オルタスジャパン制作のTV番組・05年

2005年11月23日

奥本大三郎の課外授業「作ろう! ぼくらの昆虫記」を観る

10/19放映の菊地信義編につづいて、11/16放映の奥本大三郎編「課外授業ようこそ先輩」について、感じたままを記しておきたい。同じく小田昭太郎氏の率いるオルタスジャパン制作である。

本番組がはじまるまでドタバタしていて、こころの準備ができないまま臨んだにもかかわらず、集中して観ることができた。それだけの牽引力があったということ。
なんといっても映像がうつくしい。虫が苦手なわたしでも大いに愉しめた。
カメラについては疎いのだが、光の量が多い画面なので、野外撮影の場面ではいいが、教室で画面がまぶしく感じられたのは、眼の錯覚だろうか。

番組の導入部で、奥本氏の発言として、いきなり"さわり"から入ってゆくのが意表を衝く。
(場所は、奥本氏の職場である大学の教官室だと推察する)

「人生って不条理なもの。自分には虫があるという気もちがあれば、なにも怖くないんですよね」

驚いたことに、奥本氏と子どもたちのあいだに、はじめから親和的空気が流れていて、担任の教師だといわれてもおかしくないくらいだ。あるいは小児科医にもみえる。子どもたちも、TVカメラを意識していないようにみえるほど自由闊達だ。
カメラは子どもたちが虫に興味を示すにつれて、輝きを増すそれぞれの表情を映しだすことに主眼をおいていたように思えた。そしてそれは、見事に成功していたのである。

授業の導入部として奥本先生は黒板に虫の絵を書かせたあと、顕微鏡を使って虫のもつ美の世界を徹底的に観察させたうえで、写生させる。つまり肉眼ではみえない世界へ子どもたちを誘うのである。視えている世界は、じつは視えていなかったということを体験させる。さらにその体験を、写生という手を使うことで脳に定着させることを意図しているのであろう。

このあと近くの山へ行き、子どもたちに虫捕りをさせる。この場面は臨場感がある。奥本先生もいきいきして、子どもたちに虫についての知識を披露したりして、"このひとはちがう"という雰囲気を打ちだしている。大阪の南に位置する土地柄ゆえ、山は尖っていなくて、奥本先生の人柄のように優美である。

2日めの授業で奥本先生は、虫を観察して感じたことを書かせる。そして子どもたちに、みんなのまえで発表させたあと、奥本先生はひとりひとりの美点をみいだしたコメントで応じたのち、みんなで拍手。

発表のあと、奥本先生は「齢とった先輩として」忠告する。

「生きものが生きていくのは、いやなことだらけ。好きなものがあれば、がまんできる。みなさんが胸に手をおいて、こころから自分が好きなものがなにか、よく考えてみてください」

「このまえあそこの山へ行って、あの細い道を歩いただけでも虫がいっぱいいたでしょう」と奥本先生はいい、「また行きたいひと?」と訊くと、ほとんどの子どもたちがだらだら挙手したなかに、数人、挙手しない子どもがいた。そこがおもしろかった。

「ではみなさん、ありがとう」ということばを残して教室から去った奥本氏が、廊下でコメントする。

「大学生よりずっと真剣に聴いてくれる。わかろうとして、じっとこちらをみてくれる。やっぱり眼がいいですよ。ぼくのしゃべっていることが、刻みこまれていくような気がしましたね」

終始ポーカーフェイスで飄々としている奥本大三郎氏に好感をもった。
あつくるしくない人間というのは、稀少価値があると思う。
虫から学んだことを、奥本氏は体現しているのである。
なお、カマキリ(?)を背中に乗せて得意がっている男の子には、笑えた。
いまどきこんな素朴な男の子がいるのかと驚いた。
それを撮ったカメラマンも、かつてそんな男の子だったのだろうかと思えるほど、カメラが同化して笑っているように感じた。

