織の内部事情は知らないが、番組制作者の質が低下しているとも思えない。NHK内部で、どのような現象が起きているのだろう。それは、いい番組を観たいという強い願望をもつ視聴者の減少とパラレルなのだろうか。

そんななか、2005/1/13にNHKの内部告発をした長井暁氏(番組制作局教育番組センターのチーフ・プロデューサー)の記者会見は、衝撃的だった。
実名と顔を晒し、職場生命を賭して内部告白した長井氏は、NHKの自己改革を望んでいるのだと、わたしはとらえた。番組制作者にとって限界を超えるほど、NHKという巨大組織の疲弊があるらしいと。

長井氏の行方が気になりながら、ネットで検索するという行為とは結びつかないままでいたのだが、先日、検索してみた。
じつに多くの「情報」があり、自分は安全圏に身をおきつつ長井氏を揶揄するにとどまるblogも多く、疲れをおぼえた。そういうひとの存在を知っておくのも必要かもしれないが。
遅ればせながら、自分なりに考えをまとめておきたい。
わたしが検索できたなかで、参考になったサイトは意外と少なくて、つぎのとおり。
最後ののみ、朝日新聞からの引用。

NHKを内部告発した長井暁チーフ・プロデューサーの記者会見(動画)――『ビデオニュース・ドットコム』

長井氏の1時間の記者会見の内容を動画つきで聴けるので、TVニュースから受けとった印象と、かなりちがう。
長井氏が内部告発のあらましを述べたあと、質疑応答に入った。朝日新聞の本田記者の質問が異様に多い。わたしが聴いた限りでは、記者会見より質疑応答のほうが興味深かった。

「告発による不利益はないか」という質問に、「不利益はあるでしょう」と答えてから、「わたしもサラリーマン。家族を路頭に迷わすわけにはいかない。…………」というあたりで、長井氏は涙声になり、ここでカメラのシャッターを切る音がつづく。
告発するまでに4年を要したのは、迷っていたこともあるが、妻(長井氏は「家内」と発言)の了承を得る時間も含まれていたとのこと。

pantomimeの日記」
長井暁CP記者会見のテキスト化(質疑応答前の13分間)


blog管理者が長井氏の記者会見(質疑応答のまえまで)を起こしている。このようなめんどうな作業をするのだから、長井氏を支持していると思ったが、2005/9/3で更新を中止する理由というエントリーを読んで、驚いた。長井氏に抗する側に立っていると推察される。
1984年生まれという若者で、豊かな感性のもちぬしだと思える文章なので、困ってしまう。マジメに保守化している若者像をイメージしたのだが、どうとらえたらいいのか。

上記テキストのなかで注目した箇所を引く。

《朝日新聞のほうに先に出てしまいましたが、朝日の記者の方が12月の下旬に接触がございまして、私としてはとにかくコンプライアンス通報制度の結果を待ちたいので、しばらく記事にはしないでください、ということをお願いしていたのですけれども、一ヶ月経ってもなんら成果をあげられないということを知るに到り、記事にされることを私は了承いたしました》

上記の「朝日の記者」は、本田記者を指すのであろう。

編集過程を含む事実関係の詳細(ファイルタイプ)

NHKが作成した資料のようだが、客観性があるので気もちよく読める。ひとつの定点からとらえた「事実」という意味で参考になった。

NHK番組への政治介入についての声明
東京大学教員有志


NHKニュースが死んだ日
メディアの「信用」は「番組」に内在する

(初出:『論座』、朝日新聞社、2005年6月号)
東京大学 大学院 情報学環 学際情報学府 / 総合文化研究科 言語情報科学専攻
石田英敬 研究室

い篭擇通っている。この声明の呼びかけ人のひとりである石田英敬氏が『論座』(朝日新聞社、2005年6月号)に掲載した文献がイ任△襦
石田研究室では「TV分析の知恵の樹」プロジェクトをすすめていて、このシステムを使って1月の「NHKニュース7」を分析した結果が紹介されているのを読み、ひどく感心した。
末尾で石田氏はこう記している。

