2007年11月
2007年11月09日
BS世界のドキュメンタリー「ヘルクレス 初めての休日」
【NHKのホームページより引用】
BS1・10月25日(木)午前0:10〜0:59
ポーランドテレビは、04年にある失業者の家族を取材した。人口19万人のバイトムと呼ばれるポーランドでも最も失業率の高い地域で、我が子に鉄くずを拾わせることで生計の糧としている親子である。息子のヘルクレス少年(当時11歳)は飢えないために必死に働いていた。そのドキュメンタリーを制作した1 年後に、ヘルクレスの境遇がどうなっているかをポーランドテレビが後追いした。
放送でヘルクレスの境遇を知ったワルシャワの裕福な夫婦がヘルクレスを自宅に招き、つかのまの休日を体験させる。学校にもほとんど通えず、食いつなぐだけの毎日を送ってきたヘルクレスは数日間の夢のような楽しい日々を送り、再び家族のもとに戻っていく。夫婦は、ヘルクレスの両親の元を訪れ、なんとかヘルクレスを学校に通わせるようにしてほしいと頼むが…。
ヘルクレスを取り巻くやるせない日常が浮かび上がる。ヘルクレスのほかにも、同じような境遇の子どもたちが数多くいるであろうことが推測される。
2007年バンフ審査員特別賞受賞作品 テレビポーランドにて放送。
[原題] Hercules Ven t ures
[制作] ポーランド/2005
……………………………………………………………………………………………………………………………
制作 テレビポーランド
ディレクター リディア・ドゥーダ
プロデューサー ジェリー・ジャクートヴィッチ
撮影 ピオトル・ヴァソフスキ
編集 アグニエシュカ・ポヤノフスカ
■ナレーションがなく自然に動いているようにみえる人間たち
どうしてこんなに自然に撮れるのだろうか!
さほど期待感もなく、録画していた「ヘルクレス 初めての休日」を観はじめたのだが、一気に観てしまった。
以前に坂東玉三郎が、BBCがやってきてこちらが自然にふるまっているのをどんどん撮ってゆくのに驚いた、と雑誌に書いているのを読んだことがある。本番組もそのような撮りかたなのだろうか。
ナレーションがなく、オープニングとエンディングに短いテロップが入るだけで、あとは会話の字幕のみ。じつにシンプルな番組である。
音楽は小さな音量でたま〜に挿入される。エンディングで流れるのと同じピアノの音が幾度か流れるが、とてもセンスがよい。これが主音調なのだろうと感じさせられる。
顔だけをアップにして、いかにもこの表情から読みとってください、という手法をわたしは好きではない。本番組では、顔だけのアップはない。からだつきを含めて表情を読みとるほうが自然である。
全体的に静かなのに、たしかなイメージで観る側に伝わってくる。
会話が中心だし、限られた場面であるにもかかわらず、想像をかきたてられるのである。
主役はヘルクレスであり、カメラの視点はヘルクレスに寄りそっている。
淡々とした描きかたなのに、手応えのある番組になっているのが不思議である。
ドキュメンタリー番組についてはテーマが重ければ重いほど、観る側は体力を奪われる。
「ヘルクレス 初めての休日」はそんなことを忘れるほど惹きつけられた。それでいて、こころに突きささるものがある。
演出が巧みなのだろうか。
■経済の効率化にとり残されたバイトム
オープニングシーンは、鉄くずを素手で拾う子どもの両手のアップ。そこからカメラが引いてゆき、その手がヘルクレスのものだということがわかる。
線路ぎわでヘルクレスを含む3人の少年が、素手で鉄くずらしきものを拾っているのである。
列車がくると危険なので、急いで袋に入れて運びだす。からだの小さな少年が、肩に重い袋を乗せてよろけながら運ぶ姿は痛々しい。
テロップ 《1998年に始まった炭鉱の合理化は、この町に大きな打撃を与えた。この地域だけで5つの炭鉱が閉鎖され、10万人以上が失業。子どもたちは鉄くずや石炭を拾い家族を支えている》
