2005年11月03日
テレビ制作会社について考える
10/19にアップした「NHKのDNAとは?」を書いているとき、同時にわたしはテレビ制作会社のことを考えていた。制作会社に興味をもったのは、もちろん小田昭太郎の存在が大きいが、「制作プロダクションの現実」(「創」1993年6月号)を読んだからだ。これは上記エントリーでも紹介した〈ジャーナリスト坂本 衛のサイト〉所収の取材記事だが、秀逸。
坂本氏によると 制作会社の劣悪な環境の元凶は、「局が出す番組制作費が著しく安い」ことにあるという。
《「放送局にもプロダクションにも"商品"という概念がない」「プロダクションはビジネスになっていない」「企業の体をなしていない」というのも、誰に聞いても返ってくる自嘲の声である》
1992年7月に朝日放送が放送した番組の"やらせ"に、制作プロダクションのタキオンが深く関与していた件について、坂本氏は放送局と制作プロダクションの歪んだ関係を普遍的なものとして提示する。そして《いい番組を作ったときは局の手柄にし、悪い番組を作ったときはプロダクションに責任を押しつけて逃げるという本音が明らかになった》と記す。
タキオンが順調に成長している時期に起きた事件ということもあり、まったくやりきれない。局側がタキオンにプレッシャーをかけた可能性が大きいという外部の声もあったらしい。
タキオンの稲塚秀孝は社名をゼットに変更し、再起を図ったが、いまはタキシーズの代表。
「放送レポート」に〈98年夏/銀行とのわが闘争〜番組制作会社「ゼット」はこうして倒産した/稲塚秀孝〉という記事を書いているようだ。
このなかに登場するプロダクション経営者はいずれも魅力的だが、わたしが最も気に入ったのはクリエイティブネクサスの藤井潔。(註・現在は会長)
NHKのドキュメンタリー・ディレクターとしては吉田直哉(※)に親しみをもっていたが、藤井潔については知らなかった。
藤井潔の言を引く。
《しかし藤井は自らを、
「僕はテレビが心底好きで、関心の第一はテレビにある。テレビと心中するつもりの古い作り手だ」
と語りながらも、
「プロダクションとしては、売り上げに占める地上波の比率を減らし、非テレビ部門を増やす方向を目指す。これはうちに限らない。売り上げの八割とか九割をテレビに依存しているプロダクションの多くが、その比率を五割とか六割まで下げたいと思っているはずだ」
と断言する》
《藤井潔は、最後にこんなことも付け加えた。
「放送局、それもNHKという局にいた人間の目から、制作プロダクションの人たちを見ると――こういう言葉が当たっているかどうか、でも――ほんとに一生懸命で、いじらしいというか。ほんとに″虫″ですね。彼らは局のやり方を知らないが、知っている人間からみると、よくここまでやるなと。NHKでも、ここまで虫じゃないし、純粋ではなかった。だからこそこの人たちを、いまのような状態においてはおけない。正当な報酬と拍手が得られるようにしなくては」》
*
上記を読んで藤井潔について知りたくなり、以前に読んだ『「NHK特集」を読む』(小林紀興・光文社・1988年)を読みかえした。
読後感としては、とにかく熱い。1988年当時に読んだときには感じられなかった時代の熱さが感じられる。そういえば、あのころはNHKや民放のディレクターが、TVのトーク番組に登場していた。TVが元気で、深夜にもトーク番組が多かった。
藤井潔がいいだした"サムシング・ニュー"は「NHK特集」のモチーフになったことばだが、藤井がNHKを辞めて設立した制作会社、クリエイティブネクサスに継承されているようだ。
「クリエイティブネクサス」ごあいさつ
以下、『「NHK特集」を読む』より引く。
●小型VTRカメラを見て閃いた藤井潔(p.235〜p.238より抜粋)
昭和52年3月3日に放送された『永平寺』は、スペシャル部内での評判はよくなかった。ところが、この作品がその年のイタリア賞テレビドキュメンタリー賞をさらう。
