オルタスジャパン制作のTV番組・07年

2007年12月10日

NONFIX 「あなたの"楽しみ"かなえます〜知的障害者たちが夢見る明日〜」(フジテレビ)

【フジテレビのホームページより引用】

2007年11月1日(木) 02:48〜03:48 放送

大好きなテーマパークに遊びに行きたい! 恋人気分でデートをしたい! 早く大人になりたい!
“人生を楽しむ”という、誰もが求めるあたりまえのことが、知的障害者たちにとっては、とても困難な「ハードル」になっています。

そんな中、知的障害者たちの“楽しみ”を実現する「楽しみ活動」という、まったく新しい福祉事業を行なう人物がいます。
吉野徹さん、31歳。吉野さんは、障害者施設で職員として働く中で、現在の福祉制度に疑問を感じて、退職後「楽しみ活動」を始めました。ひとりひとりに合わせて行なわれる「楽しみ活動」は、何が起こるかわからない、予測不能の出来事の連続…吉野さんと知的障害を持つ若者たちの、ひと夏を見つめました。

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フジテレビの「NONFIX」は、日曜日のお昼に放映されている同局の「ザ・ノンフィクション」よりヘビーなテーマをとりあげているようだ。
10/31深夜に放映された「あなたの"楽しみ"かなえます〜知的障害者たちが夢見る明日〜」(オルタスジャパン制作)は、3年前、個人事業「楽(たの)まる」をはじめた吉野徹さん(31歳)の活動を紹介している。
本番組の制作を機に吉野さんが開設したblog「たのまる」はこちら
吉野さんは6年間、「知的障害者更正施設」で働いていたとき、「自分ならここにいたくないなあ」という実感があったという。「たのまる」では1時間1500円で請け負っている。当然ながら吉野さんの生活は苦しく、千葉の親元で暮らし、弟と同室の二段ベッドで寝ている。
本番組では3つのケースが紹介されていたが、正直なところ感動するよりも困惑のほうが大きかった。知的障害者を楽しませている吉野さん自身に、楽しめる要素が少ないようにみえたからだ。

徹くん(18歳)は、テーマパークでぬいぐるみをゲットするゲームに熱中する。もっとつづけたいという想いを断ち切られたことで発生した自傷行為をみて、感情のブレーキが利きにくい知的障害のむずかしさを知った。寄りそう人間に専門知識と緊急事態時の判断能力が必要なのはいうまでもないが、外部世界に触れる楽しみを体験した彼らをどこまでケアできるのか。

加奈子さん(20歳)は、吉野さんを恋人とみなしている。疑似恋愛といったほうが正確か。至近距離で吉野さんを眼を輝かせてみつめる加奈子さんをカメラはアップでとらえていた。帰宅した加奈子さんが「逢いたい」と母親にむかって連発する姿はせつない。母親は慣れているという風情で堂々としているようにみえる。
幸いにも加奈子さんの吉野さんへの想いは一過性だったらしく、べつの男性にこころ移りしたようだ。しかし安堵してもいられない。今度はその男性に対して「逢いたい」を連発する可能性がある。知的障害がなくても、恋する人間には暴走する傾向がある。加奈子さんが吉野さんにむかって暴走した場合、吉野さんはどう対処するつもりだったのか。そこら辺にも触れてほしかった。

雄治くんはボランティアの女性(福祉を学ぶ学生)が気に入り、アキバのメイドカフェで羽目をはずす。
席をはずし、携帯電話で帰宅が遅くなることを雄治くんの家族に伝える吉野さんに、ディレクターらしき男性の声が、「たいへんですね」という。苦笑いする吉野さん。だれがみてもたいへんさがわかる場面で、この声は必要だろうか。わたしは「たのまる」の世界に没入していたので、制作者サイドの登場には興ざめだった。小さなことだけれど、引っかかりを感じたので記しておく。

メイドの格好をしたボランティアの女性が、雄治くんについて「ふつうの男性と同じように興味があるのだなあ」というような発言をしていた。が、"仕事"として好意的に接している彼女に対して、雄治くんが個人的好意だと錯覚する可能性はある。
兄貴・友だちのように接する吉野さんに対して、知的障害者が"仕事の領域"を理解するのはむずかしいだろう。
吉野さんが楽しめる場はどこにあるのか、と考えてしまうほど、楽しんでいる知的障害者の顔とは裏腹に、吉野さんの顔には疲労の色が濃厚だった。
知的障害者に限らず人間の欲望はエスカレートする傾向がある。どこまで仕事として受け入れられるのか、という人間観が求められるのではないだろうか。
吉野さんの活動には脱帽するほかないが、バーンアウトしないための打開策はあるのだろうか。