舞台はバイトムと呼ばれる炭鉱の町。
数年まえに失業したヘルクレスの父親は、無気力な日々を送っている。アルコール依存症なのか、足元がふらついているようにみえる。母親は、働かないのに傲慢な夫にいらだちながら、どうすることもできない。
父親に命じられて、ヘルクレスはアルミニウムの塊を売りに行く。袋に入った数個のアルミニウムは運びにくいらしく、途中で袋を捨て、自分の上着を引っ張って塊を包みこむ。無様な格好で悪い足をひきずりながら歩く姿は、いかにも理不尽なことをさせられているという印象を与える。
ヘルクレスは「盗んだものではない」と訴えるが、受領書に大人のサインが必要なので、子どもからは買えないと拒絶される。半泣きになりながら家へもどるヘルクレス。
その映像は前回に放送されたものなのだろう。
本番組は、それから1年後のヘルクレス(13歳)を描いたものである。
■ワルシャワの夫婦宅へ招かれる
前回の放送でヘルクレスの境遇を知ったワルシャワに住む裕福なセルギウス・コッペルが、彼の父親とともに高級車でバイトムにあるヘルクレスの家にやってきた。ヘルクレスを自宅に招き、「初めての休日」をプレゼントするために。
ヘルクレスの夢は海水浴。
セルギウス・コッペルの父親もここの出身で、炭鉱には1年いたという。彼の職業はわからないが、教養があり、やさしそうな風貌のなかに厳格さも感じられる。
以下、セルギウス・コッペルの父親を「おじいさん」、本人を「おじさん」、その妻を「おばさん」と表記する。
ヘルクレスがワルシャワへ出かけてしまうと、母親は夫に「ヘルクレスがいないので昼食はつくらない。仕事に行って」という。息子がいない家を体験するのは、ふたりにとって刺激的だろう。とくに母親にとっては。
ワルシャワの家に到着。
おじさんの家は高級ですっきりと片づき、そこにはおばさんがいるが、おじいさんは近くに住んでいるらしい。40歳前後にみえる夫婦に子どもはいないようだ。
ヘルクレスはワルシャワにくるまえ、自宅で水を入れたタライのような器に入ってからだをスポンジでゴシゴシ洗ってきた。それが母親の気配りであるようにみえるほど貧しいのだ。
そんなヘルクレスは、おじさんの家でりっぱなお風呂に入ってはしゃぐ。
ヘルクレスはおじいさんとふたりで軍隊博物館に行く。
おじさんとおばさんの3人で、映画館や海に行き、ほんとうの親子のように愉しいひとときをすごす。
車中や家のなかでの会話で、ヘルクレスの生活ぶりが明らかになる。
ヘルクレスは、おばさんに買ってもらったらしいセンスのよい服を着ている。
【自宅に電話をするヘルクレス】
ヘルクレス 「信じられないくらい幸せなんだ」
ヘルクレスの父 「ワルシャワ人には気をつけろ。おれはあいつらが大嫌いなんだ」
ヘルクレス 「悪口言わないで」
父 「別に悪く言ったわけじゃない」
ヘルクレス 「お酒飲んじゃダメだよ」
父 「酒は飲んでないぞ。おれをばかにするのか。お前が集めた鉄くずを売ったぞ」
(つづいて母親と電話で話したヘルクレスは「おじさんと話したい?」と訊き、「母さんが電話をかわってほしいって」とおじさんにいう)
おじさん 「彼はいい子ですよ。私たちを楽しませてくれてます」
ヘルクレスの母 「息子が気に入ったならあなたにあげるわ」
おじさん 「彼は家族のもとに帰るんですよ。彼は戻るんですよ」
【食卓でお茶を飲みながらの会話】
おじさん 「家計を支えているのは誰なんだ?」
ヘルクレス 「両親だよ」
おじさん 「本当かい?」
ヘルクレス 「母さんはいつも窓辺に座っている。昼を過ぎてもずっとね」
おばさん 「生活費はどうしているの?」
ヘルクレス 「母さんが……母さんがどこからか持ってくる。聞いたことはないけど。父さんが空き缶を集めて持ってくるんだ。でも食べ物はいつも冷蔵庫にあるよ」
おじさん 「おなかをすかせることはない?」
ヘルクレス 「ないよ。父さんも母さんもそれは許さないよ」
おじさん 「あの町の暮らしとここでは何が違うのかな?」