《自己弁護に血道をあげるばかりに、NHKは番組づくりという基本中の基本の部分において、「信用」を失ってしまったように私には思える。ニュースとは、公共放送の「命」ではないか。抑制的でニュートラルで、バランスと秩序のある客観的な事実報道。情緒的、感情的な表現は避け、きっちりとした話法にもとづいたアナウンサーの語り―そのような、公共放送のニュースという、戦後積み上げられてきた公共メディアの「信用」が今回、失われたのである。そのことの負の意味を、1月のニュース番組を制作し放送した人たちは、十分に認識しているだろうか》

VAWW−NETジャパンのブログ

「すべてを疑え!! MAMO's Site<ジャーナリスト坂本衛のサイト>」

このサイトが、最も読みごたえがあった。長井氏の内部告発が、「NHK vs 朝日新聞」にシフトしていったことに不満があったので、そこを坂本氏がきっちり論じているのを読み、共感できた。
ここでは2つの項について、骨子だとわたしが判断した箇所を引く。

  【NHKに政治介入】

・NHKの特定の番組が、日本政府高官から干渉され、規律されたことは、放送法違反であり、憲法違反である。

・NHKは、政府高官からの政治的圧力に屈して番組を改変し、それが訴訟沙汰になっても、政府高官からの番組への干渉を隠していた。これは政府や政府与党に弱いNHKの最大の問題点を浮き彫りにした。受信料不払いへの影響は避けられないだろう。

・今回のような個別番組への政治介入は、1960年代から70年代にかけて、NHK・民放を問わず頻発していた。

・NHKの自主規制の枠を超えて、今回のような政府高官による露骨な番組干渉が露呈したのは、極めて異例なこと。それは、NHK教育テレビのETV特集という、NHKのメインストリートから外れた番組で、しかもNHK本体ではないNHKエンタープライズ21に加えて、企画段階から制作会社「ドキュメンタリージャパン」が深く関与していたから。NHKの正統である報道部門が、「従軍慰安婦」「女性国際戦犯法廷」などという企画を取り上げること自体、そもそもあり得ないこと。

・元内閣官房長官の安倍晋三は、1/13夜、テレビ朝日「報道ステーション」に登場し、朝日新聞記事に反論。「向こう側が説明に来たいといって、で、説明に来て、それに対して公平公正にお願いしますよ、と私は申し上げたわけですね。それが介入になるのかという事だと思うんですね」と語っているが、むろんそれが政治介入になる。

・元内閣官房長官の安倍晋三は、1/16、テレビ朝日「サンデープロジェクト」に登場して朝日新聞記事に反論した。
安倍晋三は放送法第3条の4「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」という規定を、単独の番組の中で実現されなければならないと考えているらしいが、この考えは改めてもらわなければ困る。
政治的な公平や偏向の有無は、1番組の中だけでうんぬんすべきではなく、一連の番組、シリーズ番組、ある期間に流れた番組全体などを見て、判断しなければならない。
      
  【NHK報道局「絶対匿名」座談会】 

海老沢会長辞任後、報道局員の30代中堅職員3人の座談会。
司会/構成 坂本衛(「サイゾー」2005年3月号)

この座談会がおもしろかったので、坂本氏おすすめの「徹底検証! NHKの真相」(イースト・プレス、2005/5/15)を昨日、入手した。管理職を含む現役記者たちの貴重な証言というのを読みたくて。
なお、坂本衛氏の明快な論理には同意できるとしても、田原総一郎を支持しているらしい点がわたしには不可解であり、困ってしまうのである。  