本番組の反響の大きさについては、「ボランティア雑記帳」というblogのこちらに詳しい。

  *

余談だが、20代のころ広島に住む障害児の親を取材したことがある。ふたりのお子さんがあり、上の男の子は軽い機能障害と知的障害があり、下の女の子は健常児として生まれたが、三種混合の予防接種の副作用で障害児になってしまった。予防接種の副作用が原因だということを広島県に認可されず、山口県の新聞記者の尽力でやっと認可されたのだという。
取材に応じてもらうのに時間を要したので不安だったが、意外にも取材には協力的で、とくに父親のほうは用意していた資料をみせながら説明してくださり、積極的だったのが印象に残った。
後日、母親から電話で相談された。思春期の息子が性にめざめて困っているのだと。とりあえず障害者の性について特集していた雑誌を入手して送ったのだが、わたしにはそのテーマがずっと引っかかっていた。

そんな体験もあり、2005年に全日本手をつなぐ育成会発行の自立生活ハンドブック?『性・say・生』(ホームページから購入できる)を入手した。ここまで書いてよいものかと思うほど赤裸々な内容に、正直なところ当惑した。知的障害者が直接読むのではなく、支援者のためのハンドブックらしい。
本書では「マスターベーションは人間にとって大切なことで、思春期において情緒の安定、ホルモンのバランスなどにもつながる」という視点に立つ。「最後までイクこと」の大切さを説いているのには衝撃を受けた。「イクことができないためにパニックになったりする人のためのテキスト」だということで、簡単ではあるが絵入りの方法が記されている。
わたしにはなまなましすぎて考えたくないテーマだが、当事者にとっては切実だろう。

本番組を観た限り、吉野さんが試みようとしている世界では、日本では遅れているマスターベーション介助が視野に入っていて当然という感じがする。
フェミニストでなければほんとうの意味で産婦人科医になれない、という説がある。知的障害者の人間としての自然な要求をどこまで支援できるのか。いわゆる「寝た子を起こす」活動には哲学が必要だろう。

12/07付け朝日新聞・社説で、長崎県の知的障害者のための入所施設が閉鎖され、全員、各地のグループホームなどに移った全国初の事例を紹介している。
吉野さんは国や県からの補助金は受けていないらしい。吉野さんの福祉観を生かすためには、仲間(ボランティアを含む)を集め、国や自治体の支援を受けたグループホームという形態がふさわしいのではないだろうか。
地域の支援を受けながら知的障害者が結婚や子育てができる空間である。
そのグループホームの名は「たのまる」がいい。
本番組を契機に「たのまる」の仕事がふえたとしても、吉野さんの顔はほんとうの意味で輝かないように思う。
とまあ、わたしの勝手な感想を書き連ねてみた。










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2007年09月07日

お宝TVデラックス「熱きライバルたち」

2007年 7月14日(土)午後8:00〜午後10:00、BS2にて放映されたお宝TVデラックス「熱きライバルたち」をおもしろく観た。
オルタスジャパン制作。

【ゲスト】山本學/瀬古利彦/五大路子/角盈男/安倍麻美/ジェームス三木/小林俊一
【司会】 麻丘めぐみ/高山 哲哉

とりあげられたTV番組は、「白い巨塔」「巨人の星」「天と地と」。
このなかでわたしが観ていない番組は「天と地と」だ。
わたしが歴史に疎いということもあるが、NHKの大河ドラマはほとんど観ていない。
「天と地と」(第7作/1969年/全52回)が初のカラー作品だということで、スタッフの苦労話が紹介された。
本番組で、「天と地と」のなかで唯一現存しているフィルムの一部が流れた。クライマックスの川中島の合戦シーンである。
主役の上杉謙信を石坂浩二、武田信玄を高橋幸治が演じているが、映画のような迫力がある。福島県相馬で撮影。制作スタッフ150人、トラック10台に中継車、空にはヘリコプターが待機し、エキストラ300人以上、馬50頭が使われたという。
わたしは石坂浩二の謙信より、高橋幸治の信玄が気に入った。ふてぶてしい、抑制された演技に感心したのである。

ジェームス三木の「昔のほうが、ちゃんと間がある。ごらんになるみなさんが想像できる。いまは、伝えすぎてしまっている。ドラマに限らず、あらゆる番組がそうですけど」というコメントには同意する。
視聴者をそこまで低俗だとみなしている根拠を、NHKを含めたTV関係者に問いたい。
あるいは視聴者が想像力を奪われる番組を観つづけることで、批判精神が衰えた人間の養成を狙う"だれか"が存在するのだろうか。

「天と地と (NHK大河ドラマ) - Wikipedia」によると、
《当時は放送局用ビデオテープ(2インチVTR)が非常に高価で大型だったために、テープは放送終了後に消去されて他の番組に利用されるのが通常だった。そのため再放送および全話収録の完全版の販売は絶望的である。現存している第50話「第5回〜川中島の章〜その四」は「NHK想い出倶楽部2〜黎明期の大河ドラマ編〜(5)天と地と」としてDVDで販売されている。総集編前編はNHKアーカイブスで視聴でき、個人からの寄贈を復元したものでモノクロ(当時の市販ビデオはモノクロだった)で冒頭20分が欠落しており、残念ながら画質状態もよくない》