ヘルクレス 「バイトムにはないものがここにはあるよ」
おばさん 「たとえば?」
ヘルクレス 「あそこにはエレベーターがない。バイトムにあるのはね、性病と混沌と墓場だよ。あとはぼた山さ。ちゃんとしたサッカー場もないんだ。公園があったけど、遊具はみんな盗まれた。ブランコも引きちぎられた。噴水もあったけど、全部持っていかれたよ。悪夢みたいだ。きれいな木さえ切られた」
おじさん 「中庭が君たちのたまり場なの?」
ヘルクレス 「酒を飲んでいる子もいるよ」
おばさん 「あなたは飲んでない?」
ヘルクレス 「僕は飲まないよ」
ヘルクレスはお金がたまったらサッカーのユニホームを買い、みんなに自慢する、という。
自慢なんかするものじゃない、とおじさんにいわれると、ユニホームをもっていないのでバカにされているのだという。
おばさんは、そんなものなくてもあなたは素敵よ、という。
いよいよワルシャワの家を去る段になり、ヘルクレスは番組のオープニングシーンでみられたのと同じ半泣きの顔になる。
■夢のような休日が終わり、現実生活にもどるヘルクレス
【帰宅する車中での会話】
(おじさんが運転し、おばさんは助手席、ヘルクレスは後部座席)
おじさん 「鉄くず集めで月にいくらになるんだい?」
ヘルクレス 「7ドルくらいかな」
おばさん 「毎日どのくらい集めるの?」
ヘルクレス 「たくさんだよ。体中が痛くなるんだ」
おじさん 「じゃあ約束しよう。君の稼ぎより少しだけ多い額を僕が支援するよ。君がちゃんと勉強するならね。君はまだ子どもだ。子どもとして過ごす時間が必要だ」
ヘルクレス 「月にいくらくれるの?」
おじさん 「これから3ヵ月で君が何冊本を読むかによるよ」
ヘルクレス 「それじゃ約束にならないよ」
【バイトムへ到着】
「わたしの坊や」とヘルクレスを抱きしめる母親。
「父さん!」と父親に飛びつくヘルクレス。
おじさん 「彼の視力はかなり悪い。ほとんど文字が読めない」
ヘルクレスの母 「読めるわ。メガネもあるのよ」
おじさん 「2年前に医者にかかっていますね。そのころよりかなり悪くなっていると思います。病院に行かないと。私が予約をします。新しいメガネをつくるつもりです。検査して原因を見つけないと見えるようになりません。これはまじめなお願いです。まずは字を読む訓練をしなければ。鉄くずを集めて一生暮らすんですか。そうはいかない」
ヘルクレスの父 「今は読めないが、新学期まで時間はあるさ」
ヘルクレス 「僕、勉強するよ」
父 「そうだぞ」
おじさん 「彼が字を読むためにはメガネが必要です。真剣に聞いてください。僕らは彼を助けたい。僕らはこれからも彼を休暇に連れて行きますよ」
(おじさんは、自分の大切な話を聞く耳をもたず、息子のヘルクレスとふざけている父親をみて、首を振って失望を顕わにする)
おじさん 「彼のそばで本を読んであげてください」
父 「無理にやらせるのか」
おじさん 「無理強いはしません。でも読めなければ、なにも成し遂げられません。あなただってわかっているはずだ。彼にはまだチャンスがある。チャンスが残されている」
父 「そうだ学校に行かなければ」
おじさん 「あなたが言う学校とは何ですか。失礼な言い方で恐縮ですが、彼の持つ知識は、路上で身につけたものです。彼は生きる方法を路上で学んでいるのです。最大限自分に必要なものを得るためにね。でも彼が大人になったとき……」
父 「そうさ。いつか必ずひとり立ちするときがくる。彼をしつけろということかね」
おじさん 「そうではありません。読めるようにしなければ!」
父 「おれはふだん息子をたたいたりしない。たまにはムチでぶつこともあるが」
おじさん 「なぜ体罰をふるうのですか」
父 「父親として許せないこともあるんだ」
おじさん 「読み書きのできない人間にしてはならない」