「日本ジャーナリスト会議」
特集・NHK番組改変政治介入問題


【(2005.3.31)「私たちのNHK」は可能か 公共放送の役割を討議」】と題して紹介されている「JCJ50周年NHK問題討論集会"どうするNHK"〜ジャーナリズムと権力〜」(3/5、岩波セミナールーム)の末尾に、会場からの発言がある。名前入りが4名、あとはA、Bと表記されている。名前入りの発言内容から、NHKの職員らしい。そのなかの発言に、「長井さんは3月から前の職場に復帰した」とある。
(蛇足ながら、上記発言者の名前が、わたしの敬愛する知人と同名なので、同一人物だと思う。彼に当blogを紹介するのに羞恥心があったが、本エントリーをアップしてからメールで知らせるするつもりでいた。そういうわけなので、昨日、彼の名前を発見し、不思議な気分になった。わたしがTV番組のむこう側に制作者の存在を意識するようになったのは、彼の存在が大きい。それはNHKに限らず、民放の番組を観ていても同じである。番組制作にかける情熱、モノづくりの原動力、映像人間の生態――といったことを彼から教わったのである)

2005年01月24日付け「日刊ベリタ」に、

《NHKの従軍慰安婦問題番組をめぐり、1月13日に内部告発会見に踏み切ったNHKの長井暁(ながい・さとる)チーフプロデューサーは、自宅に帰ることもままならず、都内のホテルに身を潜める生活を送っている。NKH関係者が明らかにした。また、別のNHK関係者によると、長井さんだけを孤立させることはあってはならないとの思いから「第二の内部告発会見」を行う準備を進めているNHK職員もいるという》

とあるのを読んで心配していたので、安堵した。NHK職員が長井氏を護ったという意味なのだろうか。3月から前の職場に復帰したとして、6月の異動でどういう事態になっているかが問われる。

「メディア関係者、NHK問題に関する緊急記者会見」

NHKへの政治介入問題などについて、1/18午後、参議院議員会館第1会議室(東京永田町)にて、メディア関係者らが「NHK問題に関する緊急記者会見とアピール」を開いたサイト。
発言者のなかから、つぎの2名の発言に興味をもったので、引く。

「ドキュメンタリー・ジャパン」の坂本香氏(女性)が、2001年7月に退社したということは、NHKから圧力がかかったと想像する。そうだとしたら、まったくやりきれない。長井氏を護るNHK職員はいたが、坂本氏は孤立無援だったのだろうか。

映像ジャーナリスト・坂上香さん
(ドキュメンタリー・ジャパン(DJ)の元ディレクターで、ETV2001・シリーズ『戦争をどう裁くか』の第3回目を担当した。番組改変問題を原因に、DJを2001年7月に退社)

 「短いインタビュー番組に答えるのが嫌だなと思いつつも、長井さんと『朝日新聞』を孤立させたくないと、私自身が4年前に1人で追い詰められていた時のあのような状態が起きてほしくないという思いを込めて、めちゃくちゃに編集されるかもしれないという危険を冒しながらも、いくつかのインタビューを受けました。でもそのなかには、私が制作した番組について、『そもそもテレビでは使えないテーマでしょう』と評するディレクターがいた。あるテーマをタブー視している、また、それを全然疑問視しないメディアがあることはとても哀しいと思います」

日本放送労働組合(日放労)の役員

 「長井を日放労として最大限に支援し、また人事的、物質的な利益に対して彼を守ることは、われわれの決意と責任としてやっていきたいと思います。昨日、仙台の方に行ってまいりました。80名ほどの組合員の中に、若手の中堅ディレクター何人かから、自分たち自身がやはり声を上げなければいけないという発言がありました。われわれは、そういった声を上げる人たちをどうやって守っていくのか、一緒に戦っていくのかということを、報道機関の労働組合として、大きな存在意義の一つとして取り込んでいきたいと新たに決意をしております」