たしかに本番組でモノクロのフィルムが流れたが、画質がよくなかった。
「ビデオテープが貴重品だった時代に、放送後に消去して他の番組に利用していた」というのは、吉田直哉もなにかに書いていたと記憶している。

  *

圧巻は「白い巨塔」だ。
本番組でとりあげられたのは田宮二郎版で、1978年6月3日〜1979年1月6日(土曜の夜9時)にフジテレビで放映された。全31回。
フジテレビ開局45周年記念ドラマとして前評判の高かった唐沢寿明版は、第一部(全10回)が2003年10月9日〜12月11日まで、第二部(全11回)が2004年1月8日から3月18日まで放映された。
田宮二郎の鬼気迫る演技が脳裡に焼きついているので、はじめはものたりなさを感じた唐沢版だった。が、回を追うごとに番組の秀でた演出を愉しめるようになった。
そのころ書店の店頭に平積みになっていた原作の『白い巨塔』(山崎豊子/新潮文庫・全5巻/2002年)を入手して読んだ。
原作はまず1963年9月15日号から1965年6月13日号まで『サンデー毎日』に連載され、続編が1967年7月23日号から1968年6月9日号にかけて連載された。新潮社から単行本として刊行されたのは、正編は1965年、続編は1969年。
山崎豊子の骨太な文体と、古びていない作品の力に魅了された。
原作を読みながら、田宮版や唐沢版のドラマからは得られない想像の世界を愉しんだのである。

当時、閲覧した「僕たちの好きな『白い巨塔』」は、読み応えがある。
とりわけ「小林俊一インタビュー 全3回」は、興味深い。
小林俊一は田宮版「白い巨塔」でプロデュース・演出を務め、本番組で山本學とともにゲストとしてスタジオにあらわれ、貴重な証言をしていた(その内容は上記サイトにも収められている)。なぜか遠慮がちに座っていた彼が印象的だった。
「白い巨塔 (テレビドラマ 2003年) - Wikipedia」によると、小林は唐沢版にも企画段階で関わっていて、企画の和田行が監修としてクレジットに入れようとしたが、小林は断ったという。その理由は、「田宮版にかかわった多くの人が亡くなっているのに、自分だけ名を連ねるわけにはいかない」。

医事裁判を扱うドラマのため各病院からロケを断られていたが、田宮が東海大学病院に許可してもらったという。
上記サイトの小林俊一の証言によると(本番組でも語っている)、《編集したものを教材テープとして大学に差し上げるという約束のもと、患者と患者の身内の了解を取って、実際の噴門癌の手術を5時間撮った》という。
つぎの小林の証言はじつになまなましい。患者の肉体に最初のメスを入れるシーンよりも、わたしには臨場感がある。

カメラマンの一人は「自分は血を見るのがダメだ」って言ってたのに、ファインダーを覗くとそんなことはどこか吹っ飛んでしまったみたいで、必死に撮り続けていました。でも、切開部が一番良く見えるポジションというのは、当然執刀している教授の場所になる。それで、カメラマンがついその位置に立とうとして、教授さえも押しのけようとするんです(笑)。その度に教授の肩にカメラマンの肩が触れて、何度も教授の肩を看護婦が消毒していたね。そういうことがあって、あの手術シーンの映像は当時のテレビドラマのリアリズムの最たるものになったんだと思う。撮影も編集もみんながプロ根性と尋常じゃないこだわりを持ってやっていたから

田宮二郎は1978年12月28日、家族と別居してひとりで住んでいた自宅で猟銃自殺を遂げた。
「白い巨塔」の終わり2話がオンエアされたのは翌年のはじめである。
田宮は躁鬱病に苦しみながらの撮影だったらしいが、文字どおり田宮二郎こと柴田吾郎(本名)は財前五郎と心中したのだろう。
同じく小林俊一の証言によると、田宮は30話で財前が癌で倒れるシーンの撮影前、3日間絶食し、最終話で財前の遺体が解剖室に運ばれるシーンの撮影では、自らストレッチャーに乗り、白布の下で泣いていたらしい。
最終話のプレビュー(試写)を見た田宮は、「いい出来です。役者冥利に尽きます」と喜んでいたという。

その田宮の死を嘆いた太地喜和子(財前五郎の愛人・花森ケイ子役)が、伊豆下田の海に車ごと飛び込んで水死したのは1992年10月13日。
田宮は43歳、太地は48歳という短命であった。

  *

ジェームス三木はいつも気の利いたことをいうので期待していたのだが、わりと寡黙だったので、ものたりなかった。ところが番組のラストでのコメント「軽い番組だと思って、きたんですけどね。意外と重い番組だったんですね」には笑えた。
最近のNHKの番組が中途半端に軽くなっていることを苦々しく思っているわたしにとって、このコメントには溜飲が下がったのである。
ジェームス三木のもち味は、軽いトーンで真実を突くところだろう。
たしかにいままでの「お宝TV」のなかでは、今回の番組は重い内容になっている。
田宮二郎のいのちがけの演技のまえでは、そうならざるをえないのである。








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