(上記のようにおじさんと父親が大切な話をしている背後に母親の姿がみえる。ヘルクレスがワルシャワで買ってもらった洋服を広げ、ヘルクレスに「これも買ってもらったの?」と訊いているらしい。満足げにひとつずつ広げてからたたんでいる。
いつのまにか父母はタバコの煙をくゆらせながら話に応じている。
おじさんと父親の話をハラハラしながら黙って聞いていたおばさんが口を開く)
おばさん 「学校を変えたら?」
ヘルクレスの母 「息子は特殊学級に行っているの。生まれつき足が不自由なのよ。でも脳には影響ないわ」
おばさん 「それなら特殊学級に行く必要はないわ。頭に問題がないなら、普通クラスでやっていけるわ」
母 「息子は左利きだし、勉強についていけない」
おばさん 「すばらしい知性があるのに字が読めないなんて」
父 「我々だって息子のことを考えてるさ」
おばさん 「彼はとても賢い子よ。してあげられることはたくさんあるわ」
母 「あの子が賢いと? でも家から通えないと……」
(仕事から帰って酒場に行くと、息子が心配して様子をみにきてなかなか家に帰らない、という話をする父親に、おじさんは深いため息をつき、頭を振る)
【別れに際し、ヘルクレスの家のまえで】
おばさんが母親に「息子さんの世話をしてあげて」という。
ヘルクレスの母は、「大切にしなきゃね。さっき車から出てきた時、息子は私にそっと8ドル渡したのよ。母さん、パン代だよ、ってね。父さんに渡すまえに取っておいて、とね」。
おばさんは手で涙をぬぐう。
(数メートル先に、荷車に鉄くずらしきものを乗せて運ぶ少年たちが通りすぎる)
ヘルクレスの父 「これがここでの生活なんですよ。この先もずっとね」
おじさん 「わかってる。でも彼の人生は変えられるかもしれない」
母親はタバコを手にしながら、おばさんに「ある女が細いタバコをくれたんだよ」といい、「なぜ泣くんだい?」と訊く。
おばさんは「泣いてないわ」といい、母親のタバコに火をつける。自分もタバコを手にしている。
「おれはよく本を読むんだ。酒を飲んで何にもしたくないときにね。まずは新聞を読み、そして本を手に取る」というヘルクレスの父親。
その肩をおじさんは右手で引きよせ、親愛の情を示しながら笑顔でいう。
「ごまかさないで。あの子に読む訓練をしてくれ。文字を読めるようにしなくちゃ」
ヘルクレスの父は「時々母親が息子の宿題をやってるんだ。おれが文字を読めないと思っているやつもいるがな」と屈折した顔で笑いながら、「元気でな」。
別れが迫り、おじさんはヘルクレスを抱きあげながら、「約束を守られるな?」という。
「うん、今度は山登りだね」というヘルクレス。
車の助手席に座っているおばさんにヘルクレスが「泣かないで」と近づく。
おばさんは「泣いてなんかないわ」といいつつ、ヘルクレスを膝に抱きよせキスをする。
「僕は泣きそうだよ。いつ迎えに来てくれるの? さようなら」といいながらヘルクレスはドアの外に出る。
【自宅でのヘルクレス】
カメラはヘルクレスの日常生活を映しだす。母親とのやりとり。父親は不在。
サッカーボールを抱えてソファーに座るヘルクレスに、例のピアノの音がごく短く流れ、テロップが入ってエンド。
ヘルクレスは現在
様々な人々の支援で
学校に通っている
■感想
あまりにも生活レヴェルがちがうのでヘルクレスが混乱するのではないか、と案じながら番組を観はじめたが、ワルシャワの夫妻は賢明だった。
ヘルクレスをわが子のように心配し、彼の両親を気づかいながらも、彼の将来を真剣に考え、実行しようとしている彼らの姿に打たれる。
ヘルクレスの母親は支援を喜んでいるが、父親には妙なプライドがあり頑なである。
ヘルクレスがひとり立ちできるまで支援をつづけなければ、残酷なことになると思えるので、エンディングのテロップには深く安堵した。と同時に、ヘルクレスと同じ境遇の少年・少女たちの存在が気になる。
ヘルクレスが父親の額に自分の額をゴツンゴツンと音を立てて打ちつけ、「頭のなかが空っぽだ」という場面が2回あったのが印象的だった。