2005/10/7付け朝日新聞に掲載された投稿、【私の視点】「公共放送 報道の価値と独立の再確認を」(門奈直樹・立教大学教授〔情報文化論〕)は秀逸。

BBCが公表した、昨年6月の「ニール・リポート」が紹介されている。

《同リポートは公開性と透明性を基調に「正確で、強い、独立した公正なジャーナリズムはBBCのDNA」であり、/深造叛騎里記公益性への貢献8正さと多様性て販性ダ睫誓嫻い蓮BBCジャーナリズムの五つの価値だ」と断言した》

BBCは、ニール・リポートの内容を反映させ、下請け会社にも適用した詳細な「編集ガイドライン」を作成したという。BBCは下請け会社に正当な報酬を払っているのだろうか。イラク戦争報道においても、BBCは、フリーの記者も正社員と同じ条件で扱わなければならないと決めていたらしい。それなら、下請け会社にも同じ対応をしているのだろう。
日本の制作会社は正当な報酬を得られないために(民放も含めて)、経営難に喘いでいるらしい。そこの対比も重要だと思う。局外の制作会社が番組を制作したケースでは、クレジットタイトルに制作会社名を公表する必要があると思う。

門奈氏は、末尾にこう記している。

《今、NHKには危機克服の戦略としてNHKジャーナリズムの価値を世に問う気概が求められよう。本当の危機は、ブランド力の崩壊にある》  

なお、上記┐離汽ぅ箸法◆據2005.2.28)BBCはガイドラインを公開】と題する門奈氏の文章(口語体)が掲載されている。そこから引く。

《イギリスでは1930年代から新聞界でも「中立」とは言わず、「インディペンデント」(独立)が原則とされてきました。「中立」は左右の真ん中という意味で、左右の極がどちらかに触れれば、真ん中も移動します。イギリスでは放送番組はバランス感覚をもって制作されなければならないとされています。
 その場合、一つの番組の中でバランスをとるのではなく、編成全体の中で多様な意見を提示していくのが、「公平」であり「公正」です》

  *

■ここまで書いて感じたこと。
NHKの真相はわからないが、公共放送として受信料を法的に義務化して、「NHKのDNA」といえるものを確立してほしい。不公平感のない受信料システムにすれば、いまより視聴者の負担は少なくなる。
視聴者として、いい番組を観たいという想いに尽きる。
  
■映像表現でしかあらわせない世界がある。
最近、感銘を受けた番組は、BSドキュメンタリー「エリックとエリクソン」〜ハイチ・ストリートチルドレンの10年〜(2004/4/3)。
ラストシーンで、双子のエリックとエリクソンが、無邪気に河のなかで水遊びをする姿を、カメラが遠景として映しだす。彼らの過酷な現実との対比をイメージし、成人したふたりの歩む道はちがってしまったが、子どもに還ったように戯れる姿が胸を打つ。
わたしの記憶では、NHK臭い音楽もナレーションも入らない静寂のなかで、この10年のふたりの成長と苦難がすーっと浮かんでくるところに、なんともいえない余韻が感じられる。ディレクターが女性だったと記憶している。

私見だが、NHKとBBCのちがいは、BBCの映像には悲惨な状況のなかにも力強さ、希望への光源が感じられる。自然なカメラワークで、NHKのようなツクリモノの感じがしない。
そういう意味で、上記の番組にBBCに近いものを感じた。

■「アルモーメンホテルの子供達〜がんと闘うイラクの家族〜」(2005/10/5)は、悲惨で観るのに苦痛があったが、いい番組だった。BSドキュメンタリーの再放送として総合で放映されたのだが、00:25〜01:15という時間帯は残念だ。
劣化ウラン弾に関する番組をNHKは自主規制しているらしいから、この番組の再放送は稀なのかもしれない。

それにしても数年後にイラク戦争における劣化ウラン弾の影響で、子どもたちの肉体にがんが巣くうかと思うと、やりきれない。そこを射程に入れているところが、この番組の怖さである。











miko3355 at 11:24|この記事のURLTrackBack(2)