受賞理由は「寺の僧の意識の流れを表現するのに小型VTRを使用したのはクレバーな選択だった」というものだった。当時、ヨーロッパのテレビ局はまだ小型VTRを採用していなかったが、VTRの優位性を素直に認める度量が彼らにはあった。
「ボクたちも、最初は番組を"作る"つもりで取材に行った。が、そんなことはおこがましいことがわかった。われわれが受けた感動を、音と映像を通じて視聴者にどう"伝える"かが問われている、と思った。つまり"作る"のではなく、"伝える"のが新しいドキュメンタリーの使命ではないのか、と」
●組織に風穴を開けた男・掘四志男(p.225〜p.227より抜粋)
『NHK特集』がスタートしたのは昭和51年4月。生みの親は、当時、放送総局長だった掘四志男。
型にはまった番組が視聴者にとって面白味を欠くのは当然で、昭和40年代半ばになるとNHKに対する視聴者の風当たりは相当強くなっていった。視聴者のNHK離れは相当深刻になり、料金不払い運動にNHKは悩まされるようになった。
堀が重視したのは、クロスカルチャーを実現することと、それまでいわば無風状態だった官僚機構のNHKに競争原理を導入することであった。
たとえ負けても(視聴率)ファミリーアワーで民放に挑戦すべきだ、ということで質の高い教養番組に力を入れることにした。
●『NHK特集』のシステムをつくりあげた尾西清重(p.246〜p.250より抜粋)
「確かにNHKはニュースから娯楽番組まで幅広く放送しているけど、そのレーゾンデートル(存在価値)のコアはジャーナリズムにあると思う。面白くなければテレビじゃないとか、視聴率さえとればいいとか、当てればいいとかいった考え方は、ボクに言わせればマスコミュニケーションとしては邪道ですよ。それはジャーナリズムではない。
ただしボクは、ジャーナリズムという言葉を報道番組というふうに狭く限定して使っているんじゃないんです。もっと広い、たとえばドラマであっても、時代や社会をうつす鏡というか、そこに人間の生活があり感情があって現代に通じるものがなければいけない。そういうものも含めてジャーナリズムとボクは規定しているんですよ」
*
「NHKの真相」(イースト・プレス、2005/5/15)を読了。
全編おもしろく読んだが、「NHKに訴えられたただ一人のジャーナリスト」だという浅野健一の【名誉毀損!――「やらせ報道」をめぐるNHKとの九○○日闘争】は圧巻だった。
また、安井陽(フリーライター)の【君は『NHKに言いたい』を見たか?】は、おもしろすぎる。
〔鳥越俊太郎の大暴走〕という小見出しの末尾から引く。
《鳥越氏の場合、批判の中身が証拠を丹念に積み上げて問題点を指摘する類のものではなく、直感的、感情的であり、非論理的な部分が少なくない。それでも頭ごなしに厳しい言葉を浴びせてくるから、視聴者のガス抜きになるし、それが過ぎると、逆に海老沢会長に同情心が芽生える。この日の鳥越氏の役割は、派手に吼えかけて、最後は噛まれる噛ませ役。鳥越氏の出演を決めた担当者の見識には敬服するしかない》
全体的におもしろいのだが、結語がキマッていて笑える。
鳥越氏がラジオで得意気に語っていたのは、じつはそういうことだったのかと納得。
NHK現役記者へのインタビュー記事は興味深かったが、とくに注目したのはつぎの発言。
《海老沢さんは、NHK営業という日本放送協会の中で最もアンタッチャブルな暗黒部分に触ろうとして刺されたのかもしれない。だとすると、シナリオが別にあり、私たちはしょせん踊らされているというか、芝居を演じさせられているだけなのかも、と思うことがある。
もちろん、政治部や社会部など報道部分も改革が必要だが、本当に改革が必要なのはNHKの営業部門だと思います。これには、まだ誰も手をつけていない》
〔参照〕