「お父さん、ぼくが稼いだお金でお酒ばかり飲まないで、しっかりしてよ」とでもいいたいのだろう。
BS1・10月25日(木)午前0:10〜0:59
ポーランドテレビは、04年にある失業者の家族を取材した。人口19万人のバイトムと呼ばれるポーランドでも最も失業率の高い地域で、我が子に鉄くずを拾わせることで生計の糧としている親子である。息子のヘルクレス少年(当時11歳)は飢えないために必死に働いていた。そのドキュメンタリーを制作した1 年後に、ヘルクレスの境遇がどうなっているかをポーランドテレビが後追いした。
放送でヘルクレスの境遇を知ったワルシャワの裕福な夫婦がヘルクレスを自宅に招き、つかのまの休日を体験させる。学校にもほとんど通えず、食いつなぐだけの毎日を送ってきたヘルクレスは数日間の夢のような楽しい日々を送り、再び家族のもとに戻っていく。夫婦は、ヘルクレスの両親の元を訪れ、なんとかヘルクレスを学校に通わせるようにしてほしいと頼むが…。
ヘルクレスを取り巻くやるせない日常が浮かび上がる。ヘルクレスのほかにも、同じような境遇の子どもたちが数多くいるであろうことが推測される。
2007年バンフ審査員特別賞受賞作品 テレビポーランドにて放送。
[原題] Hercules Ven t ures
[制作] ポーランド/2005
……………………………………………………………………………………………………………………………
制作 テレビポーランド
ディレクター リディア・ドゥーダ
プロデューサー ジェリー・ジャクートヴィッチ
撮影 ピオトル・ヴァソフスキ
編集 アグニエシュカ・ポヤノフスカ
■ナレーションがなく自然に動いているようにみえる人間たち
どうしてこんなに自然に撮れるのだろうか!
さほど期待感もなく、録画していた「ヘルクレス 初めての休日」を観はじめたのだが、一気に観てしまった。
以前に坂東玉三郎が、BBCがやってきてこちらが自然にふるまっているのをどんどん撮ってゆくのに驚いた、と雑誌に書いているのを読んだことがある。本番組もそのような撮りかたなのだろうか。
ナレーションがなく、オープニングとエンディングに短いテロップが入るだけで、あとは会話の字幕のみ。じつにシンプルな番組である。
音楽は小さな音量でたま〜に挿入される。エンディングで流れるのと同じピアノの音が幾度か流れるが、とてもセンスがよい。これが主音調なのだろうと感じさせられる。
顔だけをアップにして、いかにもこの表情から読みとってください、という手法をわたしは好きではない。本番組では、顔だけのアップはない。からだつきを含めて表情を読みとるほうが自然である。
全体的に静かなのに、たしかなイメージで観る側に伝わってくる。
会話が中心だし、限られた場面であるにもかかわらず、想像をかきたてられるのである。
主役はヘルクレスであり、カメラの視点はヘルクレスに寄りそっている。
淡々とした描きかたなのに、手応えのある番組になっているのが不思議である。
ドキュメンタリー番組についてはテーマが重ければ重いほど、観る側は体力を奪われる。
「ヘルクレス 初めての休日」はそんなことを忘れるほど惹きつけられた。それでいて、こころに突きささるものがある。
演出が巧みなのだろうか。
■経済の効率化にとり残されたバイトム
オープニングシーンは、鉄くずを素手で拾う子どもの両手のアップ。そこからカメラが引いてゆき、その手がヘルクレスのものだということがわかる。
線路ぎわでヘルクレスを含む3人の少年が、素手で鉄くずらしきものを拾っているのである。
列車がくると危険なので、急いで袋に入れて運びだす。からだの小さな少年が、肩に重い袋を乗せてよろけながら運ぶ姿は痛々しい。
テロップ 《1998年に始まった炭鉱の合理化は、この町に大きな打撃を与えた。この地域だけで5つの炭鉱が閉鎖され、10万人以上が失業。子どもたちは鉄くずや石炭を拾い家族を支えている》
舞台はバイトムと呼ばれる炭鉱の町。