今回のナレーションの子ども(女の子)の声と、流れる音楽は(挿入箇所も含めて)、マッチしていて心地よかった。
季節感としては、夏休みに放映されたらぴったりという感じ。
前回の菊地信義編もよかったのだが、「どちらがよかったか?」という横暴な質問を設定すると、わたしは迷わず奥本大三郎編だと答える。
素人判断にすぎないが、今回のカメラマンの腕はかなり上等だと感じた。視点がはっきりしたカメラワークだった。映像もうつくしい。一方、教室のやや粗末な感じもよくでていた。
全体的に構成に工夫がみられたように思う。

NHKの番組としてではなく、オルタスジャパン独自の番組として制作したら、どのような作品になるのだろうと、余計なことを考えてしまった。
NHKの匂いがふわーっと漂いながらも、独自の世界を表現しようとする要素が、(菊地信義編に比して)あったと感じたのは、わたしの深読みだろうか。

  *

本番組でいきいきした子どもたちの表情と、それを映しだしたカメラワークに感心しながら、一方でわたしは数日まえにTV(BS1)で観たドキュメンタリー映画を想起していた。

以下より番組案内を引用。

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「児童労働のない未来へ〜NGO活動日記〜」

■NHK放映番組 BS世界のドキュメンタリー

僕たちも学びたい  貧困と闘う子ども労働者たち
11月9日(水) 21:10〜22:00 NHK BS1

国連の統計によると世界の子どもの6人に1人、2億5千万人が貧困のため
働くことを余儀なくされている。国際条約違反であるにもかかわらず世界中
に広がる児童労働はどのようにすれば廃絶できるのか。貧しい家庭の子ども
に賃金を保障し通学させるブラジルの補助金制度が中南米やアフリカに広が
りを見せる一方、ケニアのように政府が対外債務の支払いのために一時教育
予算の削減に踏み切り就学率が低下した国もある。学ぶ機会を失って働かざ
るを得ない貧しい子どもと、教育の機会を与えるために活動するNGOを取
材、さらに2004年ノーベル平和賞を受賞したケニアの環境運動家、ワン
ガリ・マータイ女史の訴えをまじえ、南北問題と深く関わった児童労働の問
題を考える。なおオリジナルのナレーターはメリル・ストリープ。

制作:Galen Films(ガレンフィルムズ)/アメリカ/2004年
原題:Stolen Childhoods
http://www.nhk.or.jp/bs/wdoc/ より
…………………………………………………………………………………………

クレジットによると、撮影は「ロバート・ロマノ」とある。
「カメラ=人間の眼」というのはあたりまえなのだが、この映画ではことに映像がうつくしく、子どもの眼と足元(裸足)に力点をおいていた。
これほどカメラに強い意思が宿っているのを感じさせられる映像は、わたしには珍しい。とくに子どもの眼をえぐるように映しとったワンカットに、カメラマンの強い意思を感じた。技術的にそれが可能だということに、わたしは驚愕した。しかもその時間が絶妙なのだ。2秒強くらいか。3秒だと長すぎて冗漫になる。強烈な余韻を残してつぎのシーンに移るところがたまらない。
貧しさと過重な労働で、猜疑心と屈折した孤独感を顕わにしつつ、カメラを構えているおとな(=その映像を観ている人間たち)を射抜くように凝視する大きな眼の少女のうしろに、生活に疲れ果て、無気力になった影の薄い子どもがいた。
親の借金のために着飾って街角に立ち、売春をさせられている少女には胸を突かれた。利潤は悪辣なおとなに吸いあげられるという。

わたしには、奥本先生の授業を受けていきいきしている子どもたちと、貧困と闘う子どもたちとが、同じにみえた。後者の子どもたちが、うつくしい映像として描かれていたせいも大きい。それはカメラマンのこころの眼なのだろうか。その場に自分が立ち、異臭を含めたすさまじい空気のなかなら、自分はどのような感想をもつだろうか、と考えてしまう。
とはいえ、わたしの脳裡に焼きついた残像は、こちらを射抜く挑戦的な大きい黒眼である。







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2005年10月26日

 菊地信義(装丁家)編「課外授業ようこそ先輩」

TVをリアルタイムで観る余裕がないので、録画に頼っているのだが、10/19に放映されたNHK総合の「課外授業ようこそ先輩」はリアルタイムで観た。授業をするのが装丁家・菊地信義だというのも大きいが、なによりも小田昭太郎氏が率いる「オルタスジャパン」が企画・制作した番組だったからである。