■「J考現学」 カテゴリー〔ジャーナリズムの定義〕
■「ジャーナリズム論」野村一夫
■「ATP インタビューシリーズ」
※吉田直哉著 私伝・吉田冨三『癌細胞はこう語った』(文春文庫・1995年)にひどく感心した。当時、医師(名医)、医学部受験生などに、べつに買い求めて渡した。本はすすめるにとどめているので、例外的行為。なお富三は直哉の父親で、「吉田肉腫」を発見した世界的病理学者。
直哉は、強い酒を継続的に呑んだため食道ガンに罹患する。手術後の手記(たしか「文藝春秋」所収)は、父親を意識するあまりガンでは死ねないとの信念に貫かれていて、壮絶。
坂本氏によると 制作会社の劣悪な環境の元凶は、「局が出す番組制作費が著しく安い」ことにあるという。
《「放送局にもプロダクションにも"商品"という概念がない」「プロダクションはビジネスになっていない」「企業の体をなしていない」というのも、誰に聞いても返ってくる自嘲の声である》
1992年7月に朝日放送が放送した番組の"やらせ"に、制作プロダクションのタキオンが深く関与していた件について、坂本氏は放送局と制作プロダクションの歪んだ関係を普遍的なものとして提示する。そして《いい番組を作ったときは局の手柄にし、悪い番組を作ったときはプロダクションに責任を押しつけて逃げるという本音が明らかになった》と記す。
タキオンが順調に成長している時期に起きた事件ということもあり、まったくやりきれない。局側がタキオンにプレッシャーをかけた可能性が大きいという外部の声もあったらしい。
タキオンの稲塚秀孝は社名をゼットに変更し、再起を図ったが、いまはタキシーズの代表。
「放送レポート」に〈98年夏/銀行とのわが闘争〜番組制作会社「ゼット」はこうして倒産した/稲塚秀孝〉という記事を書いているようだ。
このなかに登場するプロダクション経営者はいずれも魅力的だが、わたしが最も気に入ったのはクリエイティブネクサスの藤井潔。(註・現在は会長)
NHKのドキュメンタリー・ディレクターとしては吉田直哉(※)に親しみをもっていたが、藤井潔については知らなかった。
藤井潔の言を引く。
《しかし藤井は自らを、
「僕はテレビが心底好きで、関心の第一はテレビにある。テレビと心中するつもりの古い作り手だ」
と語りながらも、
「プロダクションとしては、売り上げに占める地上波の比率を減らし、非テレビ部門を増やす方向を目指す。これはうちに限らない。売り上げの八割とか九割をテレビに依存しているプロダクションの多くが、その比率を五割とか六割まで下げたいと思っているはずだ」
と断言する》
《藤井潔は、最後にこんなことも付け加えた。
「放送局、それもNHKという局にいた人間の目から、制作プロダクションの人たちを見ると――こういう言葉が当たっているかどうか、でも――ほんとに一生懸命で、いじらしいというか。ほんとに″虫″ですね。彼らは局のやり方を知らないが、知っている人間からみると、よくここまでやるなと。NHKでも、ここまで虫じゃないし、純粋ではなかった。だからこそこの人たちを、いまのような状態においてはおけない。正当な報酬と拍手が得られるようにしなくては」》
*
上記を読んで藤井潔について知りたくなり、以前に読んだ『「NHK特集」を読む』(小林紀興・光文社・1988年)を読みかえした。
読後感としては、とにかく熱い。1988年当時に読んだときには感じられなかった時代の熱さが感じられる。そういえば、あのころはNHKや民放のディレクターが、TVのトーク番組に登場していた。TVが元気で、深夜にもトーク番組が多かった。
藤井潔がいいだした"サムシング・ニュー"は「NHK特集」のモチーフになったことばだが、藤井がNHKを辞めて設立した制作会社、クリエイティブネクサスに継承されているようだ。
「クリエイティブネクサス」ごあいさつ
以下、『「NHK特集」を読む』より引く。