数年まえに失業したヘルクレスの父親は、無気力な日々を送っている。アルコール依存症なのか、足元がふらついているようにみえる。母親は、働かないのに傲慢な夫にいらだちながら、どうすることもできない。
父親に命じられて、ヘルクレスはアルミニウムの塊を売りに行く。袋に入った数個のアルミニウムは運びにくいらしく、途中で袋を捨て、自分の上着を引っ張って塊を包みこむ。無様な格好で悪い足をひきずりながら歩く姿は、いかにも理不尽なことをさせられているという印象を与える。
ヘルクレスは「盗んだものではない」と訴えるが、受領書に大人のサインが必要なので、子どもからは買えないと拒絶される。半泣きになりながら家へもどるヘルクレス。
その映像は前回に放送されたものなのだろう。
本番組は、それから1年後のヘルクレス(13歳)を描いたものである。
■ワルシャワの夫婦宅へ招かれる
前回の放送でヘルクレスの境遇を知ったワルシャワに住む裕福なセルギウス・コッペルが、彼の父親とともに高級車でバイトムにあるヘルクレスの家にやってきた。ヘルクレスを自宅に招き、「初めての休日」をプレゼントするために。
ヘルクレスの夢は海水浴。
セルギウス・コッペルの父親もここの出身で、炭鉱には1年いたという。彼の職業はわからないが、教養があり、やさしそうな風貌のなかに厳格さも感じられる。
以下、セルギウス・コッペルの父親を「おじいさん」、本人を「おじさん」、その妻を「おばさん」と表記する。
ヘルクレスがワルシャワへ出かけてしまうと、母親は夫に「ヘルクレスがいないので昼食はつくらない。仕事に行って」という。息子がいない家を体験するのは、ふたりにとって刺激的だろう。とくに母親にとっては。
ワルシャワの家に到着。
おじさんの家は高級ですっきりと片づき、そこにはおばさんがいるが、おじいさんは近くに住んでいるらしい。40歳前後にみえる夫婦に子どもはいないようだ。
ヘルクレスはワルシャワにくるまえ、自宅で水を入れたタライのような器に入ってからだをスポンジでゴシゴシ洗ってきた。それが母親の気配りであるようにみえるほど貧しいのだ。
そんなヘルクレスは、おじさんの家でりっぱなお風呂に入ってはしゃぐ。
ヘルクレスはおじいさんとふたりで軍隊博物館に行く。
おじさんとおばさんの3人で、映画館や海に行き、ほんとうの親子のように愉しいひとときをすごす。
車中や家のなかでの会話で、ヘルクレスの生活ぶりが明らかになる。
ヘルクレスは、おばさんに買ってもらったらしいセンスのよい服を着ている。
【自宅に電話をするヘルクレス】
ヘルクレス 「信じられないくらい幸せなんだ」
ヘルクレスの父 「ワルシャワ人には気をつけろ。おれはあいつらが大嫌いなんだ」
ヘルクレス 「悪口言わないで」
父 「別に悪く言ったわけじゃない」
ヘルクレス 「お酒飲んじゃダメだよ」
父 「酒は飲んでないぞ。おれをばかにするのか。お前が集めた鉄くずを売ったぞ」
(つづいて母親と電話で話したヘルクレスは「おじさんと話したい?」と訊き、「母さんが電話をかわってほしいって」とおじさんにいう)
おじさん 「彼はいい子ですよ。私たちを楽しませてくれてます」
ヘルクレスの母 「息子が気に入ったならあなたにあげるわ」
おじさん 「彼は家族のもとに帰るんですよ。彼は戻るんですよ」
【食卓でお茶を飲みながらの会話】
おじさん 「家計を支えているのは誰なんだ?」
ヘルクレス 「両親だよ」
おじさん 「本当かい?」
ヘルクレス 「母さんはいつも窓辺に座っている。昼を過ぎてもずっとね」
おばさん 「生活費はどうしているの?」
ヘルクレス 「母さんが……母さんがどこからか持ってくる。聞いたことはないけど。父さんが空き缶を集めて持ってくるんだ。でも食べ物はいつも冷蔵庫にあるよ」
おじさん 「おなかをすかせることはない?」
ヘルクレス 「ないよ。父さんも母さんもそれは許さないよ」
おじさん 「あの町の暮らしとここでは何が違うのかな?」
ヘルクレス 「バイトムにはないものがここにはあるよ」