以下、感じたことを記してみる。

菊地氏の顔をみたのははじめてだが、母校の小学校を訪ねたせいか、ひとと接するときにはそういう表情なのか、終始笑顔をたたえていた。しかし顔がアップになると、精巧なカメラレンズのような眼には、孤独感と狂気の気配が漂う。吸いこまれるような眼というより、深遠な海という感じで近寄りがたい。地面にひとりで立っている男。どこにも凭りかかっていないのである。それらは生来の資質なのだろう。テンションの高いところも含めて。

わたしが菊地氏の装丁した本から受けていたイメージは、天才肌でひとを寄せつけない、孤絶の世界をもつ男。以前に、「文藝春秋」だったかに掲載されたエッセイを読んだとき、そのイメージと同じだった。
菊地氏がしーんとした部屋で、装丁するまえの作業として、原稿を読む映像が挿入されていたが、それはわたしがイメージしていた顔に合致する。獲物に挑む野生の虎のような形相。TVカメラのまえでこれだけの殺気を感じさせるのだから、実際の仕事場では……と想像すると怖ろしい。
菊地氏の発言。

「異次元にきたような感じ」
「徹底的に原稿を読むことでデザインが立ちあがる」 
 
さて、授業に入ろう。
まず「昨夜、眠れましたか?」というスタッフらしい人間の質問(文字と音声入り)から入ったのが、異様だった。
「顔をみたらわかるでしょう。眠れませんでした」
と、菊地氏は笑顔で答える。
これだけのやりとりだが、スタッフと菊地氏の事前の話しあいが想像される。菊地氏が母校で授業することに、緊張感をもって挑んだことが伝わってくる。しかしその理由については述べられない。

菊地氏は教室で、自分の装丁した本を並べた机のまえに立ち、子どもたちを迎え入れる。子どもたちが待つ教室に先輩が入ってゆく、といういつもの構図と逆であるのがおもしろい。
そこには明確な意図があり、菊地氏は「菊地書店」だといいながら、子どもたちに「いいなあと思う表紙の本」を選ばせる。しかも3分という限定で。要するに、書店でひとが本を眺めたときと同じシチュエーションである。パッとみてひとの気を惹く表紙の本はどれかという実験。
選んだ本を手にした子どもにその理由を訊き、子どもたちが自分の言葉で説明できることに、菊地氏は感動する。
装丁が本の中身をアピールする存在であるということが、どれだけ子どもたちのこころに響いただろうか。おそらく数年後に、より強く実感するのだろう。

菊地氏は、装丁した金原ひとみの小説を例にとり、子どもたちに感想を訊きながら、装丁とはどういうものかを、子どもにもわかる言葉で説明してゆく。常にキーポイントを示すのが、菊地氏の特色だ。
装丁するために必要なこと。

小説のなかに潜んでいる色・紙のイメージを読みとる。
イメージする力を鍛える。

そのうえで、谷川俊太郎の「生きる」という詩の頭の7行からイメージして装丁する、という課題を子どもたちにさしだす。
そしてこうアドバイスする。

・谷川さんが用意してくれた鏡に自分が写る。自分自身の1行をみつけてください。
・自分のつくりたい表紙をイメージする。
・自分と話をする。自分の気もちを深くみつめなおす。

こうして子どもたちの表紙づくりがはじまる。
作業途中で、菊地氏が待つ部屋を子どもが個別に訪ね、着想を話したあと、アドバイスを受ける。一対一の空間を設定したところに秘密があると思う。作業する教室を用いない。子どもたちは、緊張から解かれた感じで部屋を去る。その背中から〈やる気〉がうっすらと立ちのぼる。