●小型VTRカメラを見て閃いた藤井潔(p.235〜p.238より抜粋)
昭和52年3月3日に放送された『永平寺』は、スペシャル部内での評判はよくなかった。ところが、この作品がその年のイタリア賞テレビドキュメンタリー賞をさらう。
受賞理由は「寺の僧の意識の流れを表現するのに小型VTRを使用したのはクレバーな選択だった」というものだった。当時、ヨーロッパのテレビ局はまだ小型VTRを採用していなかったが、VTRの優位性を素直に認める度量が彼らにはあった。
「ボクたちも、最初は番組を"作る"つもりで取材に行った。が、そんなことはおこがましいことがわかった。われわれが受けた感動を、音と映像を通じて視聴者にどう"伝える"かが問われている、と思った。つまり"作る"のではなく、"伝える"のが新しいドキュメンタリーの使命ではないのか、と」
●組織に風穴を開けた男・掘四志男(p.225〜p.227より抜粋)
『NHK特集』がスタートしたのは昭和51年4月。生みの親は、当時、放送総局長だった掘四志男。
型にはまった番組が視聴者にとって面白味を欠くのは当然で、昭和40年代半ばになるとNHKに対する視聴者の風当たりは相当強くなっていった。視聴者のNHK離れは相当深刻になり、料金不払い運動にNHKは悩まされるようになった。
堀が重視したのは、クロスカルチャーを実現することと、それまでいわば無風状態だった官僚機構のNHKに競争原理を導入することであった。
たとえ負けても(視聴率)ファミリーアワーで民放に挑戦すべきだ、ということで質の高い教養番組に力を入れることにした。
●『NHK特集』のシステムをつくりあげた尾西清重(p.246〜p.250より抜粋)
「確かにNHKはニュースから娯楽番組まで幅広く放送しているけど、そのレーゾンデートル(存在価値)のコアはジャーナリズムにあると思う。面白くなければテレビじゃないとか、視聴率さえとればいいとか、当てればいいとかいった考え方は、ボクに言わせればマスコミュニケーションとしては邪道ですよ。それはジャーナリズムではない。
ただしボクは、ジャーナリズムという言葉を報道番組というふうに狭く限定して使っているんじゃないんです。もっと広い、たとえばドラマであっても、時代や社会をうつす鏡というか、そこに人間の生活があり感情があって現代に通じるものがなければいけない。そういうものも含めてジャーナリズムとボクは規定しているんですよ」
*
「NHKの真相」(イースト・プレス、2005/5/15)を読了。
全編おもしろく読んだが、「NHKに訴えられたただ一人のジャーナリスト」だという浅野健一の【名誉毀損!――「やらせ報道」をめぐるNHKとの九○○日闘争】は圧巻だった。
また、安井陽(フリーライター)の【君は『NHKに言いたい』を見たか?】は、おもしろすぎる。
〔鳥越俊太郎の大暴走〕という小見出しの末尾から引く。
《鳥越氏の場合、批判の中身が証拠を丹念に積み上げて問題点を指摘する類のものではなく、直感的、感情的であり、非論理的な部分が少なくない。それでも頭ごなしに厳しい言葉を浴びせてくるから、視聴者のガス抜きになるし、それが過ぎると、逆に海老沢会長に同情心が芽生える。この日の鳥越氏の役割は、派手に吼えかけて、最後は噛まれる噛ませ役。鳥越氏の出演を決めた担当者の見識には敬服するしかない》
全体的におもしろいのだが、結語がキマッていて笑える。
鳥越氏がラジオで得意気に語っていたのは、じつはそういうことだったのかと納得。
NHK現役記者へのインタビュー記事は興味深かったが、とくに注目したのはつぎの発言。
《海老沢さんは、NHK営業という日本放送協会の中で最もアンタッチャブルな暗黒部分に触ろうとして刺されたのかもしれない。だとすると、シナリオが別にあり、私たちはしょせん踊らされているというか、芝居を演じさせられているだけなのかも、と思うことがある。