おばさん 「たとえば?」
ヘルクレス 「あそこにはエレベーターがない。バイトムにあるのはね、性病と混沌と墓場だよ。あとはぼた山さ。ちゃんとしたサッカー場もないんだ。公園があったけど、遊具はみんな盗まれた。ブランコも引きちぎられた。噴水もあったけど、全部持っていかれたよ。悪夢みたいだ。きれいな木さえ切られた」
おじさん 「中庭が君たちのたまり場なの?」
ヘルクレス 「酒を飲んでいる子もいるよ」
おばさん 「あなたは飲んでない?」
ヘルクレス 「僕は飲まないよ」
ヘルクレスはお金がたまったらサッカーのユニホームを買い、みんなに自慢する、という。
自慢なんかするものじゃない、とおじさんにいわれると、ユニホームをもっていないのでバカにされているのだという。
おばさんは、そんなものなくてもあなたは素敵よ、という。
いよいよワルシャワの家を去る段になり、ヘルクレスは番組のオープニングシーンでみられたのと同じ半泣きの顔になる。
■夢のような休日が終わり、現実生活にもどるヘルクレス
【帰宅する車中での会話】
(おじさんが運転し、おばさんは助手席、ヘルクレスは後部座席)
おじさん 「鉄くず集めで月にいくらになるんだい?」
ヘルクレス 「7ドルくらいかな」
おばさん 「毎日どのくらい集めるの?」
ヘルクレス 「たくさんだよ。体中が痛くなるんだ」
おじさん 「じゃあ約束しよう。君の稼ぎより少しだけ多い額を僕が支援するよ。君がちゃんと勉強するならね。君はまだ子どもだ。子どもとして過ごす時間が必要だ」
ヘルクレス 「月にいくらくれるの?」
おじさん 「これから3ヵ月で君が何冊本を読むかによるよ」
ヘルクレス 「それじゃ約束にならないよ」
【バイトムへ到着】
「わたしの坊や」とヘルクレスを抱きしめる母親。
「父さん!」と父親に飛びつくヘルクレス。
おじさん 「彼の視力はかなり悪い。ほとんど文字が読めない」
ヘルクレスの母 「読めるわ。メガネもあるのよ」
おじさん 「2年前に医者にかかっていますね。そのころよりかなり悪くなっていると思います。病院に行かないと。私が予約をします。新しいメガネをつくるつもりです。検査して原因を見つけないと見えるようになりません。これはまじめなお願いです。まずは字を読む訓練をしなければ。鉄くずを集めて一生暮らすんですか。そうはいかない」
ヘルクレスの父 「今は読めないが、新学期まで時間はあるさ」
ヘルクレス 「僕、勉強するよ」
父 「そうだぞ」
おじさん 「彼が字を読むためにはメガネが必要です。真剣に聞いてください。僕らは彼を助けたい。僕らはこれからも彼を休暇に連れて行きますよ」
(おじさんは、自分の大切な話を聞く耳をもたず、息子のヘルクレスとふざけている父親をみて、首を振って失望を顕わにする)
おじさん 「彼のそばで本を読んであげてください」
父 「無理にやらせるのか」
おじさん 「無理強いはしません。でも読めなければ、なにも成し遂げられません。あなただってわかっているはずだ。彼にはまだチャンスがある。チャンスが残されている」
父 「そうだ学校に行かなければ」
おじさん 「あなたが言う学校とは何ですか。失礼な言い方で恐縮ですが、彼の持つ知識は、路上で身につけたものです。彼は生きる方法を路上で学んでいるのです。最大限自分に必要なものを得るためにね。でも彼が大人になったとき……」
父 「そうさ。いつか必ずひとり立ちするときがくる。彼をしつけろということかね」
おじさん 「そうではありません。読めるようにしなければ!」
父 「おれはふだん息子をたたいたりしない。たまにはムチでぶつこともあるが」
おじさん 「なぜ体罰をふるうのですか」
父 「父親として許せないこともあるんだ」
おじさん 「読み書きのできない人間にしてはならない」
(上記のようにおじさんと父親が大切な話をしている背後に母親の姿がみえる。ヘルクレスがワルシャワで買ってもらった洋服を広げ、ヘルクレスに「これも買ってもらったの?」と訊いているらしい。満足げにひとつずつ広げてからたたんでいる。