作業がはじまった教室で、ひとりの男の子が、みんなから離れた席でぽつんと座っている。イメージがわいてこないことに苦悩して、べそをかいている。
菊地氏は彼に近づき、ハンカチのようなものをとりだし、彼といっしょに鼻をかむ。泣くに泣けない彼の背中を押すという感じ。言葉による励ましではなく、ただ寄りそう。そのままでいいんだよ、という暗黙のメッセージ。なんでもない情景だが、彼の内部でなにかが起こることを予感させる。
菊地氏のアドバイスを受けながら、ようやく彼なりの表紙ができあがる。

このあとだったと記憶しているのだが、菊地氏はカメラ(スタッフ)にむかっていう。
「アイデアがでなかったというのも、ひとつの答え。それを認めてあげる」
完璧な演出ではないか、と思えるくらいはまっている。
正直なところ、この発言があったほうがよいのかどうか、わたしは迷う。
余韻として視聴者に伝えるのは、むずかしいだろうし。

最後に、ひとりひとりがみんなのまえで作品を発表する場面で、菊地氏は立ち往生していた男の子の作品を、手放しで褒める。そこに虚飾はなく、「今度自分もそのアイデアを使おうかな」などという。それはタイトルのない表紙なのである。
発表したあとの、(苦しんで作品をつくった)男の子の笑顔が印象的だった。
装丁するという作業を通して、彼の内部でなにかが変容した。自信がついた、という感じを受けた。
「変われ」というメッセージは、コンプレックスを増長させるだけだ。
他者の肯定的な視線がこころの核心に触れたとき、ひとは動きだすのかもしれない。

なにごとも「あとしまつ」が大切なのだが、菊地信義はそれを忘れない。授業のまとめとして、こう強調する。

「自分のなかに潜んでいる自分を読みだすのが、生きるということ。装丁するということ。イメージをかたちにすること」

2日間にわたる授業を無事終了したあとの、解放感と満足感に満ちた菊地信義の笑顔がこころに残った。この授業でなにかを発見したかのような、強靱な精神が伝わってきた。
なお、全体的にナレーションの声質が、菊地氏の醸しだす空間に対して違和感があり、耳ざわりだった。

  *

「課外授業」という番組を以前から興味深く観ていたのは、わたしが「教える」ということについて、子どものころから引っかかっているせいかもしれない。感心しない教師が多かったなあと。唯一尊敬できたのは、中学校の国語教師(女性)のみ。

筑摩書房のPR誌「ちくま」(2002年10月号)に掲載された「"旅芸人の一座"から見た教室―坂上達夫氏に聞く」はとてもおもしろかった。
坂上達夫(さかうえ・たつお)氏は、『課外授業 ようこそ先輩』の企画段階から携わってきたNHK教育番組部チーフ・プロデューサー。1955年生まれ。

以下、重松清(作家)のインタビューに答えた坂上氏の発言から引く。(抜粋)

“崛箸箸靴萄任眛颪靴い里蓮◆峩気┐襪劼箸閥気┐蕕譴襪劼箸隆愀言をどうやってつくるか」ということなんです。その点、『ようこそ先輩』の「故郷の母校に帰る」という設定は、われながら秀逸といいますか(笑)、「先生」をやるひとにもそれだけでモチベーションの高まりがあるんですね。

⊂なくとも番組として考えた場合、成功するかどうかはむしろ演出サイドの問題になるでしょうね。「先生」のなにをどう引き出して子どもたちに伝えたいかということを、収録前にしっかり考えておかないと。「先生」の名前に寄りかかって「このひとが教壇に立てばとにかく番組にはなるから」と、事前の準備をわれわれが怠ってしまうと、授業はてきめんに砂を噛むようなものになってしまいます。

3本作家の五味太郎さんに出演していただいたとき、「だいたい、嫌いなことなんて、いくらがんばったってうまくなるわけないだろ」と言い放っちゃった。これは、一般的な学校の常識では出てこない考え方ですよね。でも、私は、そこに込められているメッセージはすごく大事なことだと思いました。ひとがひとであるということは、なんでもバランス良くこなすことではなくて、むしろ他のひとと違う自分を見つけて、それを身につけるということなんだろうな、と。「現場」の先生方からはなにか言われるかもしれないけれど、この部分は絶対に放送で出したい、と思いました。事実、「現場」の評判はあまりよくなかったらしいのですが(笑)。

