2005年10月29日

ネット時代にジャーナリズムがもつ意味

【昭太郎のひとりごと  2】

「ケンブリッジ大学の学生食堂のコーヒーポットに入っているコーヒーの量が、東京にいてオンタイムで分かるんですよ」
 得意気な某テレビ局のプロデューサーの話に驚いてから、15〜16年経っただろうか。それがインターネットだと知ったのだが、実際に自分がその機能を使いだしてから、今日でまだ3ヶ月になるかならないか、まさに初心者そのものである。

 パソコンには2年ほど前から触れ始めた。最初はワープロが壊れたので、その代用としてだった。それまで経理が使っていたうちの1台のデスクトップ型を、経理担当者と共有で使用した。こうして自動的にエクセルを使うようになる。
 パソコンはもともとが計算機であることに気がついた瞬間だった。それまで自分流に手書きで作っていた資金繰り表がパソコンに納まり、電算機を叩く必要はなくなった。が、だからといって資金繰りが楽になった訳ではなかった。

 もっとも、ずっと以前に、若い人たちからは、会社にパソコンを導入するよう求められてはいたが、まだまだ遊びに近い存在で、きっとお金も掛かるに違いないと、知らん振りを通していた。しかし、いよいよパソコン推進派勢力に抗しきれず、社内ランの形を作った。それが4年前。渋谷界隈を中心にビットバレーと呼ばれる、ITバブル華やかなりし頃から遅れること4年余。
 でも、ボクのパソコンはランにはつながなかった。したがって、電話線からも遮断していた。貧弱なわが社の資金繰りが丸見えになっては困る、と思ったからだった。そんな事情もあって時流に乗り遅れていたのだが、その中古のデスクトップが壊れたのをキッカケに、ようやくインターネットを体験できるようになったのだった。

 初めに開いたのは、わが社のホームページだった。次に、会社のある赤坂周辺の飲み屋や料理店を調べた。がっかりした。ボクが知っている結構いけてる店々が、取り上げられていないのだ。これならボクの方が詳しい。つまり、ネットにはこういった情報を求めてはいけないのだ、と知った。
 何しろ、経験が浅すぎて分からないのだが、たぶんネットにはその特徴を生かした情報の求め方のセオリーが存在するのだろう。少なくとも、商品の売買やソフトを利用して課金システムをあみ出し、多くの人々から集金するのには最適のメディアなのだろう。

 同じ意味で、ホリエモンや楽天などがテレビ局を買収したい意図は分かる。ホリエモンが今度はテレビ東京の株の買い占めを始めている、との情報もある。少なくとも、彼らはジャーナリズムに興味のあろう筈はなく、テレビという全国的に信用のあるメディアを使っての金儲けだけを目的に、買収しようとしていることは間違いない。
 もし買収が実現すればテレビは今以上にテレビショッピング番組などで溢れ、ボクたちが考えるジャーナリズムは姿を消すことになるのではないか、と心配せずにはいられない。それが単純に過ぎる杞憂であることを祈りたいが、どうなることか。

 アメリカの3大ネットワークがそれぞれ大企業に買い取られて久しい。その点、日本の民放テレビ各局は、良くも悪くも、これまで新聞社の系列下にあり、かろうじてではあるが、ジャーナリズムの匂いだけは残してきていた。いま、それが滅びようとしている。
 テレビとインターネットの互いの乗り入れは、避けることはできないし、そこから新しく生まれてくる面白さや可能性も無限に広がるだろう。しかし、特にマスコミにおけるジャーナリズムという観点に立つとき、その存在は危うい。

 マスコミに言論の自由が存在することなどあろう筈もないが、"存在させたい"との情熱と意志がジャーナリズムに意味を持たせてきた。ボクの体験も含めて、今後、本当にその意志を持続することができるだろうか。それが、今の時代の実態なのだろう。価値の全てを「お金」だと決めて生きてきた、そのつけが日本の文化を確実に悪い方向に変容させている。

 時の流れは文化を変え、文明を滅ぼしていく。そして、新たな文明が誕生し、文化が育まれていくことは自明の理である。優れた知恵を持っているはずの人類が、地球に生息する動植物にとってのガン細胞であるのと同じように、インターネットはアメーバーの如く増殖し、人とその社会を滅ぼしていくのかも知れない。
 一度、その地平までたどり着かない限り、ボクたちはきっと今の流れを止めることはできないのだと思う。




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