いつのまにか父母はタバコの煙をくゆらせながら話に応じている。
おじさんと父親の話をハラハラしながら黙って聞いていたおばさんが口を開く)
おばさん 「学校を変えたら?」
ヘルクレスの母 「息子は特殊学級に行っているの。生まれつき足が不自由なのよ。でも脳には影響ないわ」
おばさん 「それなら特殊学級に行く必要はないわ。頭に問題がないなら、普通クラスでやっていけるわ」
母 「息子は左利きだし、勉強についていけない」
おばさん 「すばらしい知性があるのに字が読めないなんて」
父 「我々だって息子のことを考えてるさ」
おばさん 「彼はとても賢い子よ。してあげられることはたくさんあるわ」
母 「あの子が賢いと? でも家から通えないと……」
(仕事から帰って酒場に行くと、息子が心配して様子をみにきてなかなか家に帰らない、という話をする父親に、おじさんは深いため息をつき、頭を振る)
【別れに際し、ヘルクレスの家のまえで】
おばさんが母親に「息子さんの世話をしてあげて」という。
ヘルクレスの母は、「大切にしなきゃね。さっき車から出てきた時、息子は私にそっと8ドル渡したのよ。母さん、パン代だよ、ってね。父さんに渡すまえに取っておいて、とね」。
おばさんは手で涙をぬぐう。
(数メートル先に、荷車に鉄くずらしきものを乗せて運ぶ少年たちが通りすぎる)
ヘルクレスの父 「これがここでの生活なんですよ。この先もずっとね」
おじさん 「わかってる。でも彼の人生は変えられるかもしれない」
母親はタバコを手にしながら、おばさんに「ある女が細いタバコをくれたんだよ」といい、「なぜ泣くんだい?」と訊く。
おばさんは「泣いてないわ」といい、母親のタバコに火をつける。自分もタバコを手にしている。
「おれはよく本を読むんだ。酒を飲んで何にもしたくないときにね。まずは新聞を読み、そして本を手に取る」というヘルクレスの父親。
その肩をおじさんは右手で引きよせ、親愛の情を示しながら笑顔でいう。
「ごまかさないで。あの子に読む訓練をしてくれ。文字を読めるようにしなくちゃ」
ヘルクレスの父は「時々母親が息子の宿題をやってるんだ。おれが文字を読めないと思っているやつもいるがな」と屈折した顔で笑いながら、「元気でな」。
別れが迫り、おじさんはヘルクレスを抱きあげながら、「約束を守られるな?」という。
「うん、今度は山登りだね」というヘルクレス。
車の助手席に座っているおばさんにヘルクレスが「泣かないで」と近づく。
おばさんは「泣いてなんかないわ」といいつつ、ヘルクレスを膝に抱きよせキスをする。
「僕は泣きそうだよ。いつ迎えに来てくれるの? さようなら」といいながらヘルクレスはドアの外に出る。
【自宅でのヘルクレス】
カメラはヘルクレスの日常生活を映しだす。母親とのやりとり。父親は不在。
サッカーボールを抱えてソファーに座るヘルクレスに、例のピアノの音がごく短く流れ、テロップが入ってエンド。
ヘルクレスは現在
様々な人々の支援で
学校に通っている
■感想
あまりにも生活レヴェルがちがうのでヘルクレスが混乱するのではないか、と案じながら番組を観はじめたが、ワルシャワの夫妻は賢明だった。
ヘルクレスをわが子のように心配し、彼の両親を気づかいながらも、彼の将来を真剣に考え、実行しようとしている彼らの姿に打たれる。
ヘルクレスの母親は支援を喜んでいるが、父親には妙なプライドがあり頑なである。
ヘルクレスがひとり立ちできるまで支援をつづけなければ、残酷なことになると思えるので、エンディングのテロップには深く安堵した。と同時に、ヘルクレスと同じ境遇の少年・少女たちの存在が気になる。
ヘルクレスが父親の額に自分の額をゴツンゴツンと音を立てて打ちつけ、「頭のなかが空っぽだ」という場面が2回あったのが印象的だった。
「お父さん、ぼくが稼いだお金でお酒ばかり飲まないで、しっかりしてよ」とでもいいたいのだろう。