ず能的な編集で、どの子も必ず画面の中に登場するようにしています。ただ、授業で課題を与えられて、それに向かって行動している姿を撮るわけですから、そのなかでやっぱり何度も映る子が出てしまう、という言い方以外にないですね。目立つ、目立たないの問題ではないんです。

イ發舛蹐鵝△錣譴錣譴發泙辰燭準備をせずに教室に入るわけではありません。事前に学校に行って子どもたちにアンケートをとったり写真を撮ったりして、収録で教室に入った段階では、カメラマンも含めて全員、子どもたちの顔と名前は一致しています。十把一絡げではなくて、自分が自分として認識されていることの大事さなんですよね。

Δ錣譴錣譴糧崛箸痢崟萓犬蓮一生に一度、自分のやってきたことすべてをかけて子どもに語りかける。一回だけだから、できるんです。しかも、子どもたちにとっては、毎日毎日同じ調子で授業がある中で、知らないひとがやってきて、ふだんと違う面白いことをやってくれる……目が輝かないはずがないんですよ。(プロの先生と)比べることじたいが、ほんとうはナンセンスだと思いますね。

Г錣譴錣譴教室に行くことになんらかの効用があるんだとしたら、それは、だらだらした日常に区切りをつける、ということかもしれません。そのときに、"学ぶ意味"みたいなことを多少でも残していければいいのかなあ。われわれの正直な意識としては、それ以上でも以下でもないんですよね。

┰什仭宛紊了劼匹發燭舛旅ゴ饋瓦辰董∈嚢發世隼廚Δ鵑任垢茵(中学生だと)遅いというより、年齢が上がって、相手に理解力があると思うと、「先生」のほうも馴れ合いになって緊張感がなくなってしまう、という不安がありますね。「わかるでしょ」と言った瞬間に、止まってしまう。それをどこまで噛み砕いて相手に伝えていくかという必死さを、やはり見せてほしいわけですから。

われわれがターゲットとしている視聴者は、子どもたちではなく、親なんですよ。一流のおとながどう生きているかを、われわれ普通のおとなが見ることに意味がある。それを見せる手だてとして、学校の教室を借りちゃったわけです。その証拠に、『ようこそ先輩』は、最初の一年は夜十時からの放送だったんです。

もっと個人的な動機にひきつけて言えば、私は一九五五年生まれなんですが、われわれ世代が自分自身を問う番組だったんですよ、そもそもは。子どものことをいろいろ論じているけれど、突き詰めていくと、おとなを再教育するほうが先かなあ、と。「『ようこそ先輩』は、おとなの頭をリストラする番組」というのが、私の持論ですから。

■坂上氏の発言を、末尾にある重松清のコメントより引く。(とても気に入ったので)

《インタビューの申し込みをしたときも、坂上さんは困惑気味に「私はテレビ番組をつくっているだけですから、私なんかに意見を求めちゃいけないんじゃないでしょうか」と答えるだけだった》

※検索してみたら、この坂上達夫氏へのインタビュー記事は、  『教育とはなんだ』―学校の見方が変わる18のヒント (重松清編著・筑摩書房)に、「ちくま」掲載時と同じタイトルで収められている。

「課外授業 ようこそ先輩」は、NHKの看板番組のひとつでもあるので、NHKが制作していると思いこんでいた。が、そうではないことを、「オルタスジャパン」のHPから知った。調べてみると、ほかの制作会社も手がけているようだ。
番組のラストで制作会社名を明記してほしい。著作権はどうなっているのか。NHKグループの「NHKエンタープライズ21」のみ明記しているのは、納得できない。


〔追記 2005/10/27〕
上記の文末でえらそうに書いたので、いやな予感がして、さきほど録画したビデオテープで確認しました。
ラストに「制作・著作 NHKエンタープライズ オルタスジャパン」というテロップが流れたのをみてドキッとしました。訂正してお詫びします。ほんとうに恥ずかしい!
また「NHKエンタープライズ21」が、「NHKソフトウェア」と平成17年4月1日に合併し、「NHKエンタープライズ」になっていたことも知りませんでした。









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