もちろん、政治部や社会部など報道部分も改革が必要だが、本当に改革が必要なのはNHKの営業部門だと思います。これには、まだ誰も手をつけていない》
〔参照〕
■「J考現学」 カテゴリー〔ジャーナリズムの定義〕
■「ジャーナリズム論」野村一夫
■「ATP インタビューシリーズ」
※吉田直哉著 私伝・吉田冨三『癌細胞はこう語った』(文春文庫・1995年)にひどく感心した。当時、医師(名医)、医学部受験生などに、べつに買い求めて渡した。本はすすめるにとどめているので、例外的行為。なお富三は直哉の父親で、「吉田肉腫」を発見した世界的病理学者。
直哉は、強い酒を継続的に呑んだため食道ガンに罹患する。手術後の手記(たしか「文藝春秋」所収)は、父親を意識するあまりガンでは死ねないとの信念に貫かれていて、壮絶。
miko3355 at 23:02│TrackBack(0)│ジャーナリズム
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この記事へのコメント
1. Posted by hakohugu 2005年11月19日 10:47

タキオンからNHKに転職して、チーフプロデューサーになったという稀な人もいますよ。優秀な人は制作会社にもたくさんいるのですが、いかんせん力関係がいびつすぎて、業界から優秀な人を締め出すというおろかな結果をまねいています。
以下のエントリにも書きましたが、膨大な人材がテレビから流出し始めました。日本の映像ソフト産業は20年後にはアジア各国からも大きく離されるのではないでしょうか。
http://elmundo.cocolog-nifty.com/elmundo/2005/09/post_741f.html
私は制作業界がもっと、局に対抗する力をつけられる方法はないかブログで考察したいと考えております。
これからもよろしくお願い致します。
2. Posted by miko 2005年11月20日 02:11
hakohuquさま
コメントありがとうございます。
ひとつのエントリーを書くのにけっこう時間がかかりますので、いささかでもお役にたてたとしたら、望外の喜びです。
一昨日は「ハコフグマン」を一気に拝読し、その世界に浸っていました。筆力のあるご文章に感心。そのユーモアのセンスは小田氏に通じると思います。
11/16の「課外授業」もオルタスジャパンの制作だったので、その感想をアップしてから、事務連絡も兼ねて小田氏にメールをするとき、hakohuquさんのblogに触れたいと考えています。
文字どおり非力ですが、わたしにできることがございましたら、やらせていただきます。
自分の直感だけを頼りに小田昭太郎について考えていることを、近いうちにエントリーするつもりではいます。
「すりきれたビデオテープ」の祟りが、hakohuquさんの身にも及ぶのでしょうか。
(「ハコフグマン」にいただいたレスへのレスも含めました)
コメントありがとうございます。
ひとつのエントリーを書くのにけっこう時間がかかりますので、いささかでもお役にたてたとしたら、望外の喜びです。
一昨日は「ハコフグマン」を一気に拝読し、その世界に浸っていました。筆力のあるご文章に感心。そのユーモアのセンスは小田氏に通じると思います。
11/16の「課外授業」もオルタスジャパンの制作だったので、その感想をアップしてから、事務連絡も兼ねて小田氏にメールをするとき、hakohuquさんのblogに触れたいと考えています。
文字どおり非力ですが、わたしにできることがございましたら、やらせていただきます。
自分の直感だけを頼りに小田昭太郎について考えていることを、近いうちにエントリーするつもりではいます。
「すりきれたビデオテープ」の祟りが、hakohuquさんの身にも及ぶのでしょうか。
(「ハコフグマン」にいただいたレスへのレスも含めました)